2017/06/21 - 2017/06/29
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ポポポさん
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いよいよプラハ城の観光です。通常のツアーではプラハ城の入場観光はありませんが、今回のツアーでは聖ヴィート大聖堂・旧王宮・聖イジー教会は入場観光でした。
プラハ城は城郭や城塞というイメージはなく城壁もありません。小高い丘の上に造られたおおきな協会があつ館というイメージでした。
プラハ城の中心をなすのは何といっても聖ヴィート大聖堂です。大聖堂の中のステンドグラスは大変美しかったです。特にムハ(ミュシャ)のステンドグラスは色彩が華やかで素晴らしいと思いました。
ツアーでは聖ヴィート大聖堂に入場観光しないものが多いのですが、大聖堂は入場間していただきたいと思います。わざわざプラハ城まで行って入場観光しないのはお金をどぶに捨てるようなものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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プラハ城の前に建っているシュバルツェンベルク宮殿。
壁はスグラフィット装飾で描かれたルネッサンス様式の宮殿です。現在はプラハ国立美術館を構成する建物の一になっています。。国立美術館(シュヴァルツェンベルク宮殿) 博物館・美術館・ギャラリー
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壁はスグラフィット装飾によるだまし絵。軒の緻密な装飾が見事でした。
国立美術館(シュヴァルツェンベルク宮殿) 博物館・美術館・ギャラリー
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シュバルツェンベルク宮殿の真向かいにあるのが大司教宮殿です。
写真は大司教宮殿ファザード、大司教宮殿の奥にはシュテルンベルク宮殿があり現在はプラハ国立美術館の本館になっています。
こちらの美術館では古典からバロック時代までの西欧美術を展示しているそうです。
所蔵する作品にはエル・グレコ、ルーベンス、ゴヤ、レンブラント、デューラーなどがあるそうですが、今回は鑑賞する時間がありません。大司教宮殿 城・宮殿
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プラハ城の正門と建物が見えます。ここは正門前のフラッチャニ広場。
プラハ城 城・宮殿
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プラハ城の正門です。門の上に筋肉もりもりの彫像がありますがこれは「戦う巨人たち」。18世紀後半にイグナーツ・プラツェルによって作られました。
ただし現在見られるのは20世紀初頭に作られた複製なのだとか。本物はどこかの美術館に収蔵されているんでしょうね。
門の両側には衛兵がいましたよ。衛兵の交代式は正午に音楽隊のファンファーレが鳴って行われるそうです。プラハ城 城・宮殿
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直立不動の衛兵は観光客の写真の的、でもサングラスを掛けていました。
これじゃイケメンかどうか判断できないよ。衛兵さ~ん、サングラス取ってよ。そんな若い女性の声が聞こえてきそうです。
確かに夏の日差しを浴びると眩しそう。目を保護しないと早く白内障になってしまうかもね。
しかし、サングラスを掛けた衛兵さんは初めて見ました。ロシアでも、ポーランドでも、ハンガリーでも、スペインでも、タイでも衛兵はサングラスしていなかったな。
ここはよほど日差しが強いのかな。 -
入り口門に連なる門柱の彫像。
プラハ城の正門は先ほどの衛兵が建っていたところですが、ここからは城に入場できません。
左の建物の奥に進んだところでセキュリティ検査があり、空港と同じように手荷物検査と身体の保安検査を受けて入場します。
ハイシーズンになればここはごった返すと思います。多分長蛇の列ができるでしょう。プラハ城 城・宮殿
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セキュリティ検査を終えて入って来た所は第二の中庭。ちなみに第一の中庭は正門から入ったところです。
第二の中庭には噴水があり、周囲を王宮の建物で囲まれていました。中庭はかなり広い空間でした。プラハ城 城・宮殿
