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石楠花で知られる花のお寺の室生寺の紹介です。木漏れ日の中で咲く石楠花は、風情がありました。400段といわれる長い石段でしたが、奥の院まで登りました。

2016春、奈良のお寺の花(16/17):室生寺(3):石楠花、紫蝮草、地蔵尊、奥の院

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2016/04/30 - 2016/04/30

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旅行記グループ 2016春、奈良のお寺と花巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

石楠花で知られる花のお寺の室生寺の紹介です。木漏れ日の中で咲く石楠花は、風情がありました。400段といわれる長い石段でしたが、奥の院まで登りました。

交通手段
観光バス
  • 五重塔近くの境内光景です。かなりの年代を経た五輪塔と石灯篭が並んでいました。石灯篭には、安全対策らしい竹囲いがありました。この五輪塔ではありませんが、五輪塔(伝・北畠親房墓)は、国の重要文化財です。

    五重塔近くの境内光景です。かなりの年代を経た五輪塔と石灯篭が並んでいました。石灯篭には、安全対策らしい竹囲いがありました。この五輪塔ではありませんが、五輪塔(伝・北畠親房墓)は、国の重要文化財です。

  • 二段に石垣を積んだ区画にあったお墓の光景です。大僧正の文字も見えましたから、僧籍の方のお墓もあるようでした。

    二段に石垣を積んだ区画にあったお墓の光景です。大僧正の文字も見えましたから、僧籍の方のお墓もあるようでした。

  • 『奥の院』方面の案内標識です。真新しい造りの木製の標識でした。この後、長い石段が続きました。

    『奥の院』方面の案内標識です。真新しい造りの木製の標識でした。この後、長い石段が続きました。

  • ちょっとした山登り気分の参道歩きです。五木寛之さんの『早く時巡礼』の中には、若いスタッフが石段の数を数えてくれた話がありました。仁王門を潜った後から、奥の院まで、丁度700段と紹介されていました。その数を聞いたうえで、濃きに達していた五木さんは、往復1400段の石段を歩かれたそうです。

    ちょっとした山登り気分の参道歩きです。五木寛之さんの『早く時巡礼』の中には、若いスタッフが石段の数を数えてくれた話がありました。仁王門を潜った後から、奥の院まで、丁度700段と紹介されていました。その数を聞いたうえで、濃きに達していた五木さんは、往復1400段の石段を歩かれたそうです。

  • 若い頃に室生寺を見学した時に印象に残っていたことの一つが、鬱蒼とした杉の大木が茂る参道の光景でした。この光景がデジャビュー(既視感)として記憶に蘇えりました。

    若い頃に室生寺を見学した時に印象に残っていたことの一つが、鬱蒼とした杉の大木が茂る参道の光景でした。この光景がデジャビュー(既視感)として記憶に蘇えりました。

  • 参道脇の石垣の上に並んでいた墓石の光景です。梵字は、インドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名です。一般には、梵語(サンスクリット語)を表記する文字とされます。その文字の下に『大僧正・隆光』や『法印宗(?)山』などの名前がありました。

    参道脇の石垣の上に並んでいた墓石の光景です。梵字は、インドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名です。一般には、梵語(サンスクリット語)を表記する文字とされます。その文字の下に『大僧正・隆光』や『法印宗(?)山』などの名前がありました。

  • 野生のものか、植栽されたものか判断付きませんでしたが、『サクラソウ(桜草)』には間違いないようです。野生でしたら、『ニホンサクラソウ(日本桜草)』かもしれません。

    野生のものか、植栽されたものか判断付きませんでしたが、『サクラソウ(桜草)』には間違いないようです。野生でしたら、『ニホンサクラソウ(日本桜草)』かもしれません。

  • 奥の院に向かう参道の光景です。平坦な部分もありましたが、大部分は長い石段の道でした。

    奥の院に向かう参道の光景です。平坦な部分もありましたが、大部分は長い石段の道でした。

  • 『天然記念物室生山暖地性シダ群落』のタイトルがあった、昭和37年(1962年)の日付の室生寺・文化財保護委員会名の立札です。暖地性シダが分布の北限に当たり、昭和3年(1928年)に天然記念物に指定されたことを受けたものでした。

