2019/05/24 - 2019/05/28
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旅人のくまさんさん
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ポッパ山の麓にある、土着信仰のナッ神を祀る聖なる山のタウン・カラットの紹介です。そのタウン・カラットを眺望できる場所に創建された仏教寺院も紹介します。
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土着信仰のナッ神の聖なる山、『タウン・カラット』が眺望できる丘の上に建立された仏教寺院の紹介です。ネット情報などでは詳しいことが分かりませんでしたが、現地ガイドさんの説明などを参考に紹介します。まだ最近できたばかりのカラフルな仏教寺院です。
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足元に説明看板がありましたが、すべてミャンマー語でしたから、内容の紹介は出来ませんでした。現地ガイドさんの説明によれば、まだ若い住職の方がやってきて、あっと言う間に作り上げたと話されていました。そのお坊さんは、次の任地に赴かれたようでした。有力なパトロンの話しもお聞きしましたが、寺院を拓いた住職さんか、パトロンの方の立像のようです。
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ネット情報などを参考に、お釈迦様が生まれた頃の時代背景を紹介しておきます。『釈迦(本名:ガウタマ・シッダールタ)』は、インド社会がゆるやかな発展期にあり、バラモン教の権威に陰りが見えてきた時代に生を受けました。生まれた場所は、現在のネパールのルンビニですが、お釈迦様が生まれた当時は、ネパールという国はありませんでしたから、『インド(の文化圏)生まれの人』ということになります。古代の北インドの一部族である小国の釈迦族の王子でした。紀元前6~前5世紀頃、インドの地には大小さまざまな国がひしめいていました。一説によれば、釈迦族は、アーリア人のクシャトリア王統に属する一族と言われます。この後、少し話は逸れますが、アーリア人について紹介します。
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諸民族に分裂する以前の狭義のアーリア人は、インド・ヨーロッパ語族の『イラン・アーリア人』とされます。もともとは、中央アジアの草原地帯に暮らしていた遊牧民とされます。彼らはある時期をさかいに周辺へ移動をはじめました。その第一波はヨーロッパへ、第二波が今のイラン高原へ、そして第三波がインド方面に到達しました。
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イラン方面のグループはのちに聖典『アヴェスター』を、インド方面のグループは聖典『ヴェーダ』を創り出し、その中で自分たちを『アーリア人』と呼んでいます。当時のアーリア人の圧倒的な軍事力は、『馬』にありました。アーリア人の大移動が判明したのは18世紀、大英帝国がインドを植民地化したことがきっかけでした。インドの言葉が英語と似ているという事実でした。
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まだ悟りを開いていない、修行中の釈迦の座像のようです。アーリア人の話しに戻ります。後に、イラン(ペルシャ)もまた言葉が共通していることが判明し、第三波までのアーリア人の移動が裏付けられました。ドイツのゲルマン人は、純血のアーリア人であるとの説により起きたのが、ナチスによるダヤ人迫害の歴史に繋がりました。日本も『純粋の大和民族』観は、同種の危うさをはらんでいます。
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お釈迦様が生まれた頃のインドの話しに戻ります。アーリア人は遊牧民としてインドにやってきましたが、湿潤な土地は遊牧には不向きでした。彼らは次第に定住化するようになり、もともとの先住民を組み込んだ社会を作り上げました。アーリア人と先住民の宗教が融合して生まれたのがバラモン教です。その特徴は『自然神を崇拝する多神教』です。
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バラモン教の神々は、絶対的な存在ではなかったという点が特徴とされます。不老不死を手に入れてはいるものの、彼らは争いによって傷つき、怒りもするし泣きもする神々だったのです。自然神とは、たとえば、雷や嵐、川や山といった自然そのもの、あるいは約束や愛、賭け事といった人間の営みを神格化した存在とされます。自然災害は、神々の怒りだと考えられました。
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バラモン教の考えでは、『神様の機嫌を損ねぬようにすることが大切』と考えられました。そこで神様に供え物を捧げ、その名を褒め称えれば神々は満足し、人間に恵みを与えてくれると信じられていました。こうしたバラモン教の宗教観は、後にお釈迦さまの思想にも大きな影響を与えることになりました。
