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見晴台遺跡からは、現在までに200軒以上の竪穴住居跡が重なりあった形で検出されていますが、古墳時代の遺構はほとんど検出されていません。平安時代以降には集落が存在したほか笠寺観音の寺領となった時期などもあり、平安時代から室町時代にかけての陶器などが出土しています。

2020秋、見晴台考古資料館(3/6):見晴台遺跡、考古資料館、縄文土器、弥生式住居

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2020/11/03 - 2020/11/03

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

見晴台遺跡からは、現在までに200軒以上の竪穴住居跡が重なりあった形で検出されていますが、古墳時代の遺構はほとんど検出されていません。平安時代以降には集落が存在したほか笠寺観音の寺領となった時期などもあり、平安時代から室町時代にかけての陶器などが出土しています。

  • (右)『縄文土器・深鉢』<br />年代:縄文時代(紀元前約1万4千年~紀元前約千年頃)<br />(左):『貯蔵穴(発掘時写真)と模型図』<br />年代:縄文時代(紀元前約1万4千年~紀元前約千年頃)<br />出土:いずれも見晴台遺跡

    イチオシ

    (右)『縄文土器・深鉢』
    年代:縄文時代(紀元前約1万4千年~紀元前約千年頃)
    (左):『貯蔵穴(発掘時写真)と模型図』
    年代:縄文時代(紀元前約1万4千年~紀元前約千年頃)
    出土:いずれも見晴台遺跡

  • 『環濠の発掘調査状況』<br />年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)<br />調査時期:第50次調査(平成22年)<br />その他:環濠から多くの貝殻、魚や動物の骨、土器などが見付かりました。<br />

    『環濠の発掘調査状況』
    年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)
    調査時期:第50次調査(平成22年)
    その他:環濠から多くの貝殻、魚や動物の骨、土器などが見付かりました。

  • (手前右):『ヒスイ製勾玉』<br />(手前左):『円窓付土器』<br />(奥右端):『基台と直口壷』<br />(奥中)(奥左):『円窓付土器』<br />(出土):いずれも見晴台遺跡、弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

    (手前右):『ヒスイ製勾玉』
    (手前左):『円窓付土器』
    (奥右端):『基台と直口壷』
    (奥中)(奥左):『円窓付土器』
    (出土):いずれも見晴台遺跡、弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

  • (上):『銅鐸形土製品(奈良県出土)』:(説明パネル)<br />年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)<br />(下):『銅鐸形土製品(レプリカ)』:オリジナル品は名古屋市博物館展示<br />年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

    (上):『銅鐸形土製品(奈良県出土)』:(説明パネル)
    年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)
    (下):『銅鐸形土製品(レプリカ)』:オリジナル品は名古屋市博物館展示
    年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

  • (手前左):『弥生土器・蓋』<br />(奥右側):『弥生土器・台付甕』<br />(奥左側):『弥生土器・台付甕』<br />出土:いずれも見晴台遺跡<br />年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

    (手前左):『弥生土器・蓋』
    (奥右側):『弥生土器・台付甕』
    (奥左側):『弥生土器・台付甕』
    出土:いずれも見晴台遺跡
    年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

  • 『竪穴住居』のタイトルがあった説明パネルと出土品の展示です。<br />(中):『石皿』<br />年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)<br />(手前)『大型蛤刃石斧、両刃型石斧3点』<br />年代:弥生時代(?)

    『竪穴住居』のタイトルがあった説明パネルと出土品の展示です。
    (中):『石皿』
    年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)
    (手前)『大型蛤刃石斧、両刃型石斧3点』
    年代:弥生時代(?)

