2016/09/20 - 2016/10/14
173位(同エリア933件中)
さわ子さん
2016年秋、羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由オスロに到着し、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、デンマークとヨーロッパ7カ国を訪問し、コペンハーゲンから羽田に帰って来ました。今回も絵画鑑賞が主な目的の再訪です。
旅程の概略です。
★ 9月20日 羽田からスカンディナヴィア航空でコペンハーゲン経由でオスロへ。オスロ泊。
★ 9月21~22日 オスロ泊。
★ 9月23~24日 ベルゲン泊。
★ 9月25日 フロム泊。
★ 9月26日 ベルゲン泊。
★ 9月27~28日 ストックホルム泊。
★ 9月29日 船中泊。
★ 9月30日~10月1日 ヘルシンキ泊。
★ 10月2~4日 タリン泊。
★ 10月5~7日 リガ泊。
★ 10月8~10日 ヴィルニュス泊。
★ 10月11~12日 コペンハーゲン泊。
★ 10月13日 コペンハーゲン空港からスカンディナヴィア航空で羽田へ。
この3回目の旅行記は、オスロを1日中散策した2日目の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日も7時前に1階のパレオに行きました。これはババが選んだ朝食のセレクションです。この蒸しポテトも美味しかったそうです。
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こちらはジジの選択です。今朝も全て美味しく戴きました。
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8時45分です。出かけます。今日は美術館2箇所と王宮を訪問します。中央駅方向へ走る市電の停留所はホテルの真ん前です。その停留所から今、朝食を摂ったレストランのブラッスリー.パレオを眺めています。
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ホテルの東側にある広場から南の方向に二つの道路が八の字で伸びています。一つは市電の通りで、もう一つがこの通りです。写真の右端にホテルの南端が写り込んでいます。
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中央駅に向かう市電が来ました。2枚目の24時間有効の交通券を使い始めます。明日はベルゲンへ出発しますが、明日の朝まで有効なので中央駅まで使えます。
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市電の中から大聖堂の鐘楼を見ています。今日も天気が良くありません。
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車内の切符キャンセルの機器です。
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市電の経路を読み間違って駅を離れた電停で下車してしまいました。地下通路を地下鉄乗り場まで歩きます。こちらは2番線ホームの入り口で西行きの電車の入り口です。
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ムンク博物館に行くためには東行きの電車に乗ります。この通路の奥が1番線のホームです。
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通路の壁面には、子供達が描いた絵が展示してありました。
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その1枚です。宇宙飛行士のようです。
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東方向に走る1番から5番までの電車全てに乗車できます。ムンク美術館に近い駅は、ここから2駅目のトェーエンです。今日は木曜日ですが、9時10分でも駅はこの静けさです。
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3番の電車に乗りました。車内もこのようにガラガラです。
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ここから2駅乗るだけですが、時間があるので適当に乗り過ごして戻って来る事にしました。ムンク美術館は10時開館で駅から近いそうです。
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東京の銀座線や日比谷線と同じ第3軌条からの集電です。1ユニット3両を2ユニット繋いだ編成の列車になっています。電車は途中からこのように地上を走ります。
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中央駅から6駅目、ヘレル(Hellerud)を過ぎます。ここは一緒に走る2番と分かれ、3番だけの路線になります。
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9時25分です。ここゴドリア(Godlia)で折り返す事にしました。
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これは駅の切符の販売機と右端にある切符のキャンセル機です。
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都心(西)方向の電車のプラットホームへ移動します。
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トゥーエンで下車しました。案内板の指示に従って歩いて行きます。
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ムンク博物館につきましたが10時の開館まで10分程待たされました。これは記念写真撮影のための額縁です。
