タリン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅行五日目、エストニア独立100周年に思いを馳せて地味な観光を続けています。<br /><br /> 最近のエストニアは、19~20世紀の建築物やインフラを文化財として保存し活用する活動が推進されているように思います。発電所跡やロッテルマン地区の再開発がその代表例です。そういった華々しい再開発物件とは別に、先ほど見た大学の建物などのように、エストニア独立回復後に第二の建物人生を歩んでいるソ連時代の建物がたくさんあります。<br /> これからそんな建物を中心に巡って行きます。

2018-4月 100周年のエストニアへ 22 ソ連時代の建築、エストニア防衛連盟本部、街角のレトロ建築

10いいね!

2018/04/19 - 2018/04/25

782位(同エリア1475件中)

binchanさん

旅行五日目、エストニア独立100周年に思いを馳せて地味な観光を続けています。

 最近のエストニアは、19~20世紀の建築物やインフラを文化財として保存し活用する活動が推進されているように思います。発電所跡やロッテルマン地区の再開発がその代表例です。そういった華々しい再開発物件とは別に、先ほど見た大学の建物などのように、エストニア独立回復後に第二の建物人生を歩んでいるソ連時代の建物がたくさんあります。
 これからそんな建物を中心に巡って行きます。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 08:17<br /> 自由広場に面したソ連時代の建物。

    08:17
     自由広場に面したソ連時代の建物。

  •  ソ連時代は芸術家組合の建物でした。1950年代に建てられたそうです。現在もエストニア芸術協会がここに入っています。

     ソ連時代は芸術家組合の建物でした。1950年代に建てられたそうです。現在もエストニア芸術協会がここに入っています。

  •  ソ連的な星マーク。

     ソ連的な星マーク。

  •  扉の上の装飾に芸術関係の建物らしさが出ています。

     扉の上の装飾に芸術関係の建物らしさが出ています。

  •  あの枠の中には何が掲げられていたのでしょう。

     あの枠の中には何が掲げられていたのでしょう。

  •  建物の隣にあった銅像。<br /> Heino Eller(ヘイノ・エッレル)はエストニアの作曲家。1970年に亡くなるまでタリン音楽院で教授をしていました。

     建物の隣にあった銅像。
     Heino Eller(ヘイノ・エッレル)はエストニアの作曲家。1970年に亡くなるまでタリン音楽院で教授をしていました。

  •  建物はこの時修復中でした。

     建物はこの時修復中でした。

  •  近くにはショパンのベンチもありました。<br /> ショパン生誕200周年の記念にポーランドから贈られたもの。

     近くにはショパンのベンチもありました。
     ショパン生誕200周年の記念にポーランドから贈られたもの。

  •  ショパンの顔の下にあるボタンを押すとピアノコンチェルトの一部が聞けるらしいです。この時はそれを知らなかったので聞くことができませんでした。

     ショパンの顔の下にあるボタンを押すとピアノコンチェルトの一部が聞けるらしいです。この時はそれを知らなかったので聞くことができませんでした。

  •  次に向かったのは旧ソ連海軍将校クラブだった建物。

     次に向かったのは旧ソ連海軍将校クラブだった建物。

  •  現在はホテルになっています。錨のマークは海軍の建物だった名残。

     現在はホテルになっています。錨のマークは海軍の建物だった名残。

    My City Hotel ホテル

  •  1952年建築。戦後の荒れ果てた(タリンも空爆されているので)タリン旧市街地に、この瀟洒なたたずまいは目立ったことでしょう。

     1952年建築。戦後の荒れ果てた(タリンも空爆されているので)タリン旧市街地に、この瀟洒なたたずまいは目立ったことでしょう。

  •  建物の前には煙突掃除夫の像。

     建物の前には煙突掃除夫の像。

    煙突掃除夫の像 モニュメント・記念碑

  •  Lucky chimney sweeperの像は2010年にエストニアの彫刻家Tauno Kangroによって制作されたもの。意外と新しいんですね。

     Lucky chimney sweeperの像は2010年にエストニアの彫刻家Tauno Kangroによって制作されたもの。意外と新しいんですね。

  •  像がある広場に面して、もう一つソ連時代の建物があります。

     像がある広場に面して、もう一つソ連時代の建物があります。

  •  1955年に映画館として建てられました。<br /> 現在も映画館として営業しています。

     1955年に映画館として建てられました。
     現在も映画館として営業しています。

    Kino Soprus 劇場・ホール・ショー

  •  戦前のユーゲント式の雰囲気もある気がします。建物の様式をもうちょっと勉強しないとなあ。

     戦前のユーゲント式の雰囲気もある気がします。建物の様式をもうちょっと勉強しないとなあ。

  •  柱廊の天井。

     柱廊の天井。

  •  噴水でしょうか。これもなんだかソ連的に見えますね。

     噴水でしょうか。これもなんだかソ連的に見えますね。

  •  ここにも何か書かれていたのでしょうか。

     ここにも何か書かれていたのでしょうか。

  •  側面。

     側面。

  •  星のマークについ反応してしまいます。

     星のマークについ反応してしまいます。

  •  柱の間にある装飾は、左から「銃と爆弾」「錨と魚」「ハンマーと歯車」「鎌と麦」「つるはしとランプ」。ソ連的!