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バロック様式のコールの噴水。奥の建物は大統領府です。
コールの噴水 建造物
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色石が敷き詰められた中庭の様子。
プラハ城 城・宮殿
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中庭にある聖十字架教会。ここには聖ヴィート大聖堂の宝物が保管されていて、見学することができます。
後ろの建物には大統領執務室があります。建物右上の屋根のポールに国旗がはためいている時は大統領が執務中ですので、今日は大統領が在室されています。聖十字架教会(アトリウム ツィズコフ) 劇場・ホール・ショー
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第三の中庭に入ると他を圧倒するような建造物が聳え建っていました。
これが聖ヴィート大聖堂です。建物が大きすぎて、塔も高すぎて聖堂のファザードは写真のファインダーに収まりません。本当にどでかい建物です。
聖ヴィート大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイテフ大聖堂」で3人の聖人の名前を冠したプラハ大司教の司教座聖堂です。
925年、ボヘミア公国のヴァーツラフ1世によりロマネスク様式の教会として建てられましたが、1344年ボヘミア王カレル1世兼神聖ローマ皇帝カレル4世の命によりゴシック様式による改築が始められました。
しかし、フス戦争による建設の中断やフス派の聖像破壊運動による内装の破壊、資金不足による中断、1561年の大火など紆余曲折を経て完成したのは20世紀になってからでした。実に完成まで600年の歳月を要しました。
この大聖堂は奥行き124m、幅60m、ファザードの塔の高さは82m、中央の塔の高さは99mあり、内部は見事なステンドグラスで飾られています。
聖ヴィート大聖堂は後期ゴシック様式の発展に大きな影響を及ばしました。ウィーンのシュテファン大聖堂やストラスブール大聖堂など中欧の多くの教会の建築に影響を与えました。
大聖堂の入り口は西側、ファザードの上部には大きなバラ窓があります。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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入り口中央扉の上の半円にはキリストの受難(キリストの磔刑)が刻まれていました。
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こちらは中央扉の横の半円尾レリーフです。
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聖ヴィート大聖堂へ入場する大行列。行列の最後は遥か後ろでした。
この時期にこの行列ですからハイシーズンはさぞかし混んでいることでしょう。 -
聖堂内でまず目を引いたのが繊細で美しいステンドグラスです。
大聖堂の入り口付近は無料で見れますが、中に入るには有料です。ステンドグラスがあるところはすでに有料の区域でした。
この聖堂は左側から時計回りに一方通行で観光するよう順路が決まっています。そのため途中から引き返したりはできないので個人で観光される場合はゆっくり時間をかけて見学されるほうがいいと思います。
写真を撮るのを忘れても引き返すことができません。流れに逆らって逆行すれば係員に注意されます。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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このステンドグラスも素晴らしい。
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入り口左から3番目のステンドグラスはアールヌーボーの巨匠アルフォンス・ムハ(ミュシャ)が制作した「聖キリルと聖メトディウス」です。
このステンドグラスはチェコ最高の最高傑作と言われています。
ムハのステンドグラスは聖堂内の他のステンドグラスと比べて大きいガラスが組み合わされていることが特徴です。
一番上に描かれているのはキリストの姿、その下には女性と思われる3人の姿。これはマリアと良ばれていた3人の女性なのか?