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美術館の玄関前です。
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10時になり入館します。
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1895年の作品「叫び」です。世界で最も有名な芸術作品の1つで不安の普遍的な象徴でもあります。ムンクの最も有名なこのモチーフは、日没時に2人の友人と散歩した事から始まったそうです。その色彩豊かな光景は、ムンクに強い反応を引き起こしました。そして5枚のバージョンの「叫び」が製作されました。それは2枚のテンペラ絵画と2枚のパステル画、そして1895年に制作された、このリトグラフの作品です。
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これは1894年に制作された「絶望」です。オスロの橋に人物が描かれています。これはムンクの作品の繰り返しの背景であり、「叫び」で完成しましたが、他のいくつかの絵画でも使われています。これらの作品はすべて、2人の友人と夕方にオスロ湾を見下ろす丘の道路を歩いた彼の経験に触発されたようです。彼は少し憂鬱を感じて見上げると、空が真っ赤に変わるのを見ました。彼は、街に血と剣がぶら下がっているのを感じた燃えるような雲を見ました。彼は自然から無限の悲鳴を聞いたそうです。
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こちらは1896年に制作された、リトグラフに一部着色された「不安」です。 多くの美術評論家は、不安がムンクのより有名な作品である「叫び」と密接に関連していると感じています。顔は絶望を表し、落ち込んだ状態を示しています。 多くの批評家はまた、それが失恋と悲しみの感情を示すことを意図していると信じています。
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これは1904年に制作された「筆を持つ自画像」です。
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これは1895/1902年頃の作品「マドンナ」です。この絵に似た絵が大原美術館にあるそうです。
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これは1896年制作の「病める子 I」です。この絵は、エドヴァルド.ムンクの子供時代の個人的な経験に根ざしています。彼は芸術的な生涯を通じてこのモチーフを探求し続けました。この病気の思春期の少女のモチーフは、結核に苦しみ、15歳で亡くなった妹のソフィーのエドヴァルド.ムンクの思い出に基づいています。結核は、社会とムンクの家族の両方にとって絶え間ない脅威であり、治療法はありませんでした。彼の母親も、ムンクが5歳のときにこの病気で亡くなりました。
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これは1915年に制作された「死の踊り」です。骸骨が踊るモチーフは昔からの画像です。
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これは1895年の作品で「魅力」です。
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これはムンクの作品ではなさそうですが、誰のいつ頃の作品かは見つけられませんでした。
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結局30分位で美術館を出ました。ムンク美術館はオスロ大学植物園とトゥーエン公園に挟まれた場所にあります。ここでも保育園の園児達と保育士さん達を見かけました。
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また地下鉄に乗って都心に戻ります。次は王宮近くの国立美術館です。ババが何か撮影しています。
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この吊り革でした。左右にスライドできるようですが、進行方向の前後に安定するのでしょうか?
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地下鉄は中央駅から2駅過ぎた国立劇場で下車しました。地下にある駅の出口はこの噴水の左手奥にあります。国立劇場は背後の左手です。
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国立劇場の北側隅にあるブロンズ像です。写真の右側に見えるのが国立劇場です。
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国立劇場の北東面です。こちら側には入口はありません。手前には小さな芝生の庭があり、その後ろにブロンズ像が設置されています。
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そのブロンズ像です。台座の碑銘には、ルドゥヴィ.ホルベア(Ludvig Holberg:1684 - 1754)と書かれています。彼は、ノルウェーのベルゲンで生まれた作家、エッセイスト、哲学者、歴史家、劇作家でした。
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近くにある国立美術館を探してウロウロしていると、このブロンズ像に出会いました。雨も降り出しています。
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地下鉄を降りてから20分、途中で親切な女性に教えてもらい国立美術館を見つけました。展示室は2階と1階にあります。まず2階に上がります。
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階段の踊り場から入り口を望んでいます。団体の子供達が入って来ました。この美術館の建物は1882年に完成しています。
