2019/12/08 - 2019/12/10
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旅人のくまさんさん
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グラバー園紹介の締め括りです。グラバー園の自由見学は、早朝の8時半から9時半頃までの1時間程でしたが、2時間か、半日あっても十分な見どころがありました。長崎市を代表する観光スポットでした。
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『三浦環の像』の光景です。『三浦環(たまき:1884~1946年)』は、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手です。その十八番だったのが、プッチーニ作曲のの『蝶々夫人』でした。そこで東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)出身の音楽教師・杉浦チカから音楽家になることを強く勧められ、1900年(明治33年)に東京音楽学校に入学しました。
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イチオシ
『三浦環の像』のズームアップ光景です。東京音楽学校に入学した環は、ピアノを瀧廉太郎に、声楽を幸田延にそれぞれ師事し、更にヴァイオリンもアウグスト・ユンケルについて学びました。1903年(明治36年)7月23日、奏楽堂において催された、日本人の手による初めてのオペラ公演に出演し、成功を収めました。東京音楽学校では助教授となり、この間に山田耕筰らを指導しました。1911年(明治44年)に帝国劇場に所属して、翌年3月にレコード初吹き込みを行い、プリマドンナとして活躍をしました。 シンガポールの三井ゴム園病院院長の三浦政太郎と結婚し、夫とともに1914年にドイツに留学しました。しかし、第一次世界大戦を逃れてイギリスに移動、デビューの成功を受けて1916年に渡米し、ボストンで初めて蝶々さんを演じました。
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三浦環顕彰会により、1963年(昭和55年)5月に建立された、『三浦環の像』の説明パネルの光景です。イタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニが作曲した『マダム・バタフライ(蝶々夫人)』を、30年の長きに亘って世界中で歌い続け、その名声ゆえに、エンリコ・カルーソーやヤン・パデレフスキといった歴史的名声の芸術家とも共演しました。
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『フリーメイソン・ロッジの石柱』の光景です。グラバー園の公式HPからの紹介です。『フリーメイソンとは中世イギリスで数々の大聖堂を建てた石工が組織した友愛団体です。この門柱は長崎で熱心な会長だったイギリス人が自社の門に建てたもので、そこから移築されたものです』と紹介されていました。フリーメイソンは、16世紀後半~17世紀初頭に設立された友愛結社です。
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『フリーメイソン・ロッジの石柱』のタイトルがあった説明パネルの光景です。フリーメイソンは、多様な形で全世界に存在し、会員数は600万人を超えるようです。うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下、25万人は英連邦グランドロッジに、200万人は米国のグランドロッジに所属しています。
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『旧リンガー住宅』のタイトルがあった説明パネルの光景です。グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸です。1966年(昭和41年)6月11日、国の重要文化財に指定されました。1868 年(明治元年)~ 1869 年(明治2年)に建設されました。構造形式は、木骨石造、平屋建ベランダ付、寄棟造桟瓦葺です。
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ここからは、『旧リンガー住宅』に入室しての紹介です。石造の暖炉の光景です。細かな彫刻が施された大理石のようです。床はタイル張りに見えました。ところで、長崎ちゃんぽんで全国展開している『リンガーハット』の名前は、大商人だったリンガーに因むようです。『リンガーさんの小さな家』を意味しているようです。
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白磁らしい食器類や、銀製らしいナイフ・フォーク・スプーンなどの展示光景です。100年の時を超える、フレデリック・リンガー所縁の品とされます。フレデリック・リンガー率いる投資家グループにより明治30年(1897年)に建てられた、ナガサキホテルで使われていた品です。平成25年(2013年)6月に改装中の奈良ホテルで発見され、1組がこちらに寄贈されました。
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明るすぎて読み難くなっていましたが『ナガサキホテルとフレデリック・リンガー』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『日清戦争の歴史的勝利』が書き出しでした。1898年(明治31年)に建てられたナガサキ・ホテルは、ジョサイア・コンドルの設計だったことも紹介されていました。『ジョサイア・コンドル(1852~1920年)』はイギリスの建築家、工部大学校(現・東京大学工学部)の建築学教授として来日しました。明治政府関連の建物の設計を手がけ、辰野金吾(1854~1919年)らの創成期の日本人建築家を育てました。
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総三階建ての『ナガサキホテル』のレプリカ光景です。1898年(明治31年)にリンガーが建てたナガサキ・ホテルは、当時はアジアを代表するホテルの一つだったとされます。大浦海岸通りの旧香港上海銀行長崎支店横に建設されていたようです。
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『旧リンガー住宅』室内紹介に戻ります。『フレデリック・リンガー(1838~1907年)』は、グラバー商会に勤めた後、1868年英国人のホーム氏と共にホーム・リンガー商会を設立しました。茶の貿易から取引品目を広げ、事業を拡大しました。トーマス・グラバー(1838~1911年)の後、長崎居留地で指導的役割を果たし、長崎の貿易と産業の発展に貢献しました。
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『旧リンガー住宅』の応接セットらしい什器類の紹介です。フレデリック・リンガーは、居留地の外国人と市民の交流の場、内外倶楽部を設立し、長崎の上水道建設・外国貿易・代理店・製茶・製粉・発電など幅広い事業を行いました。ホーム・リンガー商会は、明治、大正、昭和初期を通じウラジオストクなど海外各港との貿易事業、各国商社代理業務に携わりました。
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『旧リンガー住宅』の室内光景です。左手前に置かれた説明図には、『応接室』のタイトルで、置時計などが3点紹介されて今井s太、。右手前に見えるのは、オルゴールです。『グラバーは知名度が高いが、居留地の黄金時代に大きな役割を果たしたのは、むしろホーム・リンガー商会』との指摘もあります。