その下には左に修道服を着た聖キリル、右に冠をかぶった聖メトディウスが描かれています。
聖キリルの左側二列には聖キリルの生涯と二人の布教活動が描かれており、聖メトディウスの右に列には聖キリルの死後一人で布教活動を続ける聖メトディウスの生涯が描かれています。
では、聖キリル側一番上から。二人が東ローマ皇帝からモラヴィアに派遣され、布教を行っているところ。当時モラヴィア王国は東ローマ帝国にキリスト教宣教師の派遣を要請していたのです。
次は二人が聖書のスラブ語訳に取り組んでいる場面。
3番目、二人はローマ教皇ニコラウス1世からローマに招かれました。二人がスラブ語に翻訳した聖書が一部の聖職者から批判を浴び論争になったためでした。
二人は聖クレメンスの聖遺物を携え弟子を伴ってローマに向かいました。
4番目、868年二人はローマに赴き教皇ハドリアヌス2世に謁見、モラヴィアでの布教活動を報告しました。結果教皇は二人を支持し、モラヴィアでの活動が認められスラブ語による典礼も公式に認められました。
5番目、教皇から公式に活動を認められた聖キリルでしたが、病が彼の体を蝕んでいて翌年869年2月に死亡しました。以後布教活動は兄のメトディウスに引き継がれました。
右側は制聖メトディウスの生涯です。
1番目、聖メトディウスはモラヴィアに戻り再び布教に専念しました。
2番目、聖メトディウスは礼拝など典礼時のスラブ語使用を積極的に認めてボヘミア公までもキリスト教に改宗させました。
3番目、それでもドイツ人宣教師やフランク王国などはラテン語典礼に固執しスラブ語の典礼を禁止しようとしました。これは布教を進める聖メトディウスにとって悩みの種でした。この問題を解決すべくローマに支援を求めました。
4番目、ローマ教皇ヨハネス8世は聖メトディウスの功績を認めるとともに、メトディウスが活動しやすいようにモラヴィア・パンノニア・セルビアの大司教に任命しました。
5番目、聖メトディウスは大きな足跡を残してボヘミアに戻り、惜しまれながらその地で眠りにつきました。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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光が当たる中央部分の拡大です。中央部分4人の人物がこのステンドグラスの主要人物です。
左上の修道服の男性が聖キリル、聖キリルの右隣の白い顎鬚をした冠をかぶった男性が聖メトディウス。
この二人はギリシア人の兄弟で、860年代に聖書のスラヴ語訳を完成させモラヴィア地方にキリスト教を伝えた人物です。
メトディウスの下、赤い服の少年はチェコの守護聖人若き日の聖ヴァーツラフ、ヴァーツラフの左はヴァーツラフの祖母聖チュドミラです。 -
さらに拡大すると絵柄の1枚当たりのガラスが大きいことが分かります。
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もっと拡大してみましょう。どうでしょうか、割と大きなガラスが使用されていることが理解できると思います。
聖堂内の他のステンドグラスは小さめのガラスが多数使用されているので、他のステンドグラスと比較してみてください。 -
この絵の部分なども大きなガラスが使用されています。
ムハのステンドグラスは色の使用が絶妙で大変美しいです。さらにステンドグラス全体を絵画的手法で制作していることが如実に分かります。
例えば光と影の手法を用いて中央に光を当て、人物を浮かび上がらせています。
中央下にはステンドグラス制作に資金提供した「BANKA SLAVIE(スラヴ保険銀行)」の名前が書かれていました。
大司教区大聖堂のステンドグラスに企業名があることは大変珍しいことです。
大聖堂は戦争や他国に支配を受けたため建設が600年滞りました。19世紀半ばになって汎スラブ主義民族運動の高まりとともに一般チェコ人たちの寄付がよせられてようやく大聖堂建設が進みはじめました。
早くから保険証券にムハ(ミュシャ)がデザインした「SLAVIA」を使用していたスラヴ保険銀行は大聖堂のステンドグラスのために多額の寄付をしました。
これに対してチェコ国民は「BANKA SLAVIA」と記名して感謝の気持ちを現したので企業名がある珍しいステンドグラスとなったのでした。 -
左測廊の壁を飾るステンドグラスが続きます。
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大聖堂内のステンドグラスの様子。
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ムハ(ミュシャ)以外の作家が手掛けたステンドグラスはいすれも細かなガラスをいくつも組み合わせた繊細な作品になっているので、ムハの作品は他と一線を画した作風といえましょう。
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主祭壇です。主祭壇の前にはハプスブルク家の霊廟が安置されていました。
16世紀前半からハプスブルク家の支配を受けていたので、その支配の名残がこの霊廟なのでしょう。
なお、地下には納骨堂がありカレル4世、バーツラフ4世、ルドルフ2世はじめ歴代ボヘミアの王が安置されています。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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主祭壇上部のステンドグラスをアップにしてみました。
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さらにアップにしました。ステンドグラスの画題はキリストの降架と思われます。宗教画の三連祭壇画の構成で、中央に十字架から降ろされたイエスキリストを神が支える図を配し、左に聖母マリアを含む3人のマリアを、右にはモラビア公国の王と思しき人物を配した構成になっています。