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まずはノルウェーの写実主義運動の偉大な画家の一人であるクリスチャン.クローグ(1852 - 1925)の作品5点です。
これは1881年の作品「病気の少女」です。瀕死の少女は非常に拡大されており、観賞者はまるで彼女と同じ部屋にいるかのように感じる事ができます。私達は残酷な現実に直面していますが、少女自身は悲しみや絶望を示していません。少女の膝のしおれたバラは、紛れもない人生の一時性の象徴です。この絵の製作には、1868年の妹ナナの病気と死の記憶が重要な背景であったと信じる理由があります。クローグは、幼い頃に妹と母親の両方を失ったという点でエドヴァルド.ムンクと同じ運命をたどりました。クローグの病める子は、ムンクの病める子(1886)のインスピレーションの源だったのかもしれません。 -
これは1883年制作の「母と子」です。クリスチャン.クローグは、正義と表現の自由の擁護者でした。クローグは1800年代のオスロの労働者階級の人々を共感と変化への欲求で描きました。彼の家族は彼が父親のように法律家を目指す事を期待していましたが、彼は芸術家になりたいと思っていました。そして彼は両方を学びました。オスロで法学を学んだ後、彼はドイツのカールスルーエの美術学校に通い、美術を学びました。 若いノルウェーの芸術学生の多くがさらなる研究のためにカールスルーエからミュンヘンに旅行したとき、クロッグは彼の恩師に続いてベルリンに行きました。 大都市との彼の出会いは彼の社会的良心を目覚めさせ、社会問題への生涯の焦点を引き起こしました。
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こちらは1888年の作品「娘の髪を編む」です。クリスチャン.クローグは親密な関係に目を向けており、家族生活のシーンは彼のお気に入りのテーマの1つでした。特によく知られているのは、デンマーク北部のスカーゲンにあるガイヘデ家での多くの描写であり、1880年代の終わりから、彼のためにモデルとなったのは彼自身の家族でした。そのような家族生活の肖像画の中で、クローグは社会階級を超えた普遍的なトピックを見つけ、それゆえ幅広い聴衆にアピールできました。彼の家族の絵の特徴は、親密さとケアの小さな日常の瞬間に焦点を当てていることです:揺りかごを揺する祖父、授乳中の母親、子供たちに本を読んでいる母親、またはこの絵のように、母親は娘の髪を編んでいます。
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これは1889年の作品「生存競争」です。モチーフは、キリスト教団の貧しい人々へのパンの配布を示しています。絵の左側にある建物に向かって、女性と子供達が群がっています。彼らは寒さの中、バスケットとへこんだバケツを持っています。窓からパンを差し出す、指に金の指輪を嵌め、袖にレースの縁を付けた手が見えます。グループの最前線にいる女性達は、パンを受け取るために腕を伸ばして必死です。グループの後ろには、不安な表情の子供達がいます。左隅で男の子が建物に押し込まれ、彼の視線はぼんやりと下向きになります。垂れ下がる腕の中で、彼は一片のパンを握っています。通りには僅かな人しかいません。制服を着た男が静かに通りに立っています。右側のアパートの建物は太陽に照らされ、霧のかかった場所を背景に太陽が降り注いでいます。
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1893年に制作された「レイフ.エリクソンがアメリカを発見した」の題名を持つこの絵は、6人の男性が乗船している海上の船を描いています。アイスランド生まれのヴァイキングであったレイフ.エリクソンは大きく描かれ、舵を取り、海岸の方向に腕を伸ばしています。彼は縁に沿ってカラフルな刺繍模様の黄色いセルクを着ており、装飾ベルトにナイフが付けられています。中央の少年は手すりに寄りかかって海岸の方向を見ています。レイフ.エリクソンがコロンバスの発見に先立つ事500年前にアメリカに上陸していたヨーロッパ人であった事は事実だそうです。
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ロマン派のノルウェーの画家ヨハン.クリスチャン.ダールの1832年の作品「ノルウェー沿岸沖で難破船」です。
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ベルゲンに生まれたロマン派のノルウェーの画家ヨハン.クリスチャン.ダール(1788 - 1857)の作品5点です。ヨハン.クリスチャン.ダールは経歴の初期にデンマークやドイツで活躍し、イタリアにも旅行しています。
これは1818年の作品「ライム.ワークス近くのエーレ海峡を見渡す」です。エーレ海峡は、デンマークとスウェーデンの間の海です。左側にデンマークの旗が見えています。 -
右下の3人の淑女と紳士を拡大しました。沖にはカッターを曳航する帆船が見えます。この絵が描かれた1818年は、ナポレオン戦争でデンマークはフランスと同盟をして戦いましたが敗れ、ノルウェーをスウェーデンに割譲した直後になります。
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こちらは「ポジッリポ近くの洞窟からの眺め」です。ポジッリポはナポリ南西部で海岸沿いの地区です。正方形の洞窟の右側奥にヴェスヴィオ火山が見えています。
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これは1821年の作品「ローマのヴィラ.マルタ」です。ヴィラ.マルタは、ローマのスペイン広場の東側の丘の上にあります。少し形は変わっていますが、現在もこの塔が目印になっています。
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夫婦の肖像画です。
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これは「女性の衣装の研究」の題名を持つパネルで、画家が下調べに描いいている女性像です。
