2018/04/19 - 2018/04/25
10位(同エリア20件中)
binchanさん
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旅行四日目、朝一番はちょっと暗い旅行記になってしまいました。
この後はPaldiski(パルディスキ)という地方都市を観光。
パルディスキはバルト海に突き出した半島にある町で、周辺には古くからスウェーデン人が移り住み農業を行っていました。小さな村が脚光を浴びるのは18世紀。ロシア帝国のピョートル大帝がバルト海に軍港を築くにあたりこの地に白羽の矢を立てたのです。要塞を備えた大掛かりな計画だったのですが、大帝の死後工事は中断され、以後の50年間で何度か再開されたものの、結局完成はしませんでした。
次に発展がもたらされたのは19世紀。パルディスキに鉄道が通ったのです。鉄路は遥かサンクトペテルブルグやモスクワまで続いていました。冬でも凍らないこの港には諸外国からの品々が運ばれ、鉄道を通じてロシア各地へと運ばれました。
商業港としての繁栄は第二次世界大戦によって終止符を打たれます。ソ連に軍港として占拠され、続いてドイツが占領。さらに撤退時には街を焼き尽くしていきました。戦後はソ連の原子力潜水艦の訓練基地となり、エストニア人は町から締め出されました。
1991年の独立回復後も数年にわたってロシア軍がこの地にとどまっており、1995年にようやく町が市民の手に戻り現在に至ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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10:39
パルディスキ駅到着。タリンから直行すると1時間ちょいです。 -
とても海が近いです。船から貨物を積み替えやすいようにここに作られたんでしょうね。もしかしたらエストニアで最も海に近い鉄道駅かも。
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先ほどまでは雨もぱらついていたのですが、すっかり晴れてきました。
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駅前の駐車場。人口3,806(2017年 ウィキペディアによる)。ソ連時代には7,000を超える人口があったのですが、独立回復以来減少しています。
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ソ連時代の軍事施設があったあたりは、石油化学工業区域となっています。原子力潜水艦の訓練施設(原子炉も含む)は全て撤去され、汚染を取り除いて、新たな産業拠点となりました。
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駅前のバス停。ハリユ県のバスが2路線(136と145)ありますが、今回は利用しません。
バス停の位置が最近変わったようで、2018年6月現在のグーグルマップのバス停位置はちょっと違っています。 -
バス停にあった観光地図。
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バス停と駅と駐車場の位置関係。
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駅前にある石碑。落書きが…。
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碑文。
1941から1949年にかけて、この駅から多くの人がシベリアへ送られました。主にエストニア西部の島嶼から集められて移送されたのだそうです。 -
再び駅を見物。
パルディスキは終着駅なので列車はタリンへと折り返します。 -
駅前に石垣で囲まれた土塁。
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何ですかね?地下貯蔵庫?弾薬庫?シェルター?パルディスキは元原潜基地ですからね。
何も説明はなく、何かに利用されているといった感じでもありませんでした。 -
その裏柄。
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この先はパルディスキ北港へと続いています。南港への引き込み線はもう少し手前で分岐しています。
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主要輸出品の一つである木材。ほかに石油製品、自動車、石材なども扱っています。
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駅舎。
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タリンーエストニア間の鉄道は1870年に開設されました。駅舎は一部の装飾が失われてはいるものの、当時の形をかなりよく保っています。
しかし無人駅で、駅舎の中には入れません。 -
駅舎正面。ロータリーも使われている様子なし。タクシーもいません。たぶん呼ぶこともできません。
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駅前のPeetri通り。人もいないし車も通らない。
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寂れた住宅街に「PAKRI Science and Industrial Park」のロゴ。核施設(原潜の原子炉)跡にある広大な風力発電所の会社。風車はパルディスキの新たなランドマークです。
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パルディスキには南北二つの港があります。こちらは北港の入口。南には旅客ターミナルもあるとのこと。行ってみたかったのですがちょっと遠くて断念。
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ソ連時代には海軍に管理され、関係者以外は住むことも立ち入ることもできない街でした。以前から住んでいたエストニア住人は締め出され、かわりにソ連本国からロシア人たちがやってました。街なかには当時の集合住宅がたくさんあり、現在も使われています。
エストニア全体のロシア人(民族的に)比率はおよそ25%なのですが、パルディスキでは半数以上がロシア系です。 -
エストニアは独立回復後に「第二次世界大戦以降にエストニアに移住したロシア系住民には国籍が自動付与されない」という政策をとりました。その影響で1992年には無国籍の住民が32%もいたといいます。その後エストニア国籍取得の条件が緩和され、2009年には無国籍者が7.5%と順調に減少しているようです。
