2020/11/09 - 2020/11/09
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旅人のくまさんさん
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尾張氏(おわりうじ)は、『尾張』を氏の名とする氏族のことです。 『日本書紀』巻第二の一書(第六第八)によれば、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし天忍人命から始まるとされます。その祖伸を祀る尾張戸(おわりべ)神社が東谷山山頂にあります。
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尾張戸(おわりべ)神社に向かう山道の光景です。名古屋市と瀬戸市にまたがる、標高198メートルの東谷山山頂の尾張戸神社は、国の史跡の東谷山古墳の円墳の上に建てられています。『延喜式』に山田郡尾張戸神社とあり、成務5年(135年)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)の勧請と伝えられています。この後も、尾張戸神社の公式HPを参照しながら紹介します。
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山道で目にした、花木の光景です。民家の庭先で咲いていました。尾張戸神社は、延長5年(927年)に選進された『延喜式神祇巻』に公式の記録が載っています。また、約800年前の文治2年(1186年)の『尾張国内神名帖』によれば、従3位の神階に列せられた大社とされ、広く衆人から『東谷大明神』として崇敬されてきました。
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何度か目にしましたが、まだ名前を調べていない花木のズームアップ光景です。勧請は、熱田神宮の創建による功績の高い『尾張国造宮簀媛命(おわりくにのみやつこみやすひめのみこと)』で、祭神の『建稲種命(たけいなだねのみこと)』の妹に当たります。『日本武尊命(やまとたけるのみこと)』の妃としても有名です。建稲種命は、日本武尊命の東征に副将として従いました。
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人とすれ違うこともない山道光景が続きます。尾張戸神社のご祭神は、『天火明命(あめのほのあかりのみこと): 尾張氏祖神、『天香語山命(あめのかぐやまのみこと)』: 別名を『高倉下命(たかくらじのみこと)』、天火明命の長子、『建稲種命(たけいなだねのみこと)』:天火明命十二世孫、の三神です。
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山道は、まだまだ続きます。尾張戸神社のご祭神の三神は、記紀の伝承でも明らかな尾張氏の祖神とされ、尾張戸神社の由緒は確かなものと記述されていました。この地方が尾張氏の本貫の地とされ、『東谷山は熱田の奥の院』と、巷で言い伝えられてきました。
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欝蒼とした、山道の脇の光景です。三神の内の一柱、『天火明命(あまのほのあかりのみこと)』は、『素戔嗚尊(すさのをのみこと)』の五男とされ、『天照国照彦天火明にぎ速日命』とも呼ばれることから、その名によって、天火明命が幾多の神徳を兼ね具えられたようです。天磐船で高天原から降りられた時、天祖から十種の神宝とその神秘な霊力による医療・禁厭の法を授けられたとされます。
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文字が読み取れないほどの古い立看板が並んでいた、山道の脇の光景です。三神の一人、『天香語山命(あまのかぐやまのみこと)』は、天火明命の長子に当たります。天香語山 命は、大和国高尾張の村を立ち東谷山対岸の高座山に降られ、しばしば東谷山との間を往来され、やがて東谷山に鎮まられました。『鹿乗橋』、『鹿乗ヶ淵』の名が伝承地に残ります。
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三神の一人、『建稲種命(たけいなだねのみこと)』は、尾張国造乎止与命の子で、天火明命から十二世の孫に当たります。神名の『建』は、日本武尊の東征に従われた時の勲功を称え、『稲種』は、文字通り農業(現在は産業全般)をお勧めになったことを称える名として、産業振興の守護神として篤く崇敬されてきました。 以上が尾張戸神社の三神の簡単な紹介です。
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通行止めの箇所の光景です。車を規制するもので、人の通行を禁止するものではありませんでした。推測ですが、ガードレールがない道路の安全対策だけではなく、東谷山の山頂一帯が、聖域であることを示す通行止めのようでした。
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人が立ち入らないように危険表示がしてあった崖の上の光景です。落ちてしまったら、這い上がるのは難しそうな急峻で落差のある崖でした。麓の案内看板で、夜間の立ち入りが禁止されていた危険箇所の一つのようです。
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山道の脇にあった『名古屋市野鳥保護区・東谷山』のタイトルがあった立看板です。途中に愛知県名の立看板もありましたから、東谷山の管理者は少し輻輳しているようでした。東には瀬戸市なども近接しています。
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近くにあった、こちらの立看板には、『愛知県東谷山自然環境保全区域・北部特別地区・北部野生動物保護地区』のタイトルがありました。愛知県名の立看板です。名古屋市名の看板の『野鳥』は、愛知県県名の看板の『野生動物』には含まれないのかもしれませんが、県民・市民にとっては判断が難しいところです。手厚く二重に自然保護されるのは歓迎ですが、責任不在では困ります。
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左に大きく曲がるカーブに差し掛かりました。先に、尾張戸神社の三神の簡単な紹介をしましたが、五神と呼ばれる場合もあります。その場合には、『天道日女命(アメノミチヒメ)』:天日神の子、別名は高照光姫など、『乎止與命(おとよのみこと)』:古墳時代の豪族で、宮簀媛の父、が加わりますが、記紀での記述はないようです。
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通路脇で見掛けた光景です。斜面の土が洗い流されても、木の根と苔が共同戦線で持ちこたえていた光景です。2年や3年ではなく、もっと長い年月で出来上がった光景のように見受けられました。
