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志段味古墳群の中の国指定遺跡の『白鳥塚古墳』の紹介です。名古屋だけでも3箇所ある『白鳥』の名前がある古墳ですが、お隣の三重県、滋賀県なども含めて、各地にあるようです。『古事記』、『日本書紀』のヤマトタケルに因む『白鳥伝説』の影響が大きいようです。

2020秋、志段味古墳群:その1(6/7):歩道のモニュメント、白鳥塚古墳、前方後円墳

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2020/10/31 - 2020/10/31

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旅人のくまさん

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志段味古墳群の中の国指定遺跡の『白鳥塚古墳』の紹介です。名古屋だけでも3箇所ある『白鳥』の名前がある古墳ですが、お隣の三重県、滋賀県なども含めて、各地にあるようです。『古事記』、『日本書紀』のヤマトタケルに因む『白鳥伝説』の影響が大きいようです。

  • 『白鳥塚古墳』の方向に向かう途中の歩道に設置してあったモニュメントの光景です。円筒埴輪の上に鳥が乗った置物でした。全体で一つの埴輪のモデルがあったのかもしれません。下部も、古墳をイメージした敷石で飾られていました。

    『白鳥塚古墳』の方向に向かう途中の歩道に設置してあったモニュメントの光景です。円筒埴輪の上に鳥が乗った置物でした。全体で一つの埴輪のモデルがあったのかもしれません。下部も、古墳をイメージした敷石で飾られていました。

  • 『志段味古墳群・国指定史跡・白鳥塚古墳』の案内標識の光景です。1972年(昭和47年)11月6日に国の史跡に指定されました。なお、2014年(平成26年)10月6日付で史跡『白鳥塚古墳』に尾張戸神社古墳など6基を追加指定されたことから、指定名称が『志段味古墳群』に改められました。

    『志段味古墳群・国指定史跡・白鳥塚古墳』の案内標識の光景です。1972年(昭和47年)11月6日に国の史跡に指定されました。なお、2014年(平成26年)10月6日付で史跡『白鳥塚古墳』に尾張戸神社古墳など6基を追加指定されたことから、指定名称が『志段味古墳群』に改められました。

  • 『指定史跡・白鳥塚古墳』の近くにあった、『志段味古墳群』のタイトルがあった案内パネルの光景です。国指定の史跡の7箇所が、すべて名前入りで表示されていました。

    『指定史跡・白鳥塚古墳』の近くにあった、『志段味古墳群』のタイトルがあった案内パネルの光景です。国指定の史跡の7箇所が、すべて名前入りで表示されていました。

  • 石標と案内図は、道路の反対側にありました。道路を渡ったこちら側が『指定史跡・白鳥塚古墳』の入口になります。この場所からは、前方後円墳の古墳は見えていませんが、墳丘の全長の115メートルは、名古屋市内では3番目の大きさの前方後円墳になります。

    イチオシ

    石標と案内図は、道路の反対側にありました。道路を渡ったこちら側が『指定史跡・白鳥塚古墳』の入口になります。この場所からは、前方後円墳の古墳は見えていませんが、墳丘の全長の115メートルは、名古屋市内では3番目の大きさの前方後円墳になります。

  • 『白鳥塚古墳』の金属柵に表示してあった『史跡・白鳥塚古墳』の金文字の光景です。後円部の頂上部の葺石には白色珪石が使用されていたことから、『白鳥塚』と呼ばれるようになったと言われています。江戸時代の絵図には「白鳥山』としてその名を記されていました。

    『白鳥塚古墳』の金属柵に表示してあった『史跡・白鳥塚古墳』の金文字の光景です。後円部の頂上部の葺石には白色珪石が使用されていたことから、『白鳥塚』と呼ばれるようになったと言われています。江戸時代の絵図には「白鳥山』としてその名を記されていました。

  • 同じく、『白鳥塚古墳』の金属柵に表示してあった3枚のポスターです。左から『勝手塚古墳』、『志段味大塚古墳』と『白鳥塚古墳』の図面入りの紹介ポスターでした。子供探検隊のイラスト入りでした。

