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シェーンブルン宮殿の観光の次はウィーン市内観光です。<br />市内観光といっても主な観光地はシュテファン大聖堂でした。通常のツアーでは無料部分の観光ですが、今回は有料の身廊部分を観光しました。<br />身廊部分の観光は実に30数年ぶり、以前の記憶がすでに薄れていたため新鮮な気持ちで観光できました。<br />

駆け足で巡る中欧5カ国の旅 18 ウィーン市内観光 今回のメインはシュテファン大聖堂

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2017/06/21 - 2017/06/29

708位(同エリア6057件中)

旅行記グループ 駆け足で巡る中欧5か国の旅

2

78

ポポポ

ポポポさん

この旅行記スケジュールを元に

シェーンブルン宮殿の観光の次はウィーン市内観光です。
市内観光といっても主な観光地はシュテファン大聖堂でした。通常のツアーでは無料部分の観光ですが、今回は有料の身廊部分を観光しました。
身廊部分の観光は実に30数年ぶり、以前の記憶がすでに薄れていたため新鮮な気持ちで観光できました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
同行者
一人旅
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 6月27日、ウィーン市内観光の続きです。<br />朝、シェーンブルン宮殿内にある馬車博物館を観光した後はウィーン旧市内を観光しました。<br />ツアーバスに乗り訪れたのたのはリンクと呼ばれている場所。ここはウィーン旧市街を取り囲む城壁があった場所です。オスマントルコ帝国による2度のウィーン包囲を辛くも守り抜き、キリスト教世界を救った場所でもあります。<br />1回目のウィーン包囲はオスマントルコ帝国の絶頂期、スレイマン1世の時代でした。<br />ロシア遠征で冬将軍に敗れたのはナポレオンとヒトラーですが、オスマントルコのスレイマン皇帝も欧州の冬将軍に手を焼き、ウィーンの包囲を解いて撤退しています。<br />もしウィーン包囲の時期が冬の季節でなかったならば、ウィーンは間違いなく陥落して中欧ヨーロッパの大部分はオスマントルコの領地となり欧州の歴史は大きく塗り替えられていたことでしょう。<br />ウィーンを攻略しきれなかった理由は、ウィーンの城壁を破壊するために製作した新式の大口径の攻城砲がウィーンに届かなかったこと。降雪により道路がぬかるみ、攻城砲を運べなかったそうです。<br />次に兵站が伸びきってしまった上に同じく降雪で道路がぬかるみ、食料・弾薬が遅々として届かなかったこと。<br />屋外で野営するオスマンの兵士には寒さがこたえ、士気が全く上がらなかった事が上げられています。<br />一方欧州諸侯からなる連合軍は士気が高く、城壁に守られてオスマン軍に出血を強いていました。これにより予想以上の損害が出たためスレイマン皇帝は撤退を命じました。<br />当時無敵のオスマン軍が一敗地に塗れたのがこのウィーン包囲の攻城戦でした。<br />話がそれましたが、車窓から見えてきたのがリンク沿いにある国立オペラ座です。<br />今回は車窓から眺めるだけ。<br /><br />

    6月27日、ウィーン市内観光の続きです。
    朝、シェーンブルン宮殿内にある馬車博物館を観光した後はウィーン旧市内を観光しました。
    ツアーバスに乗り訪れたのたのはリンクと呼ばれている場所。ここはウィーン旧市街を取り囲む城壁があった場所です。オスマントルコ帝国による2度のウィーン包囲を辛くも守り抜き、キリスト教世界を救った場所でもあります。
    1回目のウィーン包囲はオスマントルコ帝国の絶頂期、スレイマン1世の時代でした。
    ロシア遠征で冬将軍に敗れたのはナポレオンとヒトラーですが、オスマントルコのスレイマン皇帝も欧州の冬将軍に手を焼き、ウィーンの包囲を解いて撤退しています。
    もしウィーン包囲の時期が冬の季節でなかったならば、ウィーンは間違いなく陥落して中欧ヨーロッパの大部分はオスマントルコの領地となり欧州の歴史は大きく塗り替えられていたことでしょう。
    ウィーンを攻略しきれなかった理由は、ウィーンの城壁を破壊するために製作した新式の大口径の攻城砲がウィーンに届かなかったこと。降雪により道路がぬかるみ、攻城砲を運べなかったそうです。
    次に兵站が伸びきってしまった上に同じく降雪で道路がぬかるみ、食料・弾薬が遅々として届かなかったこと。
    屋外で野営するオスマンの兵士には寒さがこたえ、士気が全く上がらなかった事が上げられています。
    一方欧州諸侯からなる連合軍は士気が高く、城壁に守られてオスマン軍に出血を強いていました。これにより予想以上の損害が出たためスレイマン皇帝は撤退を命じました。
    当時無敵のオスマン軍が一敗地に塗れたのがこのウィーン包囲の攻城戦でした。
    話がそれましたが、車窓から見えてきたのがリンク沿いにある国立オペラ座です。
    今回は車窓から眺めるだけ。

