2017/10/31 - 2017/10/31
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kojikojiさん
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「エルミタージュ美術館」の新館はあまり期待していなかったので下調べもあまりしていませんでした。さらにツアーの日程ではエルミタージュ本館を3時間見学した後に新館の1時間の見学か1時間の自由行動でネフスキー大通りを散歩するか選択になっていました。日中のネフスキー大通りも歩きたかったので新館は観ないつもりでいました。ところが最終日に2時間少しネフスキー通りを散策できることになり急遽予定変更になりました。最初に全員でコレクションの説明を聞きながら見学した後はマチスをメインにあまり知られていない作家の作品も観て行きます。1時間少々の見学でしたが好きな絵を中心に観ることが出来たので満足いくものでした。サンクトペテルブルグの観光は最後に「血の上の救世主教会」を表から見学して終わりです。早めの晩御飯はネヴァ側に近いエリアのレストランだったので、事前に添乗員さんに相談させていただき、食事の後は離団させていただきました。一度ホテルに戻ってからタクシーかホテルカーで市内に出ようと考えていたのでこれは非常に助かりました。おそらく往復で1時間30分は短縮できたと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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アンリ・マティス「赤い部屋」
この絵は2012年の「大エルミタージュ美術館展」で日本にも来ていましたね。 -
絵画の主題として何かがある訳でなく、全体に装飾的なモチーフが点在する画面構成で、タイトルどおりに鮮やかな赤に圧倒される作品です。壁紙とテーブルクロスには花籠と唐草の装飾模様が大きく扱われ一体化しています。果物皿を手に取る女性やワインのデキャンタ、花瓶や果物が宙に浮いたように見えます。赤と他反対色の窓の外の緑が鮮やかです。
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アンリ・マティス「皿と果物のある静物画」
南仏でよく造られるようなマヨルカ陶器の質感が感じられます。 -
アンリ・マティス「ブーケ」
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アンリ・マティス「テラスの女」
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アンリ・マティス「赤いチェストに乗ったピンクのオブジェと水差し」
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アンリ・マティス「セビリアの静物画」
1910年にミュンヘンでイスラム美術の大展覧会を鑑賞したあと、2ヶ月間イスラム美術を学ぶためスペインで過ごします。1912年と1913年にはモロッコを訪れ、タンジェ(タンジール)に滞在して絵を描きながら画風を変化させていきます。 -
アンリ・マティス「スペイン風の静物画」
タンジェ(タンジール)と言えばウィリアム・バロウズの「裸のランチ」ですね。デヴィッド・クローネンバーグの大好きな映画です。フィリップ・K・ディックの作品「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が映画化される際、関係者がたまたま手にとったバロウズの著作「ブレードランナー」の語感が良かったので、映画の題名が「ブレードランナー」となったのも有名な話ですね。脱線しました。 -
アンリ・マティス「青いテーブルクロスの静物画」
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アンリ・マティス「家族の肖像」
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アンリ・マティス「カンヴァセーション:会話」
この絵はガイドのマリアさんのお気に入りだそうです。マティスの自画像である男は支配的に直立し、女は不機嫌に椅子にもたれかかっています。対峙する男女は青い背景で描かれ緊張感を感じさせます。間に描かれた窓の外には明るい景色が広がるので悪い未来は想像させません。ただ窓の手摺りはNONという文字に見えます。 -
アンリ・マティスの「ダンス」と「音楽」が並んで展示してあります。
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アンリ・マティス「ダンスⅡ」
「ダンス」はマティスによって制作された油彩作品で、1909年版「ダンスⅠ」と1910年版「ダンスⅡ」の2つの作品があります。「ダンスⅠ」はマティスの息子が運営するピエール・マティス画廊経由でニューヨークにわたり、さまざまな人の手に移りながら1963年にネルソン・ロックフェラーからニューヨーク近代美術館に寄贈されています。「ダンスⅡ」は1909年にロシアの富裕コレクターのセルゲイ・シチューキンからの依頼によって制作されます。 -
モスクワにあるシチューキンのマンションの階段に飾るため2つの作品が依頼され、1つが「ダンスⅡ」でもう1つは「音楽」です。ダンスをする人物は赤色で力強く描かれ、対照的に背景はシンプルな緑とブルースカイで描かれています。当時のマティスは、プリミティブ・アートに影響を受けている時期で、芸術における初期衝動を反映しており、古典的なフォービスムスタイルを採用しているそうです。
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アンリ・マティス「立てるゾラ」
今回行けませんでしたがプーシキン美術館にはマティスの描いた「金魚」の絵「テラスのゾラ」があります。この絵も同じモロッコで出会ったゾラの姿でしょうか。 -
