2019/12/08 - 2019/12/10
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旅人のくまさんさん
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高島炭鉱の炭層は、上八尺層、胡麻層、十八尺層、新五尺層などからなります。採掘鉱区は22鉱区12,480ヘクタールとされます。出炭の8割は優良な弱粘結原料炭でした。
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右端に優勝旗があり、台の上などには陶磁器が並んだ展示光景です。陶磁器には『高島炭鉱職員クラブ・備品類』の名札表示がありました。背景の写真には、『思い出の風景』のタイトルがあり、優勝旗には、長崎新聞社の文字がありましたから、社会人大会の取り切りの優勝旗かも知れません。
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イチオシ
坑内で使われたらしい、測量機器類の展示光景です。『鉱山で探鉱、地質調査、埋蔵量決定、採鉱計画などのために行われる測量が、『鉱山測量』と呼ばれるようです。鉱区境界線測量など坑外測量もありますが、『坑内測量』が主となります。
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同じく、測量機器類の展示光景です。『坑内測量』は、狭く屈曲した高温多湿の坑道、磁性鉱物による磁針の誤差など特殊条件下にあるため、トランシット、掛けコンパスなどの小型器械しか使用できず、熟達した技術が要求されます。
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『高島炭鉱の技術』のタイトルがあった説明パネルの光景です。三つの項目で解説されていました。一つ目は、『国内炭鉱初、鉄化スライシング最短の開始』です。単層が厚い部分に適用された1959年(昭和34年)からの二段採掘です。二つ目は、『日本初、ジュラルミン製軽量鉄柱の使用』です。長年の研究で軽量のジュラルミン製鉄柱の開発に成功、1978年(昭和53年)から使用開始しました。三つ目は、『最短のための色々な機械と作業』です。5枚の写真で、コールピックによる採炭、ホーベルによる採炭などが紹介されていました。
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スコップとツルハシの展示光景です。その前にヘルメットにヘッドライト姿の工夫の頭部像がありました。狭い場所で使うためでしょうか、ツルハシは、柄が短く、刃先が長いように見えました。
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坑内で使う道具類のようです。各種のハンマーやカナトコ、カンテラなどが見えました。イメージ的には、大量の採掘ではなく、試掘などに使われた、試行錯誤された工具類のように見えました。
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『世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産・製鉄・製鋼、造船、石炭産業』のタイトルがあった説明パネルの光景です。世界遺産の『明治日本の産業革命遺産』は、全国8県11市の23の遺産で構成されていることが、冒頭に説明されていました。下部の写真は、その構成要素の一つ、端島炭鉱です。
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『近代化の様子』のタイトルがあった説明パネルの光景です。下段に示された『高島炭鉱における蒸気機関導入前後の比較表』には、江戸時代に来日した『カッテンディーケの日記に見る高島炭鉱』と『北渓井坑』の比較表です。格段の違いが見て取れました。
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『世界文化遺産・国指定史跡・高島炭鉱跡・高島北渓井坑跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。佐賀藩により19世紀はじめから商品生産としての採炭が行われていましたが、慶応4年(1868年)4月、グラバー商会との合弁事業として高島炭坑開発の共同経営が開始されました。その後、イギリス人技師モーリスを招き、明治2年(1869年)4月、本村の海岸に近い低地に日本最初の蒸気機関による立坑、『高島北渓井坑(ほっけいせいこう)』が開坑されました。深さ約43メートル、日産300トンを出炭したとされ、明治9年(1876年)まで稼働しました。
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『北溪井坑跡』の発掘調査』のタイトルがあった説明パネルの光景です。上の写真は、『北溪井坑跡・発掘調査遺構配置図』です。『北溪井坑跡では、平成16年(2004年)10月から、平成27年(2015年)3月の間に、6次に亘って実施されました。たった2枚残された写真なども役に立ったようです。
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『比べてみよう!北溪井坑跡の創業時と現在』のタイトルがあった説明パネルの光景です。上の写真が『現況写真(北から撮影した北溪井坑跡近景写真)』、下の写真が『操業時の北溪井坑(日本大学芸術学部蔵)』です。トロッコのレール脇に北溪井坑跡があるように見えました。
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イチオシ
『端島神社』のタイトルがあった説明パネルと写真、それに神輿の光景です。御祭神は金比羅様で、そこに炭鉱の神様、大山祇神が合祀されていたようです。昭和11年(1936年)築の木造で、島の最高部の一端にある神社です。かつては拝殿もありましたが、現在は倒壊し、神殿のみが 残っています。神殿は約4.5メートルの高さがあります。
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手前が赤い顔をした獅子頭(ししがしら)、奥が黒漆塗りらしい神輿の光景です。島には、端島神社かないようですから、こちらも端島神社の神輿のようです。お祭りの時に担がれたようです。高島の方の神輿かも知れません。
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『思い出の写真』と題された、17枚のセピア写真の光景です。先に紹介した、『高島炭鉱職員クラブ・備品類』の陶磁器展示の背後に展示してあった写真のズームアップ光景です。
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左上に『高島町のあゆみ』のタイトルがあった年表の光景です。スタートは天正15年(1588年)、上総国(現・千葉県大原町)出身の18代深堀純賢が、豊臣秀吉の怒りに触れ、鍋島家の家臣となり名前を鍋島左馬之助に改めたことから始まっていました。高島は、深堀氏の支配下にありました。