    同じく、『白鳥塚古墳』の金属柵に表示してあった3枚のポスターです。左から『勝手塚古墳』、『志段味大塚古墳』と『白鳥塚古墳』の図面入りの紹介ポスターでした。子供探検隊のイラスト入りでした。

  • 右手に見える石標には、『史跡・白鳥塚古墳』の文字が刻まれています。前方奥には、前方部の墳丘上部が見えていますが、ほとんど判断つきません。後円部は石標から右に入った奥になります。前方部の規模は、長さ43メートル、幅40メートルで、くびれ部の幅が25メートルです。

    右手に見える石標には、『史跡・白鳥塚古墳』の文字が刻まれています。前方奥には、前方部の墳丘上部が見えていますが、ほとんど判断つきません。後円部は石標から右に入った奥になります。前方部の規模は、長さ43メートル、幅40メートルで、くびれ部の幅が25メートルです。

  • 『国指定史跡・志段味古墳群・白鳥塚古墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。白鳥塚古墳は4世紀前半(古墳時代前期半ば)に造られたと想定されm愛知県では最も古い前方後円墳と紹介されていました。また、埴輪がないことや、白い飾り石、渡土手があることなどの特徴から、ヤマト王権と強い結びつきがあった人物の墓と想定されています。

    『国指定史跡・志段味古墳群・白鳥塚古墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。白鳥塚古墳は4世紀前半(古墳時代前期半ば)に造られたと想定されm愛知県では最も古い前方後円墳と紹介されていました。また、埴輪がないことや、白い飾り石、渡土手があることなどの特徴から、ヤマト王権と強い結びつきがあった人物の墓と想定されています。

  • 『白鳥塚古墳の名前の由来』のタイトルがあった説明パネルの光景です。石英で飾られた白い外観と、伊吹山で傷を負ったヤマトタケルをこの地まで運んだ白鳥の墓とする伝説から『白鳥塚古墳』の名前が付いたことが紹介されていました、

    『白鳥塚古墳の名前の由来』のタイトルがあった説明パネルの光景です。石英で飾られた白い外観と、伊吹山で傷を負ったヤマトタケルをこの地まで運んだ白鳥の墓とする伝説から『白鳥塚古墳』の名前が付いたことが紹介されていました、

  • 『白鳥塚古墳』の後円部への階段の光景です。この階段を登って見学しました。後円部の直径は75メートル、高さは15.2メートル(北側)/ 12.6メートル(南側)とされます。4階建てほどのビルを登る高さでした。<br />

    『白鳥塚古墳』の後円部への階段の光景です。この階段を登って見学しました。後円部の直径は75メートル、高さは15.2メートル(北側)/ 12.6メートル(南側)とされます。4階建てほどのビルを登る高さでした。

  • 『白鳥塚古墳』の後円部の墳頂の光景です。出土した遺物は、須恵器、坏蓋、はそう(漢字は左が『瓦』、右が『泉』)、甕、土師器片などです。近畿地方から、埴輪が伝わる以前に築かれた前方後円墳と見られています。<br />

    『白鳥塚古墳』の後円部の墳頂の光景です。出土した遺物は、須恵器、坏蓋、はそう(漢字は左が『瓦』、右が『泉』)、甕、土師器片などです。近畿地方から、埴輪が伝わる以前に築かれた前方後円墳と見られています。

  • 『白鳥塚古墳の埋葬施設』のタイトルがあった説明パネルの光景です。昭和の初めに後円部中央の発掘が行われたものの、埋葬施設や副葬品は見つかっていないと紹介されていました。この後紹介しますが、2006年(平成6年)、『物理探査の結果、南北方向に置かれた埋葬施設が東西に並列している可能性がある』とも紹介されていました。

