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奈良の花のお寺、長岳寺紹介の締め括りです。車中でおあh並み弁当を食べながら、次の花のお寺、長谷寺に向かいました。

2016春、奈良のお寺の花(6/17):長岳寺(6):旧地蔵院、参道のツツジ、石塀、大門

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2016/04/30 - 2016/04/30

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旅行記グループ 2016春、奈良のお寺と花巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

奈良の花のお寺、長岳寺紹介の締め括りです。車中でおあh並み弁当を食べながら、次の花のお寺、長谷寺に向かいました。

交通手段
観光バス

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  • 旧地蔵院の紹介の続きです。四十八ヶ坊あった長岳寺の塔中の内、唯一残ったものです。現在は長岳寺の庫裏として使われています。建物は室町時代の書院造りの様式を残しています。

    旧地蔵院の紹介の続きです。四十八ヶ坊あった長岳寺の塔中の内、唯一残ったものです。現在は長岳寺の庫裏として使われています。建物は室町時代の書院造りの様式を残しています。

  • 旧地蔵院の本堂の唐風の造りの玄関光景です。格式を感じさせる檜皮葺の屋根でした。

    イチオシ

    旧地蔵院の本堂の唐風の造りの玄関光景です。格式を感じさせる檜皮葺の屋根でした。

  • 白とピンクのツートンカラーの花です。菊に似た花の形でしたが、葉の形が少し違っていました。菊よりもコスモスに近い葉の形でした。花の名前は、まだ分かりません。

    白とピンクのツートンカラーの花です。菊に似た花の形でしたが、葉の形が少し違っていました。菊よりもコスモスに近い葉の形でした。花の名前は、まだ分かりません。

  • 現在は庫裏として使われている、旧地蔵院の門から眺めた通りの光景です。満開のツツジの光景が、一面に広がっていました。庫裏で賄われる寺料理のそうめんが名物のようです。日本の手延べ素麵の元祖とされる、地元の三輪そうめんが使われているようです。

    イチオシ

    現在は庫裏として使われている、旧地蔵院の門から眺めた通りの光景です。満開のツツジの光景が、一面に広がっていました。庫裏で賄われる寺料理のそうめんが名物のようです。日本の手延べ素麵の元祖とされる、地元の三輪そうめんが使われているようです。

  • 現在は庫裏として使われている、旧地蔵院の見学を終え、再集合場所の駐車場に向かいました。武家屋敷か、城郭を思わせる石垣と白い壁の光景です。

    現在は庫裏として使われている、旧地蔵院の見学を終え、再集合場所の駐車場に向かいました。武家屋敷か、城郭を思わせる石垣と白い壁の光景です。

  • 武家屋敷か、城郭を思わせる石垣と白い壁の光景がずっと続いていました。その高さが変わっていた場所の光景です。

    武家屋敷か、城郭を思わせる石垣と白い壁の光景がずっと続いていました。その高さが変わっていた場所の光景です。

  • 長岳寺の入場口の建物光景です。往きに添乗員さんが、纏めて入場券を購入してくれました。

    長岳寺の入場口の建物光景です。往きに添乗員さんが、纏めて入場券を購入してくれました。

  • 参道の両脇に、武家屋敷か、城郭を思わせる石垣と白い壁が続いていました。かつて、48カ所の塔頭(たっちゅう)があった時の名残かもしれません。塔頭は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後、その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院を言います。

    参道の両脇に、武家屋敷か、城郭を思わせる石垣と白い壁が続いていました。かつて、48カ所の塔頭(たっちゅう)があった時の名残かもしれません。塔頭は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後、その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院を言います。

  • 往きにも目にした建物光景です。現在は庫裏として使われている旧地蔵院の『延命殿』と呼ばれている重要文化財の建物です。普賢延命菩薩がお祀りされています。

    イチオシ

    往きにも目にした建物光景です。現在は庫裏として使われている旧地蔵院の『延命殿』と呼ばれている重要文化財の建物です。普賢延命菩薩がお祀りされています。

  • 参道が三叉路になった部分の光景です。左に行けば、再集合場所の駐車場方面になります。ツツジの並木と、石垣と白い壁は続きます。

    参道が三叉路になった部分の光景です。左に行けば、再集合場所の駐車場方面になります。ツツジの並木と、石垣と白い壁は続きます。

  • 往きに目にしましたから、この建物も見覚えがありました。入口上に、『龍松亭』の表札があった建物です。

    往きに目にしましたから、この建物も見覚えがありました。入口上に、『龍松亭』の表札があった建物です。

  • 先ほど紹介した、三叉路付近からの眺望です。奈良盆地の光景が開けていました。奈良盆地は、奈良県北西部に位置する標高100メートル以下の断層盆地を指します。『大和盆地』や『大和平野』とも呼ばれます。

    先ほど紹介した、三叉路付近からの眺望です。奈良盆地の光景が開けていました。奈良盆地は、奈良県北西部に位置する標高100メートル以下の断層盆地を指します。『大和盆地』や『大和平野』とも呼ばれます。

  • 同じく、三叉路付近から眺めた、付近の光景です。この辺りも、48カ所の塔頭があった時代からの境内の一部のようです。

    同じく、三叉路付近から眺めた、付近の光景です。この辺りも、48カ所の塔頭があった時代からの境内の一部のようです。

  • 華やかに咲くヒラドツツジは人気が高く、庭木、公園木、生け垣などに広く使われています。ツツジとしての唯一とも言ってよい欠点が、若干寒さに弱いことです。このため関東以東ではあまり栽培されないようです。

