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牡丹のお寺で有名な、長谷寺の紹介です。奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山のお寺で、山号は豊山神楽院です。本尊は十一面観音です。

2016春、奈良のお寺の花(10/17):長谷寺(4):牡丹、弘法堂、空海座像、本長谷寺

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2016/04/30 - 2016/04/30

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旅行記グループ 2016春、奈良のお寺と花巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

牡丹のお寺で有名な、長谷寺の紹介です。奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山のお寺で、山号は豊山神楽院です。本尊は十一面観音です。

交通手段
観光バス
  • 長谷寺の境内摂社のようです。幟や提灯などに、『大黒天』あるいは『長谷大黒天』の文字がありました。大黒天(だいこくてん)は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラが原点とされます。仏教や神道に採り入れられた神様です。

    長谷寺の境内摂社のようです。幟や提灯などに、『大黒天』あるいは『長谷大黒天』の文字がありました。大黒天(だいこくてん)は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラが原点とされます。仏教や神道に採り入れられた神様です。

  • 綺麗に整備された上り坂の光景です。舗装の色もコンクリートの灰色ではなく、地肌を思わせる薄い茶色でした。

    綺麗に整備された上り坂の光景です。舗装の色もコンクリートの灰色ではなく、地肌を思わせる薄い茶色でした。

  • 右の坂道を登るか、左の平たんな道を進むか、少し迷った三差路の光景です。先に見える五重塔の場所を確認して、右の坂道を選択しました。

    右の坂道を登るか、左の平たんな道を進むか、少し迷った三差路の光景です。先に見える五重塔の場所を確認して、右の坂道を選択しました。

  • ここからは、本堂とその周りの見学を終え、西方向に向かった時の紹介です。最初にかなりきつい登坂がありました。

    ここからは、本堂とその周りの見学を終え、西方向に向かった時の紹介です。最初にかなりきつい登坂がありました。

  • 左側が崖、右側に長い石垣と塀が続いていた登り道の光景です。楓の新緑が、目に爽やかに写りました。

    左側が崖、右側に長い石垣と塀が続いていた登り道の光景です。楓の新緑が、目に爽やかに写りました。

  • 空海・弘法大師を祀る、『御影堂』の建物が見える場所まで登ってきました。多くの寺院と同じように、長谷寺も空海・弘法大師を篤く祀っているようでした。

    イチオシ

    空海・弘法大師を祀る、『御影堂』の建物が見える場所まで登ってきました。多くの寺院と同じように、長谷寺も空海・弘法大師を篤く祀っているようでした。

  • 『御影堂』の説明立札です。その全文は、『宗祖弘法大師御入定1千百50年御遠忌を記念して、その御徳を偲び昭和59年建立せられる』でした。昭和59年は1984年、空海が亡くなったのは、承和2年(835年)のことでした。

    『御影堂』の説明立札です。その全文は、『宗祖弘法大師御入定1千百50年御遠忌を記念して、その御徳を偲び昭和59年建立せられる』でした。昭和59年は1984年、空海が亡くなったのは、承和2年(835年)のことでした。

  • 空海・弘法大師の石造坐像です。右手に五鈷、左手に数珠を持った座禅姿です。何とも言えない穏やかな顔付きの像です。

    イチオシ

    空海・弘法大師の石造坐像です。右手に五鈷、左手に数珠を持った座禅姿です。何とも言えない穏やかな顔付きの像です。

  • 空海・弘法大師の石造坐像です。右手に五鈷、左手に数珠を持った座禅姿です。比較的新しい造りのようです。

    空海・弘法大師の石造坐像です。右手に五鈷、左手に数珠を持った座禅姿です。比較的新しい造りのようです。

  • 空海・弘法大師の石造坐像です。右手に五鈷、左手に数珠を持った座禅姿です。苔が生え、風化も進んだ石像でした。

    空海・弘法大師の石造坐像です。右手に五鈷、左手に数珠を持った座禅姿です。苔が生え、風化も進んだ石像でした。

  • 空海・弘法大師の石造坐像は、『御影堂』の前に置かれていました。その御影堂を後に、五重塔方面に向かいました。

    空海・弘法大師の石造坐像は、『御影堂』の前に置かれていました。その御影堂を後に、五重塔方面に向かいました。

  • 手前の建物が、『本長谷寺』、その背後に五重塔が見える光景です。

    手前の建物が、『本長谷寺』、その背後に五重塔が見える光景です。

  • 『一切経堂』のタイトルがあった立て看板です。説明文は、『永禄4年(1561)牧野備後守成貞の再建にして、納むる唐本一切経は、寛文7年(1668年)水野石見守忠貞の寄進』です。下から眺めただけで、石段は上りませんでした。

    『一切経堂』のタイトルがあった立て看板です。説明文は、『永禄4年(1561)牧野備後守成貞の再建にして、納むる唐本一切経は、寛文7年(1668年)水野石見守忠貞の寄進』です。下から眺めただけで、石段は上りませんでした。

  • 石段の下から眺めた、『一切経堂』の建物光景です。先ほどの水野石見守忠貞(たださだ)は、正保4年(1647年)から寛文9年(1669年)にかけて、伏見奉行を務めた人のようです。

    石段の下から眺めた、『一切経堂』の建物光景です。先ほどの水野石見守忠貞(たださだ)は、正保4年(1647年)から寛文9年(1669年)にかけて、伏見奉行を務めた人のようです。

