2016/09/20 - 2016/10/14
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さわ子さん
2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。
旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。
この12回目の旅行記は、ストックホルムからセレナーデ号でヘルシンキに着き、早速街歩きしてアテネウム美術館も訪れた記録です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヘルシンキに着きセレナーデ号を下船してホテルに歩いていきます。多くの乗船客がオリンピア.ターミナル前の停留所で市電を待っています。
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オリンピア.ターミナルからスーツ.ケースを転がし歩いて5分、ホテル.ハヴン(Hotel Haven) に着きました。感じがとても良いレセプションの女性達でした。ここに2泊します。ここでも朝の11時前でしたが部屋は用意されていて、直ぐに部屋に入れました。
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部屋の奥、窓側から入り口の方向を望んでいます。広さも充分で、シックな内装の部屋です。
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右側の窓の横のツイン.ベッドです。
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入り口近くから窓の方向を望んでいます。右側の壁には、続き部屋にする時の扉があります。
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ベッド.サイドのランプです。
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充分な広さのバスルームです。
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バス.タブもあります。
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洗面台です。
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部屋に掲げてあった古い写真です。右端にカタヤノッカ地区にあるフィンランド正教会のウスペンスキー寺院、大統領宮殿、最高裁判所、1つ置いてスウェーデン大使館が見分けられます。左下に見えるオールド.マーケット.ホールは、現在の建物に比べると、簡単な屋根だけの施設のように見えます。
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我々の部屋からの眺めです。部屋は、海と反対側に面していますが、直ぐ近くに日本大使館があります。この写真の左の建物で、左端1階の玄関に日章旗がはためいています。
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ホテルのウェルカム画面がテレビに映っていました。エテラ港(南港)の空撮です。右にシリヤ.ラインのターミナル、左にヴァイキング.ラインのターミナル、港口を塞ぐように並ぶ2つの島が見えます。クルーズ.フェリーは、2つの島の左側から港に出入りします。
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早速街歩きに出発します。ここは、市電のカウパトリ(Kauppatori)停留所前です。「カウパトリ」は「市場」の意味だそうです。この先はマーケット広場になっています。手前はヘルシンキの貸出自転車の駐輪場です。
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市電のループ線の西側にあるバルト海の乙女のブロンズ像です。遠くに今朝ストックホルムから到着したヴァイキング.ラインのガブリエッラ号が見えます。
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エスプラナーディ公園の北側の通りを西の方向に歩いています。この建物の北東角にカナダ大使館が入っています。3階の角にカナダ国旗がはためいています。1階には、イッタラ磁器の店舗もあります。
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エスプラナーディ公園内を北側の通りから覗きます。2つある小さな長方形の池の淵のブロンズ像です。後方はレストランのラヴィントラ.カッペリです。
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エスプラナーディ公園の北側の通りの西の端手前です。右手の角にフィンランド最大のデパートのストックマンが見えます。正面でマンネルヘイミン通り沿いにあるスカンディック.マルスキー.ホテルが見えます。
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ストックマンの手前で右に曲がりました。北の方向に歩いています。左手の建物がストックマンです。
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ここヘルシンキにも日本食レストランの"Ichiban Sushi"の看板がありました。
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正面に鉄道広場がありヘルシンキ中央駅は左手奥です。
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こちらが中央駅です。
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鉄道広場に出ると左側にアテネウム美術館を見つけました。この美術館は1887年に開館しました。
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アテネウム美術館の前から鉄道広場の先の国立劇場を望んでいます。
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アテネウム美術館に入館しました。2階に上がります。中央階段の踊り場から玄関入り口を見下ろしています。
