2019/12/08 - 2019/12/10
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旅人のくまさんさん
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第二次世界大戦前の頃、国内では物資が不足し統制が行われ、鉄筋コンクリート造の建物は建設されなくなりましたが、端島では例外的に建設が続けられました。その理由は、狭い島内に多くの住人を住まわせるため、高層化が必要だったためです。
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写真は、逆光で見難い写真になりましたが、軍艦島の『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):15>
軍艦島とも呼ばれる端島炭鉱跡は、2008年9月に『九州・山口の近代化産業遺産群』の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年(平成21年)1月に記載されました。 -
写真は、逆光で見難い写真になりましたが、『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):16>
軍艦島を国の文化財に指定する動きは、2013年11月の参議院内閣委員会で国の文化財ではなかった軍艦島に国の財政支援を求める質疑があり、国が必要な予算の確保に努める意向を示したことで、本格化しました。 -
写真は、逆光で見難い写真になりましたが、『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):17>
2014年1月に長崎市は文化財指定に向けて意見具申を行い、2014年6月に文化審議会が軍艦島(端島炭鉱跡)を含む三つの炭坑跡で構成される『高島炭鉱跡』を史跡に指定するよう文科大臣に答申し、2014年10月に文化財指定されました。 -
写真は、逆光で見難い写真になりましたが、『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):18>
国内的には、軍艦島が世界遺産登録に向けて、非稼働遺産に必要な要件である国の文化的価値づけが明確になりました。しかし、2015年3月に韓国政府が端島の世界遺産登録に反対を表明する事態となりました。 -
写真は、逆光で見難い写真になりましたが、『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):19>
韓国政府の反対は、朴槿恵元大統領、尹炳世外交部長官が陣頭指揮を執り、ユネスコ、国際記念物遺跡会議、世界遺産委員国などに端島を世界遺産登録として認めないように外交活動を行いました。日韓の外交問題ともなりました。 -
写真は、軍艦島の『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):22>
2015年5月20日、韓国の朴槿恵大統領は、ユネスコのボコバ事務局長と会談し、『歴史に背を向けたままの世界遺産登録の申請は、国家と国家の不必要な分裂を招くことだ』と述べ、登録反対を直接伝えたとされます。 -
写真は、『西面』の住宅の光景です。荒天では潮を被る住宅かも知れません。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):21>
日韓議員連盟の合同幹事会の翌日、韓国国会の本会議で、日本政府が『明治日本の産業革命遺産』の世界文化遺産への登録を推進していることを糾弾する決議が可決され、採択されました。 -
写真は、『西面』の大きく壊れた住宅のズームアップ光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):20>
2015年5月11日、韓国・ソウルで開催された日韓議員連盟の合同幹事会で、『明治日本の産業革命遺産』の世界文化遺産登録に韓国政府が反対していることについて、政治問題化しないよう韓国側に理解を求めました。 -
写真は、軍艦島の『西面』付近から眺めた沖合の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):23>
20115年6月11日、尹炳世外交部長官が登録阻止のためユネスコ委員国を歴訪し、ました。また、民間では、主要な韓国のキリスト教の指導者たちが会見を行い、日本キリスト教協議会に働きかけ、登録反対の日韓の共同声明を発表しました。 -
写真は、軍艦島の『西面』の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):24>
日本の登録推進派は、超党派の世界遺産議連を結成して登録実現に向けて働きかけを強めるよう政府に求める決議を採択しました。この問題について、日本の岸田文雄と韓国の尹炳世による外相会談も開かれました。 -
写真は、軍艦島の『西面』の南端付近のズームアップ光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):25>
日韓外相会談では、日本が韓国の『百済歴史遺跡地区』を世界文化遺産に登録することを支援する代わりに、韓国も『明治日本の産業革命遺産』の登録を支援することが合意されました。 -
写真は、軍艦島の『西面』の北端付近を行く観光船のズームアップ光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):26>
韓国の『百済歴史遺跡地区』の登録が採決された翌日、韓国は合意を反故にし、『明治日本の産業革命遺産』の登録に反対を表明しました。最終的には、日本政府は韓国政府に譲歩し、端島の登録が採決されました。 -
イチオシ
写真は、軍艦島の『西面』の北端付近を行く観光船のズームアップ光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):27>
日本が『端島』の世界遺産登録で譲歩したのは、『日本が徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる』ことの約束でした。韓国は、日本が『韓国人を強制労役させた事実を認めた』と評価したようです。 -
写真は、軍艦島の『西面』と、北端付近を行く観光船の光景です。
<第六期:廃墟ブームと産業遺産期(1974年~):28>
2017年7月、軍艦島の案内情報に朝鮮人強制徴用に関する記述がないことを理由に、韓国の誠信女子大学校教授らにより、ユネスコに軍艦島を世界遺産撤回するように求める運動が展開されています。 -
写真は、少しズームアップした、軍艦島の『西面』の光景です。
<端島の世界遺産:コアゾーン>
