2019/04/23 - 2019/04/30
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旅人のくまさんさん
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最後の見学地のタシケントの紹介です。中央アジア最大の都市とされるタシケントは、ウズベキスタン共和国の首都です。国土面積は日本の1.2倍ほどの広さですが、人口は日本の1/3ほどの国です。
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ウルゲンチ国際空港を飛び立ち、首都にあるタシケント国際空港に向かう機内からの光景です。同じ国内の移動ですから、国内線の利用でした。正確な飛行経路は分かりませんでしたが、後ほど地図で確認しますと、ほぼ東に向かってのフライトでした。
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タシケント国際空港に向かい機内からの光景が続きます。予定では、9時35分にウルゲンチを出発、12時10到着予定の2時間35分のフライトと案内されていました。直線距離で千キロほどはありそうです。タシケントは、タシュケントの日本語表記もされます。
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タシケント国際空港に到着する前に、簡単に歴史を紹介しておきます。タシケントでは、ソグド語での古名をチャーチュ、またはチャーチュカンド、ペルシャ語でもチャーチュ、アラビア語ではシャーシュと呼ばれていました。叙事詩人・フェルドウスィーがペルシア語で作詩したイラン最大の民族叙事詩の『シャー・ナーメ』にも記されています。6万対句にも及ぶ大作で、『王書』と訳されます。
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『シャー・ナーメ』は、サーサーン朝時代(226~651年)に編まれたペルシア通史の『フワダーイ・ナーマグ』を元にして、サーマーン朝(881~999年)のペルシャの詩人フェルドウスィーが980年頃から作詩に着手したといわれ、30年以上の年月をかけて1010年に完成しました。サーマーン朝が滅びたため、ガズナ朝(955~1178年)のマフムードに捧げられました。
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タシケントは、チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、またカザフ草原・天山山脈北麓の遊牧地帯とマー・ワラー・アンナフルのオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として、古代から繁栄しました。 遊牧国家の『康居』の中心地であったと推定されています。国際交易では中国にまで名を知られ、『後漢書』以来、『石国』と呼ばれました。
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玄奘三蔵の『大唐西域記』では『赭時』と書かれました。ソグド人が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は『石』姓を名乗りました。現代日本に帰化された『石』姓の方もいますが、繋がりがあるかも知れません。750年には唐の将軍高仙芝が石国に侵攻したためにシャーシュ(チャーチュ)はイスラムのアッバース朝に支援を求め、タラス河畔の戦いのきっかけになりました
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その後、さまざまなイスラム王朝と北方の遊牧民の支配を経て次第に都市住民のイスラム化・テュルク化が進展しました。次は中世の時代のタシケントの紹介です。カラハン朝の10世紀末頃から『タシュケント』の名も現れます。1214年にはホラズム・シャー朝に、1219年にはチンギス・カンに、それぞれ破壊されましたが、ティムール朝、そしてシャイバーニー朝によって町は再建されました。
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モンゴル帝国時代には、ペルシア語の『チャーチュ』やアラビア語の『シャーシュ』で呼ばれるのが一般的だったようですが、ムガル朝(1526~1858年)の始祖・バーブルの自伝の『バーブル・ナーマ』の記述では、彼が中央アジアで活躍した16世紀頃には既に『タシュケント』の方がティムール朝の王族たちなどではより一般化していたらしいことが伺えます。
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都市の名前が『チャーチュ(シャーシュ)』から『タシュケント』へ変化した要因は、『チャーチュ』の音写に由来する『石国』を、ウイグル地方などのテュルク語で直訳したためと推測されます。この呼び名が現地でも使われるようになったのは、ウイグル地方とマー・ワラー・アンナフル双方を領有していたチャガタイ国(ウルス)の影響があったようです。
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タシケント郊外の上空に達しました。眼下は、一面の市街光景になりました。ここから、タシケントの近代について紹介します。タシケントは、1809年にはコーカンド・ハン国(1709~1876年)の支配下に入りました。当時、人口は10万人を越え、ロシアとの交易で栄える経済都市となりました。1865年、帝政ロシア軍が夜間攻撃で侵攻し、激しい戦闘となりましたが、帝政ロシア軍に制圧されました。
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帝政ロシアは、タシケントを直轄領に組み入れ、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ロシアの中央アジア支配の拠点となりました。旧市街の外側にロシア人の住む新市街ができ、ロシア人商人などが続々と移住してきました。また、中央アジアをめぐるロシアと英国の衝突で、スパイの暗躍する町となったようです。
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イチオシ
1874年のトルキスタン軍管区設置や、1889年のカスピ海横断鉄道延伸などの新事業に従事する労働者階級のロシア人は、やがてロシア革命の中央アジアでの担い手となっていきました。1917年のロシア革命が起きますと、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の首都となりました。1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入され、1930年、サマルカンドに代わって首都となりました。
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1939年に第二次世界大戦が起きますと、ナチス・ドイツの侵攻を受けたヨーロッパ・ロシアから工場が疎開され、市の工業化が進みました。ロシア人の割合も急増していきました。戦後シベリア抑留を受けた日本人捕虜はここタシケントにも回され、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場のナヴォイ劇場の工事などに従事しました。 これは後程、現地で紹介します。
