2020/10/31 - 2020/10/31
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旅人のくまさんさん
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志段味古墳群の内の『志段味大塚古墳(大塚1号墳)』と『大塚2号墳』の紹介です。『志段味大塚古墳』は、1923年(大正12年)の京都帝大の梅原による発掘調査で、後円部の墳頂部から粘土槨の主体部(埋葬施設)が発見され、内部から多くの副葬品が出土しました。刀剣類や馬具、三環鈴などです。
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『埋葬施設平面図』のタイトルがあった説明図の紹介です。中央付近に網掛けされた部分が、新しく発掘された木棺直葬の『第2埋葬施設』で、その中央に出土した国間の位置が記されています。その上(南東)に記されているのが、大正時代に発掘された粘土槨の『第1埋葬施設』の位置です。
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イチオシ
発掘調査を基に復元された『第2埋葬施設』に直葬されていた木棺の再建された姿です。2008年(平成20年)の発掘調査では、木棺そのものは確認できなかったものの、土層から赤色顔料が見つかるなど、内面に朱を塗った長さ3.6 ~3.9メートル、幅約1メートルの刳抜式木棺が直接埋葬されていたと推定されています。
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墳頂部分に隙間なく並べられた埴輪の光景です。円筒埴輪がほとんどですが、アクセントのように蓋(きぬがさ)形埴輪の姿もありました。出土した埴輪類の多くは、現在は見晴台考古資料館に所蔵されています。水鳥形埴輪、鶏形埴輪、蓋形埴輪、朝顔形埴輪と円筒埴輪です。
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イチオシ
墳頂部分に隙間なく並べられた埴輪と、テラス部分にも隙間なく並べられた埴輪の光景です。その延長線には、『造り出し』と『前方部』の埴輪も見えています。『造り出し』は、儀式などを行った場所著され、水鳥形埴輪なども置かれていたようです。
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後円墳上から見下ろした、古墳下部の光景です。葺石に続いて平らなテラスがあり、隙間なく埴輪が並べられていました。テラスの下部も葺石で覆われています。その先に見える空堀は、周濠の一部になるようです。周濠は一重で、馬蹄形に墳丘を囲んでいると推定され、緩やかな逆台形もしくはV字形の断面を持つようです。
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後円部の墳頂の周りに並べられた埴輪のズームアップ光景です。円筒埴輪と、朝顔形埴輪です。墳丘は全長約55メートル、周濠部分を含めると全長約62メートルとされます。また、後円部の直径は約40メートルです。
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墳頂部から見下ろした東部方面の光景です。墳高は後円部で約7メートル、この場所とは反対側になる前方部で約1.5メートルと推定されています。テラスの高さは公表されていないようですが、目測で2メートル前後はあるように見えました。
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先程の石段をテラスの場所まで下りた北側方面の光景です。発掘調査を踏まえた再建と思われますが、目測では2メートルを超える広い幅のテラスでした。1923年
(大正12年)に京都帝国大学の梅原末治によって行われた後円部の発掘調査の後、古墳自体はその後長らく放置されたままでした。 -
石段をテラスの場所まで下りた南側方面の光景です。1982年(昭和57年)~1983年(昭和58年)になって、ようやく愛知県教育委員会の依頼で名古屋大学による測量調査が行われました。2005年(平成17年)以降、名古屋市教育委員会による調査が行われていますが、年月を経る間に外観はかなり失われたようです。(ウィキペディア)
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振り返って眺めた、テラスから墳頂へと続く石段の光景です。この部分は、見学に便利なように整備された石段らしく、金属製の手すりも整備されていました。つい、かっての階段を想像しましたが、後円部から前方部への通路はあったにしても、その反対側には通路はなかったと考えた方が自然なようです。
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テラスの上から眺めた、東側方面の光景です。この通りは、この後紹介する『勝手塚古墳』の北側から『志段味大塚古墳』の東側へと続いていた古道が基になったルートのようです。河岸段丘による坂は、『大塚坂』と呼ばれていたようです。現在は志段味大塚古墳の名の最寄りのバス停があります。
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『江戸時代から現代まで利用されてきた道路』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『勝手塚古墳』の北側から『志段味大塚古墳』の東側へと続いていた古道の紹介でした。天保15年(1844年)に描かれた『上志段味村絵図』に、『大塚坂』と記されている河岸段丘の坂道部分です。
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逆光気味になりましたが、東北側から眺めた志段味大塚古墳の光景です。後円部の墳高は約7メートルとされますから、目測でテラスの高さが2メートル、テラスから墳頂までが5メートルといった感じでした。