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こちらはノルウェーの画家であり、前述のヨハン.クリスチャン.ダールの弟子トーマス.ファーンリー(1802 - 1842)の1834年頃の作品「画家と少年」です。トーマス.ファーンリーは、27才の頃北欧を離れ、ドイツ、パリ、イギリスを経てイタリアに移りました。この絵は、南イタリアの海岸での情景でしょうか。
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ノルウェーの画家エイリッフ.ペーテシェン(1852 - 1928)の1875/76年頃の作品で「クリスチャン2世がトーベン.オックスの死刑執行令状に署名」です。この絵はノルウェーの歴史画の主要な作品の1つであり、ノルウェーがデンマークの支配下にあった16世紀初頭のシーンを描いています。1517年の貴族トーベン.オックスへの死刑執行令状は、政治的な影響を及ぼし、間接的にクリスチャン2世の失脚につながりました。この絵は、疑いを持っている王が令状を発効するかどうかを決定する心理的な葛藤の瞬間を描いています。彼の右側には、彼の顧問であるディドリック.スラグヘックが立っています。彼は、文書に署名するための羽ペンを王に渡します。彼の左側で、イザベラ女王は涙目で彼を見て、明らかにそうしないように頼んでいます。どちらの人物も王に寄りかかっています。黒い衣装のスラグヘックと白い衣装の女王は、善と悪の戦いを象徴しています。
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イザベラ女王を拡大しました。画家のエイリッフ.ペーテシェンは、ノルウェーとデンマークの美術学校で学んだ後、19才でドイツに渡り、ドイツの3箇所の学校でも美術を学び、ミュンヘンで活躍しました。30才で北欧に戻りましたが、その間2回ほどイタリアにも旅行しています。
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アドルフ.ティーデマン(1814 - 1876)とハンス.ギューデ(1825 - 1903)の合作で1848年に制作された「ハダンゲル.フィヨルドでのブライダル行列」です。この太陽が降り注ぐ夏の光景は、フィヨルドと山々が連なる西ノルウェーの自然、岬のスターヴ教会、何隻かのボートに分散したブライダル行列を描いています。国民が、ノルウェーの自然と民俗生活をどのように認識しているかを表しています。
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船の行列を拡大しました。アドルフ.ティーデマンは、デュッセルドルフに移住した最初のノルウェー人芸術家でした。彼は民俗生活の場面を描くために歴史画家になるという野心を放棄しました。彼は農民に新しい尊厳を与える絵画を描きました。
共作者のハンス.ギューデは、ティデマンドの10才若輩で、ノルウェーの自然をかなり壮大に描写する早熟な画家でした。 -
これは「ハダンゲル.フィヨルドでのブライダル行列」の共作者のアドルフ.ティーデマンの1862年の作品「熊ハンターの帰還」です。椅子に座った一人は、足に怪我をしているようです。その後ろの少年は、両手に子熊を抱えていますが、生きた子熊のように見えます。
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これは「ハダンゲル.フィヨルドでのブライダル行列」の共作者ハンス.ギューの1887年の作品で、ドイツ北東端にあるリューゲン島出身の民族衣装の女性の描写を研究したものです。
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ミュンヘンとパリで絵画を学んだノルウェーの画家でイラストレーターのエーリック.ヴァーレンショルド(1855 - 1938)の1883年の作品「9月」です。塀のそばに立つ二人の少女のシーンは、日常的で気取らない形で描かれていますが、その絵はまた、秘密と秘密の感覚を呼び起こします。女の子は何について話しているのでしょうか? エーリック.ヴァーレンショルドは、1883年の夏にテレマルクのグヴァルフでこの絵を描きました。風景は、ヴァーレンショルドの家族が夏を過ごしたリンドハイム農場からのものです。彼はいくつかの異なるバージョンを制作しました。2枚の絵画には孤独な一人の人物が描かれ、このバージョンでは二人の人物が会話をしている情景が描かれています。
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同じエーリック.ヴァーレンショルドの1883/85年頃の作品「農民の埋葬」です。この絵もテレマルクのグヴァルフで描かれました。戸外制作の明るい照明と彩色を物語っているように、ほとんどが屋外で描かれたようです。この絵はいくつかの疑問を提起します。故人は誰でしょうか?なぜ一人の女性しかいないのでしょうか?その本を持っている人は誰でしょうか?そして、なぜ土の塚に棒があるのでしょうか? この絵は司祭の代わりに学校の先生や寺男が立っている葬式を示しています。当時田舎では、仮の儀式が行われなければならない事が時々あり、司祭が後日盛り土に土を振りかける事ができるように、棒が墓に挿入されました。
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パネルは小さいですが、いろいろな絵画が展示してありました。当時の人々の生活が分かる絵画は大いに興味をそそります。この美術館を訪れて分かった事は、ほとんどの北欧の画家が芸術の本家であるイタリアを訪れている事です。北欧にはルネサンス絵画はありませんが、他のヨーロッパ諸国のように、素晴らしい近世の絵画がたくさんあります。
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ノルウェーの新ロマン派の画家ハラルド.ソールベリ(1869 - 1935)の1902年の作品「ローロスの通り」です。オスロの北、直線距離で320Kmにある後日世界遺産になる街ローロスを描いた絵画です。ランド.マークとなっているローロス教会が描かれています。
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こちらは1903年の作品で「冬のローロスの通り」です。ハラルド.ソールベリは多くの風景画を残しています。