  • お顔を小さく作られていますから、ざっと目算して、10頭身ほどの石の地蔵様に見えます。

    お顔を小さく作られていますから、ざっと目算して、10頭身ほどの石の地蔵様に見えます。

  • 正面から眺めた、『本長谷寺』の堂宇の光景です。長谷寺の草創由来の名前を持つお堂です。

    正面から眺めた、『本長谷寺』の堂宇の光景です。長谷寺の草創由来の名前を持つお堂です。

  • 『本長谷寺』の題字があった立札です。その全文は、『天武天皇御脳平癒のため朱鳥元年(686)道明上人ここに精舎を建立し千仏多宝塔銅盤(国宝)を鋳造して祀る。これ長谷寺の草創なるを以て本長谷寺と称す。銅盤は宗宝殿に安置』です。

    『本長谷寺』の題字があった立札です。その全文は、『天武天皇御脳平癒のため朱鳥元年(686)道明上人ここに精舎を建立し千仏多宝塔銅盤(国宝)を鋳造して祀る。これ長谷寺の草創なるを以て本長谷寺と称す。銅盤は宗宝殿に安置』です。

  • 『本長谷寺』の文字が記された扁額の光景です。『本』は『もと』と読むようですが、『元(もと)』のニュアンスがあるように感じました。

    『本長谷寺』の文字が記された扁額の光景です。『本』は『もと』と読むようですが、『元(もと)』のニュアンスがあるように感じました。

  • 斜め前から眺めた、『本長谷寺』の堂宇と立札の光景です。本瓦葺きの屋根でした。

    斜め前から眺めた、『本長谷寺』の堂宇と立札の光景です。本瓦葺きの屋根でした。

  • 『本長谷寺』の堂宇の側面光景です。現在の建物は、明治9年(1876年)に移築されたものです。

    『本長谷寺』の堂宇の側面光景です。現在の建物は、明治9年(1876年)に移築されたものです。

  • 三分割して紹介する、長谷寺の五重塔の建物光景です。最初は上階の4層と5層、それに相輪の光景です。戦後の日本で、初めて建てられた五重塔とされます。藻とは、少し離れた場所にあった三重塔です。

    三分割して紹介する、長谷寺の五重塔の建物光景です。最初は上階の4層と5層、それに相輪の光景です。戦後の日本で、初めて建てられた五重塔とされます。藻とは、少し離れた場所にあった三重塔です。

  • 次は中層の光景です。一番上の軒下が、3層、中央が2層、下が初層の軒下光景です。60年ほど前になる、昭和29年(1954年)の建築です。

    次は中層の光景です。一番上の軒下が、3層、中央が2層、下が初層の軒下光景です。60年ほど前になる、昭和29年(1954年)の建築です。

  • 最後は初相の軒下と、正面出入口の光景です。桧皮葺で高さは31.39メートルです。

    最後は初相の軒下と、正面出入口の光景です。桧皮葺で高さは31.39メートルです。

  • 明治9年(1876年)に雷火で焼失した三重塔跡の北側に、昭和29年(1954年)、建立された五重塔の全景です。避雷針技術がなかった時代、先端に金属部分がある高い建物、天守閣や五重塔、三重塔などは雷被害の確率が高かったようです。

    イチオシ

    明治9年(1876年)に雷火で焼失した三重塔跡の北側に、昭和29年(1954年)、建立された五重塔の全景です。避雷針技術がなかった時代、先端に金属部分がある高い建物、天守閣や五重塔、三重塔などは雷被害の確率が高かったようです。

  • 斜め前から眺めた五重塔の全景です。今も建物の先端には金属製の避雷針がありますが、直撃を受けても。建物の中を雷電流は流れず、導線によって建物側面を流れて地面に達する仕組みとなっています。

    斜め前から眺めた五重塔の全景です。今も建物の先端には金属製の避雷針がありますが、直撃を受けても。建物の中を雷電流は流れず、導線によって建物側面を流れて地面に達する仕組みとなっています。

  • 高台から見下ろした、長谷寺の伽藍の甍光景です。近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れていて、学問寺としての性格を強めているようです。

    高台から見下ろした、長谷寺の伽藍の甍光景です。近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れていて、学問寺としての性格を強めているようです。

  • 参道脇で咲いていた『シャクナゲ(石楠花)』の光景です。この日は、この後で石楠花で有名な花の寺、室生寺も訪れる予定です。

    参道脇で咲いていた『シャクナゲ(石楠花)』の光景です。この日は、この後で石楠花で有名な花の寺、室生寺も訪れる予定です。

  • 同じく、参道脇で咲いていた『シャクナゲ(石楠花)』の光景です。開花のタイミングが合っていたようですから、室生寺での見学が楽しみです。

    同じく、参道脇で咲いていた『シャクナゲ(石楠花)』の光景です。開花のタイミングが合っていたようですから、室生寺での見学が楽しみです。

  • 『三重の塔跡』のタイトルがあった立札です。慶長年間に豊臣秀頼功により再建されましたが、『明治9年3月祝融の災いにかかり現在は礎石のみを残す』と解説されていました。『祝融』は、中国の伝説上の帝王で、秘の神様とされます。このことから『祝融の災い』とは、『火災』の意味です。

    『三重の塔跡』のタイトルがあった立札です。慶長年間に豊臣秀頼功により再建されましたが、『明治9年3月祝融の災いにかかり現在は礎石のみを残す』と解説されていました。『祝融』は、中国の伝説上の帝王で、秘の神様とされます。このことから『祝融の災い』とは、『火災』の意味です。

  • 『三重の塔跡』の立札があった竹囲いの中の光景です。楓樹の根元に、『三重塔址』の古い石碑がありました。

    『三重の塔跡』の立札があった竹囲いの中の光景です。楓樹の根元に、『三重塔址』の古い石碑がありました。

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