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住宅街を通り抜けてメインストリートに移動してきました。Rae通りです。こちらの道はある程度賑わっていました。
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1950年代の住宅(だと思う)。
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パルディスキ出身の芸術家、Amandus Adamsonの博物館へと向かいます。
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博物館前の道にその名前が付けられています。
Amandus Adamson(アダムソン)は主に帝政ロシア末期(19末~20世紀)に活躍し、代表作はルッサルカ記念碑(旅行04参照)。彼の夏のスタジオが博物館となっています。 -
第二次世界大戦末期にドイツ軍によって破壊され、今は階段と地下室しか残っていませんが、ここに2階建ての母屋があったそうです。
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アダムソンが植えたというカラマツ。
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離れ。
納戸のとして使われていたそうですが、アダムソンが作品に使う粘土もここに用意されていたそうです。 -
井戸。もう埋められちゃってますが。
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庭にはオブジェが並んでいますが、彼の作品ではありません。
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右が住居跡、左が離れ、奥がスタジオ。
アダムソン自身は制作のためスタジオを利用はしましたが、住居に住んでいたことはないのだそうです。 -
1899年、アダムソン自身がデザインして建てた夏のスタジオ。この中が博物館です。参観料は3ユーロ。
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博物館の方がいろいろ説明してくれました。
木製の彫刻作品。色合いの違う部分もすべて一つの木からできています。磨き方などで風合いが変わるそうです。アダムソンは作品の大小にかかわらず、指の爪一つ一つまで丁寧に仕上げているとのこと。 -
主に彫刻家として活躍しましたが、画家でもあります。昨日見た旧市庁舎の展覧会にも作品がありましたね。作品の多くはタリン近郊のクム美術館で見ることができるそうです。
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おそらくパルディスキの風景ですね。
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パルディスキの貧しい家に生まれたアダムソンは、タリンの貧困層向けの学校への入学が許されました。そして努力と才能によって、サンクトペテルブルグの芸術アカデミーへの入学を果たします。卒業後は主にサンクトペテルブルグやパリで活躍しました。
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かつての芸術家は皇帝や貴族といったパトロンがいて成り立つ職業でした。帝政下で、彼は貧しい身の上からの立身出世を果たした成功者となったのです。この写真はルッサルカ記念碑制作中にロシア皇帝を案内するアダムソンの様子。
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現在のルッサルカ記念碑(一昨日撮影したもの)。
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しかしロシアで革命がおこり、1918年にエストニアが独立すると仕事は激減。アダムソンは経済的に困窮したそうです。
そんな時期でも才能にあふれる彼は様々な作品を残しています。これは独立戦争の記念碑。実物は第二次大戦中に破壊されてしまいましたが、レプリカがクレッサーレにあるのだそうです。 -
博物館では彼の家族の写真も見ることができます。
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アダムソンは1929年に亡くなりましたが、この家には引き続き妻や娘、親戚が済んでいました。しかし第二次世界大戦が始まると軍港として重要だったパルディスキから一般市民は締め出され、このスタジオも主を失います。
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2005年、彼の末娘がこの場所を買い戻したことから、スタジオの修復が始まります。説明をしてくれた方も関わっていたらしく、修復の様子をとても情熱的に語ってくれました。
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例えば部屋の装飾。
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壁上部のペイントはアダムソン自身が描いたオリジナルを保存しつっつ、失われた部分を書き足していったそうです。右の汚れたように見えるところがオリジナル。
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隣の部屋ではワークショップが開かれることもあるそうです。
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スタジオには屋根裏部屋が2か所あります。登ってもいいんだそうです。
梯子で登る方は怖くて上まで行けなかった。こちらは子供部屋だったとのこと。 -
階段で登れる方なら行けそう。
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屋根裏部屋には娘さんの作品が飾られていました。
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屋根裏から見た階下。
天井の高いこのスペースで制作を行い、天井に吊り上げて下からの見え方を確認したり、こうして上から見たりしたのだそうです。大きな明かり取りの窓や、白い内装も作品に自然な光が当たるように工夫されています。 -
博物館の方がたくさん相手をしてくれて、いろいろなことが聞けました。面白かった。
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