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2階に上がりました。階段ホールで玄関と反対側の壁面です。
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アリス.ニールの特別展をやっていました。アリス.ニール(Alice Neel:1900-1984)は、アメリカの女性の画家です。ヒューストン美術館が選ぶ20世紀の最も偉大な肖像画家の一人に選ばれています。
この絵は1943年の作品で「ヒスパニクの家族」です。 -
こちらは1965年の作品で「ハートレイの肖像画」です。
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美術館の展示室の1つです。
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その展示室に入りました。中央に彫刻作品が並べてあります。
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国際的な評判を得た最初のフィンランド人芸術家の1人だったアルベルト.エデルフェルト(Albert Edelfelt:1854-1905)の作品6点です。
この絵は1877年の作品で、スウェーデンのマグヌス.エリクソン王の配偶者であり、息子のハーコン(ここでは膝の上に座っている)とデンマークのマルガレータ王女との結婚を手配した歴史上の人物、ビアンカ女王を描いています。その結果、1397年から1453年まで続いたスウェーデンとデンマークの連合が生まれました。 -
これは1879年の作品「運ばれる子供の棺」です。
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こちらは1884年の作品「岸辺で遊ぶ男の子達」です。
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これは1887年の作品「ルオコラハティの教会の外に集まった女性達」です。ルオコラハティはヘルシンキの北東でロシアとの国境近くの町です。
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こちらは1887年の作品「パリのリュクサンブール公園」です。身なりの良い母子が集まっています。
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この絵は作者が確認出来ませんでしたが、明らかに上掲の絵を手本にして描かれています。
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フィンランドの画家ヒューゴ.シンベリ(Hugo Gerhard Simberg:1873-1917)の作品2点です。
これは1903年の作品「怪我をした天使」です。2人の不機嫌そうな男の子が担架で天使を運びます。天使の羽が負傷し、目の上に包帯が巻かれています。 -
これは1913年の作品「夕方近く」です。孫の手を引くお祖父さんでしょうか。
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フィンランドの写実主義の画家エーロ.ヤルネフェルト(Eero Järnefelt
:1863-1937)の1893年の作品「ヨークの下(ブラシュ.ウッドを燃やす)」です。この絵は、エーロ.ヤルネフェルトの最も有名な作品です。最初は叙事詩カレヴァラからの言葉で名付けられましたが、括弧内の題名は1897年に展示されたときに使われました。焼畑の伝統は今でも実践されており、ヤルネフェルトは土地のスケッチを描き、夏の間働いている男性と女性の写真を撮りました。絵の主人公のモデルは、14歳の家政婦ヨハンナ.コッコネンで、ヤルネフェルトは少女の顔をすすで黒くし、周囲に煙の光輪を追加し、これらの重荷を負った人々に代わり鑑賞者の心に訴えるような彼女の目を描きました。 -
少女を中心に拡大しました。
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エーミル.ハロネン(Eemil Halonen:1875-1950)の1908年の作品「少女」の木像です。
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展示室の情景です。
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フィンランドで最も有名な画家の1人であるアクセリ.ガッレン=カッレラ(1865-1931)の作品8点です。この画家はパリでの5年間の遊学中に民族意識に目覚め、帰国後に国民的神話叙事詩「カレヴァラ」に関連した絵画を数多く描いています。
この絵は1884年の作品「農民の少年とカラス」です。カラスのメッセージを静かに聞いて立っている、裸足でぼろきれに身を包んだ少年です。フィンランド神話では、カラスはシャーマンに人気のあるスピリット.ガイドであり、シャーマンが冥界に旅したとき、彼らはカラスの形をとることがありました。カラス、そして一般的には黒い動物はしばしば冥界とつながっていると考えられて、人々が先祖を恐れていたのと同じように人々は黒い動物を恐れていました。 -
こちらは1889年の作品で「最初のレッスン」です。パリ滞在中の作品で、貧しそうな生活をしている父と娘のようですが、微笑ましい情景です。
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これは1891年の作品「アイノの神話のトリプティク(3連画)」です。この三連画は、フィンランドの民族叙事詩であるカレヴァラの神話、アイノという若い乙女とカレヴァラの賢人であるワイナミョイネンの物語を描いています。 左の.パネルで、老人のワイナミョイネンはアイノにプロポーズします。アイノは老人を避け、結婚するよりも溺れる方がいいと答えます。中央のパネルは、ワイナミョイネンが釣りに出て再びアイノと出会った瞬間を表しています。ワイナミョイネンは魚を捕まえますが、魚は水に逃げ込んでアイノのイメージに変身し、老人をあざけりました。この3連画はフィンランドの国民ロマン主義運動の出発点となりました。
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左のパネルです。ワイナミョイネンがアイノにプロポーズしています。