イエス・キリストの左脇腹にはロンギヌスの槍で突かれた跡があり、両手の掌や両足には十字架に釘で打ち付けられた跡があるので、これはイエス様が十字架から降ろされたばかりの場面であると推測できます。 -
ゴシック様式の天井と主祭壇のステンドグラス。
聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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主祭壇の前にはハプスブルク家の霊廟がありました。
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横から見たハプスブルク家の霊廟。
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反対側(右側廊)のステンドグラス。こちらのステンドグラスも素敵です。
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右側廊のステンドグラス。
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左側廊の礼拝堂。この礼拝堂のステンドグラスも素晴らしい。
聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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ステンドグラスをアップで。
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別の礼拝堂のステンドグラス。
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このステンドグラスは非常に緻密です。
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聖ヴィート大聖堂にはステンドグラスの宝庫。秀麗なものが多かったです。
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バラ窓は「天地創造」の場面を表しているそうですが、訪れた時は工事中で全体がネットで覆われており、ステンドグラスの模様は把握できませんでした。
なお、このステンドグラスには2万7千個のガラスが使用されているそうです。 -
主祭壇の横まで進んできました。側廊の礼拝堂やステンドグラスは立派なものが多いのですが、それに比べれば主祭壇は質素に見えました。
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再び礼拝堂とステンドグラス。
聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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このステンドグラスも美しいです。
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主祭壇の左にあるのは聖ヤン・ネポムツキーの墓碑です。
1729年に聖人に列せられた「ヤン・ネポムツキー」を称えて制作されました。
優雅な天蓋に覆われた墓碑を飾るのは十字架を持つ「ヤン・ネポムツキー像」、天幕を支えているのは銀の天使像です。
この墓碑には2トンもの純銀が使用され,フィッシャー・フォン・エルラーハらによって作られました。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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聖ヤン・ネポムツキーはボヘミアの聖人で頭の5つの星と手に持つ十字架で表されます。
そのため数字の5はヤン・ネポムツキーの象徴です。それには言い伝えがあり、それは聖ヤン・ネポムツキーがボヘミア王ヴァーツラフ4世の怒りをかって殉教し、ヴルタヴァ川に遺体を投げ捨てられた時、空に5つの星がまたたいていたという伝説やキリストの磔刑時の聖痕(5つ)を象徴するとも言われています。 -
それでは聖ヤン・ネポムツキーちはどのような人だったのでしょうか?
先ほど記述したようにボヘミアの聖人として崇められています。
ネポムク(南ボヘミアの地名)のヨハネでヤン・ネポムツキーとも呼ばれています。14世紀のボヘミアの司祭で、ボヘミア王ヴァーツラフ4世とカトリック教会との対立に巻き込まれ、王の怒りをかって拷問を受け死亡(殉教)しました。遺体はカレル橋からヴルタヴァ川に投げ捨てられました。
この王の怒りは、国王ヴァーツラフ4世が王妃の不貞を疑った時、ヤン・ネポムツキーがどんなに脅されても王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだからだといわれています。 -
聖ヤン・ネポムツキー像をアップで・・・。
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墓碑の土台を支えているのは天使と騎士。
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聖ヴァーツラフ礼拝堂です。ここには守護聖人ヴァーツラフの聖遺物が安置されており、大聖堂で最も重要な礼拝堂と言われています。
ここには聖ヴィート大聖堂の原型となった最初の教会を建てたボヘミア公ヴァーツラフ1世の聖遺物が納められている重要な場所です。
そのため一般観光客は中に入れません。入り口からこのように写真を撮るだけです。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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礼拝堂の壁には上部分に聖ヴァーツラフの生涯が描かれ、下部分には1300以上の半貴石とキリストの受難が描かれた絵で装飾されているそうです。