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フレデリック・リンガーは、居留地の英字新聞ナガサキプレスを刊行したり(昭和3年廃刊)、捕鯨業やわが国初のトロール漁業(グラバーの息子倉場富三郎と共同)、そして長崎市の上水道敷設などにも大いに尽力するなど、長崎の殖産興業に力を注ぎました。また、ベルギー、スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどの名誉領事にも就任して、長崎の国際交流に力を注ぎました。
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西洋風の柱が外周に立ち並ぶ、『旧リンガー住宅』の建物の光景です。フレデリック・リンガーは、1907年(明治40年)、イングランドのノーリッジへ一時帰郷中に死去し、住宅はその後、ロンドンで教育を受けて1909(明治42年)に長崎に帰ってきた二男シドニーに受け継がれました。1965年(昭和40年)、シドニーは長崎市に売り渡し、英国で余生を送りました。
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白、黄、紫色などのパンジーの花が咲き競う庭園の光景です。剪定されたバラが植栽されていましたから、バラの花が咲くまでの繋ぎに植栽された草花のようでした。
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イチオシ
『旧リンガー住宅』の室内光景の紹介に戻ります。クラシックな置時計と飾り棚が置かれた壁際と、中央に応接セットがあった『応接間』の光景です。置時計の脇には、青絵の大きな壷が二つ置かれていました。中国の景徳鎮窯当たりで焼かれた壷かも知れません。
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同じく、『旧リンガー住宅』の室内光景です。小さなテーブルには、デンファーレらしい赤い蘭の花が飾られていました。開け離れた扉の先には、『浴室』の表示がありました。
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『旧スチイル記念学校』のタイトルがあった説明パネルの光景です。1887年(明治20年)に東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられたスチイル記念学校の校舎です。スチイル記念学校は、当時アメリカのダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスチイル博士が、18歳で亡くなった息子のウィリアム・ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校です。
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真下から見上げた、『グラバー園』内の樹木の光景です。葉の密度が少し薄くなった常緑樹と、その手前の桜の樹の光景です。
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ピントが合いませんでしたが、ちらほら咲いた桜の花のズームアップ光景です。長崎での『ソメイヨシノ(染井吉野)』の開花は3月下旬当たりのようですから、『カンヒザクラ(寒緋桜)』当たりでしょうか、『ジュウガツザクラ(十月桜)』の時期は過ぎたようです。
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見覚えのある場所に戻って起案した。右寄りに見えるのが、『日本西洋料理の開拓者・草野丈吉之像』、その奥が草野丈吉之が建てた『旧自由亭』です。自由亭の建物は1878年(明治11年)に建てられ、昭和49年にグラバー園に移築され増した。その前には、検事正官舎として使われていました。
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グラバー園見学の最後に立寄った、『長崎伝統芸能館』の建物光景です。公式HPでは『長崎のお祭り「長崎くんち」に奉納される龍踊りの白龍、青龍、各町の奉納踊りを先導する「傘鉾(かさぼこ)」と呼ばれる豪華な飾りなどが展示されており、長崎くんちの映画も放映されています』と紹介されていました。
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『長崎伝統芸能館』の室内光景です。帰り道の順路に組み込まれ、お土産店も入店していました。370余年の歴史と伝統を持つ、『長崎くんち』の呼び名は、秋の大祭で、旧暦9月9日に行っていたことから、『9日』すなわち『くんち』と呼ばれるようになったと言われます。
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『長崎くんち』に奉納される山車のようです。ウィキペディアからの『長崎くんち(ながさきくんち)』の紹介です。『長崎おくんち』とも呼ばれる長崎市の諏訪神社の祭礼です。例年10月7日から9日までの3日間催されます。国の重要無形民俗文化財に指定されています。昭和54年指定され、指定名称は『長崎くんちの奉納踊』 です。
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同じく、『長崎くんち』に奉納される山車のようです。『長崎くんち』は、『龍踊(じゃおどり)』、『鯨の潮吹き』、『太鼓山(コッコデショ)』、『阿蘭陀万才(おらんだまんざい)』、『御朱印船(ごしゅいんせん)』など、ポルトガルやオランダ、中国・ベトナムなど南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな演し物を特色としています。
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これも、『長崎くんち』に奉納される山車のようです。『宮日』、『供日』と表記されることもあ利ますが、これは後年の当て字とされるようです。諏訪神社への敬意を表して『御』をつけたことから『おくんち』とも呼ばれるようになりました。
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同じく、再集合場所のバス駐車場に向かう途中の街並み光景です。この辺りまで来ると平地になっていますが、坂の部分は、『オランダ坂』や『グラバー坂』とも呼ばれているようです。
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グラバー園の見学を終え、再集合場所のバス駐車場に向かう途中の光景です。『食べればわかる』の看板があったお店は、カステラの『清風堂』です。1973年(昭和48年)の創業と同社のHPにありました。長崎カステラ御三家は、『松翁軒:創業1571年』、『匠寛堂:創業1985年』と『文明堂:創業1900年』です。
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通路の傍らにあった『ボウリング日本発祥地』の藻p時が刻まれた石標の光景です。日本最古のボウリング場は、わが国最初の英字新聞であり、初の近代活版新聞である『ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンドアドバタイザー』に文久元年(1861年)6月22日の日付で新装開店の広告が掲載された、インターナショナル・ボウリング・サロンとされます。この史実をもとに、1947年(昭和47年)から6月22日をボウリングの日として制定されました。
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