    『天然記念物室生山暖地性シダ群落』のタイトルがあった、昭和37年(1962年)の日付の室生寺・文化財保護委員会名の立札です。暖地性シダが分布の北限に当たり、昭和3年(1928年)に天然記念物に指定されたことを受けたものでした。

  • 台風による大風か、大雨で倒されたのでしょうか、杉の大木が倒れたままになっていました。幹が朽ち始めていましたから、かなり前の倒木のようでした。

    台風による大風か、大雨で倒されたのでしょうか、杉の大木が倒れたままになっていました。幹が朽ち始めていましたから、かなり前の倒木のようでした。

  • そろそろキツイ石段が始まりました。700段の内の、あと400段ほどが残っているようでした。

    そろそろキツイ石段が始まりました。700段の内の、あと400段ほどが残っているようでした。

  • これから登る石段の参道光景です。先を行く人たちも、休み休み登っていました。まだ4月の気候ですが、しっかり汗をかきました。

    これから登る石段の参道光景です。先を行く人たちも、休み休み登っていました。まだ4月の気候ですが、しっかり汗をかきました。

  • 倒木として処理された大木の根元部分に切り口です。参道の通行に支障にならないよう、脇に片付けられていました。

    倒木として処理された大木の根元部分に切り口です。参道の通行に支障にならないよう、脇に片付けられていました。

  • 眼下に見下ろした、赤い無明橋の光景です。小川の上に掛けられた太鼓橋です。

    眼下に見下ろした、赤い無明橋の光景です。小川の上に掛けられた太鼓橋です。

  • 苔生した、杉の古木の根元に近い部分の幹の光景です。これも私のデジャビューにあった、室生寺の参道光景でした。

    苔生した、杉の古木の根元に近い部分の幹の光景です。これも私のデジャビューにあった、室生寺の参道光景でした。

  • 実際に上った石段化、表参道から枝分かれした石段かは、あまり記憶に残っていません。多分上った石段だったようです。

    実際に上った石段化、表参道から枝分かれした石段かは、あまり記憶に残っていません。多分上った石段だったようです。

  • 『ムラサキマムシグサ(紫蝮草)』のようです。サトイモ科テンナンショウ属の植物です。偽茎に蝮のような文様があることと、仏炎苞の形が蛇を連想させることからの命名とされます。

    『ムラサキマムシグサ(紫蝮草)』のようです。サトイモ科テンナンショウ属の植物です。偽茎に蝮のような文様があることと、仏炎苞の形が蛇を連想させることからの命名とされます。

  • 両脇に金属製の手摺りが付いた石段の光景です。その石段の脇に『シャクナゲ(石楠花)』の木が見えました。かなり上ってきましたが、この場所でも既に開花していました。

    両脇に金属製の手摺りが付いた石段の光景です。その石段の脇に『シャクナゲ(石楠花)』の木が見えました。かなり上ってきましたが、この場所でも既に開花していました。

  • 参道の石段の上から見上げた光景です。折り重なった石の上らか、瞑想姿の仏像が顔を覗かせていました。残りの石段はあと少しのようです。

    参道の石段の上から見上げた光景です。折り重なった石の上らか、瞑想姿の仏像が顔を覗かせていました。残りの石段はあと少しのようです。

  • 長かった石段の最上段付近から眺めた建物光景です。『懸造り(かけつくり)』の『常灯堂』の基礎部分の木組みです。『懸造り』は、『懸崖造り』、『舞台造り』や『崖造り』とも呼ばれます。

    長かった石段の最上段付近から眺めた建物光景です。『懸造り(かけつくり)』の『常灯堂』の基礎部分の木組みです。『懸造り』は、『懸崖造り』、『舞台造り』や『崖造り』とも呼ばれます。