この礼拝堂は入り口の幅しか中を見ることができません。そのため一番前を確保することが重要です。この辺りは観光客で激混みするため、後ろから見ようとすれば人の頭しか見えません。
早めに壁の付近に場所を確保してゆっくり礼拝堂の前を通り過ぎるようにすれば、内部の写真が撮れます。 -
主祭壇のそばの聖ヤン・ネポムツキーの墓碑から聖ヴァーツラフ礼拝堂周辺は異様な混み具合で身動きできません。人を入れずに礼拝堂入り口の写真が撮れたため観光客は少ないかのように思えるかもしれませんが、実際は大混雑でごった返していました。
ヴァーツラフ礼拝堂も入り口のこの写真を撮るだけで精一杯、これ以上礼拝堂には寄れませんでした。 -
礼拝堂内部の壁の装飾や絵は一部分しか見れませんでした。
ヴァーツラフ礼拝堂の見学が終わるとガイドさんはすぐ外に出るように我々を誘導しました。まだ右側廊の礼拝堂やステンドグラスなども見ていないのですが、とにかく大混雑で聖堂内部は遅々として進まないため、この後の観光を考慮して途中で聖ヴィンテージの観光を切り上げたという感じでした。 -
こうして我々は一旦外へ。
一点の曇りもなく、抜けるよう青空が非常に眩しく感じました。聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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申し遅れましたが本日のガイドさんはプラハ在住の日本人ガイドさんでした。(名前は忘れてしまった。)
この後の観光は旧王宮、聖イジー教会です。ともに入場観光するのですが、聖ヴィート大聖堂以外は写真の撮影料が必要でした。確か料金は50コルナ(270円)だったと記憶しています。
ガイドさんの話では特に写真を撮るような奇麗なところではないので、写真をわざわざとる必要もないとのことであり、写真券は買いませんでした。プラハ城 城・宮殿
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大聖堂の南側ファザードです。ここには高さ99mの南塔があります。
この党の上には展望台があり上ることができますが、287段の階段を登る必要があります。
写真左端の石の塔はオベリスクです。ヒエログリフはありません。ガイドの説明もなかったし、調べても記述がありません。よって何ために建てられたのかは謎です。 -
南塔です。巨大な時計が設置されていました。塔本体はゴシック様式ですが塔のクーポラはバロック様式だそうです。
聖ヴィート大聖堂の南塔 建造物
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時計がある塔の中央部分のアップ。
聖ヴィート大聖堂の南塔 建造物
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大聖堂南側のファザードの側には聖ジョージ(聖ゲオルギウス)の銅像がありました。
小さな像なので遠くからでは見逃しがちです。大聖堂南のファザード側まで来ないと分からないと思います。セントジョージの記念像 (プラハ城) モニュメント・記念碑
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南塔の右隣りにあるのが黄金の門。かつては聖ヴィート大聖堂の正門としての役割を担っていて、ボヘミア王の戴冠式の時王が入場する門です。
現在は3つのアーチの下には鉄柵が設けられ通ることが出なくなっていました。 -
黄金の門に描かれたモザイクは「最後の審判」で1370年頃に制作されたそうです。
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次は旧王宮の観光ですが写真はありません。旧王宮の入り口は建物左端の奥から。
旧王宮は古めかしくて少し薄暗く地味でした、
最初に入ったのが「ヴァラディスラフホール」と呼ばれる競馬競技や戴冠式が行われた部屋です。
大変広い空間で天井を支える柱がありませんでした。交差リヴォールドという工法で柱のない大空間を作り出しているんだそうです。
次の間は宮廷教会だったと記憶していますが、説明されたことは全く覚えていません。教会だったかどうかもここは記憶が曖昧です。
ただマリアテレジアとフランツ・シュテファン(多分そうだったと思いますが)の大きな肖像画がありました。旧王宮 城・宮殿
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旧王宮のバルコニーから眺めたプラハ旧市内の景色。
ここからは旧市内が見渡せます。 -
バルコニーからの眺望。
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中欧の黒い橋がカレル橋。
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バルコニーからの眺望。
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カレル橋を渡った先が旧市街の中心部です。
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カレル橋をアップで。橋の上は行きかう人で一杯ですね。
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プラハ城の南方面の様子。
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旧王宮と聖ヴィート大聖堂の間を通ってイジー広場に出ると聖イジー教会がありまそた。