アンリ・マチス「リディア・デレクターズカヤの肖像」
マティスは若いロシア移民女性のリディア・デレクターズカヤに関心を抱くようになります。 そのことに気づいた妻アメリーとの仲は急速に悪化し、1939年に41年の2人の結婚生活は破局を迎えます。マティス夫婦の離婚事件に罪悪感を感じたデレクターズカヤは自ら銃で胸を撃って自殺を試みますが失敗に終わります。 -
その後彼女はマティスの元へ戻り、残りの人生をマティスとともに過ごすことになります。デレクターズカヤは年老いたマティスの家族の1人だけでなく、作品の支払いやマティスの連絡口、手紙のやり取りやアトリエでのアシスタント、モデルをもこなし、マティスのビジネスに関するあらゆる事務作業を行なうマネージャーとなります。ガイドのマリアさんによると彼女はマティスから絵をもらうのではなく、自らのお金で買い取っていたそうです。その絵の数点が遺言によりエルミタージュ美術館に寄贈されたそうです。
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アンリ・マチス「アラブのカフェ」
これもモロッコのタンジールに行ったときの心象風景でしょうか。アルへシラスからバスでタリファへ行き、フェリーでモロッコのタンジールへ渡ったことがありますが、それぞれ1時間の時差があり、その日のうちにカディスへ移動できなかった思い出があります。 -
そんな思い出のあるスペインには来年の4月から5月に行く予定です。3週間弱の旅程なのでモロッコまでは足を延ばせそうもありません。
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モーリス・ドニ「プシュケの物語」
ドニの家は富裕な家庭でエコール・デ・ボザールとアカデミー・ジュリアンの両方に通い、アカデミーでポール・セリュジエ、ピエール・ボナールら将来のナビ派のメンバーとなる画家仲間と出会います。ナビ派分裂後のドニは宗教的な主題と壁画に傾倒するようになります。 -
ヴィーナスは息子キューピッドにその愛の弓矢を使ってプシュケに卑しい男と恋をさせるよう命じます。悪戯好きの愛の神は喜んで母の命令に従いますが、誤って自分をも傷つけプシュケへの愛の虜となってしまいます。ヴィーナスの復讐で箱を開けたプシュケは深い眠りに落ちてしまいます。
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「ブリスの島へプシュケを運ぶ西風ゼフュロス」
西影の神ゼフュロスがこの世のものとは思えない素晴らしい宮殿にプシュケを運び、宮殿の中では見えない声が、この中のものはすべてプシュケのものだといい、食事も音楽も何もかもが心地よく用意されていました。 -
この宮殿を見て思ったのはミラノからスイスに向かって列車で1時間ほど行った先にあるマジョーレ湖のイゾラ・ヴェッラの姿に酷似していることです。あぁまたここで澁澤龍彦が思い浮かんできました。「ヨーロッパの乳房」のマジョーレ湖の三姉妹です。
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プシュケの豪華な暮らしに嫉妬した三姉妹の姉達は、姿を見せない夫は実は大蛇で
プシュケを太らせてから食べるつもりであると説き、夫が寝ている隙に剃刀で殺すべきであるとけしかけます。この言葉を信じたプシュケが寝ている夫を殺すべく蝋燭を持って近づくと、そこには凛々しい神の姿が照らし出されます。驚いたプシュケは蝋燭の蝋を落としてキューピッドに火傷を負わせてしまいます。妻の背信に怒ったキューピッドはその場を飛び去ります。 -
ピエール・ボナール「地中海」
ポスト印象派とモダンアートの中間点に位置する画家で、版画やポスターにも優れた作品を残しています。ボナールはナビ派の中でも最も日本美術の影響を強く受け、日本的なナビと呼ばれました。 -
モーリス・ドニ「お見舞い」
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空中回廊からの美術館の内側の全景です。ガイドさんと1週周った後は自由時間がもらえ、気に入った作品をもう一度鑑賞します。でもほとんどの方が休憩していたようです。もちろん妻もベンチに座っていました。
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パブロ・ピカソ「二人の姉妹」
来年はバルセロナに1週間近くいる予定なのでピカソ美術館を再訪できるのが楽しみです。個人的には青青の時代の作品が好きですが、それ以降の作品は…。 -
パブロ・ピカソ「アブサンを飲む女」
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パブロ・ピカソ「ベネット・ソラーの肖像」
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ベネット・ソラーは仕立て屋でしたが、クワトロ・ガッツの芸術家たちと交友があったそうです。 彼は家族の肖像画と引き換えにピカソたちをサポートしたようです。
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パブロ・ピカソ「三人の女」
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ガイドさんはピカソの長い名前を全部覚えていました。そのことが印象に残りました。ニューヨーク近代美術アkん修三の「アヴィニョンの娘たち」を彷彿させる作品です。
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アンリ・マチス「花束」(カラーリリー)
我が家の結婚式のブーケが白いカラーだけだったのを思い出します。ドレスも同じような形のきれいなドレスでした。もちろん奥さんも可愛らしかったです。 -
ハインリッヒ・カンペンドンク「自然の中の男と動物」
