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カンボジアで次の世界文化遺産候補とされるサンボー・プレイ・クックへ向かう道中の光景です。メコンデルタの穀倉地帯が続きました。

2014春、カンボジア旅行記2(12/47):3月20日(2):プノンペン、サンボー・プレイ・クックへ、水田光景、高床住宅

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2014/03/18 - 2014/03/23

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

カンボジアで次の世界文化遺産候補とされるサンボー・プレイ・クックへ向かう道中の光景です。メコンデルタの穀倉地帯が続きました。

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  • カンボジアにおけるムスリムのことを咲きに簡単に紹介しましたので、次はカンボジアの上部座仏教についての紹介です。最初にお釈迦さまの誕生についての説明です。コーサラ国の釈迦族の皇子として生まれ、その本名は『ガウタマ・シッダールタ(サンスクリット語)』です。生誕地は、現在世界文化遺産に登録されているネパール南西部のルンビニとされていますが、インドでは国境近くのカピラヴァストゥ説があります。

    カンボジアにおけるムスリムのことを咲きに簡単に紹介しましたので、次はカンボジアの上部座仏教についての紹介です。最初にお釈迦さまの誕生についての説明です。コーサラ国の釈迦族の皇子として生まれ、その本名は『ガウタマ・シッダールタ(サンスクリット語)』です。生誕地は、現在世界文化遺産に登録されているネパール南西部のルンビニとされていますが、インドでは国境近くのカピラヴァストゥ説があります。

  • 釈迦の生没年については諸説ありますので、代表的な説を列挙しておきます。<br />①	紀元前624~紀元前544年:南伝仏教による説<br />②	紀元前566~紀元前486年:北伝仏教の『衆聖点記』による説<br />③	紀元前466~紀元前386年:宇井説<br />④	紀元前463~紀元前383年:中村説<br />

    釈迦の生没年については諸説ありますので、代表的な説を列挙しておきます。
    ① 紀元前624~紀元前544年:南伝仏教による説
    ② 紀元前566~紀元前486年:北伝仏教の『衆聖点記』による説
    ③ 紀元前466~紀元前386年:宇井説
    ④ 紀元前463~紀元前383年:中村説

  • 左手に次に見えてきたのは、ヒンドゥー教の寺院のようです。ヒンドゥー教の歴史などについては最後に紹介します。釈迦の生涯についての概説です。29歳で出家し、6年間の苦行を積み、35歳の時、印度菩提樹の下で悟りを啓いたとされます。その五社かは、多くの人を教化、伝道し、仏教を広めました。

    左手に次に見えてきたのは、ヒンドゥー教の寺院のようです。ヒンドゥー教の歴史などについては最後に紹介します。釈迦の生涯についての概説です。29歳で出家し、6年間の苦行を積み、35歳の時、印度菩提樹の下で悟りを啓いたとされます。その五社かは、多くの人を教化、伝道し、仏教を広めました。

  • 同じく、ヒンドゥー教の寺院の車窓光景です。カンボジアでは憲法で上座部仏教を国教に決めていますから、仏教寺院かもしれません。<br />釈迦が亡くなって百年ほど経ち、教団が大衆部と上座部の二つの教団に分裂した『根本分裂』が起きました。その時期と原因等については、複数の説があります。教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに根本分裂した後、更に分裂を繰り返しました。<br />

    同じく、ヒンドゥー教の寺院の車窓光景です。カンボジアでは憲法で上座部仏教を国教に決めていますから、仏教寺院かもしれません。
    釈迦が亡くなって百年ほど経ち、教団が大衆部と上座部の二つの教団に分裂した『根本分裂』が起きました。その時期と原因等については、複数の説があります。教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに根本分裂した後、更に分裂を繰り返しました。

  • 上座部系は主として西方・北方インドに広まり、更にスリランカ、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス等の地域に伝わりました。南伝仏教、あるいは小乗仏教とも呼ばれます。<br />大衆部系は主として中インドから南インドに広まり、中国、チベット、ベトナム、朝鮮、日本等の地域に伝わりました。北伝仏教、あるいは大乗仏教とも呼ばれます。<br />

