2019/04/23 - 2019/04/30
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旅人のくまさんさん
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ブハラのアルク城の展示品や、城壁の紹介です。かつては、シルクロード中継点の町として栄えましたが、現在は観光誘致が主流になっているようでした。世界文化遺産に登録された、ブハラの旧市街が保存されたのが大きいようです。
- 交通手段
- 観光バス
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(1)最上段:『Tray』:お盆
(2)二段目左:『Suger-basin』:砂糖入れ
(3)二段目右:『Milk jug』:ミルク入れ
(4)下段左端:『Soup Welding』:スープ保温器?
(5)下段中央上:『Decanter』:デカンター
(6):下段右端:『Samovar』:サモワール(ロシアのお茶用湯沸かし器)
(7)下段中央下:『Iron』:鉄 -
(1)『Tray』
(2)『Suger-basin]
(3)『Milk jug』
(4)『Soup Welding』
(5)『Decanter』
(6)『Samovar』
(7)『Iron』 -
(1)最上段:『Tray』:金属製のお盆
(2)(3)二段目左右:『Vessel for boiling water』:銅製湯沸し器
(4)卓上左端:『Bowl forSweats』:銅製甘い物碗
(5)卓中央左:『『Tea-pot』:銅製茶器
(6)卓中央右:『『Piala』:銅製の小碗?
(7)卓上右端:読み取れず(銅製の広口容器) -
(1)『Tray』
(2)(3)『Vessel for boiling water』
(4)『Bowl forSweats』
(5)『Tea-pot』
(6)『Piala』
(7) 読み取れず -
(1)『Minaitua Hazrat Ali』
(2)『Vessel』
(3)『Lid for closing the Vessel』
(4)『Pot』 -
(1)最上段:『Minaitua Hazrat Ali』:ハズラト・アリーの馬上姿の絵です。
(2)卓上左端:『Vessel』:イラン製(20世紀初頭):調理用らしい銅容器です。
(3)卓上中央:『Lid for closing the Vessel』:平底の銅容器です。
(4)卓上右端『Pot』:調理用らしい蓋付の銅容器です。 -
(6)『Vase(花瓶)』
制作国不明
(年代不詳)
白地に、濃い藍色で描かれた樹木などです。首のところに、明るい色の緑が使われ、アクセントになっていました。 -
『Vase(花瓶)』
制作国不明
(年代不詳)
デフォルメされた花が、赤地をベースに描かれています。日本産より、中国産のイメージが強い花瓶です。 -
イチオシ
(1)『Vase(花瓶)』
制作国不明
(年代不詳)
花瓶は、一般には置物ですが、壁に掛けて用いるものは『掛け花瓶』と呼ばれるようです。日本産のイメージがする花柄を描いた花瓶です。 -
(8)『Tea-pot(茶器)』
制作国不明
(年代不詳)
中国産のイメージがする絵柄の、紅茶用のポットのようです。 -
展示室の壁と天井の光景です。壁を細工して収納された展示品が数多くありました。納戸も戦災に遭い、焼け落ちた建物が再建されたものかも知れません。
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展示室の天井のズームアップ光景です。細工が保留され、補強を行ったように見える箇所がありました。柱が少し細くなり、浅く彫刻された箇所です。
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アルク城の屋上を取り囲む塀の光景です。その塀の上から、アルク城の城門の先端や、近くの遊園地の展望台が見えていました。展望台からも、こちらの景色がよく見えているようです。
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塀が低くなった場所から眺めた、ブハラの町の光景です。高層ビルのない、穏やかな町並が広がっていました。ブハラは内陸部ですが、この方角には、山並みが全く見えませんでした。
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イチオシ
先ほど見学した、アルク城の屋上にあった博物館の光景です。建物を博物館に流用したためと思われる、出入口の高さ調整と人の移動のための外付の階段がありました。
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日本の神社の『番塀(番塀)』に例えて説明した衝立風の施設です。その前の説明看板は、元は屋根があったこの場所全体の説明の『The Throne Hall(玉座の間)』のタイトルでした。
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アルク城内の見学を終え、城内の博物館も見学しましたので、これで、アルク城とはお別れです。人の流れが出来ている方向が出口になるようです。
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アルク城の見学を終え、退出した時の光景です。同じ門を潜りました。ここで、現在は旧市街が世界文化遺産となっているブハラの歴史についての簡単な紹介です。ブハラの歴史は古く、紀元前5世紀には都市が成立していたということが分かっています。
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ブハラにイスラムの勢力が入ってきたのは8世紀に入ってからです。ウマイヤ朝に征服されて以来、イスラム化が進みました。ウマイヤ朝は、イスラム史上最初の世襲イスラム王朝(661~750年)です。預言者ムハンマド亡き後のイスラム共同体のイスラム国家の指導者、最高権威者は『カリフ』と呼ばれます。原義は『後継者』とされ、預言者ムハンマドを代理するもの意です。ウマイヤ朝の初代カリフは、『ムアーウィヤ(在位:661~680年)でした。 イスラムの預言者・ムハンマドと父祖を同じくするクライシュ族の名門で、メッカの指導層だったウマイヤ家による世襲王朝です。