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タシケントの歴史紹介の締め括りに、戦後から現代についての出来事も簡単に紹介しておきます。1966年4月26日、直下型の大地震に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊しました。地震後、計画的な都市作りが行われたため、非常にソ連的な町並みとなりました。ソ連時代、ウラル山脈の東で最大の都市でしただ。アフガニスタン紛争(1978~1989年)では、ソ連の軍事的拠点となりました。
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国内線で、タシケント国際空港に到着しました。国内線で就航しているのは、ウズベキスタン国営航空機のみです。ハブ空港ともなっています。こちらの空港も舗装路はひび割れだらけでした。この地域の暑さと乾燥が厳しい気候も影響しているかも知れません。ウズベキスタン独立後の今日でも、大きなロシア人社会を抱えていますが、町並みからロシア色は消えつつあります。
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日本外務省のHPによれば、ウズベキスタンにおける民族比率は、ウズベク系(83.8%)、タジク系(4.8%)、カザフ系(2.5%)、ロシア系(2.3%):ウズベキスタン国家統計委員会、となっています。ロシア色は消えつつありますが、イスラム原理主義の動きが出ているようです。
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タシケントは、古来より、シルクロードの中継都市として、多くの人と物が集まる物流の中心地として発展してきました。現在でも大規模で、『古いバザール』を意味する『チョルス・バザール』が所在します。国内最大の商都で、中央アジア最大の都市です。これで、タシケントの歴史紹介はお終いです。ウィキペディアなどを参照しました。
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イチオシ
ウルゲンチ国際空港を飛び立った時と同じように、タシケント国際空港でも、歩いてターミナルビルに向かいました。国内線の気安さでした。空港ターミナルビルは撮影場所の背後になりますが、前方の建物に『タシケント』の大きな文字がありました。
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タシケントに到着したのはお昼時でしたから、早速、昼食のレストランに向かいました。民族舞踊を見学しながらの地元料理の昼食でした。最初に赤ワイン頼み、ゆっくりと昼食を楽しみました。
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タシケントのレストランの天井光景です。木造の温かみのある造りでした。照明器具もたくさん吊り下げられていました。レストラン内で披露される民族舞踊を考慮したもののようでした。
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同じく、タシケントのレストランの壁面付近の光景です。イスラム建築の古い町並みが描かれたらしい、単色の壁画もありました。先程の照明に比べますと、暖色系のダウンライトです。
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ウズベキスタンのダンスが始まりました。ネットでの舞踊解説では、『優雅で女性らしい動きで魅せる「フェルガナスタイル」、アクティブで力強く、リズミカルな表現が多い「ブハラスタイル」、しなやかに手を動かし、かわいらしくコミカルに踊る「ホレズムスタイル」。プロのダンサーはこの三つのスタイルを主に踊ることが多い』と紹介されていました。
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身に着ける衣装もスタイルによって異なるようですが、一人だけの踊り子さんですから、衣装は変えようがありません。ネット情報を参照しますと、コミカルに踊る『ホレズムスタイル』に近い衣装のようでした。踊りに使われる曲は、異国情緒が溢れます。
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ウズベキスタンの民族舞踊の『ウズベクダンス』は、その昔、中国では『胡旋舞(こせんぶ)』と呼ばれ、その名の通り、何度も回転するのが特徴です。ただし、室内での撮影ですから、動きの速い部分はボケてしまいましたから、写真紹介は割愛しました。以上の3枚の写真でも、コンパクトデジカメですから、指先などはボケています。
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食事の間に、二回に分けて民族舞踊の踊りを披露して戴いた女性の方です。つい、ワインも進みました。『胡旋舞(こせんぶ)』で連想するのが、『おわら風の盆』です。ずいぶん昔のことになりましたが、シルクロードの東の終点の日本伝わった文化の内の一つとの説がありました。賛否両論ありましたが、残念ながら、その結論は知りません。
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イチオシ
ウィキペディアでは、『「風の盆」の名称の由来については、風鎮祭からともお盆行事からともいわれるが、はっきりとしたことはわからない』と紹介していましたが、『古くは回り盆と呼ばれた』との紹介もありました。現在でも、哀調のある音色を奏でる胡弓が伴奏として使われているようです。
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昼食会場となったレストランの店内光景です。様々な民芸品や、歴史的にも価値がありそうな品が、壁いっぱいに展示してありました。壁に納まりきらなかったものは、棚の上にも整然と並べられていました。
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同じく、昼食会場となったレストランの店内光景です。こちらでもウズベクの踊りの絵や帽子、絵皿などが飾ってありました。古代日本と中国の繋がりは、中国の唐時代(618~907年)、日本では遣唐使を送った飛鳥時代後期から奈良時代(710~794年)、を経て平安時代初期が特筆されます。その当時の交易路は、長安(現在の西安)から開封(かいほう:河南省)を経て、博多(大宰府)当たりが有力とされます。
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昼食の後に見学に向かったのは、第二次大戦終了後に抑留された日本人が建設に携わった、オペラ劇場のナヴォイ劇場です。ソビエトのシベリヤから連行された『日本人捕虜』は、困難な立場に置かれても最大限の努力をして、ナヴォイ劇場を立派に完成させました。その近く笹いていた薄紫のチューリップの花です。
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同じく、ナヴォイ劇場の近くで咲いていた、赤色の絞りが入ったチューリップの花です。17世紀、ヨーロッパ最大の金融市場だったオランダのアムステルダムを中心に、1634~1637年にチューリップ取引ブームによる投機の過熱によって、資本主義初期の恐慌が起きています。特殊なチューリップとして、ウイルス病に罹ったモザイク・チューリップも、知識不足で高値で取引されました。
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