2020/11/04 - 2020/11/04
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旅人のくまさんさん
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愛知県で最大規模の前方後円墳の断夫山古墳の紹介です。古墳時代後期の6世紀前半頃の築造と推定されています。長く管理してきた熱田神宮では、「陀武夫御墓」と称するほか、古くは「鷲峰山」、「団浮山」、「段峰山」等とも表記されました。現在まで本格的な発掘調査はされていません。
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本日は、犬山の『青塚古墳』と『楽田城跡』を見学して名古屋に戻ってきました。地下鉄名城線の神宮西駅で降りて、歩いて北方向に向かい、この場所にやってきました。前方に見えるのは、愛知県で最も大きな前方後円墳の『断夫山古墳』の杜の光景です。先に見学した『青塚古墳』が二番目に大きな古墳です。
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ここからは、反時計回りに周濠の周りを1周しました。前方が、反時計回りの順路になります。出発地点は、前方部の南端中央付近です。少し単調な光景が続きますので、ウィキペディアを参照しながら、『断夫山古墳』の紹介をします。熱田台地南西縁に築造された大型前方後円墳です。
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同じ場所から眺めた、予定の見学路とは反対方向の時計回りの周濠の光景です。断夫山古墳は、名古屋市中心市街地からやや南、熱田台地南西縁の標高約10メートルの地に位置し、かつては海岸線が熱田台地西側近くまで伸びていて、古墳からは伊勢湾を広く望むことができたとされます。
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前方に見えてきたのは、古墳前方部の東南角付近です。墳形は前方後円形で、前方部を南南東方に向けます。墳丘は3段築成で、前方部が発達した古墳時代後期の特徴を示し、前方部右隅になる古墳南東隅が削られているものの、概ね良好に遺存する古墳です。現在公表の墳丘長は151メートルとされ、尾張部だけでなく、愛知県で最大規模の前方後円墳です。
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イチオシ
古墳前方部の東南角の光景です。直進が古墳東面になります。墳丘の表面には円筒埴輪列が巡らされていたほか、葺石と見られる川原石も検出されています。墳丘の周囲には周濠が巡らされていましたが、現在見ることができる濠は、後世の造作によるものです。消失した本来の周濠は、さらに広範囲に及ぶものでした。
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古墳前方部の東面直線部の光景です。断夫山古墳は、出土埴輪や須恵器により、古墳時代後期の6世紀前半頃、または5世紀末~6世紀初頭頃の築造と推定されています。当時尾張地方に大きな勢力を持った尾張氏の首長墓に比定され、周辺では南方に前方後円墳(墳丘長70メートル)の白鳥古墳があるほか、熱田球場の位置には、前方後円墳と目される北山古墳がありましたが、現存はしていません。
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後円部東面の円弧部分に差し掛かりました。断夫山古墳の一帯は、一連の首長墓群を成したと推測されています。また北方には、弥生時代から古墳時代~鎌倉時代までの複合遺跡の高蔵遺跡があります。その遺跡の古墳時代では、5世紀後半から6世紀前半にかけて多くの小型方墳が造られ、6世紀後半には複数の円墳が築かれたことが確認されています。高蔵貝塚、高蔵古墳群とも呼ばれています。
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振り返って眺めた南側方面の光景です。緩やかに見えるくぼみ部分は、前方部と後円部の接続部分の東側の光景になるようです。西側には、これから紹介する造り出しがあります。先ほど紹介した高蔵古墳の被葬者は、断夫山古墳の被葬者との関連も指摘されています。
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後円部東面から頂部にかけての円弧部分の光景です。この辺りには、かつて墳丘に登ることができる通路が設けてありましたが、現在は撤去され、立ち入り禁止になっています。2012年4月に見学した時には、古墳上を自由に散策できました。『尾張名所図会』の前編4巻に『鷲峯山』として描かれ、『3月3日、鷲峯山より潮干を望む』と記されていました。
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同じ場所から、振り返って眺めた南東側の光景です。明治期に入って熱田神宮所属地化、のち戦後に入って愛知県有地化されました。1987年(昭和62年)に古墳域は国の史跡に指定されました。その後、現在までに古墳を含む周辺一帯は県営の熱田神宮公園として整備・管理されています。
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前方部と後円部の幅が狭まって、接合部分の場所が近付いたようです。墳丘部分が狭まった分だけ、周濠の幅が広くなってきました。
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イチオシ
『造り出し』部分のズームアップ光景です。西側くびれ部にある『造り出し』部分は、約25メートル×17メートルの広さとされます。『造り出し』は、古墳時代中後期の大型前方後円墳をはじめ、ごく一部の古墳のみに確認されています。 造出の性格は古くから論じられ、宮車の車輪模倣説、壺の耳環模倣説、殉死者のための埋葬場説などが出されました。
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『造り出し』については、現在では何らかの祭祀の場とする説が広く支持されているようです。そして、墳丘上で行われていた祭祀が、ある時期から『造り出し』で行われるようになったとみられています。
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写真は、前方部の西面の直線部分になります。周濠部の先端は、前方部の西南角になるようです。西日が差し込んでいました。影も名が国びて、かなり陽が傾いてきたようです。
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同じく、先ほどの場所から南に少し歩いた場所の光景です。運動公園のテニスコートが周濠に近接していましたが、石垣の上を何とか歩くことができました。
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右手に見えるのが、前方部の西南角の光景です。古墳の周りの石垣に比べて、この辺りでは、周濠の外側の石垣がかなり高くなっていました。南に向かって、地形に傾斜があるようでした。
