2020/11/03 - 2020/11/03
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旅人のくまさんさん
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戦後、公園整備計画が持ち上がり、それに伴い1964年(昭和39年)に調査が行われた結果、弥生時代に作られた東西約120メートル、南北約200メートル、幅・深さとも約4メートルの環濠に囲まれた集落跡が検出されました。この集落は200年ほど続いたと考えられています。
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『笠覆寺の影響がうかがえる見晴台遺跡の出土遺物』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右上から時計回りに、貸銭(唐銭、北宋銭)、瀬戸山茶碗・小皿(13~14世紀)、瀬戸天目茶碗(14世紀)、瀬戸灰釉花瓶、中国政治・白磁破片(12~14世紀)、瀬戸灰釉仏花器(14世紀)、陶製経筒外容器(12世紀)です。
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(手前右):『土師器・甕』
(手前左):『灰釉陶器・皿(4点)』
(奥右):『土師器・甕』
(奥左):『灰釉陶器・碗』
いずれも見晴台遺跡出土の平安時代(794~1185年)の品です。 -
『古代から中世』のタイトルがあった説明パネルの光景です。弥生時代前期から古墳時代、そして中世における見晴台遺跡の変遷について概括されていました。中世には、当時の笠覆寺(現在の笠寺観音)との繋がりもあったらしいことが紹介されていました。
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後列の3個の壷は、個別に紹介しますので、それ以外の出土品の紹介です。
(中):土師器・浅鉢(古墳時代)
(手前右):小鉢(年代不明)
(手前中):須恵器・有台坏(平安時代)
(手前左):須恵器・坏蓋(2個:古墳時代)と勾玉と管(年代不明) -
『土師器・甕、はそう』
年代:奈良時代(710~794年)
出土:見晴台遺跡
その他:天平文化が花開き、平常時代とも呼ばれます。『はそう』は、液体を注ぐ器で、窯の中から出土しました。 -
『土師器・丸底壷』
年代:古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)
出土:見晴台遺跡
その他:坐りの良さそうな壷です。 -
イチオシ
『土師器・台付甕』
年代:古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)
出土:見晴台遺跡
その他:小さな台が付いた甕です。 -
『SD10からの出土品』のタイトルがあった展示品です。
(右):長頸壷、(中):高坏(脚部)、(左):高坏(脚部)
『RkD1及び2からの出土品』
(右):壷、(左):土器片 -
『SD9について』のタイトルがあった説明パネルと、出土展示品の光景です。周溝墓からは、通常は供献の土器が多いとされますが、溝?と同様に、多くの煮炊き用の甕が出土したことが紹介されていました。
(下):『甑(こしき)』
(上右):『甕(かめ)・口縁部』
(上左):『高坏(たかつき)・坏部』 -
(右手前):『壷』
溝?からの出土品
(中):『甕』
溝?からの出土品
(左手奥):『甕』
溝?からの出土品 -
『RkD1とRkD2について』のタイトルがあった説明パネルの光景です。周溝墓と目星をつけて行われた、2015~2017年の3か年の発掘調査でしたが、『おわりに』と題された総括では、確定には至らなかったことが紹介されていました。ただし、新しい時代の周溝墓の可能性など、今後の課題も確認できたようです。
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『天林山・笠覆寺(笠寺観音)年表』の紹介です。『中世の見晴台は、西に位置する笠覆寺の影響を受けていたと考えられます』の添え書きがありました。天平5年(733年)、呼続浜に流れ着いた霊木の祟りから始まり、昭和34年(1959年)、笠覆寺文庫が県の文化財に指定された時までの年表でした。
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『調査場所の位置』のタイトルがあった平面図と発掘調査写真の紹介です。『周溝墓』をターゲットにして、6カ所の調査箇所に記号が付されていました。左上から反時計回りに、溝?、溝?、SD9、SD10、RkD2とRkD1です。説明パネルに、この調査箇所の記号が引用されていました。
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『方形周溝墓とは?』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右上にその写真が掲示されていました。『方形周溝墓』は、弥生時代から古墳時代にかけてのお墓で、その形状や埋葬の仕方などが紹介されていました。また、弥生時代の環濠集落では、、居住域から少し離れた場所に墓域が造られたことも紹介されていました。
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『見晴台遺跡発掘調査、第55次・第56次・第57次(考古資料館東側・方形周溝墓の謎に迫る)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。2015~2017年の3か年の調査で、見晴台遺跡の場合、墓域は離れた場所ではなく、居住域の中にある珍しいケースであることが確認されています。(居住域の中にある周溝墓の確定は出来ていないようです)
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『居住域と墓域の位置関係の例:大塚・歳勝土遺跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左が横浜市にある弥生遺跡の大塚・歳勝土遺跡の居住域と墓域の平面図、右上が居住域、右下が墓域の航空写真です。
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『濠(西側)土葬断面』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右側が最上層の黒褐色の砂シルト層、最下層が暗灰色の粗砂層の8層に区分され、左下に、それらの層の生成要因が4区分にされていました。斎場層の1番が堆積土葬、2番が堆積もしくは、人為的埋め戻し、3~6層が人為的埋め戻し、7~8層が自然堆積土層に区分されていました。シルトは、砂と粘土の中間の土質です。
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『環濠から出土する土器』のタイトルがあった説明パネルの光景です。見晴台の環濠が掘られたのは約1800年前、深さ・幅とも約4メートルのV字形と紹介されていました。環濠の役割を終え、濠が半ば埋められた状態での出土がほとんどのようです。
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『溝から出土した土器(5点)』
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡 -
『溝から出土した土器(破片)』
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡 -
(右):高坏(3点)
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡
(中央):果実と穀類見本(現代)
種類:カシ、オニグルミ、マテバシイ、古代米(黒米) -
イチオシ
(奥):弥生土器・台付甕(3個)
(手前右):弥生土器・蓋
(手前左):鹿の椎骨と歯
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡 -
(右):『底に籾殻圧痕がある土器』:拡大鏡付き
(左):『石包丁』:使い方のイラスト付き
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡 -
弥生時代の人を描いた3点のイラストです。上から、鹿を弓矢で狙う男性の狩猟の光景、次が、麦か米、あるいは雑穀を収穫する女性のイラスト、最後が、ドングリらしい果実を集める二人のイラストです。
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弥生時代当たりのようです。立派な床の炉裏の周りに家族が集う想像イラストです。天井の高い、中々立派な家です。食べ物は高坏(たかつき)に盛られ、壷なども置かれています。
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弥生時代の住居光景です。弥生時代の代表的な建築は地面を掘り窪めてつくる竪穴建物で、地面に柱を建てて地上に建物をつくる掘立柱建物でした。中央奥に見えるのは、高床式の建物のようです。ワンちゃんも描かれています。
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(上):『台付直口(ちょっこ)壷』
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡
(下):『カキ、ハマグリ、アカニシ』
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡 -
『壷:3個』
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡
その他:3個とも修復された跡はありません。赤い彩色の壷もあります。 -
『石鏃(せきぞく):5個』
年代:弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)
出土:見晴台遺跡
その他:石製の鏃(やじり)です。 -
イチオシ
『角錐状石器』
年代:旧石器時代(約2万年前)
出土:見晴台遺跡
その他:『見晴台遺跡で見つかった、最も古い道具』を語る漫画が添えられていました。
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