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ここからの7枚はノルウェーが誇る表現主義の画家エドヴァルド.ムンク(1863 - 1944)の作品です。
これは1885/86年頃の作品で「病める子」です。エドヴァルド.ムンクは、この病床のシーンにシンプルな構図を使用し、メインの人物像を中央と絵画空間の前面に配置しました。細部のまばらさは、白い枕に対する少女の頭、右の女性の曲がった首、2人の間の接触点など、特定の顕著な要素を強調するのに役立ちます。ムンクの画期的な作品として称賛された病める子は、より個人的で、表現力豊かで、感情に訴える芸術への転換を示しています。この絵は、1877年に結核で亡くなった15歳の妹ソフィーをムンクが失ったことに関連してよく語られます。さらに、死にゆく子供たちは当時の芸術家の間で共通の主題でした。 -
これは1889年の作品「ハンス.イェーガー」です。1880年代、エドヴァルド.ムンクは、親しい家族や友人の中にモデルを見つける事が良くありました。その例の1つは、作家.アナキスト.社会評論家のハンス.イェーガーの肖像画です。モデルはソファに寄りかかって座り、眼鏡を通して私達を直視しています。彼の帽子とぴったりとしたオーバーコートは、彼のよそよそしい、そして冷静な側面を強調しています。
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1893年に制作された「スクリーム、叫び」は美術史で最も有名な絵画の1つであり、現代の人気のアイコンになっています。このアイコンは、さまざまな状況で使用されており、政治ポスターからホラー映画まであらゆる場面に登場します。独自の絵文字でもあります。130年前に作成されたこのモチーフは、今では感情を伝えるために使用するシンボルになっています。絵の風景は、昨日市電で上がっていったエケベルグの丘から見たオスロ.フィヨルドです。二人の友人と呼ばれている男達が、左側の背景を歩いています。叫びはしばしば不安と疎外の普遍的な表現として解釈され、それは画家が意図したものと考えられています。
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この1893年に制作された絵「病室での死」は、1877年に亡くなった妹のソフィーを悲しむムンクの家族と見なす事ができます。ソフィーは私達に背を向けて右側の椅子に座っています。その側には、1868年に母親が結核で亡くなった後、子供達と家族の世話をするために家族と一緒に引っ越してきた叔母のカレン.ビョルスタッドが立っています。背景には、手を握りしめた父親のクリスチャン.ムンクが立っています。まるで祈りのように。絵の中央近くには、半分後ろを向いた男性、おそらく画家自身がいます。姉妹のローラは両手を膝に抱えて前景に座っており、3番目の姉妹インガーは私達を真っ直ぐに見つめています。左側の男性は、一般的にエドヴァルドの弟アンドレアスとして言われています。病室での死では、カレン叔母が病人が座っている椅子の後ろに置いた手を除いて、人々の間に物理的な接触はありません。
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これは1893年の作品で「月明かり」です。強烈で涼しい月明かりが、前景の女性の後ろにあるピケット.フェンスと窓枠に降り注いでいると同時に、彼女の青白い顔を照らしています。女性の姿は、壁や庭の影とともに、こもった不明瞭な状態にあります。女性の影とフェンスと壁が、構図に奥行きのある要素を作り出します。簡潔で根底にあるムードは、孤独、憧れ、不安のいずれかの1つです。
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1894年に制作された「思春期」です。このモチーフの国立博物館のバージョンは、1894-95年の冬にベルリンで描かれました。髪の毛がゆるい裸の少女がベッドの端に座って、両腕を前で交差しています。彼女は目を大きく開いて私たちを見つめます。構図はシンプルで、ベッドの水平線とは対照的に、正面に描かれた体は垂直です。少女の左側には枕があり、右側には明るい壁に大きくて暗い影が投げられています。
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これは有名な「マドンナ」です。ムンクは1894年から1895年にかけて、5つのヴァージョンのマドンナを制作しています。ムンク美術館にも他のヴァージョンのマドンナがあった筈ですが、見落としたのか非展示だったのか写真をとっていませ ん。非常に珍しい表現ですが、この絵は聖母マリアのものである可能性があると言われています。絵がマリアの表現として特に意図されているかどうかは争われています。ムンクは、ラビング.ウーマンとマドンナの両方を含む複数のタイトルを使用しています。ムンクは宗教画で有名ではなく、キリスト教徒としても知られていません。それにもかかわらず、マリアとの親和性は、彼の友人でありモデルにもなった女性作家の美しさと完璧さ、女性らしさの理想としての彼女への崇拝の表現を強調するために意図されているのかもしれません。
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スウェーデンの女性画家ハンナ.パウリ(1864 - 1940)の1896年の作品「紡錘の王女」です。ハンナ.パウリはパリで活躍し、もっぱら付き合いのある作家や画家の肖像画を手掛けています。
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ノルウェーで最も人気のある画家の一人であるテオドール.キッテルセンの1900年の作品「金色に煌めく、はるか遠くのソリア.モリア宮殿」です。
多くのノルウェーの人々にとって、ソリア.モリア宮殿を遠くに見ているテオドール.キッテルセンのアッシュ.ラッドの描写は、未来への希望と人生で成功するという夢の両方の象徴となっています。テオドール.キッテルセンは次のように語っています。「それからアッシュ.ラッドはランチを古い袋に詰め、宮殿を見つけるために広い世界に出かけました。旅は彼を森と谷、そして丘と山を越えて導きました。はるか遠くに、小さな星のように見える何かが輝いていました。彼はどんどん近づきました。太陽の東と月の西で、ソリア.モリア宮殿は金のように煌めいていました」。 この絵は人々の成功の夢を象徴しています。 -