     柱の間にある装飾は、左から「銃と爆弾」「錨と魚」「ハンマーと歯車」「鎌と麦」「つるはしとランプ」。ソ連的!

  •  いくつかをアップで。

     いくつかをアップで。

  •  そのすぐお向かいには旧市街の城壁。気温5~6度の朝、ベンチで寝る人。

     そのすぐお向かいには旧市街の城壁。気温5~6度の朝、ベンチで寝る人。

  •  映画館の裏側。窓の装飾はネオクラシックな感じ。スターリン時代の建物に多いですね。

     映画館の裏側。窓の装飾はネオクラシックな感じ。スターリン時代の建物に多いですね。

  •  次へ向かう途中に見えた聖ニコラス教会。身廊と塔が重なって見えて、なんだか別の建物みたいです。

     次へ向かう途中に見えた聖ニコラス教会。身廊と塔が重なって見えて、なんだか別の建物みたいです。

  •  途中にあった1909年の建物。

     途中にあった1909年の建物。

  •  ベンチにウミネコ。海辺の町で暮らすのってあこがれるけど、ウミネコの糞に直撃された車を見ると現実を思い知らされます。量がスズメやメジロの比じゃない。

     ベンチにウミネコ。海辺の町で暮らすのってあこがれるけど、ウミネコの糞に直撃された車を見ると現実を思い知らされます。量がスズメやメジロの比じゃない。

  •  Kaarli kirik(カール11世ルーテル教会)<br /> 1862~82年にかけて建設されました。

     Kaarli kirik(カール11世ルーテル教会)
     1862~82年にかけて建設されました。

    タリン チャールズ教会 寺院・教会

  • 08:47<br /> 次の目的地エストニア防衛連盟本部に到着。

    08:47
     次の目的地エストニア防衛連盟本部に到着。

  •  エストニアは正規軍とは別に民間の軍隊があります。こういうのを「民兵組織」っていうのかな。でもエストニア国防省の管理下にはあるんですよ。

     エストニアは正規軍とは別に民間の軍隊があります。こういうのを「民兵組織」っていうのかな。でもエストニア国防省の管理下にはあるんですよ。

  •  今日は月曜日で博物館とかがほぼほぼお休み。エストニア観光局のサイトで、この中の資料館は月曜もやっていると書いてあったので来てみました。別にミリヲタなわけではないんですが、エストニア独立戦争について今回はいろいろ見て回ったし、独立100周年ですしね。

     今日は月曜日で博物館とかがほぼほぼお休み。エストニア観光局のサイトで、この中の資料館は月曜もやっていると書いてあったので来てみました。別にミリヲタなわけではないんですが、エストニア独立戦争について今回はいろいろ見て回ったし、独立100周年ですしね。

  •  しかし、普通に入れる建物ではなかった。インターホンを押して入れてもらわないといけないのですが、英語もおぼつかないのでその勇気が出ない。

     しかし、普通に入れる建物ではなかった。インターホンを押して入れてもらわないといけないのですが、英語もおぼつかないのでその勇気が出ない。

  •  仕方ないので周囲を見学。<br /> 入口横にあった人物のレリーフ。Johannes Orasmaa、1925~1940年に防衛連盟の司令官だった人。<br /><br /> その下にこの建物の歴史が書いてありました。<br /> 1883年に2階建ての建物として建てられ、その後増改築を繰り返してこの形になりました。防衛連盟は1925年にこの建物に入ったのだそうです。それまではホテルなどになっていたそうですが、ロシアの著名なオペラ歌手シャリアピンも滞在したことがあるそうです。シャリアピンは日本に来たこともあり、帝国ホテルで柔らかい肉料理を所望し、その時彼のために創作されたのが「シャリアピンステーキ」。実は先日「豚肉のシャリアピンソース」というランチを食べて、ああこんなことでもエストニアとつながってるんだな~としみじみ(シャリアピンはロシア人ですけどね)。

