2019/05/24 - 2019/05/28
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旅人のくまさんさん
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インパール作戦で亡くなった日本人慰霊碑があった、タビニュ―僧院の参拝を終え、次に見学したのはタビニュ―寺院です。タビニュ―僧院に隣接した場所にありました。続いて、ティーローミンロー寺院を見学しました。
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タビニュ―僧院に隣接した場所にあったタビニュー寺院の正面光景です。タビィニュ寺院は、1144年に4代目のアラウンシートゥー王により建てられました。高さは約61メートル、バガンで最も高いパゴダです。創建されたのは、日本では鎌倉時代(1185~1333年)になります。
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ズームアップした、タビニュー寺院の正面光景です。タビニュ―寺院の名前の意味は、『全知者』とされます。『仏陀』の意味もあるようです。4代目のアラウンシートゥー王(在位:1112/1113~1167年)は、父のソウユンは第2代国王ソウルーの子で、母のシュウェ・エインティは第3代国王チャンシッターの娘です。少し変わった感じの入口門のデザインです。
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タビニュー寺院の入口近くで咲いていた、ファイアー・ツリーの光景です。逆光での撮影になってしまいましたが、世界三大花木に数えられる美花を咲かせます。
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タビニュー寺院では、金色の仏座像が多く祀られていました。その仏座像を中心に紹介しますが、その前に、この寺院を建立したバガン王朝4代目のアラウンシートゥー王と、それまでの王朝の歴史などについて紹介しておきます。
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ビルマ族最初の王朝であるパガン王朝は、ビルマ語による年代記(ビルマ語王統史)での記述によれば、国王が55代続いたと記述されていますが、出土品と碑文から、実在性は疑わしいとするのが通説のようです。その年代記における雅称は、『アリー・マッダナ・プーラ(征敵の都)』とされます。
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こちらは、まだ新しい造りの仏座像です。説明文がありましたが、すべてミャンマー語(ビルマ語)でした。パガン王朝の歴史に戻ります。首都はパガンで、『パガン』とは『ピュー族の集落』を意味する『ピュー・ガーマ』が転訛したものと考えられています。また、『パガン』は、現在は『バガン』の日本語表記に代わっています。
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現存する出土品から、初めて実在が確認されているのは、王統史の言う『44代目』の『アノーヤター(1014~1077年)』が最初の王とされます。在位は、1044年8月11日~1077年4月11日と王統史に述されているようです。また、伝説によれば、ニャウン・ウ・ソウラハンと呼ばれるビルマ人の王がいましたが、これを暗殺し王に就いたクンソウ・チャウンピューの息子とされます。
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ウィキペディアの記述を引用した、パガン王朝初代の『アノーヤター王』の紹介を続けます。アノーヤターは、ソウラハンの息子がチャウンピューを殺し、王位に就いたのを見て、逆にこれを暗殺し王位に就いたようです。軍人としてのアノーヤターは、それまでエーヤワディー川沿いを中心に展開していたパガン王朝の領土拡大を画策しました。モン族の支配するタトンや、シャン族を掌握、遠くインド、雲南まで兵を送りました。これにより、パガン王朝は、東南アジアの一大王国となりました。
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現地ガイドさんからは、『お供え物の台』とお聞きしましたが、なんとなく、いけにえ台のイメージもありました。表面が黒ずんでいたことからの連想だったかも知れません。縁が少し高くなった石造の台のようです。
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化粧漆喰で仕上げられていた天井光景です。アノーヤターは、内政面では、それまで時に王の威光をも凌いでいた、アリー僧と呼ばれる大乗仏教僧とされる宗教集団がいましたが、これを嫌ってその集団を解散させ、『シン・アラハン(?~1115年?)』と呼ばれるモン族の上座部仏教僧により、国内を上座部仏教本位にしました。
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真偽のほどはともかく、古い密教の一派のアリー僧が、6万人の弟子を抱え淫らな暮らしを送っていたとも伝わります。アリー僧の傍若無人な振る舞いに頭を悩ましていたアノーヤターの前に、救世主アンマダッシーが現れました。アリー僧とは対照的に戒めと秩序を重んじるアンマダッシーに対し、跪いて悩みを打ち明けたと言われます。アンマダッシーは仏教を熱心に説きました。
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仏教に目覚めたアノーヤター王は、宗教改革に乗り出しました。軍隊を使ってアリー僧たちを一掃し、秩序を取り戻しました。アノーヤター王は、数々のパゴダや寺院を建立し、その後も歴代の王や庶民は次々と仏教施設を作りつづけました。アノーヤター王は、1077年に森の中で不慮の死を遂げますが、この王がビルマを一大民族に仕立てた功績は、その後も語り継がれ、ビルマでは英雄視されています。
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アノーヤターの名前が刻まれた磚仏は、彼が実在の王であることを示すとともに、その出土地は彼が築城したと王統史に記録される城砦とほぼ一致していて、最初期のパガン王朝の支配領域が推測できるとされます。パガン王朝の第2代国王は、アノーヤターの子の『ソウルー(1049~1084年)』が継ぎました。在位は、1077~1084年と10年足らずでした。史料には『シュリ・ヴァジュラー・パラナ・トリブパテイ(神聖な金剛杵の持ち主である三界の所有者)』とも書かれます。
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パガン王朝の第3代国王は初代のアノーヤターとの血は繋がらないとする説が強い、『チャンシッター(1030~1113年)』、在位は、1084~1113年と、30年に近い長期でした。王統史内の記述にチャンシッターがアノーヤターの血筋に連ならないことを示唆する箇所が複数あると指摘や、アーナンダ寺院内のチャンシッター像の容貌が、ビルマ族には無い特徴を備え、インドの人種に近いことを指摘しているためです。