ドレズデンで活躍したドイツ人画家ヨハン.クリスティアン.クレンゲル(1751 - 1824)の1784年の作品「川のある風景」です。この画家は、主に朝または夕方の光の中で、理想的な風景と牧歌的な構図を描きました。
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手前の川岸の女の子と愛犬、そして2頭の羊を拡大しました。
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こちらもドイツ人の風景画家であるヤコブ.フィリップ.ハッケルト(1737 - 1807)の1768年の作品で「アルクの堤」です。同じ1768年にパリからローマに移り、さらに1786年にはナポリに移ってそこで他界しています。従ってこの作品はフランスで製作した絵画の最後の一つとなりました。
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堤の人物を拡大しました。右端の女性は、面白い赤ちゃんの担ぎ方をしています。
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アムステルダムで活躍したオランダの黄金時代の画家ヤン.ファン.ケッセル(1641 - 1680)作の「アムステルダムの"Heiligewegspoort"の側」です。
"Heiligewegspoort"は、アムステルダムの要塞の一部であったかつての市の門です。 -
要塞は堀で守られていたようでが、堀が氷結して絶好の遊び場になっています。
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オランダのバロック時代の画家ヤン.ファン.デル.ヘイデン(1637 - 1712)の1675年の作品「デルフトの旧教会」です。芸術家としての最大の成功は、彼の都市の描写によってもたらされました。デルフトのこの特定の絵画は、細部に至るまで地形的に正しいにもかかわらず、建築要素を自由に組み合わせる事もありました。 この絵では鐘楼は真っ直ぐに立っていますが、現在は左に傾いています。
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近くの芸術とデザインの美術館で日本芸術の特別展が開かれていました。その案内です。
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1時5分美術館を出ました。左側の建物が美術館です。
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国立劇場前に戻って来ました。建物の東南側で、ここが正面玄関になります。これから昼食にシー.フロントのアーケル.ブリッグに向かいます。ここから市電もメトロでは直接行けないので、市庁舎の側を通って歩いて行きます。
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ルイス.レストラン&バーに入ります。ここはトリップ.アドバイザー評価でオスロのレストラン1,163軒中183位です。このブロンズ像が出迎えてくれます。
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テント屋根の、室外のテーブルを選びました。
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室外と言っても折り畳み式のガラスの壁で外と仕切られています。このガラスの仕切りは、夏は下に折りたたむようです。
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天気は良くありませんが、海が見える見晴らしいは良い場所です。アーケシュフース城も見えます。
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このようなブロンズ像が店内にも客のようにいました。
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ジジは海鮮スープ選びました。
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ババは魚料理です。
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食後店内を散歩しました。壁面全体に古い港の興味深い写真が貼ってありました。
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店内には船の備品や装置も飾ってありました。
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店内の様子です。もう2時半なので客はいません。
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レストランを出て岸壁に近づきました。アーケシュフース要塞の方向です。
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背後には市庁舎の建物が見えます。
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ルイス.レストラン&バーの外観です。
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明日のベルゲン行きのために中央駅に下見に行きました。我々ののベルゲン行きは8時25分の発車です。列車編成表を見ると、コンフォートの車両は1号車で、3番線ホームに階段で下りた直ぐ横になります。2号車は子供の遊び場がある車両でしょうか。
