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はじめに<br />2007年の旅行以来、2回目となるカンボジアの世界遺産巡りです。前回の旅行で、アンコール遺跡群と呼ばれる中では、アンコール・ワットとアンコール・トムを始めとする主な遺跡を巡りましたが、今回は、まだ見学していないベン・メリア遺跡と、アンコール遺跡群に先立つ建設とされる、サンボー・プレイ・クック遺跡の見学が主な目的でした。サンボー・プレイ・クック遺跡は、現在二つあるカンボジアの世界遺産に次いで、三番目の世界遺産候補とされています。<br />また、アンコール・ワットから東へ直線距離で約4キロ東方に位置するベン・メリア遺跡は、現在も修復が施されないまま、密森の中にひっそりと眠る平面展開型の巨大寺院です。東のアンコール・ワットとも呼ばれ、アンコール・ワットに先駆けて建設されました。<br />遺跡巡りとあわせ、カンボジアの首都プノンペンと、東南アジア、あるいはカンボジアのアウシュヴィツとも言われる、ポルポト派時代の負の遺産、トゥールスレン博物館の見学も予定しました。<br /><br /><旅のあらまし><br />3月18日(火) :出発、セントレア国際空港から香港国際空港経由、プノンペン国際空港へ<br /><br />2回目のカンボジア旅行記です。セントレア国際空港から香港国際空港経由でカンボジアのプノンペン国際空港に向かいました。今回の旅行は現地集合、現地解散のツアーに参加しました。プノンペン国際空港で現地ガイドさんと落ち合いました。春霞のセントレア空港の出発でした。<br />セントレア国際空港を9時50分発のキャセイパシフィックのCX533便で出発、時差がマイナス1時間の香港には、約4時間のフライトで13時頃の到着予定です。香港では2時間ほどのトランジットの後、香港ドラゴン航空の15:00出発のKA206便に搭乗しました。搭乗券には、ブッダ・エアーの表示がありました。フライト時間は3時間弱の予定です。<br /> 香港とカンボジアの時差が1時間ですから、プノンペンには17時頃に到着しました。移動だけの初日でした。泊まったのはプノンペン中心街にある、『プノンペン・ホテル』です。今晩を含めて2泊です。中々快適なホテルでした。<br /><br />3月19日(水) :プノンペン、王宮、プノンペン国立博物館、独立記念塔、トゥールスレン博物館、セントラル・マーケット、ワット・プノン<br /><br />今日の見学予定は、王宮を皮切りに、カンボジア・プノンペン国立博物館、独立記念塔、トゥールスレン博物館、セントラル・マーケットやワット・プノン等です。最初に向かったのは王宮です。残念ながら、内部の撮影は禁止されていました。各国共通の治安対策の一環のようでした。<br />次の見学地は、カンボジア・プノンペン国立博物館です。こちらも内部の撮影は禁止でしたが、王宮の撮影禁止とは別の理由のようです。ただし、ホールに展示されたガルーダ石像など、一部の展示品については、撮影許可されていました。アンコール・ワットの発掘品など、アンコール朝の6世紀から15世紀までの彫刻、漆器、青銅器、陶磁器、木彫りなどが展示されていました。撮影禁止の展示品は、現地で購入した冊子などから、補遺で纏めて紹介しておきました。プノンペン国立博物館は、クメール建築の建物と庭も見応えがありましたが、こちらは自由に撮影できました。<br />この日の三番目の見学は、独立記念塔です。アンコール・ワットの中央祠堂をイメージした記念塔は、1953年11月9日にフランスの植民地支配から独立したことを記念して、1958年に建造されました。設計は、カンボジアの著名な建築家、ヴァン・モリヴァン(1926~)氏です。この場所では、毎年、独立記念日には盛大なセレモニーが開催され、戦争で亡くなった人々の慰霊が行われます。