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パガン王朝の歴代王の一人、チャンスィッターが1091年に建立した、アーナンダー寺院紹介の締め括りです。オールドバガン・エリアにあり、バガンで最も参拝者が多い寺院の一つとされます。釈迦の10大弟子の一人、『阿南陀』に因む名前の寺院です。

2019春、ミャンマー旅行記(10/25):5月25日(6):バガン(4):アーナンダー寺院、タビニュ僧院、日本人慰霊碑

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2019/05/24 - 2019/05/28

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旅行記グループ 2019春、ミャンマーの旅

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旅人のくまさん

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パガン王朝の歴代王の一人、チャンスィッターが1091年に建立した、アーナンダー寺院紹介の締め括りです。オールドバガン・エリアにあり、バガンで最も参拝者が多い寺院の一つとされます。釈迦の10大弟子の一人、『阿南陀』に因む名前の寺院です。

交通手段
観光バス

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  • アーナンダ寺院紹介の続きです。振り返って眺めた、先ほど潜った扉の光景です。重厚な木製の扉でした。保存されたものか、修復されたものかは判断が付きませんが、この辺りは、白い漆喰壁と天井でした。

    アーナンダ寺院紹介の続きです。振り返って眺めた、先ほど潜った扉の光景です。重厚な木製の扉でした。保存されたものか、修復されたものかは判断が付きませんが、この辺りは、白い漆喰壁と天井でした。

  • アーナンダ寺院には、東西南北に四箇所の入口と参道があり、内部には回廊が二重にありました。その参道入口の奥には、それぞれ高さ9.5メートルの仏像が安置されていました。その黄金仏像の一つです。『南の御本尊』です。

    アーナンダ寺院には、東西南北に四箇所の入口と参道があり、内部には回廊が二重にありました。その参道入口の奥には、それぞれ高さ9.5メートルの仏像が安置されていました。その黄金仏像の一つです。『南の御本尊』です。

  • 寺院の中ですから、入口で靴と靴下を脱いでの参観でした。かつせの内側の回廊は、王族と宮廷人用で、外側の回廊は、庶民用と区分されていました。この回廊は、外側の回廊になるようです。

    寺院の中ですから、入口で靴と靴下を脱いでの参観でした。かつせの内側の回廊は、王族と宮廷人用で、外側の回廊は、庶民用と区分されていました。この回廊は、外側の回廊になるようです。

  • 外側の回廊の光景が続きます。所々から、内側回廊を目にすることができました。壁には、仏像安置用の窪みが設けられ、それぞれに仏像が安置されていました。

    外側の回廊の光景が続きます。所々から、内側回廊を目にすることができました。壁には、仏像安置用の窪みが設けられ、それぞれに仏像が安置されていました。

  • 『見る位置によって、表情が変わって』と、現地ガイドさんから教えて貰いましたので、前後に移動しながら拝観した『南の御本尊』です。『庶民が見る遠くからですと優しく見えますが、王族が見る近くからですと、厳しい表情に見える』と紹介されています。北と南の御本尊は、創建時の11世紀のものとされますが、東西の仏像は、焼失し、14~15世紀の制作とされます。材質は、1本の松の木が使われているようです。

    イチオシ

    『見る位置によって、表情が変わって』と、現地ガイドさんから教えて貰いましたので、前後に移動しながら拝観した『南の御本尊』です。『庶民が見る遠くからですと優しく見えますが、王族が見る近くからですと、厳しい表情に見える』と紹介されています。北と南の御本尊は、創建時の11世紀のものとされますが、東西の仏像は、焼失し、14~15世紀の制作とされます。材質は、1本の松の木が使われているようです。

  • 近くから眺めた、『南の御本尊』のズームアップ光景です。口元が、下向きに『くの字』に曲がり、なんとなく厳しそうなお顔に見えます。

    近くから眺めた、『南の御本尊』のズームアップ光景です。口元が、下向きに『くの字』に曲がり、なんとなく厳しそうなお顔に見えます。

  • 同じく、少し離れた場所から眺めた『『南の御本尊』のズームアップ光景です。表情が少し和らいできたようにも見えます。目の部分の表現も、遠近差を考慮した部分があったかも知れませんが、詳しくは読み取れませんでした。むしろ、離れた場所の方が厳しい眼付きにも思えました。

    同じく、少し離れた場所から眺めた『『南の御本尊』のズームアップ光景です。表情が少し和らいできたようにも見えます。目の部分の表現も、遠近差を考慮した部分があったかも知れませんが、詳しくは読み取れませんでした。むしろ、離れた場所の方が厳しい眼付きにも思えました。