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『変わりゆく町』のタイトルがあった説明パネルの光景です。北側が右向きになる池島の地図を中心に、18枚の写真が紹介されていました。明治~大正~昭和時代の写真の数々です。
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なつかしの写真12枚の展示光景です。昭和2年(1927年)から、昭和15年頃に撮影された写真です。消防訓練、運動会、角力大会、水泳大会、お祭りなど様々な場面です。
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中央のタイトル表示が『島内の主な建物・施設』、左端が『生産施設(鉱業所)区域、右端が『今日中区域』の説明パネルの光景です。『島内の主な建物・施設』の原図は、昭和42年(1967年)頃と補記されていました。
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『埋め立ての変遷』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左上に七色に色分けされた、明治26年以前のエリア図、その後の6回の埋め立て区域が記されていました。最下段の4枚の写真には、左から明治34年頃(1901年)、明治末期、昭和14年(1939年)頃、昭和36年(1961年)頃の端島との表示がありました。
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この日の昼食です。新地中華街にしました。食事は簡単に、ハイボールと長崎名物のちゃんぽんです。赤い箸袋に記された『会楽園』です。公式HPには『ルーツは中国、福建省。1927年創業以来、独特の長崎中華料理をお届けして、長崎の皆様はもちろん、観光客多くのグルメの方に愛されてきております。ロケーションは長崎中華街入り口北門側で、赤い柱が目をひきます』と紹介されていました。
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食事を終わった後の撮影です。左手に見える赤い柱が、お店紹介に逢った柱です。その奥に『会楽園』の赤い看板も見えていました。再集合場所の直近の場所にもなりました。五階建ての建物ですが、1階だけでも80席がありました。写真撮影している場所は『玄武門』がある位置です。『玄』は『黒』を意味し、黒は五行説では『北方』の色とされます。
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『新地橋』の表示があった赤い橋の袂の光景です。その台座の上に龍の置物がありました。下に描かれているのは鳳凰のようです。新地の北を守るのは『玄武門』でおしまいのようです。『青龍』が守るのは『東』です。
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『新地橋』の上から眺めた、中島川の支流の銅座川の川上方面の光景です。『出島』がある中島川下流とは反対方向になります。中島川は、長崎市を流れ長崎港に注ぐ二級河川です。江戸期には『大川』とも呼ばれました。
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再集合場所の近くに『出島』の東端が見えていましたので、待ち時間を利用して。短時間だけ見学しました。出島は、江戸時代の初期の1634年から2年の歳月をかけて、ポルトガル人を管理する目的で、幕府が長崎の有力商人に出資させて作らせました。江戸中期に長崎貿易を調査した大岡備前守清相の『崎陽群談』には、面積3924坪船着き場45坪と記載されています。
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『国指定史跡・出島和蘭商館跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。1638年春、幕府は、島原半島と天草諸島のキリシタンの百姓が起こした島原の乱を鎮圧しました。それ以降、幕府はキリシタンの摘発をより強化しました。1638年、幕府は長崎奉行や九州地方の大名に『第5次鎖国令』を発布して、ポルトガル人を出島から退去させ、暫くの間、出島は無人となりました。
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イチオシ
貿易利潤の損失だけでなく、土地使用料も入らなくなったために、長崎の町は困窮しました。幕府は出島築造の際に出資した人々の訴えを踏まえ、1641年に平戸のオランダ東インド会社の商館を出島に移すように求めました。オランダ側には、これに反対する意見もありましたが、商館長カロンはこれを受け入れりましました。
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右手に見えるのは『出島教会跡』の案内パネルです。以後約200年間、出島には武装と宗教活動を規制されたオランダ東インド会社社員等が居住することになり、それまでのポルトガル人同様にオランダ人も幕府の監視下に置かれることとなりました。毎年2隻のオランダ船が、季節風を利用して7 ~ 8月頃に来航しました。
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外側から眺めた、出島和蘭商館跡の塀の光景です。1651年に長崎諏訪神社の祭礼長崎くんちも始められ、中国人と共にオランダ人も桟敷席での観覧が許されました。 文政11年(1828年)9月、オランダ商館付の医師シーボルトが帰国直前、所持品の中に国外への持出し禁止の日本地図などが見付かり、贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分されました。いわゆるシーボルト事件です。
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嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、日本に来航する黒船来航事件が起きました。艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊し、一部は測量と称して江戸湾奥深くまで侵入し、幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、翌年の日米和親条約締結に至りました。日本では、この事件から明治維新までを『幕末』と呼んでいます。
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敷地の外から眺めた、『出島和蘭商館跡』の光景です。ペリー来航によって日本が開国されることになった翌年の1855年(安政2年)に日蘭和親条約締結によってオランダ人の長崎市街への出入りが許可されました。1856年には出島開放令と共に出島の日本人役人が廃止され、3年後の1859年には、出島にあったオランダ商館も閉鎖、事実上『出島』としての存在意義は失われました。1860年の『長崎海軍伝習所絵図』では、オランダの軍人を教師に、幕府海軍の海軍士官を養成する様子が描かれています。
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