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かつての青塚古墳は、周辺地域とともに昭和54年(1979年)に圃場整備の対象にされていましたが、最小限の発掘調査を行ったことで、歴史的・学術的な価値が高いことが判明し、事業区域から外された経緯があります。古墳の存続は、紙一重だったようです。

2020秋、青塚古墳・楽田城跡と断夫山古墳(3/6):青塚古墳(3):発掘状況、東之宮古墳群

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2020/11/04 - 2020/11/04

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

かつての青塚古墳は、周辺地域とともに昭和54年(1979年)に圃場整備の対象にされていましたが、最小限の発掘調査を行ったことで、歴史的・学術的な価値が高いことが判明し、事業区域から外された経緯があります。古墳の存続は、紙一重だったようです。

  • 名称:『銅鏡各種』<br />出土:東之宮古墳<br />年代:4世紀頃(3世紀末説も)<br />材質:青銅<br />その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

    名称:『銅鏡各種』
    出土:東之宮古墳
    年代:4世紀頃(3世紀末説も)
    材質:青銅
    その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

  • 『国史跡・東之宮古墳・古墳時代』のタイトルがあった説明パネルの光景です。昭和48年(1973年)に発掘調査が行われ、全長4.8メートルの竪穴式石槨が見つかり、多数の装飾品類や鉄製品と11点の銅鏡が見つかったことが紹介されていました。

    『国史跡・東之宮古墳・古墳時代』のタイトルがあった説明パネルの光景です。昭和48年(1973年)に発掘調査が行われ、全長4.8メートルの竪穴式石槨が見つかり、多数の装飾品類や鉄製品と11点の銅鏡が見つかったことが紹介されていました。

  • 名称:『銅鏡各種』<br />出土:東之宮古墳<br />年代:4世紀頃(3世紀末説も)<br />材質:青銅<br />その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

    名称:『銅鏡各種』
    出土:東之宮古墳
    年代:4世紀頃(3世紀末説も)
    材質:青銅
    その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

  • 名称:左『三角縁波文帯三神三獣鏡』、右『人物禽獣文鏡D』<br />出土:東之宮古墳<br />年代:4世紀頃(3世紀末説も)<br />材質:青銅<br />その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

    イチオシ

    名称:左『三角縁波文帯三神三獣鏡』、右『人物禽獣文鏡D』
    出土:東之宮古墳
    年代:4世紀頃(3世紀末説も)
    材質:青銅
    その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

  • 名称:左手前『人物禽獣文鏡B』、右手前『人物禽獣文鏡A』<br />出土:東之宮古墳<br />年代:4世紀頃(3世紀末説も)<br />材質:青銅<br />その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

    名称:左手前『人物禽獣文鏡B』、右手前『人物禽獣文鏡A』
    出土:東之宮古墳
    年代:4世紀頃(3世紀末説も)
    材質:青銅
    その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

  • 名称:左手前『人物禽獣文鏡C』、右手前『鳥頭系四獣形鏡』<br />出土:東之宮古墳<br />年代:4世紀頃(3世紀末説も)<br />材質:青銅<br />その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

    名称:左手前『人物禽獣文鏡C』、右手前『鳥頭系四獣形鏡』
    出土:東之宮古墳
    年代:4世紀頃(3世紀末説も)
    材質:青銅
    その他:オリジナル品は京都国立博物館保管(重要文化財)

  • 名称:(左):蓋坏3点、(右):大皿<br />出土:上野(かみの)古墳群<br />年代:古墳時代後期(6~7世紀)<br />材質:須恵器<br />その他:いずれも5号墳からの出土

    名称:(左):蓋坏3点、(右):大皿
    出土:上野(かみの)古墳群
    年代:古墳時代後期(6~7世紀)
    材質:須恵器
    その他:いずれも5号墳からの出土

  • 名称:高坏(たかつき)ほか<br />出土:上野(かみの)古墳群<br />年代:古墳時代後期<br />材質:須恵器など<br />その他:上野古墳群の出土品の展示光景です。石棺も出土しています。(犬山中学校で保管・展示)

    名称:高坏(たかつき)ほか
    出土:上野(かみの)古墳群
    年代:古墳時代後期
    材質:須恵器など
    その他:上野古墳群の出土品の展示光景です。石棺も出土しています。(犬山中学校で保管・展示)