    ウィーン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー

  • バスはリンクを走って国立オペラ座の前を通り過ぎて行きます。

    バスはリンクを走って国立オペラ座の前を通り過ぎて行きます。

    ウィーン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー

  • リンク沿いにあるブルク劇場の横に駐車。ここで下車して市内観光の開始。<br />昼食が終わるまでウィーン市内を歩き回りました。<br />写真はブルク劇場、これは劇場を横から見たところです。正面から見た写真とかなり違うので違和感がありますが、横はこんな形の劇場でした。<br />欧州演劇界では最高レベルの劇場とか。内部の内装も豪華だそうです。

    リンク沿いにあるブルク劇場の横に駐車。ここで下車して市内観光の開始。
    昼食が終わるまでウィーン市内を歩き回りました。
    写真はブルク劇場、これは劇場を横から見たところです。正面から見た写真とかなり違うので違和感がありますが、横はこんな形の劇場でした。
    欧州演劇界では最高レベルの劇場とか。内部の内装も豪華だそうです。

    ブルク劇場 劇場・ホール・ショー

  • ブルク劇場の真向かいにあるのが市庁舎です。

    ブルク劇場の真向かいにあるのが市庁舎です。

    ウィーン市庁舎 現代・近代建築

  • ブルク劇場の隣にあるのがフォルクス庭園。この公園は夏のバラが有名で、バラが咲き誇る夏の時期はウィーン旧市街で最も美しい公園になるそうです。<br />我々が訪れたのは6月下旬だったので、バラもそろそろ終わりかけの時期でした。<br />それでも数種類咲いていて綺麗でした。

    ブルク劇場の隣にあるのがフォルクス庭園。この公園は夏のバラが有名で、バラが咲き誇る夏の時期はウィーン旧市街で最も美しい公園になるそうです。
    我々が訪れたのは6月下旬だったので、バラもそろそろ終わりかけの時期でした。
    それでも数種類咲いていて綺麗でした。

    市民庭園 広場・公園

  • フォルクス庭園と自然史博物館の遠望。

    フォルクス庭園と自然史博物館の遠望。

    フォルクス劇場 劇場・ホール・ショー

  • 自然史博物館をアップした写真。

    自然史博物館をアップした写真。

    自然史博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • バラも綺麗でしたが、咲き誇るという量ではなかったので、草花の方が綺麗だったかも。

    バラも綺麗でしたが、咲き誇るという量ではなかったので、草花の方が綺麗だったかも。

    市民庭園 広場・公園

  • ピンクのバラは綺麗でした。このバラの側を歩いて行く先は自然史博物館?<br />その先のホーフグルグ(王宮)に行くかな?

    ピンクのバラは綺麗でした。このバラの側を歩いて行く先は自然史博物館?
    その先のホーフグルグ(王宮)に行くかな?

    市民庭園 広場・公園

  • フォルクス庭園を通り抜けてきたのがこの建物。<br />30数年前には「レオポルド・ウイング」と呼ばれていた場所です。かつては大統領執務室でした。この建物はホーフグルグの一翼にある建物で、普通観光では訪れることは無い場所です。<br />でも30数年前は違っていました。当時のウィーンは音楽留学の学生以外ほとんど日本人観光客は訪れない場所でした。ちなみにイタリアのフィレンツェやベニス(当時はベニスと言っていました。)も同様です。<br />当時の海外旅行先はロンドン、パリ、ローマ、マドリッド、ジュネーブが主流で、ドイツのロマンチック街道がピーアールされ始めた時でした。<br />そしてツアーはこれらの都市を結ぶ3カ国か4カ国が主流だったので、上記以外の都市のガイドブックはほとんど見かけませんでした。そんな状況でしたからウィーンも現在のような詳しいガイドブックがありません。<br />当時のウィーンの旅程は午後ウィーンの森の散策とウィンナーコーヒーをカフェでいただくという内容でしたが、それでは時間が勿体ないと思い妻と二人で自由行動することにしていました。<br />自由時間に観光する場所は今で言う所の銀器コレクションと皇帝の部屋で、その当時はまだシシィ博物館はありませんでした。それと時間があれば宝物館を予定していました。<br />当時のガイドブックは王宮の内部の写真と説明のみ。詳しい王宮の見取り図も博物館等の入り口の表示もありませんでした。<br />銀器コレクションや皇帝の部屋の入り口は「レオポルド・ウイング」とだけ記述されていました。これでは「レオポルド・ウイング」の場所が分からない。しかも「レオポルド・ウイング」ってどんな場所なのか何も書かれていません。<br />ともかく図書館などで「レオポルド・ウイング」の場所だけは確認して、当日現地を訪れました。<br />入り口の左右には2人の看守がいて、我々が入ろうとすると手で制されて「入るなと」と言われます。「ここはレオポルド・ウイングか?」と聞くと看守が「そうだ」と答える。ならここだと再び入ろうとするとまたもや制されて何やら言われたがチンプンカンプン。<br />ここで多少英語が分かる妻にバトンタッチ。妻の言うことには「ここ、大統領官邸だって。だから入れないって。」<br />「なら、博物館の入り口はどこかって聞いてよ。」と私。妻がカタコトで何とか話していると守衛の一人が大きく手で回る仕草をして指差しした。<br />どうやら指差しの方向に入り口があるらしい。妻が「あっちだって。」と方向を指さした。守衛にお礼を言ってその場を立ち去ったが、2人の戸惑いはまだ続きます。結局ガイドブックの記述が間違いだったのです。多分その本の執筆者たちは誰もここに訪れたことは無く、ウィーンの特派員も居なかったのでしょう。<br />すっかり騙されました。(笑)<br />当時のウィーンは日本人観光客がとても少なかった訳ですから仕方がないと思いました。<br />でもこの話はこれで終わりではありません。指さされた方向に行けどもそれらしき場所が見つかりません。<br />ただ一つ、現在のシシィ博物館の個人観光客入り口(ミヒャエル門から入ったドームの下)にそれらしき場所がありました。<br />欧米人がそこから出入りしていましたが、何の入り口かさっぱり分からない。<br />一か所案内表示がありましたがドイツ語表記なので理解できない。当時は現在のようにドイツ語と英語の二重表記ではありませんでした。<br />多分入り口はここじゃないかなという思いもありましたが、当時は言葉の壁があり尋ねる勇気もありませんでした。<br />そういうことで結局その日は王宮宝物館と美術史博物館を見て帰った訳ですが、この建物を見る度にそのことを思い出します。<br /><br /><br /><br />

