2019/12/08 - 2019/12/10
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旅人のくまさんさん
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観光バスで志賀島から長崎県に移動しました。その途中、パールロードの『新西海橋』を渡りました。長崎県で最初に見学した世界文化遺産の大野教会堂と出津教会堂は、2018年6月に『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』として世界文化遺産に登録されました。
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
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志賀島の金印公園に置かれていた、金印をモデルにした石造のモニュメントの光景です。台座には、『志賀島(しかのしま)』の文字が刻まれたプレートがありました。漢委奴国王印の実物は、印面一辺の平均2.347センチ、総高2.236センチ、重さ108.729グラムと測定されています。
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『スイセン(水仙)』
ヒガンバナ科スイセン属(ナルキッスス属)
原産:地中海沿岸
その他:ラッパ水仙の1種でしょうか、黄色の水仙の花の群生光景です。 -
イチオシ
『スイセン(水仙)』
ヒガンバナ科スイセン属(ナルキッスス属)
原産:地中海沿岸
その他:黄色の花のズームアップ光景です。 -
排水溝のようですが、なぜか大きな石が積み重なっていました。前方に見える暗渠の周りにも置かれていましたので、意図的に排水設備の一部として使われた玉石のようでした。
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沖合に浮かぶ岩礁の光景です。三羽の海鳥さんが向かい合って休んでいました。左右の二羽は、ウミウ(海鵜)のようですが、こちらを向いた真ん中の鳥さんは、親羽以外が白く、別種のようでした。
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向かい合って休んでいた三羽の海鳥さんのズームアップ光景です。石が糞で白くなっていましたから、休憩場所ではなく、定住の場所にもなっているのかも知れません。
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志賀島南側に位置するの砂浜に打ち寄せる白波の光景です。手元の地図では、
右方面が福岡湾、左手方面が博多湾になっていましたが、既述のように、全体を『博多湾』と呼ぶことにします。『博多』と『福岡』の呼び名には古い歴史があり、今も判然としないケースがあります。 -
同じく、志賀島南側に位置するの砂浜に打ち寄せる白波の光景です。古い歴史を持つのが『博多』、『福岡』の呼び名は江戸時代の黒田家に因み、城下町を『福岡』、町人町を『博多』と呼び分けていたようです。現在は県と市が『福岡』、新幹線駅が『博多』、空港が『福岡』など、呼び名が入り組んでいます。
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小休止した、『金立(きんりゅう)』のサービスエリアの光景です。長崎自動車道の佐賀市エリアに位置するサービスエリアです。金立ハイウェイオアシス(金立公園)に隣接していて、一般道路からも利用できるとネット紹介されていました。
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『オランダ街道』のタイトルがあった観光案内看板の左側部分の紹介です。長崎県とオランダが交流を開始してから400年を記念した西暦2000年に命名された『オランダ街道』の説明でした。平戸から佐世保、西彼半島を経て長崎に至る、約111キロの区間です。1600年は、日本で関ヶ原の戦いが行われた年になりますが、平戸にオランダ商館が設立されたのは1609年(慶長14年)、出島に移転したのが1641年(寛永18年)になります。写真は、上がグラバー園、下がハウステンボスです。
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『オランダ街道』のタイトルがあった観光案内看板の左側部分の紹介です。上の写真が長崎湾の夜景、下の写真が県民の森でした。写真のグラバー園は1859年(安政6年)に設立されたイギリス人商人グラバーなどの邸宅跡などであり、『オランダ街道』の命名とその説明文には、少し無理があるようでした。命名した自治体等の主体が記されていないのも不思議です。1982年に発足した、オランダの街並みを再現したハウステンボス(オランダ語で森の家)とも直接の関係はないようです。
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現在地が、大村湾の北西端付近に記されています。すぐ近くには、ハウステンボスや、西海橋などがありました。この後は、左手に大村湾を眺めながらの南下になりました。
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これから渡ろうとする『新西海橋(しんさいかいばし)』の光景です。『西海橋(さいかいばし)』と並行した西側に位置する橋です。長さ300mの中路式アーチ橋(主橋部)です。入り江部が320メートルで、全長が620メートルになります。 2006年3月に開通しました。
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『新西海橋』から眺めた、『西海橋』の光景です。『西海橋は、長崎県佐世保市針尾島と西海市西彼町の間にある伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)に架かるアーチ橋です。完成当時は固定アーチ橋としては世界で三番目の長さを誇り、東洋一と評されました。
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イチオシ
同じく、『新西海橋』から眺めた、『西海橋』の光景です。橋下には、潮の流れの速さで有名な針尾瀬戸が流れ、渦潮などを見ることが出来るようです。建設当初の呼び名は『第二西海橋』でした。この呼び名は、今でも地元で使われているようです。