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ウマイヤ朝は、第4代正統カリフであるアリー(在位:656~661年)との抗争で、660年、自らカリフを名乗ったシリア総督ムアーウィヤが、661年のハワーリジュ派によるアリー暗殺の結果、カリフ位を認めさせて成立した王朝とされます。首都はシリアのダマスカスでした。ムアーウィヤの死後、次代以降のカリフをウマイヤ家の一族によって世襲したため、ムアーウィヤ(1世)からマルワーン2世までの14人のカリフによる王朝を『ウマイヤ朝』と呼びます。
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ウマイヤ朝は、同じイスラム王朝のアッバース朝(750~1258年)により、750年に滅ぼされました。アッバース朝によって滅ぼされたウマイヤ朝ですが、ムアーウィヤの後裔の一人、アブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝(756~1031年)を建てました。この呼称は日本だけの慣用とされ、史料では『アンダルスのウマイヤ朝』、『コルドバのウマイヤ朝』と呼ばれます。
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ウマイヤ朝は、カリフ位の世襲制をした最初のイスラム王朝であり、アラブ人でムスリムである集団による階級的な異教異民族支配を国家の統治原理とするアラブ帝国でした。非ムスリムだけでなく非アラブ人のムスリムにもズィンミー(庇護民)として人頭税(ジズヤ)と地租(ハラージュ)の納税義務を負わせる一方、ムスリムのアラブ人には免税となるアラブ至上主義を敷きました。
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ウマイヤ朝は、ディーワーン制や駅伝制の整備、行政用語の統一やアラブ貨幣鋳造など、イスラム国家の基盤を築いたとされます。 ディーワーン制は、イスラム国家の行政機関で『庁』あるいは『局』を指す言葉です。ムアーウィヤ1世は『ディーワーン体制』の確立を進め、勅令管理・文書・軍事・徴税・駅逓に関する庁をが整備しました。
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時代を少し遡りますが、630年、メッカの指導者として預言者ムハンマド(570頃 ~632年)と対立していたウマイヤ家の当主アブー・スフヤーン(565頃~653年頃)は、メッカ市民に抵抗を止めさせムスリム軍に降服してメッカの無血開城を導き、ムスリムとなってムハンマドに従いました。アブー・スフヤーンはその後も、ムハンマドの戦役にいくつか参加しました。
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アブー・スフヤーンの息子のヤズィードとムアーウィヤは、ムハンマドの側近の書記として近侍し、活躍しました。 634年、正統カリフ・アブー・バクルの時代になると、対東ローマ戦線におけるシリア方面軍司令の一人としてヤズィードが派遣され、ムアーウィヤも同行しましたが、悪疫の流行に苦しめられました。639年にシリア一帯で流行したという悪疫によって先任のシリア総督アブー・ウバイダらシリア方面軍の将卒の多くが病死し、次代の正統カリフ・ウマルはまずヤズィードに次代総督を任せた
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639年、シリア一帯で流行した悪疫によって先任のシリア総督アブー・ウバイダらシリア方面軍の将卒の多くが病死し、次代の正統カリフ・ウマル(592?~ 644年)は、まずヤズィードに次代総督を任せました。同年のカエサリア遠征中にそのヤズィードもダマスカスで病死し、ウマルはカエサリアの包囲戦に従事していた弟のムアーウィヤにシリア総督職を命じました。
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656年、同じウマイヤ家の長老だった第3代カリフのウスマーン( 574年?/76年?~ 656年)がメディナでの暴動で殺害されました。ムアーウィヤは、その責任と血族としての報復の権利を求めて、クーファで第4代カリフに即位したアリーと対立し、スィッフィーンの戦いなど軍事衝突にまで発展しました。661年、ハワーリジュ派によるアリー暗殺により決着しました。
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アリーを暗殺したハワーリージュ派は、イスラム教の初期に多数派(のちのスンナ派とシーア派)から政治的理由で分離することで成立した派です。大部分はウマイヤ朝の圧力を受け消滅し、現存するものは、その分派の一つで穏健派のイバード派のみとされます。ムアーウィヤは、ダマスカスで忠誠の誓い(バイア)を受けて、イスラム世界唯一のカリフとして正式に承認されました。
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イチオシ
ムアーウィヤは、正統カリフ時代より続いていた大征服活動を展開してい行きました。攻撃対象は、サーサーン朝(226~651年)との抗争で衰弱していた東ローマ帝国(395年分裂で成立~1453年)でした。ムアーウィヤ死後、ヤズィード1世(647~683年)がカリフとなりました。内乱(680~692年)の始まりです。ヤズィード1世即位直後の680年10月10日、『カルバラーの悲劇』が起きました。
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ヤズィードは、この戦いに完勝した後、フサインの子や妻、支持者を投獄・奴隷化するなどし、アリー家の勢力を一時的に粉砕することに成功しました。しかし、ヤズィードはこの戦いが原因で全シーア派から凄まじい憎しみを浴びせられ、現在でもこの事件は、シーア派とスンナ派の感情的しこりとなって残っています。ブハラにイスラムの勢力が入ってきた8世紀前後の歴史の説明は一旦終了します。
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