彼はクレーフェルトで生まれ、1933年にナチス政権が発動したときは退廃的なアーティストとして非難され、出品を禁じられた多くの近代主義者の1人でした。その後オランダに移りアムステルダムで生活の残りを過ごし、装飾アートや版画にステンドグラスを製作して帰化した後にオランダ人として亡くなります。 -
ワシリー・カンディンスキー「コンポジションⅣ」
最後の部屋でロシア出身の作家の作品が収められていました。抽象絵画の創始者とされ、ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得しています。 -
エルミタージュの新館の見学が終わるともう薄暗くなっていました。この時期の日の入りは午後5時過ぎでしたが、曇っているせいかもっと早い時間から暗くなっていました。
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サンクトペテルブルグの市内観光の最後は「血の上の救世主教会」です。
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残念ながら建物の一部が修復工事中でした。これからどんどん寒くなり雪も降るのに工事は続くのでしょうか。この教会は公式名をハリストス復活大聖堂といいます。「血の上の」と呼ばれるのは、1881年の皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会は皇帝遭難の地に建てられました。
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父ニコライ1世の始めたクリミア戦争の敗北はロシアの支配階級に大きな危機感を抱かせ、帝国の弱体化の責任は既存の国家体制が抱く立ち遅れに求められます。資本主義化・工業化のような経済発展、自由主義的な社会改革こそがロシアを救うと考えられ「農奴解放」へ繋がります。
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1867年にフランスを訪問中のアレクサンドル2世はパリで襲撃されますがこの時は難を逃れています。その後も皇帝暗殺計画は再三にわたって企てられ、1880年にはアレクサンドル2世を狙った冬宮食堂爆破事件が起きて多数の死傷者が出ています。
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そして1881年3月13日アレクサンドル2世は没落したシュラフタの家柄で人民の意志党員のポーランド人イグナツィ・フリニェヴィエツキの投じた爆弾により暗殺されます。瀕死の重傷を負った皇帝は担ぎ込まれた冬宮で1時間後に崩御しました。
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この教会の建設は暗殺の翌日には始まったそうです。1883年に着工しましたが、アレクサンドル3世在位中には完成せず、ニコライ2世の治世に入って13年目の1907年に完成しました。ロシア革命は教会に大打撃を与え、教会はソビエト政権によって略奪され、1930年代初期に閉鎖されます。第2次世界大戦中は野菜倉庫として使われジャガイモが積み上げられたそうです。レニングラード包囲戦で損害を受けますが、戦後は近くのオペラ劇場のための倉庫として使用されていました。
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27年間の修復期間を経て1997年8月に「血の上の救世主教会」はおよそ60年ぶりに一般公開されました。そして現在また修理工事中です。ツアーの予定では内部の見学はありませんし時間もありません。
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写真を撮るだけですぐにバスに戻ります。ツアーは便利だけど便利すぎるフラストレーションを感じます。
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見学の後は晩御飯のレストランへ向かいます。
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車窓の景色を楽しみながら過ごします。
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地球の歩き方の地図からも外れた場所ですが、レストランの大体の位置は分かりました。事前に添乗員さんとお話しさせていただいて食事の後に離団する許可はもらっておきました。レストランに入った時は高校生の団体で満席でしたが、あっという間に食べ終えてガラガラになりました。団体専用の店なのでレストランのカードなどはありませんでした。
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生ビールは300ルーブルでした。
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1日の終わりのビールは美味しいですね。
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エルミタージュ美術館でお昼を抜いたのでお腹はペコペコでした。ここのサラダは…。
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ビーフストロガノフがメイン料理です。女性にはちょうどよい量かもしれませんが物足りませんでした。味は美味しかったです。
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紅茶をいただきながらケーキでお腹をいっぱいにします。同席の方に挨拶してこの後は夜のサンクトペテルブルグへ消えていきます。
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