2017/06/21 - 2017/06/29
1064位(同エリア4267件中)
ポポポさん
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プラハ城の観光を終えて城から続く王の道を歩いて下りました。その道はカレル橋を経由して旧市街の火薬塔まで続いています。
我々はカレル橋の袂から端に上がり、カレル橋を観光しました。カレル橋はプラハを代表する観光地のひとつ。橋の欄干にはイエス・キリストの磔刑像を始め30体の聖人像がありました。ボヘミアの守護聖人ヤン・ネポムツキーや日本人に馴染みが深いフランシスコ・ザビエルの像もありましたよ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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王の道を下って行くとトラムが入る電車道に出ました。しばらく道なりに進むと右に折れる分かれ道に出ました。トラムはそのまま直進して行きますが、我々はそこから右に折れて町中に入って行きました。
古い石畳の道で歴史を感じさせる通りでした。道を進んで行くと、通りの先に黒い石造りの建造物が見えてきました。その建造物がカレル橋で我々が歩いてきた古道が王の道、カレル橋へと続く道でした。 -
王の道を進んでいくとカレル橋の袂まで来ました。
橋のアーチを潜って向こう側に移動します。カレル橋 建造物
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それでは歩道に沿って橋の下を潜りますよ。
カレル橋 建造物
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カレル橋の袂にはヴルタヴァ川から分かれた水路がありました。この水路も橋の下を通っています。
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こちらは反対側の景色。マラー・ストラナ地区です。われわれの所から2つの塔が見えますが、この塔はマラー・ストラナ橋塔と呼ばれています。
小地区側の橋塔 建造物
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橋の下を潜り抜けると橋に上る階段がありました。そこから橋に上がれました。
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橋に上がると別世界の景色が広がっていました。橋の上からは橋塔や赤い屋根の住宅が見え景色は最高でした。
こちらはマラー・ストラナ方面。先ほど橋の下で見たマラー・ストラナー橋塔が2基見えています。カレル橋 建造物
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橋の上は大勢の観光客で溢れていました。
6月の欧州は旅行シーズンに入りましたが、カレル橋はすでにハイシーズンに入つているかのように賑わっていました。カレル橋 建造物
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プラハを流れるヴルタヴァ川です。スメタナの「わが祖国」モルダウはプラハを流れるブルタヴァ川を作曲したもの。
この川は遥かチェスキークルムロフを経由して流れているんです。
ブルタヴァ川には観光クルーズ船が何隻も行き交っていました。ヴルタヴァ川 滝・河川・湖
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写真に写っている橋の欄干の彫像は聖ルトガルディス像。
キリストの傷ついた足に接吻しようとする聖女のためにキリストが身をかがめている像で、橋の上の像で最も美しいと言われている像です。
この像がそんなに素晴らしい像なのかと気づいたのは後日になってから。これも事前の学習が不十分だったため。事前に知っていたら正面から写していたのにと残念至極。 -
カレル橋はプラハで最も観光客が集まってくる所でしょう。
短い間にも次々と観光客が押しかけてきます。 -
ヴルタヴァ川です。ドイツ語ではモルダウ川、我々はモルダウの方に親しみがあります。
日本ではスメタナの交響詩「わが祖国」の2楽章は「モルダウ」と記されていて「ヴルタヴァ」と書かれてはいません。
私もチェコに来て初めてモルダウがヴルタヴァだと知った一人です。
川面にはヴルタヴァ川のクルーズ船がかなりの数浮かんでいました。ヴルタヴァ川 滝・河川・湖
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カレル橋の聖人像越しのプラハ城。聖人像はだれか分からない。カレル橋の聖人像は黒くって誰が誰だか説明を受けないと分かりません。
プラハ城 城・宮殿