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ここで一つ厄介な点がありました。それは、普通の人間は神様と交信することができないと古代インド人は考えていたからです。個人が捧げものを用意し、いくら神様を褒め称えても神々の耳には届きません。それには『神と交信する能力がある人間』が必要とされました。そこで生まれたのが『バラモン』です。インドの身分制度の頂点に位置することになりました。
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バラモン教の宗教観から生まれた身分制度が『カースト制』です。神官であるバラモンが頂点に君臨し、その下に戦士階級、いわゆる王族などの支配階級が位置します。あくまで俗世の人間ではあるものの、社会の中で強い影響力を持ち、これらの人々は『クシャトリア』と呼ばれました。その次が自由民である『ヴァイシャ』です。商工業や地主など様々な職業に従事しました。
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少しメタボな、白い獅子か虎の像の光景です。随分と長い尻尾が、前足の部分まで達していました。カースト制度の紹介の続きです。さらにその下に職業選択の自由がない小作人、使用人である『シュードラ』が位置します。カースト制の支配下に置かれた古代インドに、『バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ』という四つの階級が生まれました。
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『タウン・カラット』が見渡せる通路に沿って設けられた仏像やストゥパの光景です。古代インドにおけるカースト制は、支配者であるアーリア人にとって都合がいいように定められました。バラモンは当然すべてがアーリア系の人々によって占められ、クシャトリアもほとんど彼らが独占していました。
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自由民であるヴァイシャには先住民もアーリア人も含まれていたようですが、その下のシュードラに至ってはそのほとんどが先住民でした。しかし、この四つのカーストの下に、カースト制から外れた人々が存在しました。カースト制の外ということで、彼らは『アウトカースト(ダリット)』と呼ばれています。ダリットは、『困窮した者』、『抑圧されている者』の意とされます。
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イチオシ
今から約2500年前、お釈迦様が生まれた時代は、古代インド社会の伝統が変わりつつあった変革の時代でした。それまでの社会を支配していた、カースト制と呼ばれる身分制度を支えたバラモン教に陰りがみえはじめた時代となりました。つまり生産力があがって食べ物をたくさん作れるようになったのです。お釈迦様もまた、こうした社会の変化に影響を受けた一人でした。
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食べ物がたくさんあれば、より多くの人間を養うことができ、使える労働力も豊富になります。都市ができることで自然への畏怖が薄れ個人の内面に目が向かう傾向は、同時代のギリシャでも同様でした。人はそれまでの伝統に疑問を抱き、より抽象的・哲学的な思想をはじめたのです。インドの場合、こうした新たな思想家たちは一般社会から離れ、森の奥で瞑想に明け暮れるという方法を取りました。インドでは、現代でも俗世を離れ、着の身着のままで修行に打ち込む人々がいます。若き日のお釈迦さまもまた、自らの苦しみを捨てるためこうした生活を送りました。この後、お釈迦様の出家と修行、そして悟りにについて紹介します。
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大きな座像の横に置かれていた、人身大ほどの立像の脇から眺めた『タウン・カラット』の光景です。この場所は、仏像と並んでの観光客の記念撮影の場所になっているようでした。
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イチオシ
二人が並んだ青鬼像の光景です。中国や日本の仏像では、青色(緑色)を悪役にすることが多いようです。現地ガイドさんとミャンマーでの悪役と善役の色の違いを話題好感していましたら、この像は悪役ではないようだとの見解でした。むしろ、仏陀を守る守護神、あるいは眷属との見方となりました。
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標高が737メートルとされる。『タウン・カラット』の光景です。ミャンマーの言い伝えでは、ポッパ山の頂上のクレーターと、タウン・カラットがほぼ同じような形であることから、火山活動によって噴火した際にポッパ山の頂上部分が吹き飛んでこの場所に落ちたものであると伝えられています。
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イチオシ
少しだけズームアップした、『タウン・カラット』の頂上付近の光景です。山頂部分を除けば、中国山水画のように、岩山と木々の光景です。火山活動の真相は定かではありませんが、その真偽の解明はそっとしておきたい感じもします。