    『白鳥塚古墳の埋葬施設』のタイトルがあった説明パネルの光景です。昭和の初めに後円部中央の発掘が行われたものの、埋葬施設や副葬品は見つかっていないと紹介されていました。この後紹介しますが、2006年(平成6年)、『物理探査の結果、南北方向に置かれた埋葬施設が東西に並列している可能性がある』とも紹介されていました。

  • 『電気探査の風景』のタイトルがあった説明写真のピックアップ光景です。『物理探査の結果、南北方向に置かれた埋葬施設が東西に並列している可能性がある』とも紹介されていました。(ウィキペディア)電磁波を使った地中探査レーダーが用いされたようですが、私もその前に地中探査レーダーの開発と応用研究に携わったことがありましたので、つい、興味が沸きました。

    『電気探査の風景』のタイトルがあった説明写真のピックアップ光景です。『物理探査の結果、南北方向に置かれた埋葬施設が東西に並列している可能性がある』とも紹介されていました。(ウィキペディア)電磁波を使った地中探査レーダーが用いされたようですが、私もその前に地中探査レーダーの開発と応用研究に携わったことがありましたので、つい、興味が沸きました。

  • 『白鳥塚古墳』の後円墳の墳頂から眺めた周りの光景です。墳頂の平坦部から斜面にかけての光景です。墳丘が下部に向かって、緩やかな傾斜を描いていました。葺石は見当たりませんが、かつては石英を含めた敷石が葺かれていたようです。電磁波による探査レーダーは、周波数を上げれば比較的細かく観察できますが、深いところまでは電磁波が到達しなくなります。

    『白鳥塚古墳』の後円墳の墳頂から眺めた周りの光景です。墳頂の平坦部から斜面にかけての光景です。墳丘が下部に向かって、緩やかな傾斜を描いていました。葺石は見当たりませんが、かつては石英を含めた敷石が葺かれていたようです。電磁波による探査レーダーは、周波数を上げれば比較的細かく観察できますが、深いところまでは電磁波が到達しなくなります。

  • 『白鳥塚古墳』の後円墳の墳頂から眺めた周りの光景が続きます。この方角は、大雑把ですが、二に南方面になるようです。木々の間から、前方部の西側にある広場が見えているようでした。地中探査レーダーは、周波数を下げれば波長が長くなり、比較的深い場所まで電磁波は到達するものの、対象物を細かくは観察できなくなる傾向を持ちました。

    『白鳥塚古墳』の後円墳の墳頂から眺めた周りの光景が続きます。この方角は、大雑把ですが、二に南方面になるようです。木々の間から、前方部の西側にある広場が見えているようでした。地中探査レーダーは、周波数を下げれば波長が長くなり、比較的深い場所まで電磁波は到達するものの、対象物を細かくは観察できなくなる傾向を持ちました。

  • 『白鳥塚古墳』の後円墳の墳頂から眺めた周りの光景の紹介の最後です。後円部に登った階段の方角です。石段の位置は、前方部から半径周りに後円部を回り込んだ位置にあります。電磁波による地中探査レーダーは、土質、殊に水分による影響も受けること等が分かりました。久し振りに目を通した研究報告書の日付は、1995年(平成7年)8月、利用目的は別のターゲットでした。

    『白鳥塚古墳』の後円墳の墳頂から眺めた周りの光景の紹介の最後です。後円部に登った階段の方角です。石段の位置は、前方部から半径周りに後円部を回り込んだ位置にあります。電磁波による地中探査レーダーは、土質、殊に水分による影響も受けること等が分かりました。久し振りに目を通した研究報告書の日付は、1995年(平成7年)8月、利用目的は別のターゲットでした。

  • 『白鳥塚古墳』の後円部の墳頂に丸く置かれた白い石の光景です。かつて後円部の頂上部の葺石には『白珪石』が使用されていたことから白鳥塚と呼ばれるようになったと言われています。しかし、現在では小片が僅かに見られるのみです。『珪石』は、ケイ酸質の鉱物や岩石の鉱石名です。鉱物としては石英、岩石としてはチャート、珪質砂岩、珪岩、石英片岩などがあります。