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これは1番線に停車する、15時43分発のベルゲン急行を牽引する電気機関車です。車体の中央部を撮影しています。
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こちらは牽引されるベルゲン急行の客車の連結部です。
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少しホームをキョロキョロします。これは2日前に乗ってきた "Airport Express" です。
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隣のホームのカラフルな普通列車です。
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この列車はオスロの南西40Kmにある港湾都市ドランメンに行きと表示してあります。
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中央駅の北側の駅舎前から広場を越えて対面の建物を眺めています。左にランド.マークになっているルーター.ヘルプ.センターの塔です。これから13番の市電に乗って王宮に行きます。
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向こうの中央駅から真っ直ぐに伸びているカール.ヨハン通りです。右奥に国立劇場、左側の白い建物は、オスロ大学法学部です。
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同じ地点で180度回転すると王宮が見えます。
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1848年に完成した王宮の全景が見えてきました。王宮の前にはスウェーデン王カールヨハンの騎馬像が建っています。ノルウェーは1814年から1905年までスウェーデンの支配下にありました。
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丘になっている王宮前から中央駅の方向を眺めます。
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王宮前では午後1時半に衛兵交代の儀式が行われていましたが、失念していました。これは、1973年に訪れた時の写真です。王宮の建物の右側にある衛兵詰所前での衛兵の整列です。彼らはこれから衛兵交代に出動します。
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王宮前には玄関の両側に立哨の上家があります。
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時々両側に10歩づつ左右に歩行しています。
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王宮の建物の周りは公園になっていて、自由に入る事ができます。
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池もある素敵な場所です。
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王宮からカール.ヨハン通りを歩いて中央駅に歩いて行きます。周辺の散策です。カール.ヨハン通りとその南側にあるストルティングス通りの間は公園になっていて、その中央にはフォンタナ.セントゥルムと呼ばれる噴水がある池があります。この池は冬季にはステート.リンクになるようです。カール.ヨハン通りから公園に入った所に、この宇宙飛行士の彫像がありました。広報は噴水のある池です。
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フォンタナ.セントゥルムの池の周りのブロンズ像です。これは男の子です。
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こちらは対面にある彫像で女の子です。
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カール.ヨハン通りを歩いています。写真の左の方向に王宮があります。写真右の建物はベスト.ウェスタン.カール.ヨハン.ホテルです。
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こちらはカール.ヨハン通りの中央駅方向です。右側奥に国会議事堂が見えます。
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国会議事堂です。
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道路のマンホールの蓋です。中央の絵柄はオスロの紋章です。
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カール.ヨハン通りの終点、中央駅の駅舎が見えてきました。こちらは中央駅の南側の駅舎です。
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上掲の写真の左側です。こちらの駅舎は近代的なガラス.ビルです。写真中央にルーター.ヘルプ.センターも見えます。
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駅前から市電でホテルに帰ります。ここは、オスロに到着した2日前と同じ停留所です。向こうに大聖堂の鐘楼が見えます。
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ホテルに戻りました。明日はベルゲンに移動します。オスロは3泊で終了です。このベッド.スプレッドは面白い絵柄です。
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拡大するとこのような可愛い絵柄でした。
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シニア夫婦の北欧4カ国、バルト3カ国再訪の旅25日
