2019/04/23 - 2019/04/30
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イチャン・カラの紹介です。クフナ・アルクと呼ばれる古い宮殿の屋上からの眺めは、イチャン・カラが世界文化遺産の街であることを十分に納得させてくれる光景でした。自由時間を使って、十分にその景色を堪能できました。
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イチャン・カラ(内城)の中にある、クフナ・アルクと呼ばれる、古い宮殿の屋上からの眺めの紹介です。17世紀に建設された宮殿で、ヒヴァ国の歴代ハンの居城となった建物です。世界遺産の街に相応しい眺めが四方に広がっていました。現在は、ホラズム州の州都ウルゲンチの南西に位置します。
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ヒヴァは、ブハラと並ぶ中央アジアの宗教都市ですから、『聖都』の名前で呼ばれます。現在は、綿工業と製陶が町の主産業となっています。『 ヒヴァ・ハン国』は、1512年から1920年にかけて、アムダリヤの下流及び中流地域に栄えたテュルク系イスラム王朝です。シャイバーニー朝、シビル・ハン国と同じくジョチ・ウルスのシバン家に属する王朝でした。
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建国当初は、クフナ・ウルゲンチ(旧ウルゲンチ)を首都としていましたが、17世紀前半からヒヴァに遷都し、遷都後の首都の名前に由来する『ヒヴァ・ハン国』の名称で呼ばれます。クフナ・ウルゲンチを首都に定めていた政権時代は、『ウルゲンチ・ハン国』と呼ばれることもあります。
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『ヒヴァ・ハン国』の歴史紹介です。ヒヴァ・ハン国の建国者のイルバルス(ハン在位:1512~1518年)は、ウズベク国家のブハラ・ハン国(シャイバーニー朝)の創始者アブル・ハイルとは別の家系です。イルバルスの一族はアブル・ハイル家と敵対関係にあり、1500年にシャイバーニー朝のハンに即位したムハンマド・シャイバーニー・ハンの遠征事業にもイルバルスの一族は参加していません。
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1510年にシャイバーニー・ハンがサファヴィー朝との戦闘で敗死したとき、シャイバーニー朝が領有していたホラズム地方はサファヴィー朝の支配下に入りました。この時にホラズムの住民はイルバルスと彼の兄弟であるバイバルスを呼び、サファヴィー朝からの解放を願い出ました。
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1512年、イルバルスは、サファヴィー朝に一時奪われていたホラズム地方を奪回し、麾下のウズベク諸部族を中核として、トルクメン系遊牧民、オアシス都市のイラン系、テュルク系の定住民を支配下に置き、王朝を樹立しました。しかし、ホラズム地方で定住生活を営んでいたイラン系の住民は、サファヴィー朝の支配を支持し、しばらくの間はイルバルスに抵抗していました。
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1559年、ヒヴァとブハラの使節がモスクワを訪れ、ウズベク国家とロシアの交流が始まりました。ロシアからは中央アジアのロシア人奴隷を買い戻す使者が送られ、ヒヴァのハンはロシアに武器・鉛・鷹を求めました。因みに、1551年から1560年にかけて、ロシアのイヴァン4世(雷帝)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して、聖ワシリイ大聖堂を建立しています。
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話しが少し脇道に逸れますが、ロシアの聖ワシリイ大聖堂は、モスクワの赤の広場に建つロシア正教会の大聖堂です。ロシアの聖堂で最も美しい建物の一つと言われます。正式名称は『堀の生神女庇護大聖堂』です。1990年にユネスコの世界遺産に登録されました。中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く8つの小聖堂が取り囲んだカラフルな尖塔群は、一度見れば忘れることはありません。
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『ヒヴァ・ハン国』の歴史紹介に戻ります。17世紀前半には、カザフやオイラト(カルムィク)といった遊牧民の侵入と王室の内紛に苦しみ、イランの王朝やブハラ・ハン国との抗争で内情は不安定な状態に置かれていました。1593年(あるいは1594年)、ホラズム地方はブハラ・ハン国によって一時的に占領されていました。