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歩道上に大きな落ち葉が舞い落ちていました。柏の落ち葉かと思いましたが、朴葉(ほおば)の方のようでした。どちらも量にに使われることが多い木の葉です。例えば柏は、柏餅、朴葉は、朴葉味噌などです。近くにその木があるようでした。柏餅も美味しいですが、朴葉味噌はお酒の友に大好物です。
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東谷山の頂上近くにやって来たようです。登り道が終わって、平坦な場所になりました。左手と、突き当りに案内看板があるようでした。最初に左手の案内看板から確認することにしました。
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先程の写真で左手に見えていた、『東谷山と志段味古墳群』のタイトルがあった説明パネルの光景です。しっかりとした台座の上に置かれていました。右向きの矢印で、いずれも国指定史跡の『尾張戸(おわりべ)神社古墳』、『中社(なかやしろ)古墳』と『南社(みなみやしろ)古墳』が記されていました。
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別の場所にあった、『東谷山と志段味古墳群』のタイトルがあった説明パネルの光景です。東谷山山頂には、4世紀前半に『尾張戸神社古墳(円墳)』、4世紀中頃に『中社古墳(前方後円墳)』と『南社古墳(円墳)』が造られ、6世紀後半には横穴式石室を持つ小さな古墳が多く造られました。右下の写真紹介は、『東谷山3号墳』の出土品などです。
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大きな石材に文字が刻まれているようでしたから、足を止めました。石碑の碑文は『東谷山から志段味地区にかけては、尾張国古墳文化の中心地(であ?)り、多くの遺跡が存在している。ここにある天井石は、東谷山(ママ)の段丘上の第3号墳石室(ママ)れていたものである。と刻まれていました。昭和56年(1981年)12月に作庭されたことを記した石碑でした。
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イチオシ
東谷山第3号墳石室で使われていたらしい天井石です。なかなか立派な天井石を中心に、庭石風に石組みされていました。苔生しているのは、作庭されてから、50年ほどが経過したためでした。
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左手からやって来た、三差路になった部分の光景です。左手に進めば、東谷山の最頂点の標識があるようでしたが、尾張戸神社と尾張戸神社古墳が表示されていた右手に向かいました。緑色のカラーコーンの左手の石標があるようでした。撮影している場所の背後が、尾張戸神社古墳の方面になります。
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正面から眺めた、まだ新しい『史跡・志段味古墳群・尾張戸神社古墳』の文字が刻まれた石標の光景です。平成26年(2014年)に国の史跡として追加指定された時の記念碑でした。
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イチオシ
『史跡・志段味古墳群・尾張戸神社古墳』の側面光景です。『平成26年(2014年)10月6日・史跡指定』と『平成27年(2015年)3月23日・建立』の文字が刻まれていました。
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円墳の上に建つ尾張戸神社を、一回りできる通り道がありました。その道を歩きながら、尾張戸神社と円墳を見学しました。円墳の周りには、葺石があったとされますが、はっきりとは確認できませんでした。しかし、発掘調査課、外観調査時の写真で、その様子を知ることができました。
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『尾張戸神社古墳』の円墳の上に建つ『尾張戸神社の社殿光景です。この場所に限らず、古墳の上に神社が建てられているケースを目にしたことがあります。古墳であることが忘れられて、神社を建てるのに適した丘のように扱われているケースもあるようでした。この場所は、古墳の由緒を踏まえての立地であることは、間違いないようです。
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イチオシ
山頂の円墳の上に築かれた『尾張部神社』の本殿のズームアップ光景です。再建されたらしい、真新しい造りでした。『尾張戸』の社名を『おわりと』と呼ばずに、『おわりべ』とするのは、『尾張部』を意味するともいわれ、この場合、尾張氏に従属した部民を意味します。
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先程より、更に4分の1周したようです。横向きに見えていた本屋根が、破風側の光景になりました。円墳上の本殿は、周りを白い壁で囲われていました。おそらく、円墳上は平地だったようです。
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『尾張戸神社』の公式HPには、『東谷山フルーツパークから寄進された展望台』と紹介されていた建物光景です。後ほど、展望台からの眺望を楽しみました。『東谷山フルーツパーク』の来訪者も、厳しい山道ですが東谷山の山頂までやってくるようでした。
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『尾張戸神社』の周りの光景です。気には紐が結わえられてお御籤が並び、各種の表示板や石碑などが設置されていました。
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『尾張戸神社・尾張戸神社古墳』のタイトルがあった立看板の光景です。名古屋市教育委員会名でした。冒頭にも紹介した、『延喜式』に山田郡尾張戸神社とあり、成務5年(135年)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)の勧請と伝えられていることが紹介されていました。発掘調査の結果、直径約27.5メートルの二段式の円墳であることも紹介されていました。埴輪がなかったことや、葺石、白石(石英)がなどの共通点から、麓の『白鳥塚古墳』と同時期の4世紀前半に築造されたものと推測されていました。
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