<br />次の見学地は、東洋のアウシュヴィッツとも言われる、かつて、ポルポト派による虐殺が行われた学校跡の収容所、ポルポト時代の負の遺産のトゥールスレン博物館です。2003年にユネスコの記憶遺産に登録されました。<br />当時収容所なども、そのまま展示してありました。何よりも痛ましく、衝撃的なのは、博物館内に残された犠牲者の夥しい写真記録と、頭骸骨です。1万4千~2万人の人が収容、拷問、虐殺され、生き残った人は、僅かに7名とも8名ともいわれます。殺すことを目的の一時収容所でした。『S21』は、その政治犯強制収容所の暗号名です。稼働中は、存在そのものが秘密とされました。<br />1979年1月7日にベトナム軍がプノンペンを制圧し、この収容所が明らかになりました。クメール・ルージュが撤退間際に殺害した14人の遺体があり、収容所全体では50人程度の遺体がありました。また、膨大な量の収容・処刑記録文書が残されていました。その政治犯強制収容所跡は、現在は、国立の『トゥールスレン虐殺犯罪博物館』となりました。<br />重たい気持ちになったトゥールスレン博物館見学の後は、セントラル・マーケットの見学です。至近距離にありました。プノンペン最大の市場で、観光名所にもなっています。営業時間は、早朝から17:30頃までのようです。フランス植民地時代(1863~1953年)の1937年に建設されました。<br />セントラル・マーケットでは、貴金属から生活必需品、精肉、青果、鮮魚まで、ありとあらゆるものが売られていました。周りにも店が立ち並び、一体として大きなマーケットを形成していました。<br />この日最後の見学地は、『ワット・プノン』です。丘の上に立つワット・プノン寺院は、14世紀末にペンという名の貴婦人が、メコン川の岸に流れ着いた仏像を安置するために1434年に建てた寺院が始まりとされます。今では、プノンペン最古の仏教寺院です。プノンペンの都市名にもなりました。<br />ワット・プノンの麓は市民憩いの場所の公園になっていました。大木が生い茂り、強い日差しを避けて、木陰を求める人が集まるようです。インドボダイジュ(印度菩提樹)、ピーコック・フラワー、カンナやタビビトヤシ(旅人椰子)等に癒されました。<br />この日の夕食はカンボジア風の中華料理、ホテルに戻る前にレストランに立ち寄りました。その途中、ライトアップされた独立記念塔を見学しました。夕食のお店にはワインが置いてありませんでしたから、ホテルに戻って最初にバーに立ち寄りました。音楽を聴きながらの白ワインでした。<br /><br />3月20日(木) :プノンペン、サンボー・プレイ・クック遺跡、八角祠堂、空中宮殿のレリーフ、見学の後、シェムリアップへ<br /><br />二泊したプノンペンのホテルを、荷物を纏めて出発し、サンボー・プレイ・クック遺跡に向かいました。カンボジアで次の世界文化遺産登録を目指しているサンボー・プレイ・クック遺跡は、首都のプノンペンと、シェムリアップの中間ほどに位置する遺跡です。周辺の地雷処理が完了していませんので、脇道に逸れないように注意しての見学でした。今回のカンボジア旅行の主な目的地の一つです。<br />サンボー・プレイ・クックの主要な遺跡には、①プラサット・タオ、②プラサット・ソムボー、③プラサット・イェイ・ポアンの三つがあります。その周辺を含め、全体の遺跡数は150を超えるようです。大きく分けると東に寺院地区、西には都城跡があります。かつては、16万もの人々が生活していたと考えられています。<br />サンボー・プレイ・クック遺跡は、7世紀に成立した真臘(チェンラ)王国(6~8世紀頃)の中心地とされます。クメール朝とも呼ばれる、アンコール朝(802~1431年)より、百年以上前のプレ・アンコール時代です。三つある遺跡群の内、南群(S群)から見学を始めました。<br />サンボー・プレイ・クック遺跡の中で特筆される一つが、八角形の祠堂です。殊に、その側面に彫刻された『空中宮殿』のレリーフが有名です。