2020/11/03 - 2020/11/03
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旅人のくまさんさん
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見晴台遺跡は、古墳時代に一旦生活痕跡が少なくなりますが、古代の竪穴住居が見つかるようになり、再びムラが営まれていたようです。中世以降は笠覆寺(笠寺観音)に関連すると考えられる陶磁器類が溝から出土しています。その笠寺観音の紹介です。
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イチオシ
境内の内側から眺めた、笠寺観音の山門光景です。笠寺観音の公式HPからの縁起の紹介です。『天平5/8年(733/736年)のある日、呼続の浜辺に一本の浮木が漂着しました。それは夜な夜な不思議な光を放ち、付近の者はそれを見て恐れたという。近くに住んでいた僧・善光上人は、夢の中で不思議なお告げを受け、その漂木を刻んで十一面観世音菩薩の尊像を造りました』
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『玉照姫』を祀る祠の光景です。縁起の紹介に戻ります。『上人は、粕畠の地に堂を建立し、そこに観音様を安置して、天林山・小松寺と名付けました。建立から百数十年を過ぎて、小松寺の堂は荒れ果てて、本尊の観音様は風雨にさらされたままになっていました。ところで、鳴海(現在名古屋市緑区)の長者にこき使われていた女人がいました。後の玉照姫です』
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笠寺観音の鐘楼の光景です。『ある雨の日、ずぶ濡れになっていた観音様を見て可哀想に思った彼女は、自分が冠っていた笠をとり、観音様にかぶせたました。後日、鳴海に寄った都の貴族、中将・藤原兼平(ふじわらのかねひら)公がその心優しき娘をみそめ、妻として迎える事となりました。彼女はその後『玉照姫(たまてるひめ)』と呼ばれました』
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笠寺観音の境内光景です。『この縁によって、後にこの夫妻は現在の地に寺を復興し、寺の名を小松寺から、「笠覆寺(りゅうふくじ)」と改めました。「笠寺観音」の名で呼びならわされたこの笠覆寺は、「笠寺」の地名の起りとなりました。現在も笠寺観音では、本尊の観音様、玉照姫・兼平公ご夫妻を安置・おつとめされています』
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『笠寺善光寺堂』の光景です。笠寺観音の鎌倉期の中興のエピソードに移ります。『更なる月日を経て、笠覆寺は再び荒廃してしまいました。鎌倉時代の嘉禎四年(1238)、僧・阿願上人の発願により、再び諸堂や塔が建立され、旧観を取り戻しました。鐘楼に安置されている梵鐘は、この際に鋳造されたもので、尾張三名鐘の一つに数えられ、現在、愛知県指定文化財に指定されています』
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修行僧姿の石像の光景です。『今も大晦日には多くの参詣者が打ち、この梵鐘の音が辺りに響き渡っています。その後の笠覆寺は、幾度かの再建を経て、現在の堂塔は江戸時代に建てられたものです。明治に至るまでには建物、尊像、宝物、什物、土地などの散逸がありました。第二次世界大戦の敗戦のころまでには、境内のここかしこに生えていた松の木も戦争や資金難の事情から伐採されました。敗戦ののちしばらくして住職となった政識和尚は、19歳だった大正年間から各地での托鉢などで浄財を集め、本堂の修繕などに努めました』
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多くの名が刻まれた石碑の光景です。『鎮護』らしい題字が最上部にありましたから、慰霊碑のようです。縁起の紹介の締め括りです。『政識和尚は、住職となってからも名士、山崎文次氏などの帰依と協力を得るなどしつつ、瓦屋根の棟に松の木が生えるまでになった本堂の修繕・改修をはじめ、山容整備につとめ、また鉄道整備に伴う移転墓地の受け入れのための境内利用を認めました。その後、天林山は整備・修繕・改修を重ねて現在に至っています。これからも改良の事業を複数行っていく予定』と締め括られていました。
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こちらも巨大な石碑です。最上部に『冠峯先生景仰碑』の文字がありましから顕彰碑のようでした。冒頭は、『正二位勲一等伯爵・清浦奎吾題額』の文字でした。『清浦奎吾(きようら・けいご:1850~1942年)』は、司法・内務官僚として活躍した後に貴族院議員となり、1924年(大正13年)に第23代内閣総理大臣として組閣しましたが、超然主義との批判を受け、選挙に大敗したため5か月で総辞職しました。その後は重臣として国事に関与しました。(ウィキペディア) また、冠峰先生こと、伊藤冠峰(1717~1787年)は、江戸末期の漢詩人のようです。
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背が高すぎて、横を通るのも怖いような五重塔風の石塔の光景です。大きな地震に遭ったら、とても建ったままではすみそうにないようです。自然石の台座を含めれば、3メートル近くはありそうです。