  • 同じく、遠くから眺めた『南の御本尊』のお顔の光景です。口元がほぼ直線になり、優しそうなお顔に見えます。

    同じく、遠くから眺めた『南の御本尊』のお顔の光景です。口元がほぼ直線になり、優しそうなお顔に見えます。

  • 参考のために続けて紹介する、『西の御本尊』のお顔のズームアップ光景です。近くからでも、遠くからでもお顔が変わらない御本尊です。

    参考のために続けて紹介する、『西の御本尊』のお顔のズームアップ光景です。近くからでも、遠くからでもお顔が変わらない御本尊です。

  • 回廊の壁には、多くの仏像が祀られていましたが、その全部を撮影する時間はありませんでしたから、ほんの少しだけを紹介しておきます。推測ですが、かつての庶民が好んだ仏像が、それぞれに決められていたかも知れません。

    回廊の壁には、多くの仏像が祀られていましたが、その全部を撮影する時間はありませんでしたから、ほんの少しだけを紹介しておきます。推測ですが、かつての庶民が好んだ仏像が、それぞれに決められていたかも知れません。

  • 同じく、回廊の壁に祀られた小さな仏像の光景です。外の回廊の方が、明り採りは出来たようですから、小さな仏像でも、身近に拝むことができたかも知れません、台座に礼拝する四人のレリーフ像がありました。

    同じく、回廊の壁に祀られた小さな仏像の光景です。外の回廊の方が、明り採りは出来たようですから、小さな仏像でも、身近に拝むことができたかも知れません、台座に礼拝する四人のレリーフ像がありました。

  • 西に置かれた『ご本尊』の光景です。表情は、近くから眺めても、遠くからでも変化が造りと現地ガイドさんから教えて貰いました。こちらが近くから眺めた光景です。11世紀に造られた仏像とされます。

    イチオシ

    西に置かれた『ご本尊』の光景です。表情は、近くから眺めても、遠くからでも変化が造りと現地ガイドさんから教えて貰いました。こちらが近くから眺めた光景です。11世紀に造られた仏像とされます。

  • 西に置かれた『ご本尊』のお顔のズームアップ光景です。遠近差で表情が変わるのは、口元が真っすぐか、曲げて表現されているのも大きいように感じました。この像は真っすぐですから、表情があまり変わりません。

    西に置かれた『ご本尊』のお顔のズームアップ光景です。遠近差で表情が変わるのは、口元が真っすぐか、曲げて表現されているのも大きいように感じました。この像は真っすぐですから、表情があまり変わりません。

  • 少し離れた場所から眺めた、『西のご本尊』の光景です。表情は、ほとんど変わっていないように見受けました。

    少し離れた場所から眺めた、『西のご本尊』の光景です。表情は、ほとんど変わっていないように見受けました。

  • 見覚えがある御本尊の場所に戻って来ました。これで外の回廊も一回りを終えました。北の『ご本尊』の光景です。見る場所によって表情が変わって見えると教えて貰った御本尊です。

    見覚えがある御本尊の場所に戻って来ました。これで外の回廊も一回りを終えました。北の『ご本尊』の光景です。見る場所によって表情が変わって見えると教えて貰った御本尊です。

  • 日本の神社などで例えれば、浄めの水になるようです。涼しそうな場所が、ワンちゃんのお休み処になっていました。

    日本の神社などで例えれば、浄めの水になるようです。涼しそうな場所が、ワンちゃんのお休み処になっていました。

  • 『ANANDA PHAYA』の大きな文字が記された看板の光景です。同じことが、ミャンマー語でも記されているようでした。『アーナンダ寺院(パーヤ)』の意味のようです。

    『ANANDA PHAYA』の大きな文字が記された看板の光景です。同じことが、ミャンマー語でも記されているようでした。『アーナンダ寺院(パーヤ)』の意味のようです。