  • 名称:(左):広口壷、(中):台付長頸瓶、(右):平瓶(2点)<br />出土:上野(かみの)古墳群<br />年代:古墳時代後期(6~7世紀)<br />材質:須恵器<br />その他:2号墳、3号墳及び5号墳からの出土

    名称:(左):広口壷、(中):台付長頸瓶、(右):平瓶(2点)
    出土:上野(かみの)古墳群
    年代:古墳時代後期(6~7世紀)
    材質:須恵器
    その他:2号墳、3号墳及び5号墳からの出土

  • 名称:上段左から、鉄鏃(4点)、刀子類(3点)、金環(2点)、銀環<br />   下段左から、短頸壷、大型碗、はそう<br />出土:上野(かみの)古墳群<br />年代:古墳時代後期(6~7世紀)<br />その他:鉄鏃(4点)、刀子類(3点)、金環(2点)は3号墳出土

    イチオシ

    名称:上段左から、鉄鏃(4点)、刀子類(3点)、金環(2点)、銀環
       下段左から、短頸壷、大型碗、はそう
    出土:上野(かみの)古墳群
    年代:古墳時代後期(6~7世紀)
    その他:鉄鏃(4点)、刀子類(3点)、金環(2点)は3号墳出土

  • 青塚古墳の模型と、寸法表示です。全島の123メートル、方墳端部の62メートルと、円墳頂部の高さの12メートルが記されていました。この図には記されていませんが、円墳と方墳の接合部の幅が43メートル、円墳の直径が78メートル、方墳の高さが7メートルです。方墳の上には、『方形壇状遺構』が模型表示されていました。石鏃が出土した場所です。

    青塚古墳の模型と、寸法表示です。全島の123メートル、方墳端部の62メートルと、円墳頂部の高さの12メートルが記されていました。この図には記されていませんが、円墳と方墳の接合部の幅が43メートル、円墳の直径が78メートル、方墳の高さが7メートルです。方墳の上には、『方形壇状遺構』が模型表示されていました。石鏃が出土した場所です。

  • 発掘調査光景の写真パネルの紹介です。『前方部』の発掘調査光景です。平成7年度(1995年)から平成10年度(1998年)にかけて発掘調査が行われました。写真撮影場所が、右側の図面に赤印で表示されていました。

    発掘調査光景の写真パネルの紹介です。『前方部』の発掘調査光景です。平成7年度(1995年)から平成10年度(1998年)にかけて発掘調査が行われました。写真撮影場所が、右側の図面に赤印で表示されていました。

  • 発掘調査光景の写真パネルの紹介です。『前方部の方形壇』からの『石鏃』の出土状況です。全部で3個出土しています。祭祀に使われたようです。

    発掘調査光景の写真パネルの紹介です。『前方部の方形壇』からの『石鏃』の出土状況です。全部で3個出土しています。祭祀に使われたようです。

  • 発掘調査光景の写真パネルの紹介です。後円部に近い『前方部』の側面の調査光景です。大量の葺石が出土した模様が撮影されていました。葺石んは、拳大の川原石が使われていました。

    発掘調査光景の写真パネルの紹介です。後円部に近い『前方部』の側面の調査光景です。大量の葺石が出土した模様が撮影されていました。葺石んは、拳大の川原石が使われていました。

  • 発掘調査光景の写真パネルの紹介です。『壷形土器の出土状況』のタイトルがありました。壷形土器は約2メートル間隔で置かれ、現在は、新しく焼かれた陶器が同じ間隔で並べらています。

    発掘調査光景の写真パネルの紹介です。『壷形土器の出土状況』のタイトルがありました。壷形土器は約2メートル間隔で置かれ、現在は、新しく焼かれた陶器が同じ間隔で並べらています。

  • 『青塚古墳全景(復元後)』のタイトルがあった写真パネルの光景です。現在のガイダンス施設がある付近からの撮影のようです。地元要請などを受けて、石葺での復元ではなく、『青塚』に相応しい復元にされています。約40センチの土が覆い被せられ、『コクマザサ(小熊笹)』が植栽されています。