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1570年代、アムダリヤの水路の変化によって首都のクフナ・ウルゲンチは衰退し、アラブ・ムハンマド(在位:1603~1621年)の治世の初期に、ウルゲンチはコサックから略奪を受けました。コサックは、ウクライナと南ロシアなどに15世紀以降に帝政ロシアの農奴制から逃亡した農民や没落貴族で形成された独特の軍事的共同体です。
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コサックは、18世紀以降から帝政ロシアによる自治?奪後に国境警備や領土拡張の先兵、国内の民衆運動の鎮圧などを行いました。『ヒヴァ・ハン国』の歴史紹介に戻ります。アラブ・ムハンマドの治世の末期にヒヴァに遷都されました。1621年、アラブ・ムハンマドは子のハバシュとイルバルスによって廃位されました。
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イルバルスは追放され、トルクメン人から支持を受けた王子イスファンディヤールが即位しましたが、ハン位をうかがう兄弟との戦いなど、前途多難でした。17世紀半ばに即位したアブル=ガーズィー(在位:1644~1663年)、アヌーシャ(在位:1663~1685年)親子の治世に、ハンの権力は強化され、積極的な灌漑事業、都市建設、軍事遠征が実施されました。
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イチオシ
1643年に即位したアブル・ガーズィーは、1645年に国内のトルクメンを虐殺し、彼らに代わってウズベク族出身のアミールを要職につけ、国内を安定させました。アブル・ガーズィーは内紛で混乱するブハラ・ハン国に7回の遠征を行い、ロシアなどの近隣の国家と通交しました。1646年/47年に、荒廃したウルゲンチの住民のために新たなウルゲンチが建設されました。
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アブル・ガーズィーとアヌーシャ親子の治世中に、ハン国南部に建設されたウルゲンチなどの都市と運河は、19世紀以降も主要都市、幹線運河の地位を保ち続けました。アブル・ガーズィー、アヌーシャの軍事遠征に疲弊した軍事貴族のアミール達は、アヌーシャを廃位しました。
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その後、およそ30年の間に10人以上のハンが即位しましたが、王族の出自は、一部の人物を除いて不明な点が多いとされます。これで、1512年にイルバルス1世 により始まった、『ヒヴァ・ハン国』の17世紀までの歴史紹介はおしまいです。1920年の滅亡までは、後ほど紹介します。
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左寄りに見えるミナレットは、『イスラーム・ホジャ・ミナレット』になるようです。高さ45メートルで、イチャンカラを始めとするヒヴァで最も高いミナレットとされます。近くからの光景も先に紹介しました。イスラーム・ホジャは、ヒヴァ・ハーン国の最期に大臣を務めた人物です。その名を冠したミナレットは、1912年に建設されました。
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18世紀以降の『ヒヴァ・ハン国』の紹介です。18世紀には遊牧民の侵入、王家の内紛に加えて、ウズベクとトルクメンの対立とロシアの介入がハン国を苦しめました。ヨムド部族をはじめとするトルクメン人の略奪によって、ハン国の領土は荒廃しました。18世紀後半に入った頃には更に領内は荒廃し、ヒヴァの建造物は廃墟となって住民の数は減少しました。
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1720年代末からイランで台頭したアフシャール朝のナーディル・シャーの攻撃に対して、ブハラとは反対にヒヴァは激しく抗戦しました。1740年にヒヴァはナーディル・シャーに占領され、イルバルス2世は処刑されました。1740年から1747年までの間、ハン国はイラン系のアフシャール朝(1736~1796年)に従属しました。
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木造の柱に刻まれた文様のズームアップ光景です。アラベスク文様風の、デフォルメされた植物が表現されているようでした。1763年からは、コンギラト族出身のイナク(宰相)のムハンマド・アミーンが実権を握りました。1770年にヒヴァの町はヨムド部族によって占領・略奪され、さらにハン国南部で発生した飢饉のために住民はブハラ方面に移住しました。同じく1770年にムハンマド・アミーンはブハラに亡命し、ブハラのダーニヤール・ビーの支援を受けてヨムド部族からヒヴァを奪回しました。国政を掌握したムハンマド・アミーンは自らハン位に就かず、傀儡のハンを立てて他のアミールと争いました。