    フォルクス庭園を通り抜けてきたのがこの建物。
    30数年前には「レオポルド・ウイング」と呼ばれていた場所です。かつては大統領執務室でした。この建物はホーフグルグの一翼にある建物で、普通観光では訪れることは無い場所です。
    でも30数年前は違っていました。当時のウィーンは音楽留学の学生以外ほとんど日本人観光客は訪れない場所でした。ちなみにイタリアのフィレンツェやベニス(当時はベニスと言っていました。)も同様です。
    当時の海外旅行先はロンドン、パリ、ローマ、マドリッド、ジュネーブが主流で、ドイツのロマンチック街道がピーアールされ始めた時でした。
    そしてツアーはこれらの都市を結ぶ3カ国か4カ国が主流だったので、上記以外の都市のガイドブックはほとんど見かけませんでした。そんな状況でしたからウィーンも現在のような詳しいガイドブックがありません。
    当時のウィーンの旅程は午後ウィーンの森の散策とウィンナーコーヒーをカフェでいただくという内容でしたが、それでは時間が勿体ないと思い妻と二人で自由行動することにしていました。
    自由時間に観光する場所は今で言う所の銀器コレクションと皇帝の部屋で、その当時はまだシシィ博物館はありませんでした。それと時間があれば宝物館を予定していました。
    当時のガイドブックは王宮の内部の写真と説明のみ。詳しい王宮の見取り図も博物館等の入り口の表示もありませんでした。
    銀器コレクションや皇帝の部屋の入り口は「レオポルド・ウイング」とだけ記述されていました。これでは「レオポルド・ウイング」の場所が分からない。しかも「レオポルド・ウイング」ってどんな場所なのか何も書かれていません。
    ともかく図書館などで「レオポルド・ウイング」の場所だけは確認して、当日現地を訪れました。
    入り口の左右には2人の看守がいて、我々が入ろうとすると手で制されて「入るなと」と言われます。「ここはレオポルド・ウイングか?」と聞くと看守が「そうだ」と答える。ならここだと再び入ろうとするとまたもや制されて何やら言われたがチンプンカンプン。
    ここで多少英語が分かる妻にバトンタッチ。妻の言うことには「ここ、大統領官邸だって。だから入れないって。」
    「なら、博物館の入り口はどこかって聞いてよ。」と私。妻がカタコトで何とか話していると守衛の一人が大きく手で回る仕草をして指差しした。
    どうやら指差しの方向に入り口があるらしい。妻が「あっちだって。」と方向を指さした。守衛にお礼を言ってその場を立ち去ったが、2人の戸惑いはまだ続きます。結局ガイドブックの記述が間違いだったのです。多分その本の執筆者たちは誰もここに訪れたことは無く、ウィーンの特派員も居なかったのでしょう。
    すっかり騙されました。(笑)
    当時のウィーンは日本人観光客がとても少なかった訳ですから仕方がないと思いました。
    でもこの話はこれで終わりではありません。指さされた方向に行けどもそれらしき場所が見つかりません。
    ただ一つ、現在のシシィ博物館の個人観光客入り口(ミヒャエル門から入ったドームの下)にそれらしき場所がありました。
    欧米人がそこから出入りしていましたが、何の入り口かさっぱり分からない。
    一か所案内表示がありましたがドイツ語表記なので理解できない。当時は現在のようにドイツ語と英語の二重表記ではありませんでした。
    多分入り口はここじゃないかなという思いもありましたが、当時は言葉の壁があり尋ねる勇気もありませんでした。
    そういうことで結局その日は王宮宝物館と美術史博物館を見て帰った訳ですが、この建物を見る度にそのことを思い出します。