    『青塚古墳全景(復元後)』のタイトルがあった写真パネルの光景です。現在のガイダンス施設がある付近からの撮影のようです。地元要請などを受けて、石葺での復元ではなく、『青塚』に相応しい復元にされています。約40センチの土が覆い被せられ、『コクマザサ(小熊笹)』が植栽されています。

  • 名称:上段:『壷形埴輪』、下段:『円筒埴輪』<br />出土:青塚古墳<br />年代:4世紀中葉(古墳時代前期)<br />材質:土器(須恵器)<br />その他:それぞれ、部分修復された埴輪です。

    名称:上段:『壷形埴輪』、下段:『円筒埴輪』
    出土:青塚古墳
    年代:4世紀中葉(古墳時代前期)
    材質:土器(須恵器)
    その他:それぞれ、部分修復された埴輪です。

  • 出土した『壷形埴輪』の部分修復・展示光景です。表示してありませんが、左が穴が開けられた底部、右が短頸の部分のように見えます。右上に見える説明文には、約2メートル間隔で置かれていたことや、赤く彩色されていたことなどが紹介されていました。赤色には、ベンガラが使われたようです。

    出土した『壷形埴輪』の部分修復・展示光景です。表示してありませんが、左が穴が開けられた底部、右が短頸の部分のように見えます。右上に見える説明文には、約2メートル間隔で置かれていたことや、赤く彩色されていたことなどが紹介されていました。赤色には、ベンガラが使われたようです。

  • 同じく、出土した『壷形埴輪』の部分修復・展示光景です。発掘された壷形埴輪には、長胴の体部を持つものと、下膨れの体部を持つ、2種類があったことなどが紹介されていました。前者が『壷形埴輪(A類)』、後者が『壷形埴輪(B類)』として紹介済みです。

    同じく、出土した『壷形埴輪』の部分修復・展示光景です。発掘された壷形埴輪には、長胴の体部を持つものと、下膨れの体部を持つ、2種類があったことなどが紹介されていました。前者が『壷形埴輪(A類)』、後者が『壷形埴輪(B類)』として紹介済みです。

  • 左側の写真には、『前方部前面の基石列と壷埴輪』、右側の写真には『前方部下段基石列と壷埴輪』のタイトルがありました。基石列と壷埴輪、それに背後の葺石の出土状況の写真説明でした。

    左側の写真には、『前方部前面の基石列と壷埴輪』、右側の写真には『前方部下段基石列と壷埴輪』のタイトルがありました。基石列と壷埴輪、それに背後の葺石の出土状況の写真説明でした。

  • 『円筒埴輪』の表示があった、2点の部分修復された埴輪の展示光景です。円筒埴輪の首に近い部分か、中間部分になるようです。二つの相対比較ですが、右側が濃い色で薄い造り、左側が薄い色で厚い造りでした。左側の埴輪には上部に割れた跡がありませんから、最上部になるようです。

    『円筒埴輪』の表示があった、2点の部分修復された埴輪の展示光景です。円筒埴輪の首に近い部分か、中間部分になるようです。二つの相対比較ですが、右側が濃い色で薄い造り、左側が薄い色で厚い造りでした。左側の埴輪には上部に割れた跡がありませんから、最上部になるようです。

  • 前方部頂にあった『方形壇状遺構』の出土状況についての説明パネルです。東西9メートル、南北7メートル、高さ1メートル弱の方形の低墳丘の周囲には、円筒埴輪が巡らされていたことが紹介されていました。また、この墳丘の東側から出土した石鏃は、祭祀用と断定されていました。

    前方部頂にあった『方形壇状遺構』の出土状況についての説明パネルです。東西9メートル、南北7メートル、高さ1メートル弱の方形の低墳丘の周囲には、円筒埴輪が巡らされていたことが紹介されていました。また、この墳丘の東側から出土した石鏃は、祭祀用と断定されていました。

  • 『青塚古墳を探検しよう』のタイトルがあった説明パネルの光景です。青塚古墳の立体的なイラスト図のほか、古墳築造時や祭祀の模様の想像イラストが添えられていました。