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プラハ城の瀬尾ヴィート大聖堂。写した場所が悪かった。手前の建物の屋根が主張しずぎ。
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再びヴルタヴァ川の流れ。ここプラハでは流れが非常に緩やかでまるで澱んでいるみたいでした。
ヴルタヴァ川 滝・河川・湖
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この像は分かりますよ。頭の5つ星と手に物つ十字架がこの聖人のトレードマーク。
聖ヤン・ネポムツキー像です。この像はこの橋の聖人像で唯一のブロンズ像なんだそうです。
そういえばどの像も黒い石の像でした。ただし石が黒いのではなく、酸性雨や大気の汚れで石が黒ずんでしまったのです。聖ヤン ネポムツキー像 モニュメント・記念碑
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こちらは像の正面。小首をかしげて浮かない表情にも見えます。
この像の注目する部分は像のした、基壇部分です。そちらに目を向けると・・・。聖ヤン ネポムツキー像 モニュメント・記念碑
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ピカピカになった場所がありました。これはキリスト教徒や観光客が手で触れた後。
聖ヤン・ネポムツキー像のこの部分を手でさすれば幸運が訪れるという言い伝えで、ここを訪れる誰もが、手で触れて行くのです。
そういうことで私もしっかりさすってきましたよ。旅の無事と好天を祈念して・・。
その甲斐あってかチェスキークルムロフとチェスキーブディヨヴィツェは曇り空で小雨も少々あったものの、あとは全て快晴でした。聖ヤン ネポムツキー像 モニュメント・記念碑
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聖ノルベルト、聖ヴァーツラフ、聖ジギスムント像。
聖ノルベルトとは聖ノルベルト司教のこと。キリスト教徒以外の日本人にはなじみが薄い聖人だと思いますのでその人となりを簡単に・・・。
ノルベルトはドイツのゲンネブの裕福な貴族の家に生まれ、若い時は欲望のおもむくまま放蕩三昧の生活を送っていました。
25歳の時、馬に乗って郊外に出かけた時に突然激しい雷雨に逢い、雷に打たれて大地に叩きつけられました。
その時天から神の声が・・・。「悪事を止めて良きことをしなさい。平和を探し求めて、それに従いなさい。」と。かれはキリストの声を聴いたのです。
その瞬間から彼は回心し、宮廷を去って修道院に入りました。
信仰の道に入り1115年に司祭になると、フランス・ドイツで布教活動に従事しました。しかし若い頃の彼の行状を知るものは彼の言葉を信用せず、迫害したり偽善者として告訴までしました。彼はこれらのことにも耐えついに教皇からどこでも布教してよいとの許可を得るまでになりました。
そして1120年、プレモントレ修道院を創設し神の教え広め、ついにはマグデブルグの大司教となって生涯を神に捧げました。
聖ヴァーツラフはチェコの守護聖人、国王ヴァーツラフ1世のことです。
聖ジギスムントはブルグント王のジギスムント。カトリックおよび正教の聖人だそうですが、像の主がはたしてその人物かどうかはキリスト教徒ではない私にはしかとは分かりません。
ジギスムントという名の王や大公は幾人もいるからです。ただし聖人はこの人だけでした。
ブルグント王国とは現在のフランスローヌ川沿いに存在した王国でしたが534年にフランク王国に滅ぼされました。 -
日本人には馴染みのあるフランシスコ・ザビエル像。
像が黒くすすけていて分かりにくいのですが、彼を支えているのは彼が布教したアジアの人々です。フランシスコ ザビエル像 モニュメント・記念碑
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カレル橋から眺めたプラハ城。旧市街近くになると、このように城全体の景色が見えるようになりました。
プラハ城 城・宮殿
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旧市街の方に目を移すと旧市街の橋塔が近くに見えてきました。
旧市街橋塔 建造物
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再びヴルタヴァ川とプラハ城の風景です。
この辺り(聖アンナ、聖母とみどり児像)まで来ると城の全景が見れます。プラハ城 城・宮殿
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これが聖アンア、聖母とみどり児像。この辺りは景色がいいですよ。といっても写した景色はプラハ城ばかり。もっと周囲の景色を写真に写祖ておけば良かったと反省しています。
