2020/10/31 - 2020/10/31
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旅人のくまさんさん
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『大塚・大久手古墳群』の中の『大久手古墳群』の紹介です。1号墳は『東大久手古墳』、2号墳が『西大久手古墳』とも呼ばれる共に帆立貝式古墳、3号墳はこの区域唯一の『方墳』、4号墳は江戸時代に塚だった可能性のある複合遺跡、帆立貝式古墳の5号墳は、大部分が大久手池の堤防に取り込まれていました。
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道案内標識を確認しながら、次の見学場所を探しました。大塚の名前を持つ三つの古墳の見学を終えましたので、次は『大久手』の名前を持つ古墳の見学です。上向きの矢印で『西大久手古墳(大久手2号墳)』、左向きの矢印で『東大久手古墳(大久手1号墳)』が記されていました。
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『大塚・大久手古墳群地区』の案内図も参照しました。『東大久手古墳(大久手1号墳)』から『西大久手古墳(大久手2号墳)』の方が順路になるようでした。また、『西大久手古墳』の前に『大久手5号墳』を見学した方がロスがないようでした。
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『東大久手古墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。前方後円墳の図面と、出土品の写真が添えられていました。『大久手1号墳』と呼ばれる場合もあります。5世紀末頃(古墳時代中期松)に築かれた帆立貝式古墳で、長さは約39メートル、周囲には濠が巡っていました。須恵器や埴輪などが出土しています。
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イチオシ
こんもりとした林になっている『東大久手古墳』の周りの光景です。1982年~1983年(昭和57~58年)の愛知県教育委員会からの依頼で、名古屋大学による測量調査が行なわれました。また、2005年(平成17年)から名古屋市教育委員会が発掘調査を行なっています。
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東南側から眺めた、こんもりとした林になっている『東大久手古墳』の光景です。前方部が短い帆立貝形古墳ですが、墳丘の部分は掘平されているため墳高は不明です。現存する後円部の状態から2段築造であったとも考えられています。
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南側から眺めた、『東大久手古墳』の光景です。2005年(平成17年)の調査で、前方部の角と側辺および周堤の角部が検出されたことなどで、従来考えられていた墳丘の形態と比べて全長が短いことが分かりました。
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木漏れ日で照らされた、『東大久手古墳』の中の光景です。須恵器や円筒埴輪が出土しかほか、前方部と後円部の境に葺石と思われる列石と円筒埴輪が確認されています。また、2008年(平成20年)の調査では、後円部の数ヶ所で墳丘を囲む円筒埴輪列の残存が確認されました。
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少し離れた西側から眺めた『東大久手古墳』の光景です。この後紹介しますが、4世紀の古墳がある東谷山(とうごくさん)を向いている『帆立貝式古墳』の一つです。東谷山は東方向になります。名古屋市内で最も高い山ですが、標高200メートルには達していません。
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『大久手5号墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。墳丘復元図と、発掘作業中の写真が添えられていました。5世紀後半に造られた帆立貝式古墳ですが、残っていた南側部分だけ復元されました。墳丘は後円部二段、前方部一段で、全長は38メートル、環濠があったと推測されています。
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南側部分だけ復元された『大久手5号墳』の光景です。先ほどの図面を参照しますと、写真の右端部分が前方部の北側で、左側が後円部の北側になります。墳丘の裾に沿った空堀が、環濠部分を表しているようです。
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『大久手5号墳』の前方部のズームアップ光景です。発掘調査によれば、墳丘の斜面部分には葺石が積まれていました。古墳データには、『葺石は円礫』と記されていました。河川用語で『礫』は、直径2mm以上の岩石の破片とされ、丸いものが『円礫』です。葺石の大きさを表す表現ではありません。256ミリ以上が巨礫、64~256ミリが大礫などと定義されていました。
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直線部分のように見えましたが、『大久手5号墳』の説明パネルの墳丘復元図を参照しますと、後円部の北側の一部になるようです。後円部の高さは分かりませんが、二段になった部分が見えているようです。
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後円部の二段になった墳丘のズームアップ光景です。直線ではなく、円弧を描いていることが分かりました。発掘調査時に、平らな部分には、間隔をあけて埴輪が並べられていたようです。説明パネルの発掘調査時の写真では、葺石は確認できましたが、埴輪は確認できませんでした。
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『大久手5号墳』の見学を終えて、次の見学地を探すために眺めた道案内図です。左向きの矢印で『西大久手古墳』と『東大久手古墳』が記されていました。反対方向の矢印が、先に見学した『志段味大塚古墳』でした。