    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  • ホーフグルグ(王宮)と左は旧レオポルド・ウイング。

    ホーフグルグ(王宮)と左は旧レオポルド・ウイング。

    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  • そして現在の大統領執務室。

    そして現在の大統領執務室。

  • 王宮の中庭です。右の像はフランツ2世像。<br />建物はシシィ博物館と皇帝の部屋。赤い垂れ幕があるところが博物館の団体客入り口。

    王宮の中庭です。右の像はフランツ2世像。
    建物はシシィ博物館と皇帝の部屋。赤い垂れ幕があるところが博物館の団体客入り口。

    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  • シシィ博物館及び皇帝の部屋、銀器コレクションの団体客入り口。個人客の方はドームの下に入り口があります。

    シシィ博物館及び皇帝の部屋、銀器コレクションの団体客入り口。個人客の方はドームの下に入り口があります。

    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  • 中庭側のミヒャエル門。門の両側にはヘラクレス像があります。これが中庭側のヘラクレス像、ミヒャエル広場側にもヘラクレス像がありますよ。

    中庭側のミヒャエル門。門の両側にはヘラクレス像があります。これが中庭側のヘラクレス像、ミヒャエル広場側にもヘラクレス像がありますよ。

    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  • 王宮のドームを下から見上げたところです。

    王宮のドームを下から見上げたところです。

    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  • ミヒャエル門。

    ミヒャエル門。

    ミヒャエル門 建造物

  • ミヒャエル門の一部をアップで。

    ミヒャエル門の一部をアップで。

    ミヒャエル門 建造物

  • ミヒャエル広場にある古代ローマ時代の遺跡。紀元1世紀頃の遺跡でウィンドボナのローマ軍駐屯地の騎兵舎の跡だそうです。

    ミヒャエル広場にある古代ローマ時代の遺跡。紀元1世紀頃の遺跡でウィンドボナのローマ軍駐屯地の騎兵舎の跡だそうです。

    ミヒャエル広場 広場・公園

  • ミヒャエル広場には大きな馬のオブジェがありました。何故馬なのか、近くにスペイン乗馬学校があるからなのか?考えても分からない。

    ミヒャエル広場には大きな馬のオブジェがありました。何故馬なのか、近くにスペイン乗馬学校があるからなのか?考えても分からない。

    ミヒャエル広場 広場・公園

  • ミヒャエル広場に面して立っているミヒャエル教会です。<br />1221年に建てられた教会ですが消失と改築を繰り返したため、ロマネスク様式とゴシック、バロック様式が混在した教会です。<br />

    ミヒャエル広場に面して立っているミヒャエル教会です。
    1221年に建てられた教会ですが消失と改築を繰り返したため、ロマネスク様式とゴシック、バロック様式が混在した教会です。

    聖ミヒャエル教会 寺院・教会

  • ミヒャエル広場とミヒャエル教会。

    ミヒャエル広場とミヒャエル教会。

    聖ミヒャエル教会 寺院・教会

  • ミヒャエル広場を取り巻く建物のうち中央は内務省の建物。右にわずかに見える建物はロースハウスです。

    ミヒャエル広場を取り巻く建物のうち中央は内務省の建物。右にわずかに見える建物はロースハウスです。

    ミヒャエル広場 広場・公園

  • 内務省の建物の1階はカフェになっていました。

    内務省の建物の1階はカフェになっていました。

  • そして有名なのがこのロースハウス。ミヒャエル門の向かい側に建つこの建物は装飾を排除した何の変哲もない建物だったため、世間から囂々たる非難を浴びて建設が一時中止されました。ウィーンの建築史上最大の問題作と評された建物ですが現在は銀行になっています。

    そして有名なのがこのロースハウス。ミヒャエル門の向かい側に建つこの建物は装飾を排除した何の変哲もない建物だったため、世間から囂々たる非難を浴びて建設が一時中止されました。ウィーンの建築史上最大の問題作と評された建物ですが現在は銀行になっています。

    ロースハウス 現代・近代建築

  • ミヒャエル門の全景。門の入り口には4体のヘラクレス像が置かれています。<br />これはヘラクレスの12の偉業を表しているのだとか・・・。

    ミヒャエル門の全景。門の入り口には4体のヘラクレス像が置かれています。
    これはヘラクレスの12の偉業を表しているのだとか・・・。

    ミヒャエル門 建造物

  • ミヒャエル広場を後にしてツアーの一行はコールマルクト通りを歩いていますが、写真は通りから振り返って写したミヒャエル門です。

    ミヒャエル広場を後にしてツアーの一行はコールマルクト通りを歩いていますが、写真は通りから振り返って写したミヒャエル門です。

    ミヒャエル門 建造物

  • コールマルクト通りはケルントナー通りに並ぶ繁華街。通り沿いには高級ブランドの店が沢山ありました。<br />写真は宮廷御用達菓子商デーメルの店。王宮に近いケーキ屋なので貴族や高級官僚が買いに来たそうです。特にシシィはこの店がお気に入り、毎日のように使いを出してデーメルのケーキを届けさせたそうです。