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少し斜めから・・・。顔が影になってしまった。
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橋を行き交う観光客。
カレル橋 建造物
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橋を行き交う観光客。
カレル橋 建造物
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ブロンズの十字架像(受難の像)。
カレル橋ができた当時は橋の欄干には木製の十字架しかありませんでした。しかしその十字架はスフ戦争で破壊されたので新しい物に取り換えられました。その後1629年、30年戦争の時スウェーデン軍に破壊されたため、現在の磔刑の十字架が取り付けられ、1861年委両脇の2つの石像(聖母マリアと聖ヨハネ)が付け加えられて現在の姿になりました。また他の像は17世紀から19世紀にかけて造られました。受難の像 モニュメント・記念碑
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橋から見たプラハ城。
橋から眺めたプラハ城が美しいので、何枚も写真を撮ってしまいました。 -
こちら旧市街側の橋塔とその周辺の景観。
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橋塔の下です。中央に写っているのは橋の端にある聖母と聖ベルナルドス像。
後ろの建物は聖フランティスク教会です。 -
旧市街側の橋塔。
橋塔には上れます。4月から9月の間は夜10時まで上れるんです。これも後から知ったこと。私は夜この橋まで夜景を見ようとここまで来たんですよ。なのにこの塔に上っていない(泣)。全ては旅行前の調査不足にあり。泣くに泣けないとはこのとこです。
またプラハに来る機会があるのかな。プラハの単独ツアーなんてないしな。旧市街橋塔 建造物
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橋塔を通り抜けると見えてきたのが聖サルヴァトール教会。
教会の右側の道がカレル通りで、その道を進めば旧市街の中心部に行けます。聖サルヴァトール教会 寺院・教会
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聖フランティスク教会前にあるカルレ4世像。
カレル4世の像 モニュメント・記念碑
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聖サルヴァトール教会前の広場はプラハ城の全景を見ようと多くの人が集まっていました。
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広場から眺めたプラハ城がこの写真です。橋の上から見るのとは少し視点が違うのですが、私はこちらの方がいいと思います。
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カレル通りです。この通りを進んでいくと旧市街の中心である旧市街広場にでます。そこには旧市庁舎の塔があるんですが、その塔に上ろうと計画しています。
ボヘミアンガラスの店でショッピングの後1時間自由行動があるんです。自由行動は旧市庁舎の塔に上ろうと決めていたんです。そのため「まほうのベル」さんの旅行記は何度も読ませていただきました。
ベルさん、もう少しで貴女が行かれた旧市庁舎の塔に私も上りますよ。カレル通り 散歩・街歩き
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ここ間違いやすいので写真に撮っておきました。曲がるのは右の道。左に行くと全然別の所に行ってしまい迷子になるよ。
カレル通り 散歩・街歩き
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通りにはこんな物も。ロシアのファベルジェ(イースターエッグ)です。
奇麗だから写したと思いますが、こんな店があったとは。全然覚えていない。
スワロフスキーの店は憶えているんだけど。 -
途中にはこんな広場(小広場)がありました。左の道はユダヤ人街に行く道です。
旧市街広場に行くには右に進みます。 -
旧市街が見えてきました。でも一番最初に目に止まったのが旧市庁舎の塔。
なんと万年時計がある旧市庁舎の塔は工事中。ギエー、こんなはずじゃなかったのに。
予想もしない無残な光景に言葉が出ませんでした。これじゃ塔に上れそうもないな。
ショックで目も虚ろ、この塔に上るのを楽しみにしていたのに・・・。プラハ旧市庁舎の塔 建造物