端島では、明治期に作られた岸壁と海底坑道のみが、世界文化遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の一部として、世界遺産のコアゾーンに指定されています。保護の義務がある部分です。 -
イチオシ
写真は、少しズームアップした、軍艦島の『西面』の光景です。
<端島の世界遺産(コアゾーン):明治期の岸壁(その1)>
明治時代に建造された、『天川工法』と呼ばれる伝統的な石組で組まれた護岸です。コンクリートで補強されて現代まで使われていますが、波が激しいためコンクリートがしょっちゅう剥がれ、補強工事が行われていました。 -
写真は、少しズームアップした、軍艦島の『西面』の光景です。
<端島の世界遺産(コアゾーン):明治期の岸壁(その2)>
波が特に激しい外洋に面する北西面は15mの高さがあり、さらに波返しもついていますが、時化の時はその上に建っている4~5階建ての建物すら乗り越え、上から潮が降る『塩降街』となります。 -
写真は、少しズームアップした、軍艦島の『西面』の光景です。
<端島の世界遺産(コアゾーン):海底坑道>
明治時代に開発された、端島の地下に広がる端島炭坑の坑道がコアゾーンです。この時代としては世界でも珍しい海底坑道です。す立入り禁止になっていますが、この後見学した高島炭鉱跡で、模型を目にしました。 -
イチオシ
写真は、軍艦島の『南面』の光景です。『北面』と同様、端島を長方形に例えた場合の短辺になります。閉山後の調査では、二十数種の植物が確認されていて、特に『オニヤブマオ(鬼藪苧麻):イラクサ科』、『ボタンボウフウ(牡丹防風):セリ科』、『ハマススキ(浜芒):イネ科』の3種が端島の主な植物として挙げられています。
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写真は、少しズームアップした、軍艦島の『南面』の光景です。端島を舞台とした1949年(昭和24年)の映画『緑なき島』のタイトルにも現れていますが、この島には植物が少なく、住民は本土から土砂を運んで屋上庭園を作り、家庭でもサボテンをはじめ観葉植物をおくところが多かったとされます。また、主婦には生け花が人気だったようです。
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写真は、『南面』から少し『東面』に回り込んだ、軍艦島の光景です。端島は、本来は南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬でした。その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)に間に6回の埋め立て工事により、約3倍の面積に拡張されました。現在の面積は、約6.3ヘクタールです。
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『肥前端島灯台』の光景です。端島が無人島となると、夜間は真っ暗闇となり、航行の障害になることから、1975年(昭和50年)に岩山南端の貯水槽の隣に鉄製灯台として建設され、同年12月29日に初点灯しました。1988年(昭和63年)9月13日には灯質の変更および灯器がLD管制器Ⅱ型に改良されました。 現在建っているのは強化プラスチック製の2代目で、1998年(平成10年)12月17日の建造です。
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中央付近に『肥前端島灯台』が見える、『西面』の南端近くの光景です。その大きさは南北に約480メートル、東西に約160メートルで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で囲われています。
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『軍艦島』の海岸線の全長は約1200メートル、島の中央部には埋め立て前の岩山が、南北に走っています。年間平均気温は15から16℃で、平均降水量は2000ミリメートルです。冬は比較的雨量が多いとされ、夏は南東風と南風、冬は北西風と北風が多いとされます。
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端島を反時計回りしたところで、次は『高島』に向かいました。高島も、端島同様に石炭産業で世界遺産の島です。左手が端島、右手の小島が『仲ノ島』です。『仲ノ島』は、最初は無人島かと思いましたが、『北面』付近から眺めた時に、頂上付近に建物の姿がありました。
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長崎市の協力のもと、立入禁止区域や屋内を含む島内全域を撮影した端島のGoogle ストリートビューが、2013年6月に公開されました。また、長崎大学インフラ長寿命化センターは2009年度より軍艦島の3Dによる記録・保存管理に取り組み、2014年には長崎市の委託を受けて、3Dレーザースキャナ、全方位カメラ、ドローン、水中ソナー等を用い、全島の3次元データでの記録化を行いました。
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長崎港を出港し、端島炭鉱跡(軍艦島)見学の後、高島炭鉱跡の高島に向かうフェリーの選内光景です。高島までは、10分ほどの行程です。『軍艦島ツアー』を催行しているのは、㈱シーマン商会でした。長崎港では、『常盤2号桟橋』を出港しました。
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何かと細かい気配りをされていた、『軍艦島ツアー』を催行していた、㈱シーマン商会のスタッフの皆さん達でした。帰りには、ビニール袋に入った『無煙炭』の見本や、軍艦島の『上陸証明書』も用意されていました。
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世界遺産の高島炭鉱がある、高島に上陸しました。振り返って眺めた桟橋光景です。高島炭鉱は、日本最古の大手資本による採鉱で栄えましたが、1986年(昭和61年)11月27日をもって閉山されました。端島炭鉱とともに、『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産として世界遺産リストに登録されています。
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高島炭鉱の事務所ビルになるようです。高島炭鉱の炭層は上八尺層、胡麻層、十八尺層、新五尺層などからなります。採掘鉱区は22鉱区12,480ヘクタール、出炭の8割は優良な弱粘結原料炭でした。日本で始めての蒸気機関による洋式竪坑の『北渓井坑跡』が世界遺産のコアゾーンになるようです。
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