    イチオシ

    『白鳥塚古墳』の後円部の墳頂に丸く置かれた白い石の光景です。かつて後円部の頂上部の葺石には『白珪石』が使用されていたことから白鳥塚と呼ばれるようになったと言われています。しかし、現在では小片が僅かに見られるのみです。『珪石』は、ケイ酸質の鉱物や岩石の鉱石名です。鉱物としては石英、岩石としてはチャート、珪質砂岩、珪岩、石英片岩などがあります。

  • 『食べ物のなる木』のタイトルがあった説明パネルの光景です。縄文時代には、オニグルミ、クルミ、クリ、ニワトコ、ヤマグワ、サルナシ、ヤマブドウ、キイチゴ等を、弥生時代~古墳時代には、オニグルミ、モモ、スモモ、ブドウ、ウメ、アンズ、カキ、朱火などを食べていたと紹介されていました。多分、発掘調査を踏まえたものでしょう。

    『食べ物のなる木』のタイトルがあった説明パネルの光景です。縄文時代には、オニグルミ、クルミ、クリ、ニワトコ、ヤマグワ、サルナシ、ヤマブドウ、キイチゴ等を、弥生時代~古墳時代には、オニグルミ、モモ、スモモ、ブドウ、ウメ、アンズ、カキ、朱火などを食べていたと紹介されていました。多分、発掘調査を踏まえたものでしょう。

  • 後円部の上から眺めた、右手前方に見える前方部の墳丘の光景です。前方部の規模は、長さが43メートル、高さが6.7メートル(北側)/ 5メートル(南側)、幅が40メートルです。前方部は2段、後円部は3段築成と推定されています。

    後円部の上から眺めた、右手前方に見える前方部の墳丘の光景です。前方部の規模は、長さが43メートル、高さが6.7メートル(北側)/ 5メートル(南側)、幅が40メートルです。前方部は2段、後円部は3段築成と推定されています。

  • 後円部から降りる途中で撮影した光景だった記憶です。葺石が散らばった光景かと思いましたが、同じくらいの大きさの自然石が多いようでした。目に留まったら、何にでもカメラが向きます。

    後円部から降りる途中で撮影した光景だった記憶です。葺石が散らばった光景かと思いましたが、同じくらいの大きさの自然石が多いようでした。目に留まったら、何にでもカメラが向きます。

  • 後円部から眺めた、前方部方面の光景です。切株がたくさんある平地部分は、前方部ではなく、前方部の北側に位置する芝生広場です。かつては、周濠があった場所かもしれません。

    後円部から眺めた、前方部方面の光景です。切株がたくさんある平地部分は、前方部ではなく、前方部の北側に位置する芝生広場です。かつては、周濠があった場所かもしれません。

  • 後円部から下りてきました。この道は、遺跡の道路ではなく、現在使われている通用路のようでした。現在の地図を参照しますと、後円部から降りた道が分岐して西側に伸び、墳丘のくびれ部を西に横断していました。左手奥に見えているのは、前方部の墳丘です。

    後円部から下りてきました。この道は、遺跡の道路ではなく、現在使われている通用路のようでした。現在の地図を参照しますと、後円部から降りた道が分岐して西側に伸び、墳丘のくびれ部を西に横断していました。左手奥に見えているのは、前方部の墳丘です。

  • 『白鳥塚古墳の渡土手』のタイトルがあった説明パネルの光景です。後円部の西側にある、幅約9メートルの高まりで、古墳の外から墳丘に渡る陸橋状の通路だったようです。斜面には、葺石があったことも紹介されていました。

    『白鳥塚古墳の渡土手』のタイトルがあった説明パネルの光景です。後円部の西側にある、幅約9メートルの高まりで、古墳の外から墳丘に渡る陸橋状の通路だったようです。斜面には、葺石があったことも紹介されていました。