    華やかに咲くヒラドツツジは人気が高く、庭木、公園木、生け垣などに広く使われています。ツツジとしての唯一とも言ってよい欠点が、若干寒さに弱いことです。このため関東以東ではあまり栽培されないようです。

  • 背丈を超える高さのヒラドツツジが続く参道の光景です。名前の由来は、古くから長崎県平戸市で栽培されてきたことにあります。江戸時代中期の聖徳年(1712年)に出された『和漢三才図会』には、すでに『ヒラドツツジ』の名で紹介されています。寺島良安によって編纂された類書(百科事典)です。

    背丈を超える高さのヒラドツツジが続く参道の光景です。名前の由来は、古くから長崎県平戸市で栽培されてきたことにあります。江戸時代中期の聖徳年(1712年)に出された『和漢三才図会』には、すでに『ヒラドツツジ』の名で紹介されています。寺島良安によって編纂された類書(百科事典)です。

  • 近年に修復作業が行われたような、石垣と白い壁の光景です。三叉路部分の、石垣と白い壁のコーナーの光景です。

    近年に修復作業が行われたような、石垣と白い壁の光景です。三叉路部分の、石垣と白い壁のコーナーの光景です。

  • 石垣と白い壁のコーナー部分を曲がったところで、左が石垣と白い壁、右がツツジの並木の光景となりました。

    石垣と白い壁のコーナー部分を曲がったところで、左が石垣と白い壁、右がツツジの並木の光景となりました。

  • 往きには表側だけを眺めたヒラドツツジの参道ですが、帰りには、裏にも回って見学しました。大きく育ったツツジが満開でした。

    往きには表側だけを眺めたヒラドツツジの参道ですが、帰りには、裏にも回って見学しました。大きく育ったツツジが満開でした。

  • 満開の花をピックアップしての紹介です。濃いピンク色のヒラドツツジの花です。

    満開の花をピックアップしての紹介です。濃いピンク色のヒラドツツジの花です。

  • 薄いピンク色と、斑模様に入った濃いピンク色のツートンカラーのヒラドツツジの花のズームアップ光景です。

    薄いピンク色と、斑模様に入った濃いピンク色のツートンカラーのヒラドツツジの花のズームアップ光景です。

  • 白のヒラドツツジの花のズームアップ光景です。ほんのわずかにピンク色が入っていました。まだ見学したことはありませんが、平戸市の崎方公園には、300種からなる原木園があるようです。

    白のヒラドツツジの花のズームアップ光景です。ほんのわずかにピンク色が入っていました。まだ見学したことはありませんが、平戸市の崎方公園には、300種からなる原木園があるようです。

  • 純白のヒラドツツジの花のズームアップ光景です。カルキ見渡した限りでは、その他の色は混じっていないようでした。

    純白のヒラドツツジの花のズームアップ光景です。カルキ見渡した限りでは、その他の色は混じっていないようでした。

  • ヒラドツツジの大きさは、1〜3メートルとされますが、その限界まで育ったツツジのようです。主幹はなく、分岐して株立ち状の樹形になる性質を持ちます。

    ヒラドツツジの大きさは、1〜3メートルとされますが、その限界まで育ったツツジのようです。主幹はなく、分岐して株立ち状の樹形になる性質を持ちます。

  • 前方に見えてきた、大門の光景です。その門の近くで、春落葉を掃き清める、お寺関係の方の姿がありました。

    前方に見えてきた、大門の光景です。その門の近くで、春落葉を掃き清める、お寺関係の方の姿がありました。

  • 道路を横断して張られていた注連縄です。長岳寺では、以前に境内に鎮座されていた八坂神社の神様を、供えものがある仮屋に招く神事が行われていることを紹介しましたが、その時に奉納された注連縄かも知れません。

    道路を横断して張られていた注連縄です。長岳寺では、以前に境内に鎮座されていた八坂神社の神様を、供えものがある仮屋に招く神事が行われていることを紹介しましたが、その時に奉納された注連縄かも知れません。

  • 長岳寺の名前が記された花筒があった石碑の光景です。新しい花がお供えしてありました。日清・日露戦争当たりで出征した、長岳寺関係者の兵士の慰霊碑のようです。

    長岳寺の名前が記された花筒があった石碑の光景です。新しい花がお供えしてありました。日清・日露戦争当たりで出征した、長岳寺関係者の兵士の慰霊碑のようです。

  • 往きにも潜った、『大門』です。江戸時代の寛永17年(1640年)の再建とされます。

    往きにも潜った、『大門』です。江戸時代の寛永17年(1640年)の再建とされます。

  • 駐車場の隅に建てられていた、『釜口山・長岳寺全景』と題された案内図です。この駐車場を含め、奥の院まで網羅されていました。

    駐車場の隅に建てられていた、『釜口山・長岳寺全景』と題された案内図です。この駐車場を含め、奥の院まで網羅されていました。

  • この日の昼食です。花のお寺巡りのスケジュールが一杯ですから、昼食はバスの中でのお弁当です。

    この日の昼食です。花のお寺巡りのスケジュールが一杯ですから、昼食はバスの中でのお弁当です。

  • 今年の桜の花見では、よくお昼に花見弁当を戴きましたが、今回も花見弁当といったところです。中々美味しかった、柿の葉寿司などです。お酒は、自前で用意していました。

    今年の桜の花見では、よくお昼に花見弁当を戴きましたが、今回も花見弁当といったところです。中々美味しかった、柿の葉寿司などです。お酒は、自前で用意していました。

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