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こちらは中央のパネルです。ワイナミョイネンが捕まえた魚が、アイノに変身しています。
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この絵は1899年の作品で「クレルヴォの呪い」です。この題材も民族叙事詩であるカレヴァラの神話から採られています。クレルヴォは孤児であり、奴隷に売られ、牛飼いとして荒野に送られます。
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1903年にフィンランドの南西海岸でトゥルクの北にあるポーリに、私的に立てられたジュセリウス廟に描かれたフレスコ画の原画3点です。その後、廟のフレスコ画は1931年の火災で消失しました。この絵の題名は「建設」です。
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こちらは「春」です。右下の少女がとても可愛いです。
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これは「トゥオネラ川の側」です。トゥオネラはフィンランド神話では、死者の世界、即ち冥界で、これもフィンランドの民族叙事詩であるカレヴァラの神話に出てきます。
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これは1904年の作品「ジャイアント.パイクを捕らえるワイナミョイネン」です。ワイナミョイネンは、フィンランドの叙事詩カレヴァラの多くの詩の英雄です。彼は女神イルマタルから老人として生まれました。彼は冒険でイク.トゥルソなどの神秘的な生き物との多くの戦いに勝利しました。
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フィンランドの画家ロベルト.ヴィルヘルム.エクマン(Robert Wilhelm Ekman:1808-1873)の作品4点です。
これは「カンテレを演奏しているワイナミョイネン」です。これも民族叙事詩であるカレヴァラの神話から採られています。ここでワイナミョイネンはカンテレを演奏しています。 聴衆の中には、ポホラの愛人ロウヒの娘たちがいます。 彼らは虹の上に座っています。 ロウヒの娘たちは超自然的に美しかったので、カレヴァラの英雄の多くは彼女らに興味を持っていました。 -
これも、民族叙事詩であるカレヴァラの神話に出てくる天空の乙女の「イルマタル」です。カレヴァラ神話の天地創造では、イルマタルはある時退屈しのぎに天空から海に降り、そこで波によって身ごもりました。彼女は長らく大きなお腹のままさまよい、その間に彼女の膝に降りたカモが生んだ卵が孵化すると、地球、空、太陽、月、星が生まれました。彼女はさらにさまざまな地形を作った後、ワイナミョイネンを産み落としました。彼は産まれたときにすでに年老いていて、海上をさまよった後に陸に上りました。
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これは1848年の作品「ペンティ.ライティネンがサボのコテージで詩を語る」です。ペンティ.ライティネンは、フィンランドの民俗詩人であり宿屋の主人でもありました。
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これは1860年の作品「道端で物乞いする母子」です。
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フィンランド近代の彫刻家ヘイッキ.W.ヴィロライネン(Heikki W. Virolainen:1936-2004)の1965年の作品「マルヤッタ」です。マルヤッタは、一般的な女性の名だそうです。
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今日、フィンランドで最も尊敬される画家の一人である女性画家ヘレン.シャルフベック(Helene Schjerfbeck:1862-1946)の1881年の作品「幼い妹に食べさせる男の子」です。
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上掲の絵画の作者ヘレン.シャルフベックを説明するタッチ.パネルのディスプレイです。
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こちらもフィンランドの女性画家のアレキサンドラ.フォロステラス.ソルティン(Alexandra Frosterus-Såltin:1837-1916)の1864年の作品「ご免なさい」です。
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これもフィンランドの女性の画家であるエリン.ダニエルソン=ガンボー(Elin Danielson-Gambogi:1861-1919) の1893年の作品「母親」です。女性を描いた絵画を多く残しています。
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フィンランドの画家グンナル.ベルントソン(Gunnar Berndtson:1854-1895)の1881年の作品2点です。これは「花嫁の唄」です。
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同じグンナル.ベルントソンの1886年の作品「市に行く途中の一休み」です。
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フィンランドの画家アウクスティ.ウオティア(Aukusti Uotila:1858-1886)の1879年の作品「音楽室の情景」です。正面の壁面の前にイタリアの彫刻家アントニオ.カノーヴァの作品「アモールとプシュケ」の彫像のコピーが飾られています。
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フィンランドの風景画家ウェルナー.ホルムベルイ(Werner Holmberg
:1830-1860)の1854年の作品2点です。これは「キロの早瀬」です。キロは、ヘルシンキの北西にある地です。 -
こちらもウェルナー.ホルムベルイの1860年の作品「ヘメの道(暑い夏の日)」です。絵は、馬車の乗客の視点で描かれています。自然と蒸し暑い日の感覚が、19世紀の田舎道を郵便馬車で旅する乗客を取り囲んでいるようです。ヘメは、ヘルシンキの北の地です。