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (2)オスロを散策です(9月21日)
2016/09/20~
オスロ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (4)オスロからベルゲンに移動しフロイエン山に上がり...
2016/09/20~
ベルゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日、番外編(1993年夏の家族旅行)です
1993/07/30~
コペンハーゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (1)コペンハーゲン経由でオスロへ(9月20日)
2016/09/20~
オスロ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (2)オスロを散策です(9月21日)
2016/09/20~
オスロ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (3)オスロの散策2日目です(9月22日)
2016/09/20~
オスロ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (4)オスロからベルゲンに移動しフロイエン山に上がり...
2016/09/20~
ベルゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (5)ベルゲンで美術館と街歩きです(9月24日)
2016/09/20~
ベルゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (6)ベルゲンからフロムへ1泊旅行です(9月25日)
2016/09/20~
フロム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (7)フロムを散策し、午後ベルゲンに帰ります(9月2...
2016/09/20~
フロム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (8)ベルゲンからストックホルムに移動しました(9月...
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (9)ストックホルムでヴァーサ博物館と美術館を訪れ、...
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (10)ストックホルム最後の日です(9月29日)
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (11)ストックホルムからヘルシンキへセレナーデ号で...
2016/09/20~
ストックホルム
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (12)セレナーデ号でヘルシンキに着いて町歩きです(...
2016/09/20~
ヘルシンキ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (13)ヘルシンキの町歩きです(10月1日)
2016/09/20~
ヘルシンキ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (14)ヘルシンキからタリンへ移動し美術館巡りです(...
2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (15)タリンの街歩きです(10月3日)
2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (16)タリンの街歩き、2日目です(10月4日)
2016/09/20~
タリン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (17)エストニアのタリンからラトヴィアのリガに移動...
2016/09/20~
リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (18)ラトヴィアのリガからバウスカのルンダーレ宮殿...
2016/09/20~
バウスカ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (19)リガのアール・ヌーヴォーの建築群を見て回りま...
2016/09/20~
リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (20)リガのラトヴィア国立美術館を訪問しました(1...
2016/09/20~
リガ
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (21)ラトヴィアのリガからリトアニアのヴィリニュス...
2016/09/20~
ビリニュス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (22)リトアニアのヴィリニュスからカウナスへデイ....
2016/09/20~
カウナス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (23)リトアニアのヴィリニュスの街歩きです(10月...
2016/09/20~
ビリニュス
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (24)リトアニアのヴィリニュスからコペンハーゲンに...
2016/09/20~
コペンハーゲン
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シニア夫婦2回目の北欧、バルト7カ国ゆっくり旅行25日 (25)コペンハーゲンの美術館をハシゴ(1)しました...
2016/09/20~
コペンハーゲン
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