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『東谷山を向いて並ぶ帆立貝式古墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。東谷山には、4世紀に前方後円墳の『中社(なかやしろ)古墳』など、三つの古墳が気づかれました、それから約百年後に築かれた帆立貝式古墳が東谷山の方を向いていることから、その強い関連性が指摘されていました。西大久手古墳、東大久手古墳と、大久手後5号墳です。
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次は『西大久手古墳』の見学です。『大久手2号墳』とも呼ばれています。この案内標識には、左向きの矢印で表示されていました。これまでに見学した、『志段味大塚古墳』、『東大久手古墳』と『大久手5号墳』が、右向きの矢印で表示されていました。
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『西大久手古墳』は、現在発掘作業中でした。最初に調査が行なわれたのは、1982年(昭和57年)~1983年(昭和58年)の愛知県教育委員会の依頼による、名古屋大学の測量調査でした。
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発掘作業中の『西大久手古墳』の周りの光景です。愛知県から依頼の昭和年代の名古屋大学の測量調査でしたが、それ以降の2005年(平成17年)に名古屋市教育委員会が発掘調査を行うまで、公式な調査はほとんどされなかったようです。
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フェンスで囲われた中が発掘調査場所です。もちろん立ち入ることはできません。『西大久手古墳』の墳丘長は約39メートル、周濠を含んだ全長は約59メートルとされます。また、後円墳の径は約27メートル、高さは不明です。
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工事フェンスの隙間から眺めた、発掘現場の光景です。発掘調査中らしい場所には、ブルー・シートが被せられていました。発掘作業が進めば、街路樹の一部も立ち退きになりそうでした。
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同じく、工事フェンスの隙間から眺めた、発掘現場の光景です。2008年(平成20年)の発掘調査で、東海地方以東では最古級(5世紀中頃)のものとされる人物埴輪が出土しています。この地方の勢力が、ヤマト王権と深い繋がりを持っていた事が考えられる品とされます。
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工事フェンスの隙間から眺めた、発掘現場の光景が続きます。周濠は一重で逆台形の断面を持ち、現在の残存高から約1.1メートルの深さと確認されています。外堤の上部に幅60センチメートル程度の平坦面があったと見られていますが、後円部側では外堤も掘平され、確認が難しいようです。
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『大久手3号墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『大久手3号墳』は、志段味古墳の中で唯一の『方墳』です。一編訳14メートルの墳丘に名割には濠が巡らされていました。出土した須恵器から、5世紀末(古墳時代中期後半)に築かれたものと推定されています。
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少しズームアップした、方墳の『大久手3号墳』の側面光景です。墳丘の大部分は、削られてしまっていたようです。方墳の片隅に、復元されたらしい須恵器の壷が置かれていました。
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イチオシ
方墳の『大久手3号墳』の全景です。無理すれば、登れないことはないようでしたが、止めておきました。階段が付いていない古墳に上るのは、『古墳を損壊する行為』とも見られかねません。傾斜地に造られた方墳には、こちらから眺めた限りでは、環濠は確認できませんでした。
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上の図面が、方墳の『大久手3号墳』の『墳丘復元図』、下の写真が出土し、復元された須恵器の壷か甕です。『須恵器(すえき)』は、古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器のことです。須恵器は轆轤技術を用いて成形し、『窖窯(あながま)』と呼ばれる地下式・半地下式の登り窯を用いて1100度以上の高温で還元焔焼成されるます。強く焼締まり、従来の土器以上の硬度が得られました。
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現在位置の確認を兼ねて紹介する史蹟案内パネルの光景です。現在位置が、左下に赤く記されていました。『大久手4号墳』の近くです。『大久手4号墳』は、ほかの古墳とは異なり、江戸時代に『塚』となり、複合遺跡になった可能性があります。
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『大久手4号墳』の近くから眺めた、『大塚・大久手古墳群地域』の光景です。前に広がる広場には、『古代体験広場』の名称がありました。
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半ば地中に埋められたような、庭石のような巨石群の光景です。古墳時代の遺跡とは異なる、異質の光景でした。史蹟案内パネルにも図示されていましたが、名称などにについての記載はありませんでした。
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『大久手4号墳』の前から眺めた、謎の石群の光景です。庭石として集められた銘石ともイメージが異なっていました。
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