     仕方ないので周囲を見学。
     入口横にあった人物のレリーフ。Johannes Orasmaa、1925~1940年に防衛連盟の司令官だった人。

     その下にこの建物の歴史が書いてありました。
     1883年に2階建ての建物として建てられ、その後増改築を繰り返してこの形になりました。防衛連盟は1925年にこの建物に入ったのだそうです。それまではホテルなどになっていたそうですが、ロシアの著名なオペラ歌手シャリアピンも滞在したことがあるそうです。シャリアピンは日本に来たこともあり、帝国ホテルで柔らかい肉料理を所望し、その時彼のために創作されたのが「シャリアピンステーキ」。実は先日「豚肉のシャリアピンソース」というランチを食べて、ああこんなことでもエストニアとつながってるんだな~としみじみ(シャリアピンはロシア人ですけどね)。

  •  防衛連盟の中にあるレストラン。<br /> ここが開くのを待てば中に入れるかもしれませんが…。そこまでしなくてもいいか。

     防衛連盟の中にあるレストラン。
     ここが開くのを待てば中に入れるかもしれませんが…。そこまでしなくてもいいか。

  •  Johan Pitka提督(ヨハン・プィトカ)の銅像。<br /> 1918年、当時はまだ地下組織だった防衛連盟の議長になった人物。エストニア独立戦争時には装甲列車部隊長として戦い、独立後は政治家になりました。一時エストニアを離れカナダで農場を経営したりしましたが、1924年には帰国してVaps運動(独立戦争時の軍人を主体とした政治改革運動)に参加。Vaps運動からはすぐに離脱し、1937年には独自に政党を結成し政治活動を続けますが、1940年、ソ連のエストニア併合がおこると一旦フィンランドへと逃れます。1944年に再び帰国、エストニアの独立のためのレジスタンスを組織し、ソ連・ドイツ双方と戦いました。そしてその最期は不明のままだそうです。

     Johan Pitka提督(ヨハン・プィトカ)の銅像。
     1918年、当時はまだ地下組織だった防衛連盟の議長になった人物。エストニア独立戦争時には装甲列車部隊長として戦い、独立後は政治家になりました。一時エストニアを離れカナダで農場を経営したりしましたが、1924年には帰国してVaps運動(独立戦争時の軍人を主体とした政治改革運動)に参加。Vaps運動からはすぐに離脱し、1937年には独自に政党を結成し政治活動を続けますが、1940年、ソ連のエストニア併合がおこると一旦フィンランドへと逃れます。1944年に再び帰国、エストニアの独立のためのレジスタンスを組織し、ソ連・ドイツ双方と戦いました。そしてその最期は不明のままだそうです。

  •  防衛連盟本部の隣は占領博物館。今日は月曜なのでお休みです。

     防衛連盟本部の隣は占領博物館。今日は月曜なのでお休みです。

    占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  •  再び自由広場付近に戻って、バス停前のスタンドで朝食を調達。実は朝から飴しか食べてない!

     再び自由広場付近に戻って、バス停前のスタンドで朝食を調達。実は朝から飴しか食べてない!

  • 09:16<br /> フレンチフライとコーヒーで朝ごはん。<br />

    09:16
     フレンチフライとコーヒーで朝ごはん。

  •  タリンイングリッシュカレッジ。1916年の建物らしいです。

     タリンイングリッシュカレッジ。1916年の建物らしいです。

  •  トラム乗り場に行く途中の通り。なんだか興味深い建物!

     トラム乗り場に行く途中の通り。なんだか興味深い建物!

  •  ホステルや水パイプカフェが入っているこの建物も、たぶん100年は経ってますよ。

     ホステルや水パイプカフェが入っているこの建物も、たぶん100年は経ってますよ。

  •  内装をリフォーム中らしい建物。ゴミバケツをつなげたようなのはダストシューターで、上の階から下のトラックに瓦礫を落として積んでるんです。

     内装をリフォーム中らしい建物。ゴミバケツをつなげたようなのはダストシューターで、上の階から下のトラックに瓦礫を落として積んでるんです。

  •  ソ連っぽい感じに見えましたが装飾の感じがちょっとユーゲントっぽい?

     ソ連っぽい感じに見えましたが装飾の感じがちょっとユーゲントっぽい?

  •  こちらはまた趣の違う建物。ファサードのバルコニーが時代を感じさせます。

     こちらはまた趣の違う建物。ファサードのバルコニーが時代を感じさせます。

  •  並びの建物はどれも個性的。どの建物も来歴は不明なのですが、見ていて面白いです。

     並びの建物はどれも個性的。どの建物も来歴は不明なのですが、見ていて面白いです。

  •  私立学校らしい。<br /> 魔法を教えてそうな校舎。

     私立学校らしい。
     魔法を教えてそうな校舎。

  •  その隣は消費者保護協会。<br /> 19世紀末期くらいの古さはあるように思えます。

     その隣は消費者保護協会。
     19世紀末期くらいの古さはあるように思えます。

  •  さらに興味深いのがこの建物。古い建物に新しいビルが増築されてます。2012年のストリートビューには古い2階建ての建物しかないので、ここ数年でこうなったんですよね。タリンの町にはこういった新旧合体建築多いです。

     さらに興味深いのがこの建物。古い建物に新しいビルが増築されてます。2012年のストリートビューには古い2階建ての建物しかないので、ここ数年でこうなったんですよね。タリンの町にはこういった新旧合体建築多いです。

  •  その隣はこのビル。

     その隣はこのビル。

  •  丸い装飾をよく見ると、ハンマーや鎌が。ソ連的だ!