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期待していただけにこの光景はあまりにも無残でした。でもまだ上がれないと決まった訳ではありません。一分の望みの掛けて自由行動時に訪ねてみましょう。
天文時計は旧市庁舎の塔の下にあります。二つの円形の盤で上の盤は地球を中心として回っている太陽と月とその他の天体の動きを示しており、年月日と時間を示しながら1年かけて一周します。下の盤は円の内側が黄道12宮、外側は農村の四季の作業を描いた暦です。
上の盤の両側には合計4体の人形があり、虚栄心、貧欲、死神、異教徒の侵略という4つの恐れを、下の盤の両側には歴史記録者、天使、天文学者、哲学者を表しています。
毎時丁度には時計の仕掛けが動き出し一番上部の天使の両横の窓が開き、そこから12使途が現れては消えていくのだそうです。
仕掛けが終わると同時にトランペットの音がして終了だそうですが、時間が合わずこの仕掛けは見れませんでした。天文時計 建造物
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天文時計の下、旧市街広場の手前の道は人だかりでごった返していました。
正面に見えるのはティーン教会です。ゴシック様式の教会ですが、元々は外国商人たちの宿泊所に付属する教会で、今の姿に改築されたのは1365年のこと。
2本の塔は高さが80メートルだそうです。この教会は15世紀前半にはフス派の本拠地として機能していました。
ティーン教会の左隣にある建物は石の鐘の家。14隻に建てられたゴシック様式の建物です。ティーン教会 寺院・教会
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石の鐘の左隣にある建物はキンスキー宮殿。
ロココ様式の建物で国立美術館として使用されている。この建物はアジア美術の展示室になっています。
私が訪れた時は歌舞伎の特別展のポスターが入り口に貼ってありました。(歌舞伎と言っても演芸ではなく、歌舞伎を題材とした浮世絵や外題の本、意匠などの展示でした。)ゴルツ キンスキー宮殿 城・宮殿
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旧市街広場にあるヤン・フス像。
ヤン・フスはチェコにおける宗教改革の先駆者です。敬虔なキリスト教徒でプラハ大学の学長となり、プラハのベツレヘム礼拝堂で説教師も勤めていました、
民衆にはチェコ語で分かりやすい説法を行ったので幅広い層から支持を受けていまたそうです。
免罪符や堕落した聖職者、教会の概念や教義の解釈の相違などで激しくローマカトリック教会と対立しました。
教会の分裂を収束させ教会を正常化させるため、神聖ローマ皇帝兼ハンガリー国王ジギスムントはコンスタンツ公会議を開催、この会議にフスも招待されました。会議中フスの身の安全はジギスムント国王によって保障されるはずでしたが、司教ら高位の聖職者に拘束され地下牢に幽閉されました。
これを聞いたジギスムントは激怒し高位聖職者を解任しようとしましたが、これにより会議が解散されることを恐れ黙認してしまいました。
会議の席上フスは自己の信念を曲げず教皇と教会の権威を批判したため、異端との審判が下され1415年7月6日に火あぶりの刑に処せられました。
ヴァーツラフ4世の死去の後、ジギスムント(ヴァーツラフ4世の弟)がボヘミアを相続するとボヘミアのフス派は反抗的になり、これを抑えようとジギスムントが起こしたボヘミア制服の十字軍との間にフス戦争が勃発しました。ヤン フス像 モニュメント・記念碑
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キンスキー宮殿です。
旧市街広場の周りの写真を撮ったところでツアーではお約束の買い物タイム。
ボヘミアンガラスの店で製品の製造工程と代表的な作品の紹介があり、買い物タイムスタート。店舗は天文時計の真向かいでErpet Crystal 「Porcelain」という名前。
ここでは冷たいジュースをいただき、無料トイレを利用しました。
店内(写真は撮っていません。)のお客は我々日本人に中国人、韓国人と台湾人、東アジアの人たちばかりでした。店員さんはチェコ在住の日本人が対応、中国人ツアー客は中国人の店員さんというように各国の店員さんを揃えているらしいが、ボヘミアンガラスは高価で手が出ない。ここは見るだけと決め込みました。
ツアーの奥様方に人気だったのはボヘミアンガラスの爪やすり。高級品は全く売れていません。
38年前は高価なブランド品がバンバン売れていたのに、日本人も変われば変わるものだなとしばし昔の思いに耽る。
方や中国人の方はボヘミアンガラスの高級品がバンバンバンバン売れている。見ていてもすごい、中国人パワーはチェコでも健在。チェコのGNPにここでも貢献しているのね。圧倒されました。中国人って、いつこんなに金持ちになったんだろう。
再集合の時間と場所が決められたのでここからは自由行動。買い物タイムの途中にエスケープしました。ゴルツ キンスキー宮殿 城・宮殿