レリーフ像の一番下の方では、羽の生えた馬やライオン、天使達が一生懸命王様の乗った宮殿を持ち上げています。<br />サンボー・プレイ・クック遺跡の中の見所の一つが、ガジュマルの根に絡み取られた遺跡の光景です。アンコール遺跡群のタ・プロム遺跡とはまた違った趣がありました。根が遺跡のレンガの隙間に潜り込んで遺跡を壊してしまうのではなく、外から締め上げている光景でした。<br />アンコール・ワットやアンコール・トムを擁するアンコール遺跡群の存在感があまりにも大きいので、サンボー・プレイ・クック遺跡がカンボジアの三番目の世界文化遺産に登録されるのは並大抵のことではないかも知れませんが、その価値は十分にある遺跡と思われました。<br />サンボー・プレイ・クック遺跡の見学を終え、シェムリアップの3泊予定のホテルに向かいました。この日のレストランでの夕食も、ワインを楽しみました。私の旅の楽しみの一つです。<br /><br />3月21日(金) : シェムリアップ、アンコール・ワットの日出見学、ベン・メリア遺跡、午後のアンコール・ワット、アプサラ・ダンスのディナー・ショー<br /><br />3月21日は春分の日、アンコール・ワットの建物中央から朝日が昇ります。少し雲が出ていましたがその朝日の見学でこの日は始まりました。日出見学の後、一旦ホテルに戻り、朝食の後、ベン・メリア遺跡の見学に出かけました。暫く前までは地雷の撤去が出来ず、見学ができなかったプレ・アンコール遺跡です。<br />『ベン・メリア』は、クメール語で『蓮池』の意味とされます。アンコール遺跡群の一つに数えられています。アンコール・ワットからは、直線距離で40キロの東に位置します。見学前に、道を逸れないよう注意がありました。もちろん、撤去漏れの地雷に対する注意です。<br />現地の看板には、ドイツの支援で2003年1月から始まった作業で、約156万平方の区域から438個の地雷と809個の不発弾が除去されたと記してありました。それでも、すべてが撤去されたとは言い切れませんから、勝手に脇道に入らないように注意されました。<br />ベン・メリア遺跡は、スーリヤ・ヴァルマン2世が建立したと推測されているヒンドゥー教寺院です。その参道脇には、保存状態の良いナーガが多数残されていました。スーリヤ・ヴァルマン2世はアンコール・ワットを建設したことで有名なクメール王ですが、隣国のタイ王国にあるピマーイ遺跡も建設した王様です。ピマーイ遺跡は、タイのアンコール・ワットとも呼ばれています。<br />現在も修復されないままの姿の、ベン・メリア遺跡でした。環濠幅約45メートル、周囲4.2キロの規模と推定されています。アンコール・ワットとの類似点が多く、『東のアンコール・ワット』とも称されています。アンコール・ワットの建設に先駆け、そのモデルとして建設されたとする見解もあるようです。使われている石材は、主に砂岩です。<br />まるで廃墟の様な光景のベン・メリア遺跡でしたが、その遺跡の中に木製の桟道が作られていました。三重の回廊、十字型の中庭などを持つ伽藍配置の寺院跡は、決められたルートで、その一部か見学できませんが、十分に価値を感じたプレ・アンコール遺跡の光景でした。<br />ベン・メリア遺跡の見学の後、一旦ホテルに戻り小休止の後、アンコ-ル・ワットの午後の見学に出かけました。写真撮影に好都合の時間帯です。<br />アンコール・ワットの簡単な歴史の紹介です。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤ・ヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立されました。境内は東西1500メートル、南北1300メートル、幅190メートルの巨大な濠で囲まれています。<br />5基の尖塔が立ち並ぶ中央祠堂の光景は、カンボジアの国旗の意匠にも使われています。