  • (奥):『弥生式土器・甕』<br />煮炊き用の甕の使用状況のイラスト付きです。<br />(中):『鹿の骨』<br />(下):『鹿の歯』<br />出土:いずれも見晴台遺跡<br />年代:いずれも弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

    (奥):『弥生式土器・甕』
    煮炊き用の甕の使用状況のイラスト付きです。
    (中):『鹿の骨』
    (下):『鹿の歯』
    出土:いずれも見晴台遺跡
    年代:いずれも弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)

  • 『ヒスイ(翡翠)の勾玉』<br />出土:見晴台遺跡<br />年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)<br />その他:拡大鏡を用いた展示です。1999年の第39次の調査で出土しました。<br />

    イチオシ

    『ヒスイ(翡翠)の勾玉』
    出土:見晴台遺跡
    年代:弥生時代(紀元前約千年頃~紀元後3世紀半ば)
    その他:拡大鏡を用いた展示です。1999年の第39次の調査で出土しました。

  • 『縄文土器』のタイトルがあった説明文の紹介です。見晴台遺跡からは縄文土器が出土していますが、網目模様がない土器です。この遺跡の近隣の縄文土器は、『雷(いかずち)貝塚(緑区)』、『大曲輪(おおぐるわ)貝塚(瑞穂区)』や、『粕畑(かすはた)貝塚(南区)』があることも紹介されていました。

    『縄文土器』のタイトルがあった説明文の紹介です。見晴台遺跡からは縄文土器が出土していますが、網目模様がない土器です。この遺跡の近隣の縄文土器は、『雷(いかずち)貝塚(緑区)』、『大曲輪(おおぐるわ)貝塚(瑞穂区)』や、『粕畑(かすはた)貝塚(南区)』があることも紹介されていました。

  • 見晴台遺跡の考古資料館の展示状況の紹介です。このコーナーの左側には、出土した縄文土器と弥生時代の銅鐸形土製品(レプリカ)の目玉展示、左側には、弥生時代の丸穴付土器などが展示してありました。

    見晴台遺跡の考古資料館の展示状況の紹介です。このコーナーの左側には、出土した縄文土器と弥生時代の銅鐸形土製品(レプリカ)の目玉展示、左側には、弥生時代の丸穴付土器などが展示してありました。

  • 見晴台遺跡の考古資料館の展示状況の紹介が続きます。壁の中心付近の絵は、先に紹介した三枚セットの弥生時代のイラストです。石鏃や、壷、甕、高坏などの土器類も豊富に展示されていました。右端は、集合から出土した土器類です。

    見晴台遺跡の考古資料館の展示状況の紹介が続きます。壁の中心付近の絵は、先に紹介した三枚セットの弥生時代のイラストです。石鏃や、壷、甕、高坏などの土器類も豊富に展示されていました。右端は、集合から出土した土器類です。

  • 見晴台遺跡の考古資料館の展示状況の紹介の最後です。中央付近の土器類は、『古墳時代』より時代が下った『古代から中世』のものです。見晴台遺跡には、古墳時代の遺物が少ないとされます。

    見晴台遺跡の考古資料館の展示状況の紹介の最後です。中央付近の土器類は、『古墳時代』より時代が下った『古代から中世』のものです。見晴台遺跡には、古墳時代の遺物が少ないとされます。

  • タイトルがなく、北が右向きに記された地図の紹介です。資料館を中心に、主な出土品の場所と、かつての建物に付されたらしい番号が記されていました。専門的に使われた記号が多く、少し分かり難い図面でした。

    タイトルがなく、北が右向きに記された地図の紹介です。資料館を中心に、主な出土品の場所と、かつての建物に付されたらしい番号が記されていました。専門的に使われた記号が多く、少し分かり難い図面でした。

  • こちらも、タイトルがなく撮影日時なども記されていない航空写真らしい展示でした。方角と、見晴台遺跡のエリア程度は説明しておいた方がよさそうです。

    こちらも、タイトルがなく撮影日時なども記されていない航空写真らしい展示でした。方角と、見晴台遺跡のエリア程度は説明しておいた方がよさそうです。

  • 右下に『資料館下遺構分布』のタイトルがあった、縮尺40分の1の平面図です。資料館建設当初、用地の確保が難しく、発掘調査を行ったうえで、遺構の上に資料館が建設されたようでした。

    右下に『資料館下遺構分布』のタイトルがあった、縮尺40分の1の平面図です。資料館建設当初、用地の確保が難しく、発掘調査を行ったうえで、遺構の上に資料館が建設されたようでした。

  • 『これは何でしょう?』と、クイズ形式で展示してあった、4点の出土品です。右から、弥生土器の鳥形土器、舟形土製品、台付壷と送風管でした。レプリカではなく、本物の展示のようでした。