     丸い装飾をよく見ると、ハンマーや鎌が。ソ連的だ!

  •  それぞれの建物がこんな風に並んでいます。

     それぞれの建物がこんな風に並んでいます。

  •  その隣はおそらく1930年代の建物。この右隣は1937年建築のHotel Palaceです。

     その隣はおそらく1930年代の建物。この右隣は1937年建築のHotel Palaceです。

  •  通りをはさんだ向かいはガラス張りのビルでした。<br />09:40<br /> トラムに乗って次に移動します。

     通りをはさんだ向かいはガラス張りのビルでした。
    09:40
     トラムに乗って次に移動します。

  •  トラムの路線図。

     トラムの路線図。

  • 09:49<br /> 三つ先のPaberiで下車。ビルの谷間のトラム乗り場です。

    09:49
     三つ先のPaberiで下車。ビルの谷間のトラム乗り場です。

  •  目的地はここ。<br /> はっきりした建設年はわかりませんが、おそらく1960~70年代。

     目的地はここ。
     はっきりした建設年はわかりませんが、おそらく1960~70年代。

  •  ソ連高官と外国人専用のスーパーマーケットだった建物です。

     ソ連高官と外国人専用のスーパーマーケットだった建物です。

  •  一般市民には絶対手が届かない品物ばかりを売っていたので、一切窓がないんだそうです。

     一般市民には絶対手が届かない品物ばかりを売っていたので、一切窓がないんだそうです。

  •  現在はライブハウスになっています。

     現在はライブハウスになっています。

  •  その近くにも新旧合体建築。デザインなのか、それとも古い部分が文化財で苦肉の策なのか。

     その近くにも新旧合体建築。デザインなのか、それとも古い部分が文化財で苦肉の策なのか。

  •  そしてあれがタリンソ連建築の代表作。1954年に建てられた集合住宅です。いかにもスターリン建築といった外観!

     そしてあれがタリンソ連建築の代表作。1954年に建てられた集合住宅です。いかにもスターリン建築といった外観!

  •  建物が面する交差点は最新地域の一つ。

     建物が面する交差点は最新地域の一つ。

  •  屋上には星マーク。

     屋上には星マーク。

  •  ソ連時代の象徴のような建物に見えますが、今までこのまま使ってたんですよね。せめてあの星取っちゃえってことにならなかったんでしょうか。私が思うほどソ連的ではないのかな。

     ソ連時代の象徴のような建物に見えますが、今までこのまま使ってたんですよね。せめてあの星取っちゃえってことにならなかったんでしょうか。私が思うほどソ連的ではないのかな。

  •  1954年築ですからね、バルコニーとか落っこちそうで怖い。修復工事をしていたのできっと補強はされているのでしょう。現在も住宅として使われているそうです。

     1954年築ですからね、バルコニーとか落っこちそうで怖い。修復工事をしていたのできっと補強はされているのでしょう。現在も住宅として使われているそうです。

  •  建物を裏側から。

     建物を裏側から。

  •  文化財のマーク。

     文化財のマーク。

  •  付近には他でもよく見かけるソ連時代の集合住宅。この形は本当によく見かけます。

     付近には他でもよく見かけるソ連時代の集合住宅。この形は本当によく見かけます。

  •  ソ連時代の住宅の向こうには高層ビル。

     ソ連時代の住宅の向こうには高層ビル。

  • 10:10<br /> ここからトラムに乗って一度ホテルへ戻ります。<br /> エストニアの4月は愛知県なら3月くらいの寒さなのですが、今までそれほど寒さを感じることなく過ごしていました。ところがこの日はなぜか寒くてたまらなかったんです。常時持ち歩いているカイロを貼ったのですがぜんぜん足りない。なのでホテルに取りに行こうかと。まさか風邪じゃないよね~。

    10:10
     ここからトラムに乗って一度ホテルへ戻ります。
     エストニアの4月は愛知県なら3月くらいの寒さなのですが、今までそれほど寒さを感じることなく過ごしていました。ところがこの日はなぜか寒くてたまらなかったんです。常時持ち歩いているカイロを貼ったのですがぜんぜん足りない。なのでホテルに取りに行こうかと。まさか風邪じゃないよね~。

  •  トラム乗り場の前にあった寿司屋。スシモンだって。

     トラム乗り場の前にあった寿司屋。スシモンだって。

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

エストニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
エストニア最安 450円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

エストニアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP