2018/04/19 - 2018/04/25
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binchanさん
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旅行三日目になりました。
今日はタリン市内とViimsi(タリン郊外、ピリタの北)にある戦争博物館を見て回るのですが、朝はまずはホテル近くから。
昔の発電所やソ連時代につくられた大型コンサートホール(市民ホール)、そして19世紀に要塞として建てられ、その後監獄として最近まで使われていた「Patarei(パタレイ)」へも足をのばします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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07:22
ホテル周辺は19~20世紀には工業地帯だった場所です。ホテルの建物もおそらく工場をリノベーションしたもの。近くには火力発電所もありました。これはその発電所跡を利用したイベントスペース(もっと広い利用のされ方がされているようですが、実際よくわからない)。 -
1909年から計画され1913年に操業開始した火力発電所。旧市街地の間近で石炭やオイルシェールをじゃんじゃん燃やしていたらしい。当時は黒煙が立ち上り町は大変な大気汚染だったそうです。
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碍子形の街灯。
1941年と1944年にドイツ軍によって破壊されたため、現在の建物はそれ以降にソ連によって再建されたものです。 -
1948年に建てられた102.5mの煙突。
2011年にタリンに来たとき、高速船から見えるこの煙突がとても印象的でした。当時ここは廃墟でネット情報もなかったため、一体何なんだろうとずっと疑問に思っていました。 -
煙突の下はレストランになっています。
1957年からは電力だけでなく、市内に熱(お湯として)を供給する役割もはたしていました。発電で出る熱が無駄になっていたからだそうです(逆に言うとエネルギー効率がものすごく悪かった)。
1965年にオイルシェールから液体の燃料(石油?)に切り替わり、タリン市民は黒煙から解放されました。 -
1979年には発電をやめ、熱の供給だけをするようになりました。1987年以降はそれも散発的にしか行われず、1991年、エストニアが独立を回復した年に完全に操業を停止しました。
この一帯は廃墟だらけになり長い間放置されていたそうです。
2000年以降、再開発の計画が浮上し、2015年、ようやく現在のような姿になりました。今ではタリンで人気の文化スポットです。
中に入ってみたかったのですがタイミングが合わずいつも閉まっていました。 -
発電所跡の前で岐阜県からツアー旅行でいらっしゃったというご夫婦にお会いしました。昨夜フェリーで到着し今日半日タリン観光した後リガへとバス移動だそうです。ツアー旅行って過酷かも…。
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07:35
発電所跡の隣にあるのがLinnahall(市民ホール)。
この城壁みたいなものもその一部です。 -
この建物は1980年にモスクワオリンピックのために建設されました。内陸のモスクワでは海洋競技が行えないので、その会場にタリンのピリタ地区が選ばれたためです。競技はピリタで行われましたが、このような関連施設がタリンなどに建てられたそうです。建設当時は「V. I. Lenin Palace of Culture and Sport」という名前でした。オリンピック後に大型のコンサートホールとなり名前もLinnahall(市民ホール)となりました。
海からタリンを見たときに旧市街地の眺めを遮らないよう低く設計されたと言います。 -
上の写真の階段を登って下を見たところ。
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発電所跡の全景が見えます。
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Kontserdisaal(コンサートホール)と書かれています。
5000人以上の客席がありアイスリンクも備えた大型のホールでした。2010年に閉鎖され現在は廃墟です。2015年からリノベーションの計画が始まり、2017年には欧州委員会に資金援助を要請しましたが、着工は早くても2019年になるそうです。 -
文化財として文化庁みたいなところの管理下にあるのですが、落書きだらけ。時々落書きを消す作業を行っているようですが…。
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管理は行き届きません。
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専用のヘリポートと港を備えていました。まるで要塞のようなコンサートホール、冷戦がシビアだった時代には別の役割も担っていたのかなあ、シェルターとか(想像です)。
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遠くにこのあと行くPatarei(パタレイ)が見えます。
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門も閉鎖されています。
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きっとここにもKonserdisaal(コンサートホール)と書かれていたに違いない。
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その裏面にはリンダライン(ヘルシンキ・タリン間の高速船)のロゴが。
市民ホール港 船系
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かつての専用港はすでに利用はされていない模様。
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2011年はここを利用してヘルシンキから往復したものですが、リンダラインは倒産してしまいました。
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市民ホールの西側はきれいなペイントが施されていました。(東側は見てこなかったんですが…)リノベーションが遅れているのでせめてウォールアートだけでも、ということらしいです。
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鴨が間近に!
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お隣には漁港があります。
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海沿いに古そうな建物。これ結構ホテルの近くなんですよ。
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住宅街は港より少し高いところにあります。その境目には古そうな石垣が。
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コンクリートじゃなくて石灰岩。
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この階段を上がればすぐホテルの北口なんです。
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何気ないところに古い石垣。タリンの歴史を感じます。
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石垣を観察していたら野ウサギが出現!