    コールマルクト通りはケルントナー通りに並ぶ繁華街。通り沿いには高級ブランドの店が沢山ありました。
    写真は宮廷御用達菓子商デーメルの店。王宮に近いケーキ屋なので貴族や高級官僚が買いに来たそうです。特にシシィはこの店がお気に入り、毎日のように使いを出してデーメルのケーキを届けさせたそうです。

    デメル カフェ

  • デーメルの看板をアップ。

    デーメルの看板をアップ。

    デメル カフェ

  • デーメルの店舗内の様子。写真は店の入り口から写したものです。

    デーメルの店舗内の様子。写真は店の入り口から写したものです。

    デメル カフェ

  • コールマルクト通りの様子。通りには高級ブランド店が並んでいます。

    コールマルクト通りの様子。通りには高級ブランド店が並んでいます。

    コールマルクト通り 散歩・街歩き

  • こちらは王宮を振り返った時のコールマルクト通りの様子。

    こちらは王宮を振り返った時のコールマルクト通りの様子。

    コールマルクト通り 散歩・街歩き

  • コールマルクト通りの様子。

    コールマルクト通りの様子。

    コールマルクト通り 散歩・街歩き

  • コールマルクト通りで目立っていたのがこの建物。<br />1階にある女神風の彫像が印象的で、まるでエジプトの神殿のようなイメージでした。

    コールマルクト通りで目立っていたのがこの建物。
    1階にある女神風の彫像が印象的で、まるでエジプトの神殿のようなイメージでした。

    コールマルクト通り 散歩・街歩き

  • この建物は6階建、どんな店が入っているんだろうか。

    この建物は6階建、どんな店が入っているんだろうか。

    コールマルクト通り 散歩・街歩き

  • 右隣りの建物はシャネル、この建物の彫像は秀麗でした。

    右隣りの建物はシャネル、この建物の彫像は秀麗でした。

  • 女神像をアップにしてみました。秀麗な像ですね。

    女神像をアップにしてみました。秀麗な像ですね。

  • コールマルクト通りからグラーベン通りへ。<br />この通りで目に着くのが手前の彫像と奥のペスト塔。

    コールマルクト通りからグラーベン通りへ。
    この通りで目に着くのが手前の彫像と奥のペスト塔。

    グラーベン通り 散歩・街歩き

  • グラーベン通りです。この通りも人通りが多いですね。

    グラーベン通りです。この通りも人通りが多いですね。

    グラーベン通り 散歩・街歩き

  • これは聖ヨセフ(ヨーゼフブルンネル)の噴水。八角形の台座を持つ噴水で銅像は聖ヨセフです。

    これは聖ヨセフ(ヨーゼフブルンネル)の噴水。八角形の台座を持つ噴水で銅像は聖ヨセフです。

  • グラーベン通りにあるペーター教会。教会内部の天井画が素晴らしいです。

    グラーベン通りにあるペーター教会。教会内部の天井画が素晴らしいです。

    聖ペーター教会 寺院・教会

  • ペスト記念塔。ペストの終焉を記念して建てられました。

    ペスト記念塔。ペストの終焉を記念して建てられました。

    ペスト記念柱 建造物

  • 記念塔をアップで。

    記念塔をアップで。

    ペスト記念柱 建造物

  • グラーベン通りがシュテファン広場に近付くに連れ、通りには人が溢れてきました。<br />ウィーンではグラーベン通りとケルントナー通りがシュテファン広場と交わるあたりに一番人が溢れ、旧市街で最も繁華な場所だと思います。

    グラーベン通りがシュテファン広場に近付くに連れ、通りには人が溢れてきました。
    ウィーンではグラーベン通りとケルントナー通りがシュテファン広場と交わるあたりに一番人が溢れ、旧市街で最も繁華な場所だと思います。

    グラーベン通り 散歩・街歩き

  • ドロテーアーガッセ(通り)の様子。この通りを真っ直ぐ進むとアルベルティーナがあります。

    ドロテーアーガッセ(通り)の様子。この通りを真っ直ぐ進むとアルベルティーナがあります。

  • シュテファン大聖堂が見えてきました。シュテファン広場まであと少し。<br />この風景を見ると「ああー、ウィーンに来たんだ。」って気になる。

    シュテファン大聖堂が見えてきました。シュテファン広場まであと少し。
    この風景を見ると「ああー、ウィーンに来たんだ。」って気になる。

    グラーベン通り 散歩・街歩き

  • シュテファン大聖堂とシュテファン広場です。<br />今日も広場は観光客で一杯。大聖堂の前はごった返すような状態でした。<br />見えているのがシュテファン大聖堂の南塔。1359年に完成した南塔は高さ136・44mで343の階段で上ることができます。

    シュテファン大聖堂とシュテファン広場です。
    今日も広場は観光客で一杯。大聖堂の前はごった返すような状態でした。
    見えているのがシュテファン大聖堂の南塔。1359年に完成した南塔は高さ136・44mで343の階段で上ることができます。