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フィンランドの画家ユリア.スティグゼリウス.デ.コック(Julia Stigzelius-de Cock:1840-1923)の1879年の作品「フランス.ノルマンディの夏の日」です。
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フィンランドの風景画家ヤルマル.ムンスタリェルム(Hjalmar Munsterhjelm:1840-1905)の1865年の作品「フィンランドの道路」です。
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フィンランドの風景画家ビクター.ウェスターホルム(Victor Westerholm:1860-1919)の1885年の作品「オーランドの10月のある日」です。オーランドは、フィンランドとスウェーデンの中間にある群島です。
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スウェーデンに生まれ、1840年にフィンランドに移住した画家ヨハン.ナッツソン(Johan Knutson:1816-1899)作の「南港からのスオメンリンナの眺め」です。
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風景や動物の描写が得意なフィンランドの画家フェルディナンド.フォン.ライト(Ferdinand von Wright:1822-1906)の1886年の作品「戦うヨーロッパ大雷鳥」です。ぼんやりとしたフィンランドの森林、野生の自然の風景、黄金比に基づく構成-これらは、フィンランドで最も有名な絵画の1つの特徴です。この絵画は、フィンランドの人々の間で驚異的な人気を博しており、今日でもおそらくフィンランドで最もコピーされた芸術作品です。
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フィンランドの表現主義の画家アルバール.カウェン(Alvar Cawén:1886-1935)の1921年の作品「子守唄」です。
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フィンランドのポスト印象派の画家ユルィヨ・オリラ(Yrjö Ollila:1887-1932)の1915年の作品「女性の羊飼い」です。
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フィンランドの大公国で40年以上活躍したスウェーデンの彫刻家カール.エネアス.シェーストランド(Carl Eneas Sjöstrand:1828-1906)の作品です。このアテネウム美術館のファサードを飾るために作られた女神の彫像の見本のようです。実際のファサードを見ると全く同じ形の像はありません。
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これが美術館の正面で中央ファサードの3階の両側に2体づつの女神の彫像が見えます。
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こちらはファサード右側の2体です。右側の女神は、右手にハンマー、左手に胸像を持っています。彫刻家でしょうか。左側の女神は、筆とパレットを持った画家のようです。
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ここからはフィンランド以外の国の芸術家の作品です。
スウェーデンの画家で生活の大部分をフランスで暮らしたアラン.オスターリンド(Allan Österlind:1855-1937)の1886年の作品「洗礼」です。印象派のルノアールが描いた「ムーラン.ド.ラ.ギャレット」の木漏れ日の影響を受けているようです。 -
スウェーデンを代表する芸術家の1人であるアンデシュ.ソーン(Anders Zorn:1860-1920)の1890年の作品「戸外で水浴する少女達」です。
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スウェーデンの画家ルイス.シュパラー(Louis Sparre:1863-1964)の1891年の作品「初雪」です。
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オランダのポスト印象派の画家ヴィンセント.ファン.ゴッホ(Vincent Van Gogh:1853-1886)の1890年の作品「オーヴェル.シュル.オワーズの通り」です。オーヴェル.シュル.オワーズは、パリの北北西の郊外にある街です。この街で、弟のテオのアドバイスを受けて、精神的な問題の治療を受けていました。ゴッホは最終的にそこで自殺しました、そしてこれは彼の最後の絵の1つです。
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フランスの画家ポール.セザンヌ(Paul Cezanne:1839-1906)の1882年の作品「エスタック」です。エスタック(L'Estaque)は、フランスのマルセイユの西にある小さな漁村です。この作品は、多くの若いフィンランド人画家に大きな影響を与えました。セザンヌの作品の変調、つまり、全体が目で見た現実ではなく芸術家の感情的な経験を表現するように表面構造を分割することは、フィンランドでも芸術を作成する主要な方法になりました。
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フランスのポスト印象派の画家ポール.ゴーギャン(Paul Gauguin:1848-1903)の1892年の作品「タヒチの風景」です。
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絵画の鑑賞を終えて、素晴らしい館内の装飾を鑑賞しました。館内中央の階段ホールの側の通路です。
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天井の一部がこのような状態になっています。多分当初は白一色ではなく、このような彩色が施されていたのではないでしょうか。
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3階の階段ホールの回廊です。
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3階の階段ホールの回廊から2階踊り場を見下ろしています。