  • 同じく、懸造りの『常灯堂』の基礎部分の木組みの光景です。『舞台造り』と表現した方がよさそうです。この種の造りの建物では、京都の清水寺が特に有名です。

    同じく、懸造りの『常灯堂』の基礎部分の木組みの光景です。『舞台造り』と表現した方がよさそうです。この種の造りの建物では、京都の清水寺が特に有名です。

  • 奥の院の『御供所』と呼ばれる建物のようです。『御供所(ごくしょ) 』は、お大師様へお供えする毎日のお食事を調理する場所とされます。この建物は、納経所と休憩所を兼ねているようでした。

    奥の院の『御供所』と呼ばれる建物のようです。『御供所(ごくしょ) 』は、お大師様へお供えする毎日のお食事を調理する場所とされます。この建物は、納経所と休憩所を兼ねているようでした。

  • 『奥の院』の標識です。数えたわけではありませんが、五重塔を過ぎ、奥の院までの石段は400段ほどあるようです。この時期でも、汗をかいてしまいました。

    『奥の院』の標識です。数えたわけではありませんが、五重塔を過ぎ、奥の院までの石段は400段ほどあるようです。この時期でも、汗をかいてしまいました。

  • 国の重要文化財に指定されている『御影堂』の建物光景です。鎌倉時代に建造された、方三間の造りの建物です。見学する時間はありませんでしたが、42才の時の弘法大師像が安置されているようです。

    国の重要文化財に指定されている『御影堂』の建物光景です。鎌倉時代に建造された、方三間の造りの建物です。見学する時間はありませんでしたが、42才の時の弘法大師像が安置されているようです。

  • 『常灯堂』への入口頭上に掲げられた奉納絵です。絵の右上の方に、地獄絵図のような閻魔大王が大きく描かれています。『常灯堂』は、『位牌堂』とも呼ばれています。

    『常灯堂』への入口頭上に掲げられた奉納絵です。絵の右上の方に、地獄絵図のような閻魔大王が大きく描かれています。『常灯堂』は、『位牌堂』とも呼ばれています。

  • 『常灯堂』への入口横にあった青銅製の鳴物です。神社では鈴ですが、お寺では『鰐口』と呼ばれています。たくさんの位牌が祀られて、灯りが灯されていますが、御本尊となるような仏像置かれていないようです。

    『常灯堂』への入口横にあった青銅製の鳴物です。神社では鈴ですが、お寺では『鰐口』と呼ばれています。たくさんの位牌が祀られて、灯りが灯されていますが、御本尊となるような仏像置かれていないようです。

  • 少し写真を撮っただけで、早速下山です。その最初の石段部分です。下りの方が足には負担がかかりますから、登りよりも注意しての下山開始です。できるだけ膝にクッションを持たせるように気を付けました。

    少し写真を撮っただけで、早速下山です。その最初の石段部分です。下りの方が足には負担がかかりますから、登りよりも注意しての下山開始です。できるだけ膝にクッションを持たせるように気を付けました。

  • 下りの最初の石段の近くにあった石像の光景です。釈迦如来坐像のようでした。結跏趺坐は、仏教における最も尊い坐り方とされ、如来坐像では、必ずこの坐り方が用いられるようです。

    下りの最初の石段の近くにあった石像の光景です。釈迦如来坐像のようでした。結跏趺坐は、仏教における最も尊い坐り方とされ、如来坐像では、必ずこの坐り方が用いられるようです。

  • 不動明王の石像のようです。不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と、羂索(けんじゃく:悪を縛り上げための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としています。

    不動明王の石像のようです。不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と、羂索(けんじゃく:悪を縛り上げための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としています。

  • 国宝の建物、五重塔が見える位置まで下りてきました。休憩なしで奥の院を後にしましたので、再集合の時間までは、まだ十分に時間が残っていました。

    国宝の建物、五重塔が見える位置まで下りてきました。休憩なしで奥の院を後にしましたので、再集合の時間までは、まだ十分に時間が残っていました。

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