    シュテファン広場 広場・公園

  • シュテファン大聖堂の入り口ファザード。<br />シュテファン大聖堂は12世紀中頃にロマネスク様式で建てられました。その後13世紀から14世紀にかけてハプスブルク家のルドルフ4世の命により建物の主要な部分がゴシック様式に建て替えられました。<br />教会で最も古い部分が写真の正面入り口です。この入り口は13世紀後期ロマネスク様式で建てられました。

    シュテファン大聖堂の入り口ファザード。
    シュテファン大聖堂は12世紀中頃にロマネスク様式で建てられました。その後13世紀から14世紀にかけてハプスブルク家のルドルフ4世の命により建物の主要な部分がゴシック様式に建て替えられました。
    教会で最も古い部分が写真の正面入り口です。この入り口は13世紀後期ロマネスク様式で建てられました。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • 入り口アーチ部分の装飾です。

    入り口アーチ部分の装飾です。

  • 大聖堂身廊内の主祭壇。主祭壇はウィーンで最初に造られた最も重要な初期バロック様式の祭壇です。<br />大聖堂の内部は無料部分と鉄柵で囲まれた有料部分に分かれていて、主祭壇や説教壇がある身廊は有料部分になっていました。有料部分や塔などのチケット収入は現在行われている修復作業の費用に充てられているそうです。<br />今回のツアーは身廊部分の観光がガイド付きで組み込まれていました。ここに入るのは実に30数年ぶりです。<br />30数年前に訪れた時は無粋な鉄柵など無く教会内部は無料で観覧できました。最初見た時はただただ規模の大きさと天井の高さに驚くばかりでした。<br />この時は事前の調査不足で南塔や北塔に上れることも知らずに、身廊のみ観光しました。また自由行動で訪れたためどんな絵を見てどのような彫刻を見たのか全く記憶にありません。<br />ただ、カタコンベが地下にあるのでこれを見たかったのですが、妻との意見が合わずに断念したしたことを覚えています。<br />そういう点ではすでに3度訪れた教会でしたが新鮮な気分で観光できました。<br />

    大聖堂身廊内の主祭壇。主祭壇はウィーンで最初に造られた最も重要な初期バロック様式の祭壇です。
    大聖堂の内部は無料部分と鉄柵で囲まれた有料部分に分かれていて、主祭壇や説教壇がある身廊は有料部分になっていました。有料部分や塔などのチケット収入は現在行われている修復作業の費用に充てられているそうです。
    今回のツアーは身廊部分の観光がガイド付きで組み込まれていました。ここに入るのは実に30数年ぶりです。
    30数年前に訪れた時は無粋な鉄柵など無く教会内部は無料で観覧できました。最初見た時はただただ規模の大きさと天井の高さに驚くばかりでした。
    この時は事前の調査不足で南塔や北塔に上れることも知らずに、身廊のみ観光しました。また自由行動で訪れたためどんな絵を見てどのような彫刻を見たのか全く記憶にありません。
    ただ、カタコンベが地下にあるのでこれを見たかったのですが、妻との意見が合わずに断念したしたことを覚えています。
    そういう点ではすでに3度訪れた教会でしたが新鮮な気分で観光できました。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • 主祭壇の左右には立派な宗教画と彫像があり、荘厳な印象を際立たせていました。

    主祭壇の左右には立派な宗教画と彫像があり、荘厳な印象を際立たせていました。

  • 主祭壇をアップにしました。

    主祭壇をアップにしました。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • 主祭壇とステンドグラスを主に写真に収めてみました。

    主祭壇とステンドグラスを主に写真に収めてみました。

  • 主祭壇右のステンドグラスを拡大。

    主祭壇右のステンドグラスを拡大。

  • 同じく左のステンドグラスです。

    同じく左のステンドグラスです。

  • 主祭壇の上部の絵のアップ。

    主祭壇の上部の絵のアップ。

  • 主祭壇の祭壇画は「エルサレム城門の聖ステファニの投石による処刑」です。

    主祭壇の祭壇画は「エルサレム城門の聖ステファニの投石による処刑」です。

  • 「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の銘板がありました。<br />この教会は1782年8月4日にモーツァルトがコンスタンツェと結婚式を挙げた場所で、モーツァルトの葬儀が行われた場所でもあります。<br />ドイツ語で書かれているので内容は分かりませんが、葬儀が行われたのは1791年12月5日なのでこの銘板はそれらのことが記されているのでしょう。<br /><br />

    「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の銘板がありました。
    この教会は1782年8月4日にモーツァルトがコンスタンツェと結婚式を挙げた場所で、モーツァルトの葬儀が行われた場所でもあります。
    ドイツ語で書かれているので内容は分かりませんが、葬儀が行われたのは1791年12月5日なのでこの銘板はそれらのことが記されているのでしょう。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • パイプオルガンです。入り口の上段に据え付けられていました。

    パイプオルガンです。入り口の上段に据え付けられていました。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • ステンドグラスとパイプオルガン。ステンドグラスは綺麗でした。