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出入口を額縁にして眺めた光景です。近くがイチャン・カラ(内城)、遠くがデシャン・カラ(外城)の光景になります。ハン国の実権を握るイナクたちは北方に居住するチンギス・ハーンの子孫を代々傀儡のハンとして擁立しましたが、1804年にムハンマド・アミーンの孫イルテュゼル(イルタザル)はアブル・ガーズィー5世を廃位し、チンギス裔をハンとしないイナク朝を創始しました。
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左側のカラフルな塔が、何度も紹介する『カルタ・ミナル・ミナレット』です。『カルタ』は『短い』という意味で、直訳すると『短い塔』になります。高さ28メートルとされますが、塔の上部が完成していれば、100メートルを超える高さになっていたようです。
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『ヒヴァ・ハン国』の滅亡についての紹介です。イスファンディヤル・ハン(在位:1910~1918年)の時代には大臣のイスラーム・ホジャがロシアを規範とした近代化政策を進め、郵便局、学校、病院を建設しますが、彼の人望を恐れたハンと聖職者によって処刑されました。1916年初頭には、トルクメン人のジュナイド・ハンによってヒヴァが占領されました。
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イスファンディヤルはロシア軍の力を借りてトルクメン人を追放しました。1917年の2月革命によって帝政ロシアが打倒され、『青年ヒヴァ人』を称する知識人達がジャディード運動と呼ばれる改革を展開しましたが、指導者は処刑されました。1920年2月2日にサイード・アブドゥッラーは退位を宣言して憲法制定会議の招集を布告し、4月にホラズム人民ソビエト共和国が成立しました。
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屋上からの眺めでも視野に入っていた、クフナ・アルク城内での民族舞踊と演奏のリハーサル光景の紹介です。舞台のように一段高くなった場所に勢揃いして、リハーサルの打ち合わせのようでした。民族衣装に身を包んだ、20名以上の方達です。
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リハーサルでの要点のチェック光景のようでした。伴奏に合わせて、白い衣装の男性の踊り手の方達が踊り始めました。タイミングの確認のような、軽い踊り方でした。伴奏も、全員ではなく主な楽器だけでした。
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タイミングなどの確認が済んだようです。踊り手の方達が階段を下りて、一段低くなった場所に移動を始めました。一段低くなった場所が、観客席と同じ高さでした。ウズベキスタンの民族楽器の内、弦楽器の紹介です。ドゥタール(リュートに似た楽器)、ルバーブ(同)、タンブール(同)、タール(同)、ウード (同)、ギジャク (ヴァイオリンに似た弦楽器)、チャング(打弦楽器)などがあります。
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女性の踊り子の方達も揃いました。民族衣装に白い羽飾飾り姿です。次は、ウズベキスタンの民族楽器の内、吹奏楽器の紹介です。カルナイ(トランペットに似た楽器)、ナーイ(笛)、クシュナイ(クラリネットに似た楽器)、スルナイ(オーボエに似た楽器)などです。コメディアン風の男性の姿もあります。年パの方の方が、タンバリンを手にしていました。
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女性の方達の踊りが始まりました。指先や腕の動き、身体の回転がメインの踊りのようでした。最後に、ウズベキスタンの民族楽器の内、打楽器の紹介です。ダーイラ(タンバリンに似た楽器)、ダヴール(ドラム)、ナガラ(棒で叩く小型の太鼓)、カシク(バチ)、ザング(ブレスレット)などです。男性二人も、まだ踊りの輪の中です。
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1950年代にソビエト連邦によりラジオ局に伝統音楽禁止令が出されましたが、禁止令下においても民族音楽を演奏する音楽グループは活動を続け、個人の間で広まっていきました。
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1991年、ウズベキスタンがソビエト連邦から独立を果たすと、ウズベキスタンの伝統音楽に対する関心が高まり、ウズベキスタンのテレビやラジオ局では伝統音楽が放送されるようになりました。
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