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さらに西へ、パタレイ要塞跡を目指して歩きます。
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15分ほど歩くとちょっと古そうな建物が見えてきました。
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08:11
Patarei要塞跡の近くに、ユダヤ人の慰霊碑がありました。昨日森林墓地で探していたのはこの慰霊碑。ここに移設されていたんですね。 -
エストニア語の碑文を翻訳ソフトで翻訳してみました。
1944年5月15日、フランスから878名のユダヤ人がカウナス、タリンとStutthofiに送られた。
1945年、生存者は22名。
Convoy nr.73の移送者の関係者と友人より
第二次世界大戦中、エストニアにはユダヤ人の強制収容所があり多くのユダヤ人がヨーロッパ各所から移送されてきました。当時監獄だったここにもユダヤ人やロマ、戦争捕虜が一時収容されていました。 -
パタレイ要塞跡が見えます。
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こちら側は封鎖されていて近づけません。
現在再開発計画中で内部は非公開。以前はガイドツアーで入れたらしいですが。 -
海側へと移動。
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少し離れた場所にもソ連時代の建物があります。すっかり廃墟ですが、取り壊さないところを見るとあれも再開発の予定に入っているのでしょうか。
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この朝は時々小雨が降る残念な天気でしたが、この建物の背景にはふさわしい空の色です。
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帝政ロシア時代にまずは要塞として建築され、その後監獄に転用されました。獄舎に大きな窓へ不用。収容者が外を見ることができないように窓の大部分は封鎖されていたのだそうです。
ここが監獄になったのは1918年のエストニア独立後。ソ連時代も引き続き監獄として使われ、窓がこのように封鎖されたのはその頃のことだそうです。独立回復後も2002年までこの監獄は現役でした。 -
要塞は六分儀の形に設計されました。海に面する建物は「弧」の部分。
パタレイ監獄 博物館・美術館・ギャラリー
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パタレイの先にあるのはLennusadam(水上飛行機用の港)。現在は水上飛行機格納庫をリノベーションした博物館があります。
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監獄の落書き。
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窓の下に番号があるので監房だったと思われますが、こちらの窓は開口部が少し広め。
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それにしても落書き多いですね。
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左の建物はおそらく監獄になってから増築されたもの。
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塀には有刺鉄線と電流設備らしいものが。
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ぐるっと回って出口に。
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海岸に出ました。奥に見えるのはタリン港。
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振り返ってみたところ。
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様々な大きさの石が埋め尽くす海岸。
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市民ホールから海洋博物館までのが海沿いの散策路になっているんですね。結構お散歩している人がいました。
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散策路を引き返して海洋博物館のところまできました。
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博物館のチケット売り場。2011年に来たなあ。なつかしい。あの頃は工事中で、格納庫の博物館はまだできてなかったっけ。
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これが格納庫をリノベーションした博物館。まだ営業時間前です。
海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1854年につくられた潜水艇だって。実際に戦争で使われることはなかったそうです。
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博物館の前にはほかにもいくつか展示物がありました。
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博物館へのアプローチ。
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08:50
Lennusadamバス停からバスでホテルへ戻ります。ここを通るバスは73番だけで本数も少ないです。 -
09:00
ホテルにもどって朝食。4泊とも朝食付きでしたが、時間の関係で食べることができたのはこの日だけ。朝食は平日は7:00~、土日休日は8:00~。 -
09:40
再び出かけます。
さっきはLinnahallバス停で下車したのですが、一つ手前のKalarandバス停の方が近そうだったので、そちらから乗ってみることにしました。
そのバス停に向かう途中にあるビル。 -
そこに「茶道」という看板があるのが目につきました。エストニアで漢字を見るのは珍しいです。
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でも看板の前にある店は中国マッサージのお店。ちょうど店員さんらしき中国人女性が現れたので、「茶道は日本語だと思いますがどうしてここに書かれているのですか?」と聞いてみました(中国語で)。すると「それは隣のレストランの看板ですよ」とのこと。
なるほど、と納得してしまいましたがそのレストランも中華レストランでした。もしかして中国茶も最近は茶道という言葉を使うのかな。
久しぶりに中国語しゃべりました。エストニア旅行中は英語ばかりなので気分転換になる。 -
看板があったビルの裏にもアジアンマッサージのお店がありました。この周辺はアジア人が多く住んでいるのかな。
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Kalarandバス停到着。
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バス停でよく見かけた張り紙。翻訳ソフトで翻訳してみたら、求人広告でした。左のkokkは料理人、右のkelnerはウェイター。
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バス停でバスを待っていたら、目の前の小さな港で市場が開かれているのを発見。
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Patareiに行く途中に通った時はまだ準備中でした。ちょっと行ってみよう。
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Kalaturg(Kalaが地名でturgが市場)はお魚の朝市。土曜のみの市場だそうです。巡り会えてラッキー!
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これは燻製?
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パーチ、トラウトといった魚の名前が書かれています。
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たのし~。でも生魚は買えないしなあ。
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と思っていたら缶詰も売っていました。残念ながらタリン港で獲れた魚でもなければエストニアで缶詰にされたものですらなかったけれど…。サバとイワシのトマト煮(味がついてて料理になっている)を買いました。おいしかったです。
この後はViimsiの戦争博物館へと向かいます。
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