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まず最初に訪れたのは天文時計、ではなくて旧市庁舎。
塔に上るため旧市庁舎に行くと入口が開いていました。中に入りチケット売り場に行くと誰もいません。職員はもちろん観光客もいないのです。
売り場の前をうろうろしていると、中年の男性が出てきました。その男性に塔に上りたいと言うと、「クローズ」との回答が返ってきました。
「クローズ?」「そう、クローズ。塔には上れない。」工事中で上れないそうです。塔に上るのを楽しみにはるばる日本から来たのに大ショック。がっかりしました。
私が落胆していると「何処から来たのか?」と問うので「日本、日本人だ。」と回答。
「日本人か。塔には上れないが、ガイドツアーで旧市庁舎は見れるよ。」と教えてくれました。というかいくつかの単語でそのように理解したんです。
有難かったがガイドツアーで観光するよりは町歩きをしたいので丁重にお断りして外に出ました。
ところが急いで出たため旧市庁舎の内部の写真を撮り忘れてしまいました。天文時計 建造物
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広場から見た旧市庁舎の塔。塔は全面改修、旧市庁舎の東壁も修復中です。
この状況では塔には上れないだろうなとある意味納得。エレベーターもこれでは動かないでしょうね。
仕方がありません。再び訪れる機会があればその時に挑戦したいと思います。
では気持ちを切り替えて、街歩きをしましょう。
まずは旧市街広場の周辺から。プラハ旧市庁舎 建造物
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フス像の後ろ側。フスの周りにはフス派の戦士たちの像がありました。
ヤン フス像 モニュメント・記念碑
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旧市庁舎広場北側の建物とキンスキー宮殿と同じ並びの東側の建物。
旧市街広場 広場・公園
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北側の建物群。私はこれらの建物が気に入りました。
特に中央の建物、チェコの国旗とユーロの国旗があります。グーグルで調べたら地域開発省の建物でした。旧市街広場 広場・公園
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気に入った建物なのでアップにしてみました。最上階の壁画と彫像が素敵です。
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再び建物の全景写真です。
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キンスキー宮殿と少女たち。
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少女たちを少しアップにして写したらピンボケになってしまいました。
当日のプラハではこのような少女や少年たちのグループを沢山見ました。スタイルが良くて皆が同じ髪型。
中には色白で美形ぞろいの少女たちもいました。なんでプラハにはこんなに奇麗な娘が多いんだろうかと思いましたが、謎は夕方解けました。 -
広場に面して建っている聖ミクラーシュ教会。
この教会はバロック様式です。観光は外観のみにして先を急ぎましょう。聖ミクラーシュ教会 寺院・教会
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プラハ旧市街の石畳です。写真では分かり難いのですが、プラハの石畳はかなり波打っており、非常に凸凹しています。
つまり四角い石が窪んでいたり浮き上がつていたりと、凹凸が激しいので歩くと足が疲れます。
足に負担が来ると凸凹の衝撃で腰に負担が来て、腰が痛くなりました。治まっていた腰痛がぶり返すのではないかと不安を抱えながらの町歩きでした。
私の経験では欧州の町のなかで、ここプラハが一番歩き難かったと思います。
そのため町歩きは市民会館までの往復でしたがかなり時間がかかってしまい、他の建物を見に行くことができませんでした。 -
旧市街広場に面した北側の建物群を聖ミクラーシュ教会前から見た様子。
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旧市庁舎の塔です。旧市庁舎の隣は木が茂りその側は芝生になっていますが立ち入ることができないように鉄柵がしてありました。
この芝生の部分と木立のある空き地には以前は建物が建っていたのですが、第二次世界大戦中にドイツのナチスに破壊されました。その記憶を忘れないようにわざわざ空き地にしてあるんだそうです。プラハ旧市庁舎の塔 建造物