アンコール・ワットは、1431年頃に放棄されプノンペンに王都が遷り、一時は忘れ去られました。アンコール・ワットが再発見されますと、カンボジア王国時代の1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻が施されました。<br />中央祠堂は、須弥山を模した姿とされます。バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有する聖なる山です。睡蓮池に映る、逆さ須弥山も見学できました。第一回廊等に刻まれたレリーフ群は素晴らしく、見飽きることがありません。世界文化遺産中の世界文化遺産と実感しているのが、アンコール・ワットとアンコール・トムを始めとするアンコール遺跡群です。<br />アンコール・ワット見学の後、夜は宮廷舞踊のアプサラ・ダンスのディナー・ショーを楽しみました。アンコール王朝時代が、カラフルに目の前に再現されたようなディナー・ショーでした。<br /><br />3月22日(土) : シェムリアップ、アンコール・トム、タ・プロム遺跡、バンテアイ・スレイ遺跡、トンレサップ湖クルージング、オールド・マーケット<br /><br />昨日のアンコール・ワットに続いて、アンコール・トムの見学です。名前ではアンコール・ワットの方がよく知られていますが、施設の規模ではアンコール・トムの方が4倍程の大きさです。今回が2回目の見学ですが、どちらも世界文化遺産のアンコール遺跡群の双璧として、申し分がありません。<br />アンコール・トムは、アンコール遺跡の一つで、アンコール・ワットの北に位置する城砦都市遺跡です。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世(在位:: 1181~1218年/1220年)により建設されました。アンコール・トムの意味は、『大きな都市』です。一辺3キロの環濠と、ラテライトで作られた8メートルの高さの城壁で囲まれています。<br /> アンコール・トムは、外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門と、勝利の門の五つの城門で繋がっています。その内の南大門への参道から入場しました。この参道脇にある石像は、ヒンドゥー教の天地創造神話を基にした、『乳海攪拌』の像として有名です。アンコール・トム全体は、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施された祠堂が多くあることから、仏教との関連が濃い城塞都市です。<br />外濠を渡った参道の先にあるのが、『四面観世音菩薩』のお顔が彫刻された、南大門です。その呼び名の由来は、仏教の菩薩の一尊で、サンスクリット(梵語)の『アヴァローキテーシュヴァラ』の意訳説が有力です。しかし、仏教よりも古い、ゾロアスター教における最高神・アフラ・マズダーの娘とされる、女神アナーヒターやスプンタ・アールマティとする説もあるようです。<br />アンコール・トム遺跡の中心にあるのは、バイヨン寺院です。二層の回廊に囲まれたピラミッド型構造を持ちます。回廊に刻まれたレリーフも見ものですが、何よりも圧倒されるのは、49基あるとされる四面観音像を刻んだ祠堂の光景です。今回も心行くまで、四面観音像の祠堂を拝観しました。女神のアヴァター像も数多く見学することが出来ました。<br />広大なアンコール・トムの境内では、その他にも象のテラス、プラサット・スゥル・プラット、ピミアナカス、王のプールやライ王のテラスなどを見学しました。それ等の遺跡も、できる限り多くの写真で紹介しておきました。<br />この日は、アンコール・トムの見学の後、巨大なガジュマルの樹で知られるタ・プロム遺跡、『東洋のモナリザ』と称される赤色砂岩のデヴァター像で有名な、バンテアイ・スレイ遺跡のほか、オプショナルツアーで、トンレサップ湖のクルージングとオールド・マーケットの散策も楽しみました。