聖イジー教会は920年に建てられたロマネスク様式の教会で、場内では最も古い教会です。正面ファザードは17世紀に建てられたものでバロック様式です。教会内部は古めかしく窓が小さくてステンドグラスはありません。非常に質素な教会でした。ここも写真は有料の別料金でしたので写していません。
教会内には古い時代のフレスコ画が僅かに残っていました。聖イジー教会 寺院・教会
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イジー広場から見た聖ヴィート大聖堂の東側後塵部分。
聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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聖イジー教会から東に進むと左に折れる細い路地があり、黄金小路の入り口に到着します。
共通券での入場は機械にチケットをかざせば通れますが、それ以外は有料です。 -
細い通りに小さな家が立ち並んでいました。建物は土産物の小売店ですが店舗が狭いのでどの店も混みあっていました。
建物は2階建てで2階は長廊下になっており、武具や衣装などが陳列されているそうです。
黄金小路に関してはガイドさんから土産物店がある程度しか説明を受けていなかっつたのでカフカの家も武具が陳列されている2階の長廊下のことも知りませんでした。
カフカの家や2階の長廊下は帰国してから知りました。ここでの自由時間は30分しかなかったので、店は2か所しか回れませんでした。黄金小路 散歩・街歩き
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黄金小路の通りの土産物店。
ここにはもともと城に使える召使たちが居住しており、一画に錬金術師たちが住むようになってから黄金小路と呼ばれるようになりました。黄金小路 散歩・街歩き
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土産物店「コロス・アルケミスト」。
売っているのはアルミ製の小さな飾りがつけられたブックマークです。いろいろな種類の飾りがありますが、私が買ったのは糸車を追いかけるネコ。3匹買って子供たちの土産にしました。
帰国した後の話。3人の子供に「みんなにネコを買ってきたよ。」というと、長女が「猫を飼ったの。うれしーい。」長男と二男が詰め寄って「どこどこ、早く見せてよ。」。
「違うよ。このネコを買ってきたの。ベックマークだよ。それぞれ色が違うから好きなのを取って。」
長女が「なあーんだ、父さんが猫を飼ってくれたのかと思った。父さん猫を飼ってくれたらいいのに。でもありがとう、大事にするよ。」こんなやり取りがありました。
長男も長女も読書家なので使ってくれていると思いますが、あまり本を読まない二男の所では埃を被っているかも。コロス アルケミスト 専門店
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「コロス・アルケミトス」の店内の様子。
コロス アルケミスト 専門店
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これは別の土産物店。ボヘミアングラスの店だったと思います。
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奇麗に装飾された扉の店がありましたが時間がなくここは素通り。
黄金小路 散歩・街歩き
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黄金小路を抜けたところにあったプラハ城の見取り図。
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最後にダリボルカ塔(中世の監獄)の前を通って東門から外にでました。
ダリボルカ塔 建造物
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東門を出たところにもビューポイントがあり、ここからは旧市街全体が見渡せました。
旧王宮のバルコニーよりもここの方が見晴らしは良かったです。
写真はタレル橋方面。 -
南方面の写真。
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プラハ城からの眺望。
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カレル橋をアップにしてみました。
カレル橋 建造物
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プラハ城東門、ダリボルガトウ塔の様子。
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城の東門からはずっと下り坂の道を降りて行きました。この王宮へと続く登城道は「王の道」と呼ばれていて、旧市街の火薬塔からカレル橋を経てプラハ城まで続いています。
我々はこの王の道を下ってカレル橋に行きました。
橋から続く登城道(王の道)はずっと上り坂ということです。城まではかなりの距離があるのでこれを上り続けるというのはかなりの労力が必要で辛いものがあります。
トラムで上がって城の正門側から入場した方が負担がかからなくていいと思います。王の道 旧市街・古い町並み
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下までひたすら下り坂を歩きました。
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上りの道はこんな具合でした。
以上でプラハ城の旅行記をおわります。次はカレル橋と旧市街の旅行記を予定しています。
訪問いただきありがとうございました。王の道 旧市街・古い町並み
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