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旧市街広場とティーン教会、キンスキー宮殿。
旧市街広場 広場・公園
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旧市街広場に面した建物群。
旧市街広場 広場・公園
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旧市街広場の石畳。ここもけっこう波打っているんですが写真では分かり難いです。
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ティーン教会の前の建物はティーン学校。ゴシック様式のアーケードとルネッサンス様式の飾り屋根があるそうです。
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旧市街広場から細い路地を抜けてツェレトゥナー通りに出て火薬塔にむかいました。
写真はツェレトゥナー通りに建っている火薬塔です。
火薬塔は1475年に建てられたゴシック様式の建物で、旧市街を囲んでいた城門の一つです。17世紀に火薬倉庫として利用されたため火薬塔と呼ばれるようになりました。火薬塔 (火薬門) 建造物
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町中に黒く佇んだ姿は印象的でした。
火薬塔 (火薬門) 建造物
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火薬塔を抜けて左に見えてきた建物が市民会館です。
市民会館 建造物
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市民会館の入り口ファザード。市民会館の敷地には元王宮があったのですが17世紀後半の火事で焼けてしまい、1911年にその跡地に建てられたのが現在の市民会館です。市民会館は新しい建物だったのですね。
内部はムハ達チェコの芸術家の手によって描かれたアールヌーボーの装飾が施されているそうです。
内部の観光はガイドツアーのみ、しかも1日1~4回なので外観のみ観光しました。
ファザードは壁画や装飾で飾られていました。建物の外観は豪華でしたよ。市民会館 建造物
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バルコニーと壁画部分のアップです。美しい建物ですね。
市民会館 建造物
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市民会館と隣の黒い火薬塔は新旧の建物の揃い踏み。
市民会館 建造物
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市民会館の外壁は豪華なため、多くの観光客が見物に訪れていました。
旧市街の観光はここまで、集合時間が迫っているので天文時計のところまで帰らないといけません。
せめて半日自由時間が欲しいところです。せっかくプラハに来たのに、建物はほとんど見ていません。ここは建築博物館の町ともいわれていて、各種の建築様式の建物があるんです。
もっと見たかったな。市民会館 建造物
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1時間の自由行動が終わり、天文時計の前に集合した我々はパリ通りを通ってチェコ橋に向かいました。
パリ通りはユダヤ人地区にある通りで、通りの両側にはブランドショップが並ぶ高級感溢れる通りでした。
ユダヤ人地区はユダヤ人のゲットーで、ユダヤ人はこの地域に押し込まれてキリスト教徒から迫害を受けました。ナチス・ドイツの占領下ではユダヤ人狩りで集められたユダヤ人が一旦ここに集められ、各地の強制収容所に送られていきました。
現在もこの地にはシナゴークが残っています。
地図で見るとパリ通り沿いにもシナゴークがあるのですが、添乗員の先導で先を急ぐ我々はどこにシナゴークがあったのか分かりませんでした。ガイドさんはボヘミアンガラスの店で帰ってしまったので案内してくれる人もいませんでした。
写真はチェコ橋から写したプラハ城です。プラハ城 城・宮殿
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ヴルタヴァ川とチェコ橋と旧市街。
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ヴルタヴァ川とチェコ橋の風景。
ヴルタヴァ川の畔で観光バスを待ち、今宵宿泊する郊外のホテルに向かいました。
次回は夜のプラハ観光をお送りします。
拙い旅行記に訪問いただき誠にありがとうございました。
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