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2階踊り場から3階の回廊を見上げています。
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1時間10分程絵画を鑑賞して美術館を出ました。正面は鉄道広場で、その外周にバス.ターミナルや市電の停留所があります。この広場は、冬季には大きなスケートリンクが造られます。広場の西側に塔を持つ中央駅があります。
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美術館を出てデパートのストックマンの8階フード.マーケットの中のフェイザーで昼食にしました。
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ビュッフェ形式で、選んだものをレジで精算します。
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木製家具が有名な北欧らしいデザインです。
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フード.マーケットの調理場です。
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店内の飾りです。
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拡大しました。
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ストックマンを出てマンネルヘイミン通りの北側を北東の方向に歩き、ショッピング.モールのフォルムに向かいます。通りを振り返っています。写真の左にストックマンが見えています。
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マンネルヘイミン通りでストックマンと道路の同じ側にあるヘルシンキ大学学生連合の建物です。緑青の屋根の大きな建物でユーゲント.シュティール様式の外観をしています。
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フォルムはマンネルヘイミン通りの反対側にあるので横断歩道を渡ります。右側の建物は、ヘルシンキ大学学生連合の建物の後半部です。
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ムーミン.ショップを探してフォルム.ショッピング.センターに入りました。
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多くのショッピング.モールのように、中央に大きな吹き抜けの広場が造られています。
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フォルムの3階にあるムーミン.ショップで土産物の買い物の後、近くのカンピ礼拝堂に行きます。
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カンピ礼拝堂の右手にある入り口前から紅葉が綺麗な樹木を撮影しました。2012年に建てられたカンピ礼拝堂はナリンカ広場の南東角にあり、周りの繁華街の喧騒の中に建てられたため、静寂の礼拝堂とも呼ばれています。
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礼拝堂に入りました。礼拝堂の平面は、ほぼ卵形をしています。その卵形の天井の隅から太陽の光が内部に降り注いでいます。建築物は総木造です。
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壁面は、この様な積層板になっています。
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説教壇のようです。
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こちらが外壁です。
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ここがナリンカ広場です。広場の南西側には、このカンピ.ショッピング.モールがあります。
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今日は金曜日です。人出も相応に多い様です。
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風に靡く金髪を見惚れて、つい撮ってしまいました。
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ナリンカ広場の北西側です。
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マンネルヘイミン通りでフォルムの前に戻ってきました。北東の方向に中央駅です。
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マンネルヘイミン通りにある市電のラシパラツィ(Lasipalatsi)停留所です。
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マンネルヘイミン通りでストックマンの北西角にある3人の鍛冶職人のブロンズ像です。ハンマーを持った像は、何か共産主義のソヴィエトの像を思い出させます。
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マンネルヘイミン通りから東に曲がりアレクサンテリンカトゥ通り(Aleksanterinkatu)を歩いていきます。この通りは市電は走っていますが、車は通行禁止です。
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アレクサンテリンカトゥ通り(Aleksanterinkatu)から北の方向に中央駅を望みます。
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北側のエスプナーディ通りまで歩いて戻ってきました。
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路上駐車の為の駐車券発行機の様ですが、駐車券は機械のどこから出てくるのでしょうか?
