2018/04/19 - 2018/04/25
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binchanさん
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旅行五日目になりました。タリン観光も今日が最後です。
1918年にエストニアが最初の独立を果たしてから今年で100周年。
今日はまずその100年を感じられる場所から巡ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
06:30
ホテル出発。
Linnahallからバスに乗ります。 -
Viruで下車。
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Tammsaare公園を通り抜けてEstoniaバス停へと移動したいのですが、公園が工事中で通れませんでした。
Tammsaare park 広場・公園
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ここは1905年に行われた大規模デモにロシア軍が発砲し100名以上がなくなったという事件現場です。この事件がエストニア独立へ向かう第一歩といってよい出来事でしょう。工事の柵の向こうに記念碑がありました。
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信号交差点まで迂回。この建物はショッピングモール。
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エストニア銀行博物館が見えます。
建物は1902年に建てられたもの。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらはエストニア劇場。1913年の建築です。
エストニア劇場 (エストニア国立オペラ&エストニア コンサートホール) 劇場・ホール・ショー
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月曜朝のタリン。
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Estoniaバス停はいくつもの乗り場がある大きなバス停です。
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06:56
このバス停から16番バスに乗車。 -
07:05
Veskipostiにて下車。 -
目的地は戦没者墓地。
また墓地ですみません。 -
墓地の見取り図。
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説明
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門を入ると正面にあるのは、
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burial place and monumento of the Red Army soldiers and officers
「タリン解放者の記念碑」として知られるもので、ソ連軍兵士と将校の記念碑です。 -
2007年、この銅像を撤去するという議決がなされ、それに反対するロシア系住民と警官隊が衝突するという事件がありました。エストニアからすれば、ソ連軍は侵略者なのでその慰霊碑などもってのほかなのでしょう。しかし、ロシア系住民にとっては戦死した同胞ですからね。
タリンはエストニアの中でロシア系比率が高い方の自治体です。それでも撤去の議決ができてしまうのが首都ならでは。それでも実際に撤去はできないというのがロシア系の多さを実感させられます。そして2018年現在のエストニアだったら、撤去の議決はしないのではないのでしょうか。独立回復から27年、過去との向き合い方は刻々と変化していると感じます。 -
像の両側にはエストニア語とロシア語の碑文があります。
この墓地は帝政ロシア期の1887年、ロシア兵を埋葬するためにつくられました。その後、ドイツ軍、エストニア軍、ロシア白軍、ソ連軍とタリンを支配した諸勢力が、時に応じてこの墓地に戦没者を埋葬してきました。時には前勢力の墓を壊したり、またその後の勢力がもとに戻したり…。
現在では様々な時代の兵士が、この墓地を最後の休息の場としています。 -
「1944年2月24日、祖国の自由と独立のための戦いで亡くなった英雄たちに永遠の栄光を」というロシア語の碑文。
ナチスドイツの占領下にあったエストニアで戦ったソ連兵のための墓です。 -
チャペル。
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表面がラフで碑文(ロシア文字)は読み取れません。どういったお墓なんでしょう。
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monument for German soldiers
1918年にドイツが一時タリンを占領していました。その時に亡くなった兵士の慰霊碑です。ソ連時代にはドイツ人やエストニア人の墓が破壊されましたが、独立回復後、慰霊碑や墓標が再建されたのです。 -
新しい墓。
現在も兵士や軍関係者はここに埋葬されるそうです。 -
ソ連海軍兵士の慰霊碑。1949年と書かれています。
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burial place of aviators of The Estnian Air Force
エストニア空軍の墓地。 -
空軍墓地は1935年に作られました。墓石は一度ソ連によって取り除かれました。これらは後に戻されたものでしょう。
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monument and burial place of the leaders of The Estonian War of Independence
エストニア独立戦争の指導者の記念碑。 -
その墓碑。
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burial place of the members of The British Royal Navy
1926年にエストニア海域で亡くなったイギリス海軍兵士の墓碑。イギリスはエストニア独立戦争の支援国です。 -
memorial to the fallen of The Estonian War of Independence
エストニア独立戦争戦没者慰霊碑 -
エストニア自由十字勲章の徽章。
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慰霊碑。
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burial place and monument of the victims of the Männiku explosion
1937年におこった弾薬倉庫の爆発の犠牲者の墓地。これもソ連時代に撤去され、その後新たに作り直されています。 -
ですので墓碑は比較的新しいです。
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M-103潜水艦の犠牲者(1941年)の慰霊碑。1941年にドイツとの戦いで沈んだ(あるいは行方不明)になった潜水艦です。
エストニア、ドイツ、イギリス、アメリカ人の埋葬者については入口のところに詳しい説明がありますが、最も多いロシアの記念碑についてはほとんど記載がありません。石碑や墓碑を読めばいいんですが、全部ロシア語だから大変。 -
エストニア自由十字勲章受勲者の記念碑を見忘れたので、塀の外から写真を撮ってみました。真ん中の黒い十字がそれです(遠すぎ)。
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07:37
再びVeskipostiから16番バスに乗ります。 -
07:44
Liivalaiaで下車。
街灯に独立100周年のロゴマーク。記念商品などによくデザインされています。 -
ただいま通勤時間帯です。
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Tallinna Tehnikakõrgkool (Tallinn University of Applied Sciences:タリン応用化学大学?)
ここからはタリンに残るソ連時代の建築を探訪します。 -
1953年(?)に建設された当時は建築技術学校でした。
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スターリン時代の建築らしく威風堂々。
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徽章の中に星と交差する二本のハンマーがあります。ソ連的だな、と思ったのですが単に建築とか土木を象徴しているのかも。かつて工科大学だったこともあるので。ソ連時代の建物だと思うと、何を見てもソ連的に思えてしまう。先入観って怖いですね。
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なぜかトヨタのロゴが。
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さっぱりとした側面。
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建物前の広場は真ん中が盛り上がった不思議な形状。
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地面にライトが埋め込まれています。夜はどんな感じなんでしょう。
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同じ広場に面してあるのが、Ministry of Social Affairs(社会保険省?)の建物。
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通りをはさんだ向かいにあるこの建物(学校)もおそらく1960年代のもの。
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08:08
Kosmosからトラムに乗ります。 -
08:10
Vabaduse väljakで下車。 -
トラムを降りて周りを見ると、目の前にもソ連時代のものと思われる建物が。Hotel Palaceです。
しかしホテルのHPを見ると1937年に完成でした。エストニアの独立時代ですね。Palace Hotel Tallinn, a member of Radisson Individuals ホテル
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その並びにあるのはロシア劇場。ロシア語のオペラや演劇が上演される劇場です。建物は1926年に映画館として建てられたものです。
ロシア劇場 劇場・ホール・ショー
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自由広場、今日は音楽イベントがあるのかな。
ワバドゥセ広場 広場・公園
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自由広場に面して建つJaani kirik(聖ヨハネ教会)。1930年代、ネオゴシック様式の建物です。
続いて旧市街地、新市街地にあるソ連時代の建物を見に行きます。(途中で寄り道もします。)聖ヨハネ教会 寺院・教会
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