    『これは何でしょう?』と、クイズ形式で展示してあった、4点の出土品です。右から、弥生土器の鳥形土器、舟形土製品、台付壷と送風管でした。レプリカではなく、本物の展示のようでした。

  • 『見晴台遺跡展・美晴台で暮らした人々』のタイトルがあった、常設展の案内らしいパネルの光景です。卓上には、持ち帰り自由なチラシとリーフレットが置かれていました。『写真撮影自由』の表示が何より有難いことです。

    『見晴台遺跡展・美晴台で暮らした人々』のタイトルがあった、常設展の案内らしいパネルの光景です。卓上には、持ち帰り自由なチラシとリーフレットが置かれていました。『写真撮影自由』の表示が何より有難いことです。

  • 『ごあいさつ』のタイトルがあったパネルの紹介です。日付けや署名がない挨拶文でした。見晴台遺跡は、全国で2番目となった『銅鐸形土製品』が、昭和22年(1947年)に出土したことで、名前が知られるようになったと紹介されていました。その後調査が進み、昭和54年(1979年)に展示館が開館しました。

    『ごあいさつ』のタイトルがあったパネルの紹介です。日付けや署名がない挨拶文でした。見晴台遺跡は、全国で2番目となった『銅鐸形土製品』が、昭和22年(1947年)に出土したことで、名前が知られるようになったと紹介されていました。その後調査が進み、昭和54年(1979年)に展示館が開館しました。

  • 『住居跡観察舎への生き方』のタイトルがあった案内看板の光景です。資料館を出て、外周りで向かう道筋が記してありました。すぐ近くですから、住居跡観察舎の入口の位置さえ頭に入れておけば、少しまごついても、道に迷うことはなさそうです。

    『住居跡観察舎への生き方』のタイトルがあった案内看板の光景です。資料館を出て、外周りで向かう道筋が記してありました。すぐ近くですから、住居跡観察舎の入口の位置さえ頭に入れておけば、少しまごついても、道に迷うことはなさそうです。

  • 『資料館付近の遺構巡りマップ』のタイトルがあった案内看板の光景です。今回立寄った笠寺観音(笠覆寺)、笠寺一里塚や、桜田貝塚(八幡社)などがリストアップされていました。

    『資料館付近の遺構巡りマップ』のタイトルがあった案内看板の光景です。今回立寄った笠寺観音(笠覆寺)、笠寺一里塚や、桜田貝塚(八幡社)などがリストアップされていました。

  • これから見学をする、西側方面から眺めた見晴台遺跡の『住居跡観察舎』の建物正面光景です。再現された弥生時代の建物が室内に展示されているようでした。こちらも無料で見学できます。

    これから見学をする、西側方面から眺めた見晴台遺跡の『住居跡観察舎』の建物正面光景です。再現された弥生時代の建物が室内に展示されているようでした。こちらも無料で見学できます。

  • 見晴台遺跡の『住居跡観察舎』の正面入り口付近のズームアップ光景です。無人での設備開放らしく、常駐や見回りの方の姿はありませんでした。入口に『ご自由にご覧下さい』の張紙がありました。月曜と第4火曜日が休みで、それ以外の日は9:15~17:00の開館でした。

    見晴台遺跡の『住居跡観察舎』の正面入り口付近のズームアップ光景です。無人での設備開放らしく、常駐や見回りの方の姿はありませんでした。入口に『ご自由にご覧下さい』の張紙がありました。月曜と第4火曜日が休みで、それ以外の日は9:15~17:00の開館でした。

  • 左側の案内は、令和2年の常設展の『見晴台遺跡展ー見晴台で暮らした人々ー』その下は通年の常設展らしい『見晴台の守り展』でした。4コマ漫画は、『竪穴住居』と『住居跡』の説明でした。

    左側の案内は、令和2年の常設展の『見晴台遺跡展ー見晴台で暮らした人々ー』その下は通年の常設展らしい『見晴台の守り展』でした。4コマ漫画は、『竪穴住居』と『住居跡』の説明でした。

  • 先ほど紹介した、『竪穴住居』と『住居跡』の4コマ漫画の拡大です。『竪穴住居』では、見学用に屋根や壁の一部の施工が端折ってあります。『住居跡』では繰り返し建替えられた柱穴が輻輳し、あたかも密集して建物が建てられたように見えていることを教えていました。

    先ほど紹介した、『竪穴住居』と『住居跡』の4コマ漫画の拡大です。『竪穴住居』では、見学用に屋根や壁の一部の施工が端折ってあります。『住居跡』では繰り返し建替えられた柱穴が輻輳し、あたかも密集して建物が建てられたように見えていることを教えていました。

  • 『住居跡観察舎と復元住居』のタイトルがあった説明パネルの光景です。昭和63年(1988年)6月から公開された住居跡の紹介でした。第25次調査(昭和61年度)の調査で見付かった遺構を樹脂で固め、その上に砂を敷いたうえで遺構の樹脂が置かれています。種々の要因により、復元住居が傾き、鉄パイプなどにより補強をしたことが写真入りで正直に紹介されていました。

    『住居跡観察舎と復元住居』のタイトルがあった説明パネルの光景です。昭和63年(1988年)6月から公開された住居跡の紹介でした。第25次調査(昭和61年度)の調査で見付かった遺構を樹脂で固め、その上に砂を敷いたうえで遺構の樹脂が置かれています。種々の要因により、復元住居が傾き、鉄パイプなどにより補強をしたことが写真入りで正直に紹介されていました。

  • 一度壊れかけ、鉄パイプなどで補強された、現在の復元住居の光景です。木組みの上は、カヤ(萱)で葺かれているようでした。住居の周りの柱跡は、実際に家が建てられたことがある場所を示しています。

    イチオシ

    一度壊れかけ、鉄パイプなどで補強された、現在の復元住居の光景です。木組みの上は、カヤ(萱)で葺かれているようでした。住居の周りの柱跡は、実際に家が建てられたことがある場所を示しています。

  • 自重やアンバランス、それに地下の遺跡保護のために、柱を深く打込んでいないこと等が原因で一度傾いてしまった復元住居です。その後、鉄パイプを補強に入れて、何とか自立しているようです。

    自重やアンバランス、それに地下の遺跡保護のために、柱を深く打込んでいないこと等が原因で一度傾いてしまった復元住居です。その後、鉄パイプを補強に入れて、何とか自立しているようです。

  • 『発見された住居跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。重なり合って見付かった住居のほとんどが、弥生時代後期のものと説笑みされていました。色分けで年代を表しているようですが、同じ色でも、同時に建てられていたわけではないようです。赤い表示は『焼土』の注釈がありましたので、囲炉裏跡のようです。

    『発見された住居跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。重なり合って見付かった住居のほとんどが、弥生時代後期のものと説笑みされていました。色分けで年代を表しているようですが、同じ色でも、同時に建てられていたわけではないようです。赤い表示は『焼土』の注釈がありましたので、囲炉裏跡のようです。

  • 『遺構の型取り』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左上から始まり、右下で終わる5段階を紹介しますと、1.木枠を組む、2.和紙を貼る、3.樹脂を吹き付ける、4.型の完成、5.型を取り外す、の5工程でした。

    『遺構の型取り』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左上から始まり、右下で終わる5段階を紹介しますと、1.木枠を組む、2.和紙を貼る、3.樹脂を吹き付ける、4.型の完成、5.型を取り外す、の5工程でした。

  • 『25次調査地点の竪穴住居』のタイトルがあった説明パネルの光景です。1985年に行われた調査のようです。1辺が3~7メートルほどの大きな方形の『竪穴』を掘り、その床面に柱を立てる『柱穴』を掘り、上屋を築いていたようです。また。周溝と呼ばれる細い穴を巡らし、壁が崩れないような工夫を凝らしていたようです。

    『25次調査地点の竪穴住居』のタイトルがあった説明パネルの光景です。1985年に行われた調査のようです。1辺が3~7メートルほどの大きな方形の『竪穴』を掘り、その床面に柱を立てる『柱穴』を掘り、上屋を築いていたようです。また。周溝と呼ばれる細い穴を巡らし、壁が崩れないような工夫を凝らしていたようです。

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