    『青塚古墳を探検しよう』のタイトルがあった説明パネルの光景です。青塚古墳の立体的なイラスト図のほか、古墳築造時や祭祀の模様の想像イラストが添えられていました。

  • 『古墳時代の暮らしをのぞいてみよう」のタイトルがあった説明パネルの光景です。この辺りの村の成り立ちは、大口町から始まり、やがて大きな勢力となって、青塚古墳を作った王が生まれたと解説されていました。暮らしについては、道具、食物と服装について簡単に紹介されていました

    『古墳時代の暮らしをのぞいてみよう」のタイトルがあった説明パネルの光景です。この辺りの村の成り立ちは、大口町から始まり、やがて大きな勢力となって、青塚古墳を作った王が生まれたと解説されていました。暮らしについては、道具、食物と服装について簡単に紹介されていました

  • 『国指定史跡・青塚古墳』のタイトルがあった、愛知県犬山市発行の施設紹介のパンフレットの表紙の紹介です。中央の写真は、南西方面からの青塚古墳の空撮のようです。

    『国指定史跡・青塚古墳』のタイトルがあった、愛知県犬山市発行の施設紹介のパンフレットの表紙の紹介です。中央の写真は、南西方面からの青塚古墳の空撮のようです。

  • 『国指定史跡・青塚古墳』のタイトルがあった案内パンフレットの内容の紹介です。『沿革』の中見出しがあった説明文です。昭和41年(1966年)5月に愛知県犬山市の市指定文化財に指定され、小規模な発掘調査により歴史的、学術的価値が高いことが判明し、昭和58年(1983年)2月に国の史跡に指定されたことなどが紹介されていました。また平成7年度(1995年)から平成10年度(1998年)にかけて発掘調査が行われ、古墳の形状や築造時期などが特定されました。

    『国指定史跡・青塚古墳』のタイトルがあった案内パンフレットの内容の紹介です。『沿革』の中見出しがあった説明文です。昭和41年(1966年)5月に愛知県犬山市の市指定文化財に指定され、小規模な発掘調査により歴史的、学術的価値が高いことが判明し、昭和58年(1983年)2月に国の史跡に指定されたことなどが紹介されていました。また平成7年度(1995年)から平成10年度(1998年)にかけて発掘調査が行われ、古墳の形状や築造時期などが特定されました。

  • 『青塚古墳史跡公園・ガイダンス施設』のタイトルがあった案内パンフレットの内容の紹介です。今回、休館日にも拘わらず内部見学させていただきました。

    『青塚古墳史跡公園・ガイダンス施設』のタイトルがあった案内パンフレットの内容の紹介です。今回、休館日にも拘わらず内部見学させていただきました。

  • 『青塚古墳史跡公園・ガイダンス施設』のタイトルがあった案内パンフレットの『交通のご案内』の頁の紹介です。上が広域、下が車を対象とした狭域の案内図です。今回は、名古屋市地下鉄から乗り継いで、名鉄小牧線の楽田駅で降り、30府ほど歩きました。

    『青塚古墳史跡公園・ガイダンス施設』のタイトルがあった案内パンフレットの『交通のご案内』の頁の紹介です。上が広域、下が車を対象とした狭域の案内図です。今回は、名古屋市地下鉄から乗り継いで、名鉄小牧線の楽田駅で降り、30府ほど歩きました。

  • パンフレットの内側に紹介されていた青塚古墳の詳細図の紹介です。実測された等高線がびっしりと描かれていました。太線が1メートル間隔、それを四等分(25センチ間隔)に分割して細線が引かれていました。

    イチオシ

    パンフレットの内側に紹介されていた青塚古墳の詳細図の紹介です。実測された等高線がびっしりと描かれていました。太線が1メートル間隔、それを四等分(25センチ間隔)に分割して細線が引かれていました。

  • 同じく、パンフレットの内側に紹介されていた青塚古墳からの出土の埴輪の写真紹介です。左下から壷形埴輪が2種、円筒埴輪が2種、一番右が樽型埴輪です。このほかに石鏃が出土していますが、先ほどの頁の右下に写真紹介されていました。

    同じく、パンフレットの内側に紹介されていた青塚古墳からの出土の埴輪の写真紹介です。左下から壷形埴輪が2種、円筒埴輪が2種、一番右が樽型埴輪です。このほかに石鏃が出土していますが、先ほどの頁の右下に写真紹介されていました。

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