    ステンドグラスとパイプオルガン。ステンドグラスは綺麗でした。

  • 身廊内左側の柱の一つにあるゴシック様式の精緻な石造りの説教壇。これはシュテファン大聖堂で最も有名な説教壇でアントン・ピルグラムの作と言われてきました。しかし現代では彼の作ではないと言われています。<br />説教壇上部には4人の教会博士、アンブロジウス、ヒエリニムス、ゴレゴリウス、アウグスティヌスが彫られています。<br />説教壇を支える支柱には12使徒が描かれていて、細部まで精緻な彫刻が施された素晴らしい芸術作品でした。

    身廊内左側の柱の一つにあるゴシック様式の精緻な石造りの説教壇。これはシュテファン大聖堂で最も有名な説教壇でアントン・ピルグラムの作と言われてきました。しかし現代では彼の作ではないと言われています。
    説教壇上部には4人の教会博士、アンブロジウス、ヒエリニムス、ゴレゴリウス、アウグスティヌスが彫られています。
    説教壇を支える支柱には12使徒が描かれていて、細部まで精緻な彫刻が施された素晴らしい芸術作品でした。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • 窓から身を乗り出すような仕草が実にリアルで素晴らしい。説教壇の下の装飾はとても精緻で、これが石で造られているなんてとても思えないほどの出来栄えです。<br />とにかくすごい、の一言。

    窓から身を乗り出すような仕草が実にリアルで素晴らしい。説教壇の下の装飾はとても精緻で、これが石で造られているなんてとても思えないほどの出来栄えです。
    とにかくすごい、の一言。

  • 説教壇の柱には12使徒が彫られています。この細い柱の彫刻もすごい。

    説教壇の柱には12使徒が彫られています。この細い柱の彫刻もすごい。

  • 説教壇の上段、教会の4博士の彫像。

    説教壇の上段、教会の4博士の彫像。

  • ピルグラムの説教壇。

    ピルグラムの説教壇。

  • ピルグラムの説教壇。

    ピルグラムの説教壇。

  • ヴィーナーノイシュタットの祭壇。<br />この祭壇は1447年にヴィーナーノイシュタットのベルンハルトシトー修道会のために作られました。その後ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世により寄進されたそうです。二重扉の両開きの祭壇としては最も古い祭壇の一つです。祭壇の中央は上段が聖母マリアの戴冠、下段は幼子イエスを抱くマリア、マリアの右には剣を持つカタリーナと左には塔を持つバルバラが控えています。<br />開かれた扉の両側には聖母マリアとキリストが描かれています。<br />左扉の上段には聖母マリアの戴冠、下段はイエスの生誕。右の扉の上段はマリアの死、下段は東方三博士の礼拝です。

    ヴィーナーノイシュタットの祭壇。
    この祭壇は1447年にヴィーナーノイシュタットのベルンハルトシトー修道会のために作られました。その後ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世により寄進されたそうです。二重扉の両開きの祭壇としては最も古い祭壇の一つです。祭壇の中央は上段が聖母マリアの戴冠、下段は幼子イエスを抱くマリア、マリアの右には剣を持つカタリーナと左には塔を持つバルバラが控えています。
    開かれた扉の両側には聖母マリアとキリストが描かれています。
    左扉の上段には聖母マリアの戴冠、下段はイエスの生誕。右の扉の上段はマリアの死、下段は東方三博士の礼拝です。

  • 南塔と教会南側面の様子。いずれも典型的なゴシック様式です。<br />覆いが欠けられている所が修復中の場所です。<br />反対側に北塔があるのですが北塔の高さは約68mで南塔のほぼ半分の高さしかありません。<br />当初は南塔と同じ高さの塔を建てる予定でしたが財政難のため途中で建設が中止されました。その後再び建設に着手されることは無く、ドームを付けて現在の形になったそうです。

    南塔と教会南側面の様子。いずれも典型的なゴシック様式です。
    覆いが欠けられている所が修復中の場所です。
    反対側に北塔があるのですが北塔の高さは約68mで南塔のほぼ半分の高さしかありません。
    当初は南塔と同じ高さの塔を建てる予定でしたが財政難のため途中で建設が中止されました。その後再び建設に着手されることは無く、ドームを付けて現在の形になったそうです。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • ですからシュテファン大聖堂の写真は南側から写した写真が多いのです。

    ですからシュテファン大聖堂の写真は南側から写した写真が多いのです。

  • 入り口ファザードの塔。同じ塔が北側にもあるのでシュテファン大聖堂の塔は合計4本です。

    入り口ファザードの塔。同じ塔が北側にもあるのでシュテファン大聖堂の塔は合計4本です。

  • 教会側面の装飾はゴシックらしくコテコテした印象。

    教会側面の装飾はゴシックらしくコテコテした印象。

  • 柱の彫像部分と窓枠の装飾部分のアップ。

    柱の彫像部分と窓枠の装飾部分のアップ。

  • 南塔の威容。

    南塔の威容。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • 教会で唯一残るロマネスク様式のファザード。

    教会で唯一残るロマネスク様式のファザード。

  • 横構図にしてファザードの写真をもう一枚。

    横構図にしてファザードの写真をもう一枚。

  • こちらが教会の北塔。ゴシック様式の塔が途中で無くなっていることが横からみると良く分かります。地面には建築資材が散乱していました。<br />これでシュテファン大聖堂の観光は終了、今から昼食会場のレストランに向かいましす。<br />昼食は中華料理とのこと。中華料理は珍しくもないですが、洋食ばかりのため有難いです。