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チャンシッターは、アノーヤター王の配下として遠征に従軍し、モン王国遠征で戦功を立てるなど活躍しましたが、ペグーからパガンに貢物と共に贈られた王女キン・ウを巡る問題で、アノーヤター王から王宮を追放され、隠棲生活を送りました。しかし、アノーヤターの子・ソウルーが即位した後、チャンシッターは宮廷に呼び戻されました。チャンシッターは、ソウルーより20歳ほど年上です。
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特別に大切にされている仏像のようでした。触ることができないよう、前面にガラスか、アクリル板が設けられていました。パガン王朝の歴史の話しに戻ります。宮廷に呼び戻されたチャンシッターですが、再びキン・ウと関係を持ったため、ラングーン(現在のヤンゴン)付近のダラに左遷されました。ペグーのモン族がソウルー王に対して反乱を起こすと討伐に従軍し、鎮圧中にソウルーが戦死すると、廷臣たちによって王に擁立されました。
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チャンシッターは、モン族に勝利した後、大僧正シン・アラハンによって戴冠され、正式にパガンの王に即位しました。チャンシッターは、治世においては灌漑を積極的に進めるとともに、ビルマ族とモン族の融和政策を実施しました。チャンシッターの治世に残された碑文は、全てモン語で書かれています。血筋を表す符合になるようです。チャンシッター在位中の建築事業としては、ナガヨン寺院、アベーヤダナー寺院が建立され、またアノーヤターの治世に着工されたシュエズィーゴン・パゴダが完成しました。
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第3代王のチャンシッターには、シュウェ・エインティという娘がいて、第2代王のソウルーの子・ソウユンと結婚させました。二人の間に男子(アラウンシードゥー)が生まれると、チャンシッターは大いに喜び、アラウンシードゥー(1090~1167年)を後継者に指名しました。彼がパガンに建築した仏塔寺院としては、1131年に建立したシュエグージー寺院と1144年に建立したタッビンニュ寺院の二つが現存します。これで第4代王までのバガン王朝の暦紹介はおしまいです。
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これでタビニュー寺院の見学はお終いです。栄華を極めたバガン王朝は、13世紀に滅亡しました。パガン王朝最後の王ナラティハパテ(1256~1287年)は、政治には無頓着で、仏教にのめりこみ過ぎたようです。元(げん)のフビライ・ハン(1215~1294年)の軍隊は、1287年、パガン王朝に侵攻、モンゴル軍の侵略にナラティハパテ王は逃走、パガン王朝は滅亡しました。
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タビニュー寺院の見学を終えて、次はティーローミンロー寺院の見学です。制服姿の後ろ向きの人達は、パフォーマンスが終わった後での一休み中です。高校生ぐらいの人達でした。ここまでは、タビニュー寺院の近くでの撮影です。
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ティーローミンロー寺院の正面光景です。赤レンガ造りの建物ですが、かつては、白漆喰で表面化粧がされていたようです。1218年、バガン王朝第8代王のナンダウンミャー王(在位:1211~1234年)によって建設された寺院です。1975年のバガンを襲った地震によって大きく破損しましたが、その後、復元されました。
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ここからは、入場してのティーローミンロー寺院の見学です。外装は赤レンガの素地が見える赤色でしたが、内装は、化粧漆喰の白い色が残っていました。そのドームの奥に置かれた仏座像の頭部光景です。
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少しズームアップした、アーチ型の回廊と、その奥に祀られた仏座像の光景です。少し下向加減で瞑想されるお姿でした。青い被り物に見えるのは、電飾用の施設のようでしたが、セロテープのようなもので安易に張り付けてあるところが気になりました。
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更にズームアップした、奥に祀られた仏座像の光景です。寺院内には、4体の大きな黄金の御本尊の仏像が、それぞれ東西南北を向いて安置されていますが、写真紹介はできませんでした。この座像は御本尊ではないようです。賽銭箱が並び、切り花が手向けられていました。
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仏座像のお顔のズームアップ光景です。ふくよかで、穏やかなお顔での瞑想姿でした。この寺院で、人気の高い仏像の一つのように見えました。瞑想姿ですが、口元には微笑みが感じられました。
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真っ暗な回廊光景ですが、見学者用に電球が灯されていました。仏教を題材にした美しい壁画やフレスコ壁画もあるようですが、目にすることも写真撮影もできませんでした。ネット情報では、かなり色褪せてしまっているものも多いようです。
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赤い僧衣を身に着けた仏座像の光景です。その赤い僧衣と、白い肌の対比が印象的な座像でした。右手の甲を表にして下に垂らし、左手の掌を上にしてお腹の前に置いた印相は、すべて一緒でした。
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同じく、赤い僧衣を身に着けた仏座像の光景です。右手の印相は、『触地印(そくじいん)』になるようです。坐像のみに表現される印相で、『降魔印(ごうまいん)』とも呼ばれるようです。反対側の手は、腹の前で拳を握っていたりしますが、この印は,悪魔(自分の心のなかの煩悩)に打ち勝つ形で、釈迦が悟りを開いたときに取っていたポーズとされます。
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赤い僧衣を身に着けた仏座像の頭部のズームアップ光景です。どことなく写実的な雰囲気を漂わせたお顔でした。写実的でないと思わせるのは、仏像であることを示す大きな福耳です。
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ティーローミンロー寺院の赤煉瓦壁のズームアップ光景です。焼物とは思えない精緻な造りで、継ぎ目の隙間が見当たりませんでした。
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