    上座部系は主として西方・北方インドに広まり、更にスリランカ、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス等の地域に伝わりました。南伝仏教、あるいは小乗仏教とも呼ばれます。
    大衆部系は主として中インドから南インドに広まり、中国、チベット、ベトナム、朝鮮、日本等の地域に伝わりました。北伝仏教、あるいは大乗仏教とも呼ばれます。

  • カンボジアの簡略化した宗教史です。カンボジアの歴史は、2世紀にクメール人の建てた扶南(ふなん)の国から始まります。扶南では、ヒンドゥー教と仏教が混交して信仰されていました。<br />6世紀になると、扶南の属国であった真臘(しんろう)が台頭し、扶南を征服します。 真臘では、大乗仏教が広く信仰され、観音菩薩像などが建立されました。<br />

    カンボジアの簡略化した宗教史です。カンボジアの歴史は、2世紀にクメール人の建てた扶南(ふなん)の国から始まります。扶南では、ヒンドゥー教と仏教が混交して信仰されていました。
    6世紀になると、扶南の属国であった真臘(しんろう)が台頭し、扶南を征服します。 真臘では、大乗仏教が広く信仰され、観音菩薩像などが建立されました。

  • その後分裂した真臘は、9世紀初頭にアンコール朝の創建者とされるジャヤヴァルマン2世(在位:802〜850年)によって再度統一されます。 ジャヤヴァルマン2世は、自身をヒンドゥーの神の生まれ変わりであると主張し、その支配の正当化を図りました。以後のクメール王朝では、ヒンドゥー教や仏教と王権の結びつきが顕著となりました。

    その後分裂した真臘は、9世紀初頭にアンコール朝の創建者とされるジャヤヴァルマン2世(在位:802〜850年)によって再度統一されます。 ジャヤヴァルマン2世は、自身をヒンドゥーの神の生まれ変わりであると主張し、その支配の正当化を図りました。以後のクメール王朝では、ヒンドゥー教や仏教と王権の結びつきが顕著となりました。

  • この社も、仏教か、ヒンドゥー教のどちらの神様を祀っているのかわかりませんでした。<br />12世紀にアンコールワットが建てられ、クメール朝の建築、彫刻は最高潮に達しました。ヒンドゥー教と大乗仏教の菩薩が融合した独自の宗教施設です。<br />クメール朝が15世紀にタイのアユタヤ朝に滅ぼされた後は、タイの上座部仏教が浸透し、現在も主流(国教)となっています。<br />

    イチオシ

    この社も、仏教か、ヒンドゥー教のどちらの神様を祀っているのかわかりませんでした。
    12世紀にアンコールワットが建てられ、クメール朝の建築、彫刻は最高潮に達しました。ヒンドゥー教と大乗仏教の菩薩が融合した独自の宗教施設です。
    クメール朝が15世紀にタイのアユタヤ朝に滅ぼされた後は、タイの上座部仏教が浸透し、現在も主流(国教)となっています。

  • 道路脇に建っているのは、高床式の住宅です。推測ですが、雨期に浸水しないための長年の工夫のようです。

    道路脇に建っているのは、高床式の住宅です。推測ですが、雨期に浸水しないための長年の工夫のようです。

  • こちらも高床式の住宅です。道路からは、玄関まで橋が渡されていました。不便なようにも見えますが、利点の方が上回っているのでしょう。

    イチオシ

    こちらも高床式の住宅です。道路からは、玄関まで橋が渡されていました。不便なようにも見えますが、利点の方が上回っているのでしょう。

  • 次に見えてきた住宅もすべて高床式でした。日本で思い出す高床式の建物は、佐賀県の吉野ケ里遺跡です。高床式の倉庫や住居があったようです。日本の現在の建物も、45センチほどの高床式とも言われています。ただし、重心を上げ過ぎると、日本の場合は耐震性が問題になります。

    次に見えてきた住宅もすべて高床式でした。日本で思い出す高床式の建物は、佐賀県の吉野ケ里遺跡です。高床式の倉庫や住居があったようです。日本の現在の建物も、45センチほどの高床式とも言われています。ただし、重心を上げ過ぎると、日本の場合は耐震性が問題になります。