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『新西海橋』から眺めた、『西海橋』の光景が続きます。橋脚中央部のアーチ構造部に差し掛かった時の光景です。走っている道路は、国道202号江上バイパスです。西彼杵道路(西海パールライン有料道路)になります。
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『新西海橋』を渡り終える直前の東側方面の光景です。渡り終わった先には、右手に真珠湾攻撃の指令を発信したとされる『針尾送信所無線塔』がありました。針尾無線塔は大正時代に建てられ、自立式電波塔としては古さ日本一で、現在は国の重要文化財です。太平洋戦争開戦の暗号は、『ニイタカヤマノボレ・二〇八』でした。
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視界が開けてきた、大村湾方面の光景です。大村湾は、長崎県の中央部に位置する海で、佐世保湾を通して五島灘に繋がります。穏やかな波が海岸に打ち寄せる様から『琴の湖(ことのうみ)』の別名があり、これは江戸期の漢学者の『頼山陽(1781~1832年)』が呼び始めたものと伝えられます。
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大村湾の車窓光景が続きます。大村湾は、南北約26 km、東西約11 km、面積約321 km2の海域を持ちます。西側を西彼杵半島、南側を琴の尾岳山麓、東側を多良岳山麓に囲まれ、さらに湾口をハウステンボスのある針尾島が塞ぎます。佐世保湾との繋がりは、針尾島西岸の針尾瀬戸と東岸の早岐瀬戸だけで、極めて閉鎖的な海です。
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大村湾に浮かぶ島々の光景です。湾内には針尾島以外にも島が点在しますが、ほとんどは無人島です。針尾島の次に大きいのは箕島(みしま)で、ここには1975年(昭和50年)に長崎空港が開港しました。世界初の海上空港とされます。
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波静かな、大村湾の光景が続きます。大村湾内に浮かぶ『詩島(うたじま)』は、かつては『寺島』と呼ばれる無人島でしたが、シンガーソングライターの『さだまさし(1952~)』さん所有の島として知られるようになりました。最初のヒット曲『雨やどり』の印税を使って1979年に2,000万円で購入したとされます。
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大村湾に浮かぶ島を眺めながら、さだまさしさんの紹介を続けます。本名は『佐田雅志(読みは同じ)』、長崎市の生まれです。歌手のほか、タレント、小説家としても活躍し、現在は國學院大學客員教授も務めています。『精霊流し』のヒットにより全国にその名を知られるようになりました。ソロシンガーになってからも『雨やどり』、『関白宣言』など、数々のヒット曲を生み出しました。
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イチオシ
佐田家の本家は島根県那賀郡三隅町(現浜田市)にあり、本家の二男だった祖父・繁治は中国大陸や極東ロシアに渡り諜報活動に従事したのち、商工省の大臣秘書官を務めた経歴の持ち主です。その繁治と結婚した祖母エムもまたソ連のウラジオストクで料亭を営んでいたという、当時の日本人女性としては異色の人です。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、部屋が10以上もある豪邸でした。
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彼は、元々ヤッシャ・ハイフェッツに憧れたヴァイオリン少年であり、彼の音楽性に大きな影響を与えています。自分のコンサートでヴァイオリンを弾くことが多いことにも表れています。さだは長崎県出身で親族に原爆被災者がいることもあって、戦争の悲惨さや凄惨さを痛感しているために平和を求める気持ちが強く、そうしたテーマの楽曲が制作や、イベントが開催されることも多くあります。
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祖父母が中国大陸に渡って活躍していたことから、中国大陸への強い郷愁のようなものを間接的に受け継いだとされ、周辺諸国との友好を願う気持ちも強いとされます。また、息子には、『大陸』と名づけています。加山雄三やサイモン&ガーファンクル、中村八大、永六輔の影響を大きく受けているとも語っています。
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大村湾に沿った206号線から、西彼杵半島を西に向かって横断し、東シナ海に面した203号線にやって来たようです。大野教会堂、大野集落は、東シナ海に面した地域にあるようでした。
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大野教会堂の近くに到着しました。バスを降りた場所近くにあった道路標識に、『外海(そとめ)大野集落』の表示がありました。前方に見える丘が、大野集落と教会堂がある場所でした。
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バスを降りた後、歩いて向かった大野集落方面への道筋の紹介です。左向きの矢印で、『大野教会堂』が記してありました。立看板には、大型バスが入れない道であることも記されていました。
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すぐ近くにも、たくさんの案内看板がありました。左向きの矢印大野教会堂と辻神社、右向きの矢印が大野神社でした。大野教会堂までは、700メートルの表示です。駐車場の表示もありましたが、大型車は無理のようです。
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少し上った場所から、振り返って眺めた外海の光景です。東シナ海になるようです。右上の方に、島影が霞んで見えました。手元の地図を参照しますと、池島や松島がある方面のようでした。
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