そちらも、簡単に紹介しておきます。<br />巨大なガジュマルが生い茂るタ・プロム遺跡は、インド考古調査局による支援で保全作業に続く再建工事が進行中でした。2007年の時の見学でもそうでしたが、熱帯雨林の樹木の生命力は、とても樹木とは思えない迫力を感じました。<br />赤色砂岩に刻まれたデヴァター像で有名なバンテアイ・スレイ遺跡は、小さな遺跡ながら、その存在感はさすがです。今回も数多くの女神、デヴァター像を見学しましたが、やはりその筆頭でした。<br />トンレサップ湖クルージングのあと、最後の観光となるシェムリアップのオールド・マーケットを散策しました。最後の夕食も、このマーケット街でした。タイスキ料理で白ワインを楽しみました。<br /><br />3月23日(日):シェムリアップ国際空港から、香港経由帰国<br /><br />シェムリアップ国際空港は泊まったホテルから車で10分ほどの距離でしたから、最後にホテルとその周辺を散策しました。シェムリアップ国際空港の出発は11時20分、2時間前に空港に到着するには9時のホテル出発で十分です。<br />セントレア~香港間はキャセイパシフィック機でしたが、往きの香港プノンペン、帰りのシェムリアップ~香港間はドラゴンエアーでした。搭乗券には、ブッダ・エアーのプリントがされているかも知れません。香港往きは11時20分発のフライトです。香港国際空港で乗り継ぎ、セントレア国際空港への帰国は、乗り継ぎを除いたフライト時間は、6時間40分ほどです。<br />今回の香港国際空港でのトランジットタイムは1時間ほどでした。その間の時間潰しは、もっぱら窓の外の景色と、航空機のウォッチングでした。定刻に香港国際空港を飛び立ちました。セントレア国際空港までのフライト予定時間は3時間55分、時差が1時間ありますから、到着予定は21時05分です。定刻に到着し、今回のカンボジア旅行は予定通り終了しました。<br />2007年のカンボジア旅行の時にも感じましたが、アンコール遺跡群は、世界文化遺産中の文化遺産、今回もその思いは一層強くなりました。ポルポト時代の苦難を経験したカンボジアが、二度とアンコール遺跡群を危機遺産にすることがないよう、国際支援を含めて頑張ってもらいたいものです。<br />

2014春、カンボジア旅行記2(1/47):3月18日(1):セントレア国際空港から香港国際空港へ

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2014/03/18 - 2014/03/23

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

はじめに
2007年の旅行以来、2回目となるカンボジアの世界遺産巡りです。前回の旅行で、アンコール遺跡群と呼ばれる中では、アンコール・ワットとアンコール・トムを始めとする主な遺跡を巡りましたが、今回は、まだ見学していないベン・メリア遺跡と、アンコール遺跡群に先立つ建設とされる、サンボー・プレイ・クック遺跡の見学が主な目的でした。サンボー・プレイ・クック遺跡は、現在二つあるカンボジアの世界遺産に次いで、三番目の世界遺産候補とされています。
また、アンコール・ワットから東へ直線距離で約4キロ東方に位置するベン・メリア遺跡は、現在も修復が施されないまま、密森の中にひっそりと眠る平面展開型の巨大寺院です。東のアンコール・ワットとも呼ばれ、アンコール・ワットに先駆けて建設されました。
遺跡巡りとあわせ、カンボジアの首都プノンペンと、東南アジア、あるいはカンボジアのアウシュヴィツとも言われる、ポルポト派時代の負の遺産、トゥールスレン博物館の見学も予定しました。

<旅のあらまし>
3月18日(火) :出発、セントレア国際空港から香港国際空港経由、プノンペン国際空港へ