  • 道路はむき出しの赤土ですが、緑豊かな田圃の風景が多くなってきました。メコン川とその支流を含めた、メコンデルタ地帯の一部かも知れません。

    道路はむき出しの赤土ですが、緑豊かな田圃の風景が多くなってきました。メコン川とその支流を含めた、メコンデルタ地帯の一部かも知れません。

  • 日本の農林水産省の公式情報を引用した、カンボジアの農業分野の現況です。農林水産業は、国内総生産(GDP)の約30%を占めていて、現在も重要な産業とされます。因みに、日本の農業分野のGDP比は、1.2%です。

    日本の農林水産省の公式情報を引用した、カンボジアの農業分野の現況です。農林水産業は、国内総生産(GDP)の約30%を占めていて、現在も重要な産業とされます。因みに、日本の農業分野のGDP比は、1.2%です。

  • 大きな川か、湖の光景です。川ですとメコン川、湖ですとトンレサップ湖の規模に見えます。プノンペンからサンボー・プレイ・クックへ向かう道中では、右手にメコン川、左手にトンレサップ湖がありますから、トンレサップ湖の方かもしれません。

    大きな川か、湖の光景です。川ですとメコン川、湖ですとトンレサップ湖の規模に見えます。プノンペンからサンボー・プレイ・クックへ向かう道中では、右手にメコン川、左手にトンレサップ湖がありますから、トンレサップ湖の方かもしれません。

  • その大きな湖らしい畔にあったオレンジ色の瓦屋根を持った伝統家屋の光景です。レストランか、ホテル当たりでしょうか。

    その大きな湖らしい畔にあったオレンジ色の瓦屋根を持った伝統家屋の光景です。レストランか、ホテル当たりでしょうか。

  • 舗装道路の脇に置かれた紅白の道路標識です。日本の道路で例えれば、『路肩注意』の標識ように見えます。

    舗装道路の脇に置かれた紅白の道路標識です。日本の道路で例えれば、『路肩注意』の標識ように見えます。

  • 同じ田園風景でも、緑の光景と、刈入れが済んだ茶色の光景が交互に現れました。二期作か、あるいは三期作の地方かも知れません。

    同じ田園風景でも、緑の光景と、刈入れが済んだ茶色の光景が交互に現れました。二期作か、あるいは三期作の地方かも知れません。

  • この辺りも刈入れが済んでいるようでした。以前、中国の雲南省辺りを旅行した時にも、二期作が普通で、場所によっては三期作とお聞きしたことがありました。

    この辺りも刈入れが済んでいるようでした。以前、中国の雲南省辺りを旅行した時にも、二期作が普通で、場所によっては三期作とお聞きしたことがありました。

  • 緑色の田圃の景色に代わりました。同じ緑色でも、稲らしい作物の生育状態か、品種が異なるのでしょうか、濃い緑と薄い緑にエリアが分かれていました。

    緑色の田圃の景色に代わりました。同じ緑色でも、稲らしい作物の生育状態か、品種が異なるのでしょうか、濃い緑と薄い緑にエリアが分かれていました。

  • 日本の農林水産省の公式情報を引用した、カンボジアの農業分野の現況の続きです。2013年のカンボジアの主要な農業生産高です。カッコで本の比較を示しています。(単位:万トン)<br />①	コメ(籾):939(1076)<br />②	キャッサバ:800(-)<br />③	とうもろこし:93(0.02)<br />④	さとうきび:60(119)<br />⑤	天然ゴム:4(-)<br />

    日本の農林水産省の公式情報を引用した、カンボジアの農業分野の現況の続きです。2013年のカンボジアの主要な農業生産高です。カッコで本の比較を示しています。(単位:万トン)
    ① コメ(籾):939(1076)
    ② キャッサバ:800(-)
    ③ とうもろこし:93(0.02)
    ④ さとうきび:60(119)
    ⑤ 天然ゴム:4(-)

  • カンボジアの農業分野の現況の続きです。2012年のカンボジアの主要な農業輸出額です。単位は百万米ドル、カッコ内は比率です。<br />①	天然ゴム(乾燥):168(43.2%)<br />②	コメ:141(36.1%)<br />③	タバコ:15(3.9%)<br />④	パーム油:15(3.9%)<br />⑤	粗糖:10(2.6%)<br /><総額:389百万米ドル><br />