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ヘルシンキ大聖堂前に来ました。大聖堂の南側に元老院広場があります。大聖堂にはその広場から階段を上って行きます。
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どこでも見かけるホップ.オン/ホップ.オフの観光バスです。
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こちらは別の会社のバスでしょうか、デザインが違っています。
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元老院広場の東側には首相府の建物があります。
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ヘルシンキ観光には、国旗のカラーを塗ったトレーラーもあります。
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高台になっている大聖堂の前から南南西の方向を望んでいます。
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南南東の方向です。シリア.ラインのセレナーデ号の煙突が見えています。
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大聖堂の西側にある国立図書館の建物です。
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1852年にネオ.クラシック様式で完成した大聖堂に入りました。西側のファサードの出入り口から内陣方向を望んでいます。赤十字と同じギリシャ十字型の平面を持つ内部は明るく、とてもシンプルに造られています。
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バルト.ドイツ人の画家カール.ティモレオン.フォン.ネフ(Carl Timoleon von Neff:1804-1877)が描いた主祭壇画です。祭壇画はキリストの磔からの降下のようです。
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ファサードの出入り口上で、主祭壇の対面にあるパイプ.オルガンです。
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左側で平面の十字が交わる箇所に説教壇です。
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大聖堂の西側です。こちらが中央の出入り口になります。
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元老院広場の中央には、フィンランドの解放者として記念する、1894年に建てられたロシアのアレキサンダー2世(1818-1881)の立像があります。1894年は、フィンランドは未だロシアの大公国でした。1863年、アレクサンドル2世はフィンランド議会を再召集し、自国通貨であるフィンランド.マルッカの設立など、ロシア帝国内でのフィンランドの自治権を高めるいくつかの改革を開始しました。フィンランド語をスウェーデン語と同等の公用語にもしました。アレクサンドル2世は、フィンランドでは今でも「善き皇帝」と見なされています。
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アレクサンドル2世の立像の台座の周りのブロンズ像です。
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元老院広場から東側の海岸通りを歩きます。この通りは、北岸の意味のポヒヨストランダ(Pohjoisranta)と名が付いています。水路を挟んで東側の対岸はカタヤノッカ島です。そのカタヤノッカの丘にある赤煉瓦のフィンランド正教会ウスペンスキー寺院が見えます。手前は昔の港の倉庫群で、今はフード.コート等になっています。2003年の旅では、この写真に写るレストラン.ラヴィントーラ.シプリ(Ravintola Sipuli)で昼食を食べました。
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ポヒヨストランダ通りを少し北の方向に歩いていきます。この島々に囲まれた海は、北港と呼ばれています。カタヤノッカ島の南になり、ストックホルムからの船が接岸する南港に対比しています。
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この北港にはこのように多くの帆船が係留されています。
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手前の帆船はアストリッド号(Astrid)で、1947年に貨物の沿岸輸送に従事する目的でフィンランドで建造されました。その後1969年に改造されて現在は主に若者の帆走訓練に使われているそうです。
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桟橋の手前に係留されている1本マストの帆船イングリッド号(Ingrid)は、1932年に漁船としてデンマークの造船所で建造され1991年まで漁船登録されていました。その後1995年から2002年にかけて、スウェーデンの造船所で改造および改修され、主に帆走の訓練に使われているそうです。
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こちらは2本マストで24本の艪を持つカッターと呼ばれるボートのダイアナ号(Diana)です。
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これは1914年にデンマークで建造された3本マストの帆船で、密輸に関係した容疑でフィンランドに押収されました。現在はヤン.マイエン号(Jan Mayen)です。
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正面にカタヤノッカの丘にあるウスペンスキー寺院とその手前の昔の倉庫群です。
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カタヤノッカの北東岸には大きな砕氷船が係留されています。左端の船は、1986年竣工で7,189総トンのオトソ号(Otso)です。その右隣りの船は、姉妹船のコンティオ号(Kontio)のようです。右端の船は、1975年竣工で9,500総トンのウルホ号(Urho)です。この砕氷船は、同型船が5隻フィンランドで建造され、3隻がスウェーデン、2隻がフィンランドで活躍しています。
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この北港には、このようなレジャーボートやヨットも係留してあります。
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ウスペンスキー寺院に向かいます。この建物は、このように少し高台に建っています。