  • 通り道の両脇がお土産店になっていました。コンパクトな門前市といった感じでした。アーナンダ寺院の見学を終えて、帰り道での撮影です。

    通り道の両脇がお土産店になっていました。コンパクトな門前市といった感じでした。アーナンダ寺院の見学を終えて、帰り道での撮影です。

  • 昼食のレストランの庭園光景です。ブーゲンビリアの花が咲き盛っていました。他にも紹介したい花がありましたが、これだけにしておきます。

    昼食のレストランの庭園光景です。ブーゲンビリアの花が咲き盛っていました。他にも紹介したい花がありましたが、これだけにしておきます。

  • 昼食のレストランの庭園から眺めた大河の光景です。レストランの位置が分かりませんでしたが、この大きさから判断すれば、エーヤワディー川のようです。

    昼食のレストランの庭園から眺めた大河の光景です。レストランの位置が分かりませんでしたが、この大きさから判断すれば、エーヤワディー川のようです。

  • 昼食のレストランの庭園から眺めたエーヤワディー川らしい大河の光景です。写真は省略しましたが、ビールを飲みながら屋外席でゆっくりと昼食を楽しみました。

    昼食のレストランの庭園から眺めたエーヤワディー川らしい大河の光景です。写真は省略しましたが、ビールを飲みながら屋外席でゆっくりと昼食を楽しみました。

  • 昼食の後、一旦ホテルに戻り、日中の一番日差しが強い時間帯に小休止しました。2時間ほどの小休止でしたから、ゆっくりとシャワーを浴びることもできました。

    昼食の後、一旦ホテルに戻り、日中の一番日差しが強い時間帯に小休止しました。2時間ほどの小休止でしたから、ゆっくりとシャワーを浴びることもできました。

  • 暑い日中の小休止に戻ったホテルの自室の光景です。外から部屋に戻った時、クーラーも効かせてありました。

    暑い日中の小休止に戻ったホテルの自室の光景です。外から部屋に戻った時、クーラーも効かせてありました。

  • 日本人慰霊碑が設けられた、タビニュ僧院の入口門の光景です。ミャンマーでは個人のお墓を建てる習慣がなく、目の行き届かない敷地外などにお墓や慰霊碑を設けた場合、子供さん達の遊び場などになってしまうようです。そのためにこの僧院の中に慰霊碑が設けられました。

    イチオシ

    日本人慰霊碑が設けられた、タビニュ僧院の入口門の光景です。ミャンマーでは個人のお墓を建てる習慣がなく、目の行き届かない敷地外などにお墓や慰霊碑を設けた場合、子供さん達の遊び場などになってしまうようです。そのためにこの僧院の中に慰霊碑が設けられました。

  • 先程の黄金色の入口門を潜って、左手にあった慰霊碑の光景です。現地ガイドさんが予め連絡を取り、線香を用意して戴きました。『異例』の文字が刻まれた日本人慰霊の石碑の光景です。

    先程の黄金色の入口門を潜って、左手にあった慰霊碑の光景です。現地ガイドさんが予め連絡を取り、線香を用意して戴きました。『異例』の文字が刻まれた日本人慰霊の石碑の光景です。

  • こちらの慰霊碑期は『鎮魂』の文字が刻まれていました。左下の石碑には『パガン慰霊堂建立碑』のタイトルと趣旨が記されていました。1992年建立のこの碑は、第33師団の戦友遺族会と、ミャンマー友好協会の連名でした。右下の碑には、同様の趣旨が、ミャンマー語で刻まれているようでした。第15師団・第31師団とともにインパール作戦に参加した陸軍師団です。

    こちらの慰霊碑期は『鎮魂』の文字が刻まれていました。左下の石碑には『パガン慰霊堂建立碑』のタイトルと趣旨が記されていました。1992年建立のこの碑は、第33師団の戦友遺族会と、ミャンマー友好協会の連名でした。右下の碑には、同様の趣旨が、ミャンマー語で刻まれているようでした。第15師団・第31師団とともにインパール作戦に参加した陸軍師団です。

  • 左手に見える石標には、『弓部隊戦没勇士之墓』の文字が刻まれえ散ました。第33師団は日中戦争開戦後、占領地の警備や治安維持を目的として1939年(昭和14年)2月に新設された師団の一つです。宮城県仙台市で編成され、通称号の『弓』で知られます。

    左手に見える石標には、『弓部隊戦没勇士之墓』の文字が刻まれえ散ました。第33師団は日中戦争開戦後、占領地の警備や治安維持を目的として1939年(昭和14年)2月に新設された師団の一つです。宮城県仙台市で編成され、通称号の『弓』で知られます。

  • 第33師団の慰霊碑の全景です。編成後、ただちに中国戦線に投入、第11軍戦闘序列に編入され湖北省に在っては、ほかの治安師団と同様に1939年夏以降に行われたさまざまな治安作戦に参加し、その後1941年(昭和16年)4月に華北に転用され、山西省に駐屯しました。

    第33師団の慰霊碑の全景です。編成後、ただちに中国戦線に投入、第11軍戦闘序列に編入され湖北省に在っては、ほかの治安師団と同様に1939年夏以降に行われたさまざまな治安作戦に参加し、その後1941年(昭和16年)4月に華北に転用され、山西省に駐屯しました。

  • 同じく、第33師団の慰霊碑の光景です。太平洋戦争開戦後、第15軍戦闘序列に編入されビルマ攻略戦に参加、1942年(昭和17年)1月にバンコクからビルマに向かいました。イギリス軍と戦った第一次アキャブ作戦に参加しました。

    同じく、第33師団の慰霊碑の光景です。太平洋戦争開戦後、第15軍戦闘序列に編入されビルマ攻略戦に参加、1942年(昭和17年)1月にバンコクからビルマに向かいました。イギリス軍と戦った第一次アキャブ作戦に参加しました。

  • 日本人慰霊碑のために植樹された苗木のようでした。台3師団は、1944年(昭和19年)3月には、師団は第15師団・第31師団とともにインパール作戦に参加しました。

    日本人慰霊碑のために植樹された苗木のようでした。台3師団は、1944年(昭和19年)3月には、師団は第15師団・第31師団とともにインパール作戦に参加しました。

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