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笠寺観音の境内の東側から眺めた『見晴台考古資料館』の方面の光景です。中央から右手奥に、高台に樹木が生い茂る光景がありましたので、資料館の方面であることは間違いないようです。アンテナの右横に、微かに建物の屋根が見えているようでした。
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イチオシ
先程の場所から少し右(南側)に移動しての撮影です。先程よりは、少しズームアップしました。樹木に半ば隠れていましたが、写真の中央付近に『住居跡観察舎』の破風部分が確認できました。これで、笠寺観音の境内と、その周りの見学はお終いです。歩いて、地下鉄電車駅に向かうことにしました。
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笠寺観音での見学を終えて、地下鉄の鶴里駅に向かう途中の光景です。右手(南側)に大きな墓地が見えましたが、笠寺観音の墓地かも知れません。
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イチオシ
歩道の敷石の光景です。見晴台遺跡から出土した、弥生時代後期の『高坏(たかつき)』がモデルになっているようでした。デザインもよく、傷もない状態で出土した、見晴台考古資料館の目玉展示品の一つです。パンフレットの表紙にも使われていました。
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ヒマラヤ原産のタデ科イヌタデ属の『ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)』の群生光景です。日本には、ロックガーデン用として明治時代に導入された多年草です。近縁種に白い花の『ツルソバ(蔓蕎麦)』があります。花も葉もソバ(蕎麦)に似ていることからの命名です。
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笠寺観音から東に向かって歩き、見晴台考古資料館がある笠寺公園の北側にやってきました。これで、『見晴台考古資料館』の紹介はお終いです。この後、往きに降りた駅の、名古屋市地下鉄の鶴里駅に向かいました。引き続いて、現地で入手した『名古屋市・見晴台考古資料館』のパンフレットの紹介をします。
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『名古屋市・見晴台考古資料館』のパンフレットの表紙です。先ほど紹介した、見晴台遺跡から出土した、弥生時代後期の『高坏(たかつき)』が、復元された竪穴式の弥生式住居と並んで、表紙を飾っていました。
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『名古屋市・見晴台考古資料館』のパンフレットの裏表紙です。マスコット・キャラクターのミハルさんとダイ君が登場していました。展示館の中の4コマ漫画などで活躍していました。裏表紙には、歩いて15分ほどの地下鉄鶴里駅から資料館までの道案内もありました。
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表紙を開いて、表紙の裏側になる左側のページの紹介です。『見晴台遺跡』のタイトルがあり、その説明文がありました。見晴台遺跡には、旧石器時代から、現代までの遺跡が残りますが、最も栄えたのは、弥生時代後期から、古墳時代の初頭と紹介されていました。二重の環濠や220戸の弥生時代の住居が見付ました。写真の『丸窓付土器』は、一次調査で見付かったものです。差異化簿の年表は、旧石器時代から古墳時代の主な出来事です。
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表紙を開いて、右側のページの紹介です。『見晴台考古資料館』のタイトルがあり、1979年(昭和54年)に開館したことが紹介されていました。このページの後半には、市民参加で有名な、2007年の47時調査風景の写真が載せられていました。最下段は、左の頁の年表の続きで、古代(奈良・平安)から近・現代の年表がありました。
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まだ紹介が済んでいなかった、6分割された頁の内の2連の頁の紹介です。右上に6枚の写真で発掘調査光景と主な出土品が紹介されていました。最も年代が古いものが右上の円錐型石器で、約2万年前の旧石器時代のものです。ここにも、弥生時代後期の『高坏(たかつき)』が顔を出していました。6枚の写真の内の右下は、やyぴ時代後期の『広口壷』です。この頁の左上が、環濠の位置も記された見晴台遺跡の範囲の平面図、下の図面が見晴台遺跡のイラスト図です。
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参考に添付しておいた、左右の見開きになった『見晴台遺跡』と『見晴台考古資料館』の頁の紹介です。
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『見晴台考古資料館への行き方MAP』のタイトルがあった案内パンフレットの紹介です。右上付近に名古屋市地下照鶴里駅からの道順、左端の方に名鉄本線の本笠寺駅からの道順が記されていました。また、資料館の近くの主な遺跡などの、笠寺観音、笠寺一里塚、八幡社、村上社なども記されていました。
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