2回目のカンボジア旅行記です。セントレア国際空港から香港国際空港経由でカンボジアのプノンペン国際空港に向かいました。今回の旅行は現地集合、現地解散のツアーに参加しました。プノンペン国際空港で現地ガイドさんと落ち合いました。春霞のセントレア空港の出発でした。
セントレア国際空港を9時50分発のキャセイパシフィックのCX533便で出発、時差がマイナス1時間の香港には、約4時間のフライトで13時頃の到着予定です。香港では2時間ほどのトランジットの後、香港ドラゴン航空の15:00出発のKA206便に搭乗しました。搭乗券には、ブッダ・エアーの表示がありました。フライト時間は3時間弱の予定です。
 香港とカンボジアの時差が1時間ですから、プノンペンには17時頃に到着しました。移動だけの初日でした。泊まったのはプノンペン中心街にある、『プノンペン・ホテル』です。今晩を含めて2泊です。中々快適なホテルでした。

3月19日(水) :プノンペン、王宮、プノンペン国立博物館、独立記念塔、トゥールスレン博物館、セントラル・マーケット、ワット・プノン

今日の見学予定は、王宮を皮切りに、カンボジア・プノンペン国立博物館、独立記念塔、トゥールスレン博物館、セントラル・マーケットやワット・プノン等です。最初に向かったのは王宮です。残念ながら、内部の撮影は禁止されていました。各国共通の治安対策の一環のようでした。
次の見学地は、カンボジア・プノンペン国立博物館です。こちらも内部の撮影は禁止でしたが、王宮の撮影禁止とは別の理由のようです。ただし、ホールに展示されたガルーダ石像など、一部の展示品については、撮影許可されていました。アンコール・ワットの発掘品など、アンコール朝の6世紀から15世紀までの彫刻、漆器、青銅器、陶磁器、木彫りなどが展示されていました。撮影禁止の展示品は、現地で購入した冊子などから、補遺で纏めて紹介しておきました。プノンペン国立博物館は、クメール建築の建物と庭も見応えがありましたが、こちらは自由に撮影できました。
この日の三番目の見学は、独立記念塔です。アンコール・ワットの中央祠堂をイメージした記念塔は、1953年11月9日にフランスの植民地支配から独立したことを記念して、1958年に建造されました。設計は、カンボジアの著名な建築家、ヴァン・モリヴァン(1926~)氏です。この場所では、毎年、独立記念日には盛大なセレモニーが開催され、戦争で亡くなった人々の慰霊が行われます。
次の見学地は、東洋のアウシュヴィッツとも言われる、かつて、ポルポト派による虐殺が行われた学校跡の収容所、ポルポト時代の負の遺産のトゥールスレン博物館です。2003年にユネスコの記憶遺産に登録されました。
当時収容所なども、そのまま展示してありました。何よりも痛ましく、衝撃的なのは、博物館内に残された犠牲者の夥しい写真記録と、頭骸骨です。1万4千~2万人の人が収容、拷問、虐殺され、生き残った人は、僅かに7名とも8名ともいわれます。殺すことを目的の一時収容所でした。『S21』は、その政治犯強制収容所の暗号名です。稼働中は、存在そのものが秘密とされました。
1979年1月7日にベトナム軍がプノンペンを制圧し、この収容所が明らかになりました。クメール・ルージュが撤退間際に殺害した14人の遺体があり、収容所全体では50人程度の遺体がありました。また、膨大な量の収容・処刑記録文書が残されていました。その政治犯強制収容所跡は、現在は、国立の『トゥールスレン虐殺犯罪博物館』となりました。
重たい気持ちになったトゥールスレン博物館見学の後は、セントラル・マーケットの見学です。至近距離にありました。プノンペン最大の市場で、観光名所にもなっています。営業時間は、早朝から17:30頃までのようです。フランス植民地時代(1863~1953年)の1937年に建設されました。
セントラル・マーケットでは、貴金属から生活必需品、精肉、青果、鮮魚まで、ありとあらゆるものが売られていました。周りにも店が立ち並び、一体として大きなマーケットを形成していました。