    こちらが教会の北塔。ゴシック様式の塔が途中で無くなっていることが横からみると良く分かります。地面には建築資材が散乱していました。
    これでシュテファン大聖堂の観光は終了、今から昼食会場のレストランに向かいましす。
    昼食は中華料理とのこと。中華料理は珍しくもないですが、洋食ばかりのため有難いです。

    シュテファン大聖堂 寺院・教会

  • 旧市街にある中華料理店「中華閣」、ここが昼食会場でした。

    旧市街にある中華料理店「中華閣」、ここが昼食会場でした。

  • レストランの入り口です。<br />中華料理なので写真は撮りませんでした。普通の中華料理でしたが、懐かしさもあり美味しかったですよ。<br /><br />これでウィーンの旅行記は終わり、次はスロバキアの首都ブラチスラバの旅行記です。掲載までしばらくお待ち下さいますようお願い致します。<br />ところで新型コロナウイルスは終息しそうもありませんね。私は予約した欧州の旅行が全て催行中止になりました。現在夏の出発先を検討中ですがこれもどうなることか、これからの成り行き次第ですね。<br />旅行記に訪問下さり、ありがとうございました。<br />

    レストランの入り口です。
    中華料理なので写真は撮りませんでした。普通の中華料理でしたが、懐かしさもあり美味しかったですよ。

    これでウィーンの旅行記は終わり、次はスロバキアの首都ブラチスラバの旅行記です。掲載までしばらくお待ち下さいますようお願い致します。
    ところで新型コロナウイルスは終息しそうもありませんね。私は予約した欧州の旅行が全て催行中止になりました。現在夏の出発先を検討中ですがこれもどうなることか、これからの成り行き次第ですね。
    旅行記に訪問下さり、ありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • しゃんみーさん 2020/03/29 21:47:32
    フォルクス庭園綺麗ですね♪
    ポポポさん、こんばんは!

    スイスの旅行記かと思いきや、ウィーンが現れましたね~。
    実は私の最初のヨーロッパの旅行先、ウィーンだったんです♪
    クラシックコンサート聴くのも好きで、ウィーンに憧れていました。
    でも行ったのがクリスマスシーズンで綺麗なフォルクス庭園は観れなかったですね。。
    シュテファン大聖堂は、ウィーンのシンボルだけあって、さすがに素晴らしいですね。
    ゴシック様式、コテコテした印象ですが、レースのようで綺麗だなぁと思いました。

    私たちもウィーンで中華を食べました。中華レストラン、多いんでしょうかね(笑)

    新型コロナウイルスは、ますます感染拡大していますね。。。
    ポポポさんの旅行にも影響があったんですね。
    早く、収束に向かうことを祈らずにはいられませんね。
    私はしばらくは、4トラトラベラーさんたちの旅行記見ながら、次の旅行を夢見ることにします。
    またお邪魔します♪

    ポポポ

    ポポポさん からの返信 2020/03/31 15:54:01
    RE: フォルクス庭園綺麗ですね♪
    しゃんみーさん、こんにちは。
    フオローして下さりありがとうございました。私もフォーさせていただきました。

    > スイスの旅行記かと思いきや、ウィーンが現れましたね?。
    > 実は私の最初のヨーロッパの旅行先、ウィーンだったんです♪
    > クラシックコンサート聴くのも好きで、ウィーンに憧れていました。

    現在スイスと中欧ヨーロッパとエジプトの旅行記を同時に作成しているんです。そのため面食らわれたかもしれませんがご容赦ください。
    ウィーンは綺麗な街ですね。私も大好きで4回ほど訪れました。もしまた訪れる機会があればスペイン乗馬学校の馬の調教を見たいと思っています。

    > でも行ったのがクリスマスシーズンで綺麗なフォルクス庭園は観れなかったですね。。
    > シュテファン大聖堂は、ウィーンのシンボルだけあって、さすがに素晴らしいですね。
    > ゴシック様式、コテコテした印象ですが、レースのようで綺麗だなぁと思いました。

    クリスマスマーケットですね。綺麗だったでしょうね。私は寒いのが苦手なので 夏の方がいいかな。花が綺麗ですから。
    フォルクス庭園はバラの盛りの6月上旬くらいが美しいようですよ。それから阪急トラピックスは中華料理が多いのかも。ザルツブルグに行った時も中華料理店でした。でもそこの中華料理は美味しかった。また食べたいくらいです。

    > 新型コロナウイルスは、ますます感染拡大していますね。。。
    > ポポポさんの旅行にも影響があったんですね。
    > 早く、収束に向かうことを祈らずにはいられませんね。

    当面は国内旅行になりそうです。感染者の少ない県がありますのでそちらあたりに行こうかと考えていますが・・・。今後の成り行きしだいですね。海外は夏も厳しいかもしれませんね。
    それでは失礼します。

     ポポポ


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