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同じく、『タウン・カラット』の頂上のズームアップ光景です。右下に頂上への登り道が見えますが、階段ではなく、階段の上を覆う建物の屋根の連なりです。ポッパ山を巡るネット情報に目を通しますと、ミャンマーにおける仏教とナッ神を祀る土着信仰と、日本における仏教と、八百万の神を祀る日本神教との関係も重なって見えてくる思いがしました。
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お釈迦様の話しに戻ります。妻も子もあり、シュッドーダナ王の後を継ぐ立場の王子だったお釈迦様が出家をした理由は、『四門出遊』という説話で語られています。それを簡単に説明しておきます。宮殿の奥深くで大切に育てられた王子時代のお釈迦さまでしたが、世間知らずのままでは、跡を継いで国を治めることができないと考えたシュッドーダナ王は、ある時、王子に宮殿からの外出を認めました。宮殿の四つのある門から出ての経験でしたから、『四門出遊』と呼ばれる説話となりました。その時の経験は、初めての外出で老人を目にして『老』を、二度目で病で苦しむ人を見て『病』を、三度目で葬式を目にして『死』を知り、塞ぎ込んでいましたが、四度目の外出で『修行者』を目にし、その生き様に心を動かされました。
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お釈迦様に付き添った家来は、みすぼらしい姿の『修行者』に対する『惨めではないのか』との質問に対し、『それは正反対ですよ、王子様。彼らは自ら進んで執着を手放しているのです。奢侈な衣服や住居、美しい財宝は、生への執着をますます強くします。それをあえて手放すことで、穏やかな心で修行に打ち込むことができるのです』と答えました。
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先ほど紹介した『四門出遊』の話は、後世に作られた寓話とされます。思い悩んだお釈迦様は、ある夜、自分の愛馬に乗ってお城を抜け出しました。ほとんど家出の状況だったようです。お釈迦様が29歳の時の出来事です。一見すると妻子を捨てたようですが、古代インドの慣習では『跡継ぎがいるなら出家してもよい』とされていました。
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精神病ギリギリ一歩手前ともいえる状態で、すべてを捨てて旅立ったお釈迦様が向かったのは、ガンジス川の中流域と伝わります。この当時、ガンジス川中流域は最も都市が栄えていた地域で、そこには多くの思想家、修行者が集まっていました。お釈迦様が求めたのは、修行者の基礎を教えてくれる先生でした。最初の先生は、『バッカバ仙人』でした。
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お釈迦さまは、やがて『この修行だけでは老病死の苦しみが消えることはない』と気づき、バッカバ仙人の元を去ります。次にお釈迦さまが弟子入りしたのは、一人目はアーラーラ・カーラーマ、二人目はウッダカ・ラーマプッタという名の修行者でした。この二人はお釈迦さまの目からしても、たいへん高度な修行者であり、尊敬できる先生でした。
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しかし、お釈迦さまはここでもまた、『先生方の考える目標では、私のこの苦しみが消えることはない』と気づき、そこを去ることになります。最初の先生のバッカバ仙人は、瞑想を通じて『精神の力を高め、天界の神々へ生まれ変わる』ことを目標とし、次の二人の先生は、『無所有処定』、『非想非非想処定』の境地に達することが目標とされました。いわゆる『無の境地』です。
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先生方の方法に飽き足らず、独力で悟りを得ることを決意したお釈迦様が選んだ方法は、『苦行』によって自らの身体を痛めつけるものでした。インドの修行者『サドゥー』の思想と行動です。『サドゥー』とは、サンスクリット語、もしくはパーリ語で、ヒンドゥー教におけるヨーガの実践者や放浪する修行者の総称です。日本語では『行者』、『苦行僧』などの訳語があります。
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苦行とはこの『すべての執着を無くす』ためにあります。あらゆる贅沢、社会的立場、身体に心地よいもの。これらを捨て去ることで執着を断ち切り、真実を掴もうとする修行法なのです。お釈迦さまもこの『執着を滅する』ために自分の肉体を痛めつけていました。それは6年にも及びました。身体はやせ細り、頬はこけ、骨と皮だけという有様だったと伝わります。
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しかしある日のこと、お釈迦さまは突然『苦行ね、これ意味ないことがわかった』と言い、それまでの修行を放棄してしまいます。6年間の努力を無駄にしたのではなく、『真実が見えた。もう迷うことはない』と観じ、悟りを開いたのです。いわゆる『成道(じょうどう)』に達したのです。(以上、真言宗のお坊さんで山伏の天狗堂さんのブログを参照させて戴きました)
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