    カンボジアの農業分野の現況の続きです。2012年のカンボジアの主要な農業輸出額です。単位は百万米ドル、カッコ内は比率です。
    ① 天然ゴム(乾燥):168(43.2%)
    ② コメ:141(36.1%)
    ③ タバコ:15(3.9%)
    ④ パーム油:15(3.9%)
    ⑤ 粗糖:10(2.6%)
    <総額:389百万米ドル>

  • 黄色が多く混じった田圃の色です。稲穂が実った色のようでした。その周りは、既に取り入れが済んでいました。それにしても気にかかる、ビニール袋などのごみの多さです。

    黄色が多く混じった田圃の色です。稲穂が実った色のようでした。その周りは、既に取り入れが済んでいました。それにしても気にかかる、ビニール袋などのごみの多さです。

  • 2012年のカンボジアの主要な農業輸入額です。単位は百万米ドル、カッコ内は比率です。<br />①	精製糖:204(25.2)<br />②	タバコ:157(19.3)<br />③	食物のくず:77(9.5)<br />④	ビール麦:76(9.3)<br />⑤	モルト:28(9.3)<br /><総額:810百万米ドル><br /> 農産物も輸入超過国です。<br />

    2012年のカンボジアの主要な農業輸入額です。単位は百万米ドル、カッコ内は比率です。
    ① 精製糖:204(25.2)
    ② タバコ:157(19.3)
    ③ 食物のくず:77(9.5)
    ④ ビール麦:76(9.3)
    ⑤ モルト:28(9.3)
    <総額:810百万米ドル>
     農産物も輸入超過国です。

  • 色の濃い赤土の町に入って来ました。カンボジアと日本との輸出入関係についても紹介します。日本からの主な輸出品は、二輪自動車、織物、建設用機械等であり、主な輸入品は、衣類、履物、電線及びケーブル等です。カンボジアからの日本の輸入額は772.0百万米ドル、日本からのカンボジアの輸入額は254.2百万米ドルです。

    色の濃い赤土の町に入って来ました。カンボジアと日本との輸出入関係についても紹介します。日本からの主な輸出品は、二輪自動車、織物、建設用機械等であり、主な輸入品は、衣類、履物、電線及びケーブル等です。カンボジアからの日本の輸入額は772.0百万米ドル、日本からのカンボジアの輸入額は254.2百万米ドルです。

  • 小集落地域に入って来たようです。簡素な家並みが続き、その前に大型車両が停車していました。

    小集落地域に入って来たようです。簡素な家並みが続き、その前に大型車両が停車していました。

  • 車道より一段高い場所には、比較的新しい2階建ての家が並んでいました。高い場所にあるのは、雨水対策のようでした。

    車道より一段高い場所には、比較的新しい2階建ての家が並んでいました。高い場所にあるのは、雨水対策のようでした。

  • 道路か広場か分からないような、整地された赤土の敷地の光景です。メコンデルタ地帯と違って、痩せた土地のように見えました。

    道路か広場か分からないような、整地された赤土の敷地の光景です。メコンデルタ地帯と違って、痩せた土地のように見えました。

  • この辺りの土の色は、茶色ではなく、濃い赤色をしていました。イメージ的には、鉄分が多い土壌のようにも見えます。

    この辺りの土の色は、茶色ではなく、濃い赤色をしていました。イメージ的には、鉄分が多い土壌のようにも見えます。

  • 濃い赤い色の土は短い区間だけでした。また、普通の赤土の色に戻りました。車道は舗装されていましたが、その両脇は地肌でした。

    濃い赤い色の土は短い区間だけでした。また、普通の赤土の色に戻りました。車道は舗装されていましたが、その両脇は地肌でした。

  • 毒蜘蛛、タランチュラのモニュメントです。この地方の名産とされ、食用にもされるようです。語源はイタリアの港町、タラントとされますが、次第にオオツチグモ科のクモをタランチュラと呼ぶようになったようです。

    イチオシ

    毒蜘蛛、タランチュラのモニュメントです。この地方の名産とされ、食用にもされるようです。語源はイタリアの港町、タラントとされますが、次第にオオツチグモ科のクモをタランチュラと呼ぶようになったようです。

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