  • 後円部の背後を見学しようと思いましたが、道が整備されていないのか、立ち入り禁止になっていました。『国指定史跡・志段味古墳群・白鳥塚古墳』の平面図を参照しますと、大矢川の流れで浸食された部分や、後円部に民家敷地が接近している箇所もあるようでした。

    後円部の背後を見学しようと思いましたが、道が整備されていないのか、立ち入り禁止になっていました。『国指定史跡・志段味古墳群・白鳥塚古墳』の平面図を参照しますと、大矢川の流れで浸食された部分や、後円部に民家敷地が接近している箇所もあるようでした。

  • 北西側から眺めた『白鳥塚古墳』の光景です。右手が前方部、左手が樹木に囲まれた後円部になります。中央奥に、この後紹介する斜面の葺石が見えていました。前方部と、後円部が接合する『くびれ部』辺りになるようです。くびれ部の幅は、約25メートルです。

    北西側から眺めた『白鳥塚古墳』の光景です。右手が前方部、左手が樹木に囲まれた後円部になります。中央奥に、この後紹介する斜面の葺石が見えていました。前方部と、後円部が接合する『くびれ部』辺りになるようです。くびれ部の幅は、約25メートルです。

  • 『白鳥塚古墳の葺石』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『墳丘の斜面には、人の頭くらいの大きさの丸い石(円礫)や、角ばった石(角礫)が葺石として積まれ、その上に白色の石(石英)が散りばめられていた』と紹介されていました。陽の光を受けて輝いていたようです。

    『白鳥塚古墳の葺石』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『墳丘の斜面には、人の頭くらいの大きさの丸い石(円礫)や、角ばった石(角礫)が葺石として積まれ、その上に白色の石(石英)が散りばめられていた』と紹介されていました。陽の光を受けて輝いていたようです。

  • 前方部と後円部が接続される『くびれ部』辺りの葺石の光景になるようです。発掘調査後に再建された壁面のようでした。人の頭くらいの円礫と角礫が葺かれ、その上に白色の石(石英)が散りばめられた光景です。

    イチオシ

    前方部と後円部が接続される『くびれ部』辺りの葺石の光景になるようです。発掘調査後に再建された壁面のようでした。人の頭くらいの円礫と角礫が葺かれ、その上に白色の石(石英)が散りばめられた光景です。

  • 前方部の側面光景です。あちらこちらで、樹木が根元伐採されて、その根元部分が見えていました。樹木が生い茂った状態では、前方部の形状も確認することが難しかったように見えました。

    前方部の側面光景です。あちらこちらで、樹木が根元伐採されて、その根元部分が見えていました。樹木が生い茂った状態では、前方部の形状も確認することが難しかったように見えました。

  • 前方部の西北角付近の光景になるようです。古墳データには、前方部の幅が40メートルと記されていましたが、前方部が一番広くなった、この辺りの幅になるようです。墳丘と平地の境目が、はっきりとはしていませんでした。狭い場所のようですが、前方部を東側に回り込むことができるようでした。

    前方部の西北角付近の光景になるようです。古墳データには、前方部の幅が40メートルと記されていましたが、前方部が一番広くなった、この辺りの幅になるようです。墳丘と平地の境目が、はっきりとはしていませんでした。狭い場所のようですが、前方部を東側に回り込むことができるようでした。

  • 前方部の西北角付近から眺めた、後円部方面の光景です。前方部を東側に回り込むことは止めて、横断しやすいくびれ部に向かいました。名古屋だけでも3箇所ある『白鳥』の名前がある古墳ですが、お隣の三重県なども含めて、各地にあるようです。『古事記』、『日本書紀』のヤマトタケルに因む『白鳥伝説』の影響が大きいようです。

    前方部の西北角付近から眺めた、後円部方面の光景です。前方部を東側に回り込むことは止めて、横断しやすいくびれ部に向かいました。名古屋だけでも3箇所ある『白鳥』の名前がある古墳ですが、お隣の三重県なども含めて、各地にあるようです。『古事記』、『日本書紀』のヤマトタケルに因む『白鳥伝説』の影響が大きいようです。

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