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2012年に撮影した時にも映っていた、周濠の中の石積とネットの光景です。ハックりとした理由は分かりませんでしたが、地形の傾斜と関係がありそうな、排水対策などが関連しているように見えました。左端が前方部の西南角、周濠は前方部の南辺になります。
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一直線に長く続く、前方部の南辺の周濠の光景です。前方に、スタートした前方部の中間辺りが見えてきました。これで概ね1周したようです。ネット情報では、2019年から愛知県と名古屋市と共同で発掘調査を行う予定であることが報道されていますが、期間がコロナ問題と重なったため、まだ進捗はないようです。
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振り返って眺めた、中央やや右手に見える、前方部の西南角の光景です。『断夫山古墳』の前方部については、改変されているとの指摘があり、その部分を復元した想像図では、墳墓長は160メートルとする説もあります。
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イチオシ
墳墓の1周を終えましたので、少し気になった『造り出し』の部分と、『前方部の西南角』まで戻って、もう一度確認しました。こちらは『前方部の西南角』になります。
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こちらは、直近場所まで近寄って撮影した、『造り出し』部分の光景です。もちろん、周濠部には立ち入っていません。左手の後円部と右手の前方部が、それぞれ低くなった場所ですから、古墳上の木々の間に明るい光が射し込んでいました。周濠に接した玉石垣部分は遺跡ではなく、後年の造作になるようです。
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『造り出し』と呼ばれる部分のズームアップ光景です。前方部と、後円部の接続部分の西側に位置する場所です。その左手に張り出している円弧部分が、後円部の西面になります。断夫山古墳の来歴に、1929年(昭和4年)、国学院大学教授で考古学者の大場磐雄が、造り出し上で須恵器を採集したと紹介されていました。
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断夫山古墳の外側を、ほぼ1周しましたので、少し離れた場所から眺めた古墳の光景です。手前に見えているのは、『熱田神宮公園』の文字が刻まれた大きな石標の光景です。『熱田神宮公園』は、その敷地内に『断夫山古墳』がある県営の運動公園のようです。ネット情報では、造園会社に管理委託されているようでした。
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『熱田神宮公園』のテニスコート越しに眺めた、『断夫山古墳』の西南角付近の光景です。前方部の西南角にもなります。古墳内の樹木がうっそうと生い茂っていました。これで『断夫山古墳』の紹介はおしまいです。以前は、周濠部分に渡してあった石段を渡って、古墳内に立ち入ることができましたが、現在は周濠内は立ち入り禁止になっていました。
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『熱田神宮公園』にある『断夫山古墳』の見学を終えて、東側にある大通りに出ました。南北に走る国道19号線です。地下鉄名城線は、この辺りでは、この国道の下を走っています。前方の街路樹の奥に見えるのは、熱田神宮の杜です。
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ここからは、愛知県教育委員会作成の『史跡・断夫山古墳』のパンフレットの紹介です。国の史蹟に指定されたのは、昭和62年(1987年)7月です。長い間熱田神宮の所有地として管理されてきましたが、大戦後の名古屋市の戦災復旧事業として仮換地され、昭和55年(1980年)に愛知県の所有地となりました。
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前段が『位置と規模』、中段が『築造の方法』、後段が『造り出しの役割』の開設でした。前段では熱田台地の南端近くの西側に位置する、全長151メートルの規模であることなどが紹介されていました。中段では、平面図では鍵穴に似た形で、築造の模様が想像図で説明されていました。後段の『造り出し』は、円筒埴輪や須恵器などが出土したことから、墓前祭を行う祭壇と想定されていました。この説明からも、松本清張さんが『前方後円墳』ではなく『方円墳』と呼ばれた合理性が理解できるようです。横から眺めた姿が一番の見所とする説です。
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前半が『円筒埴輪』、後半が『断夫山古墳と尾張氏』の見出しがあった解説文です。『断夫山古墳』で発掘された『円筒埴輪』は、名古屋市市東部の『東山丘陵の古窯』で焼かれたことが特定されているようでした。硬質で灰白色の特徴を持つ埴輪のようです。尾張地区で最も大きな前方後円墳の『断夫山古墳』は、当時のこの地方の豪族だった『尾張氏の墳墓』と想定されていました。前方後円墳は、3世紀中頃から7世紀初頭まで造られ、大和政権とその政権と繋がる有力な豪族の墳墓とされます。巨大なものは、近畿地方に集中し、岡山(吉備)と尾張にそれに次ぐ大きさのものが造られました。最大規模は仁徳天皇陵(大仙陵:486メートル)で、151メートルの断夫山古墳は、梵天山古墳(茨城県常陸)と並んで65番目の大きさです。
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前半が『ヤマトタケルと断夫山古墳』、後半が『熱田台地と古墳群』の解説でした。前段は、『古事記』『日本書紀』ではヤマトタケルは東征の折、この尾張の地の豪族の娘のミヤズヒメと結婚の約束をしましたが、帰途に病に倒れ(伊吹山での戦いの傷)、白鳥になって飛び立ちました。その墓が白鳥古墳で、ミヤズヒノの墓が断夫山古墳とするものですが、筋に無理もあるようです。後段では、名古屋台地での古墳作りが5世紀中ごろに始まり、7世紀後半に収束したことなどが紹介されていました。
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『断夫山古墳の外周を歩いてみよう!」のタイトルがあったパンフレットの表紙の紹介です。先に紹介した4点は、このパンフレットの裏面です。1周すると、4百メートルは超えるようです。被葬者は明らかではありませんが、熱田神宮では、古くから『陀武夫御墓』と称して、日本武尊妃の『宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓』としてきました。
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