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ウスペンスキー寺院の北側から北港を眺めています。左側の海岸通りのポヒヨストランダ沿いには、リトアニアやチュニジアの大使館があるようです。
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こちらは北西の方向で、遠くに大聖堂の塔が見えています。手前の水色の建物は大統領警護隊詰所だそうです。
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こちらは南の方向で、カタヤノッカの南港沿いにある観覧車とシリヤ.セレナーデ号が見えています。
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カタヤノッカ島からマーケット広場に向かっています。右端の大統領宮殿、その左隣に最高裁判所の建物が見えています。
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今朝下船したセレナーデ号です。今夕4時45分ににストックホルムに向けて出航します。
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こちらはヴァイキング.ラインのガブリエッラ号で、この船もストックホルムに今夕出航します。
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南港の西岸にあるオールド.マーケット.ホールに入りました。ウィンドウ.ショッピングです。右側のお店は食堂のようです。
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魚の缶詰などが売られています。
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缶詰以外の干物も売っています。
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オールド.マーケット.ホールの後方にあるステーキ.ハウスのグッド.ウィン(Goodwin)の前のベンチで一休みです。
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このベンチは、このように大きな牛がデーンと座っています。
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ヘルシンキに10軒以上ある"Hanko Sushi"店です。デパートのストックマンにもありました。これは日本大使館の並びにあった店です。このチェーン.レストランは、フィンランド南部沿岸でヘルシンキの西にある町ハンコを発祥とし、日本の印鑑のハンコにも掛けているそうです。
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午後5時15分、ホテル.ハヴンに帰って来ました。ホテルの玄関前です。
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ここから2003年初夏の旅の写真です。
タリンからのフェリーを西港で下船して、タクシーでホテル.ヘルカ(Helka)に着きました。ヘルシンキ市立美術館(HAM)の直ぐ近くです。ここに3泊しました。 -
エスプラナーディ公園の西の端でスウェーデン劇場の前にあるブロンズ像です。
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元老院広場から大聖堂を見上げています。
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大聖堂から水路を渡ってカタヤノッカ島に来ました。水路沿いのカナヴァランタ通り(Kanavaranta)で旧倉庫の南西端にあるレストラン.ラヴィントーラ.シプリ(Ravintola Sipuli)で昼食です。料理が運ばれる迄、葉書を書きます。当時は旅先から必ず絵葉書を送りました。
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シリヤ.ラインのシンフォニー号出航の準備をしています。当時はタリンクによる買収の前です。その後ろにはヘルシンキとタリンの間の高速フェリー、スーパーシーキャット号です。シリヤ.ラインのブランドで運行されていましたが、2008年に船社が廃業しました。
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南港の西岸から北の方向を望んでいます。中央高く大聖堂、その手前に水色の市庁舎ビル、そして左手前に赤煉瓦のオールド.マーケット.ホールです。
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西港の東岸にはヴァイキング.ラインのフェリーが停泊しています。手前は1989年竣工で34,386総トンのイザベラ号(Isabella)で、後ろは1989年竣工で46,398総トンのシンデレラ号です。イザベラ号は2013年にタリンクに売却され、船名がイザベレ号に改名され、船体は全体が白色に塗装替えされました。
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ヘルシンキ中央駅を覗いてみました。フィンランド国鉄はロシアやスペイン、ポルトガルと同じ1,524mmの広軌を採用しています。この電気機関車は、軌間は違いますがスイス国鉄のRe460形電気機関車と同系列の車両です。
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こちらはヨーロッパでよく見る2階建の客車です。
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これからシベリウス公園に行きます。ガイドブックに従ってスウェーデン劇場の西側から24番のバスに乗ります。このバスの車体の広告はソニーがエリクソンと提携していた時のものです。
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24番のバスをシベリウス公園の停留所で下車し公園内を北の方向に歩きます。二人の後ろがシベリウス.モニュメントです。パイプオルガンのような背景の装飾の下にシベリウスの頭が見えています。
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公園の海岸沿いを少し歩きました。ここにもヨット.ハーバーがあります。ここも島々に囲まれた内海になっています。
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シベリウス.モニュメント前の岩の上にカメラを置いて記念写真です。
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モニュメントの後ろに回り、こんな写真も撮れます。
2003年初夏のヘルシンキの旅では、3泊しましたがジジの体の調子が良くなかったので、余り町歩きをしていません。
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シニア夫婦の北欧4カ国、バルト3カ国再訪の旅25日
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