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概ね北側から眺めた『志段味大塚古墳』の後円部の光景です。古墳の位置は中位段丘にありますが、低位段丘まで下がっての撮影です。帆立貝の身が入った部分になります。
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イチオシ
修復された古墳ではなく、『平成の新築がなった志段味大塚古墳』の光景に見えました。全面が葺石で覆われ、テラスにも墳頂にも真新しい埴輪が並んだ、できたばかりの古墳光景です。こちらは、同じ中位段丘からの撮影です。
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葺石は、周濠側では約10度と緩やかで拳大の円礫を敷き詰めるように葺いていますが、墳丘側では約40度の傾斜を持つ部分もあります。大き目で平たい河原石を、5センチメートルから10センチメートルの隙間をあけて平面を外に向けて貼り付けたように葺いているのが特徴です。
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帆立貝形古墳とされる『志段味大塚古墳』の、左が後円部、右が前方部の光景です。そのつなぎ目部分にあるのが、儀式などを行ったとされる『造り出し』の部分です。前方部より、少し低い造りになっていました。
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紹介が前後になりましたが、『志段味古墳群』の石標の紹介です。志段味大塚古墳がある段丘の麓付近にありました。現存する古墳のうち、白鳥塚古墳は1972年(昭和47年)に国の史跡に指定され、2014年(平成26年)10月に尾張戸神社古墳、中社古墳、南社古墳、志段味大塚古墳、勝手塚古墳、東谷山白鳥古墳の6基が追加指定され、史跡としての名称が『志段味古墳群』に改められました。
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『志段味大塚古墳』の近くに設置されていた標識類の紹介です。左手に『大塚・大久手古墳群地区』のタイトルがありました。『志段味古墳群』の構成要素の一つです。右側の『しだみ古墳群』のタイトルがあった地図には、東谷山頂にある3箇所を含め、7箇所すべての国指定の古墳が記されていました。
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『大塚・大久手古墳群地区』のタイトルがあった説明パネルの光景です。先ほど紹介した7箇所のうちの1箇所の国指定の古墳が記された案内地図です。右端付近に記された、大塚1号墳とも呼ばれる『志段味大塚古墳』です。
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河岸段丘の裾に積み上げられていた石の小山の光景です。どの古墳かはわかりませんが、推測では葺石に使われていたもののようでした。川石をはじめ、石英質の石もあるようでした。
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『志段味大塚古墳』の近くの低位段丘から見上げた、中位段丘方面の光景です。高さ7メートルほどの『志段味大塚古墳』の姿は、土手の斜面にすっかり隠れてしまいました。
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庄内川が造り出した河岸段丘の低位段丘から眺めた西側方面の光景です。志段味古墳群の案内図を参照しますと、右手に見える住宅街も低位段丘に位置していました。そのさらに右手が庄内川になります。
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横から眺めた昭和委側が造り出した河岸段丘の光景です。撮影している場所が、『しだみ古墳群ミュージアム』がある区域の『低位段丘』、前方に見える、一段高くなった場所が『中位段丘』になります。志段味大塚古墳や、白鳥塚古墳がある段丘です。
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同じ場所から、振り返って眺めた東方向の段丘光景です。この写真には写っていませんが、手前に大塚3号墳、その左側(東側)に大塚1号墳(志段味大塚古墳が)が位置します。
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お子さん達の格好の遊び場所になっていた、河岸段丘の斜面光景です。下が低位段丘、上が中位段丘になります。常緑樹が多いようでしたがm、紅葉の木の姿もありました。
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低位段丘を西に向かって歩き、『しだみ古墳群ミュージアム』がある付近まで戻ってきました。その近くに置かれていたモニュメントの光景です。前方後円墳がモデルになっているようでした。
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『大塚2号墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。保存状態は良くなかったものの、5世紀末~6世紀初め頃に築造された小型の円墳と推定されています。上から掘った穴に木棺が埋葬された跡が見つかり、埴輪や須恵器や出土しています。低位段丘から、中位段丘に移動しました。
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少し離れた場所から撮影した『大塚2号墳』の光景です。円墳の長径9m、短径6m、高さ1.5mの不整円形の墳丘が残存しています。2006年度に名古屋市教育委員会が調査を行っています。
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近くから撮影した『大塚2号墳』の光景です。大きく削平等を受けていましたが、棺底と考えられる痕跡が検出されました。現在は半分ほどが道路盛り土に取り込まれています。
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