この日最後の見学地は、『ワット・プノン』です。丘の上に立つワット・プノン寺院は、14世紀末にペンという名の貴婦人が、メコン川の岸に流れ着いた仏像を安置するために1434年に建てた寺院が始まりとされます。今では、プノンペン最古の仏教寺院です。プノンペンの都市名にもなりました。
ワット・プノンの麓は市民憩いの場所の公園になっていました。大木が生い茂り、強い日差しを避けて、木陰を求める人が集まるようです。インドボダイジュ(印度菩提樹)、ピーコック・フラワー、カンナやタビビトヤシ(旅人椰子)等に癒されました。
この日の夕食はカンボジア風の中華料理、ホテルに戻る前にレストランに立ち寄りました。その途中、ライトアップされた独立記念塔を見学しました。夕食のお店にはワインが置いてありませんでしたから、ホテルに戻って最初にバーに立ち寄りました。音楽を聴きながらの白ワインでした。

3月20日(木) :プノンペン、サンボー・プレイ・クック遺跡、八角祠堂、空中宮殿のレリーフ、見学の後、シェムリアップへ

二泊したプノンペンのホテルを、荷物を纏めて出発し、サンボー・プレイ・クック遺跡に向かいました。カンボジアで次の世界文化遺産登録を目指しているサンボー・プレイ・クック遺跡は、首都のプノンペンと、シェムリアップの中間ほどに位置する遺跡です。周辺の地雷処理が完了していませんので、脇道に逸れないように注意しての見学でした。今回のカンボジア旅行の主な目的地の一つです。
サンボー・プレイ・クックの主要な遺跡には、①プラサット・タオ、②プラサット・ソムボー、③プラサット・イェイ・ポアンの三つがあります。その周辺を含め、全体の遺跡数は150を超えるようです。大きく分けると東に寺院地区、西には都城跡があります。かつては、16万もの人々が生活していたと考えられています。
サンボー・プレイ・クック遺跡は、7世紀に成立した真臘(チェンラ)王国(6~8世紀頃)の中心地とされます。クメール朝とも呼ばれる、アンコール朝(802~1431年)より、百年以上前のプレ・アンコール時代です。三つある遺跡群の内、南群(S群)から見学を始めました。
サンボー・プレイ・クック遺跡の中で特筆される一つが、八角形の祠堂です。殊に、その側面に彫刻された『空中宮殿』のレリーフが有名です。レリーフ像の一番下の方では、羽の生えた馬やライオン、天使達が一生懸命王様の乗った宮殿を持ち上げています。
サンボー・プレイ・クック遺跡の中の見所の一つが、ガジュマルの根に絡み取られた遺跡の光景です。アンコール遺跡群のタ・プロム遺跡とはまた違った趣がありました。根が遺跡のレンガの隙間に潜り込んで遺跡を壊してしまうのではなく、外から締め上げている光景でした。
アンコール・ワットやアンコール・トムを擁するアンコール遺跡群の存在感があまりにも大きいので、サンボー・プレイ・クック遺跡がカンボジアの三番目の世界文化遺産に登録されるのは並大抵のことではないかも知れませんが、その価値は十分にある遺跡と思われました。
サンボー・プレイ・クック遺跡の見学を終え、シェムリアップの3泊予定のホテルに向かいました。この日のレストランでの夕食も、ワインを楽しみました。私の旅の楽しみの一つです。

3月21日(金) : シェムリアップ、アンコール・ワットの日出見学、ベン・メリア遺跡、午後のアンコール・ワット、アプサラ・ダンスのディナー・ショー

3月21日は春分の日、アンコール・ワットの建物中央から朝日が昇ります。少し雲が出ていましたがその朝日の見学でこの日は始まりました。日出見学の後、一旦ホテルに戻り、朝食の後、ベン・メリア遺跡の見学に出かけました。暫く前までは地雷の撤去が出来ず、見学ができなかったプレ・アンコール遺跡です。
『ベン・メリア』は、クメール語で『蓮池』の意味とされます。アンコール遺跡群の一つに数えられています。アンコール・ワットからは、直線距離で40キロの東に位置します。見学前に、道を逸れないよう注意がありました。もちろん、撤去漏れの地雷に対する注意です。
現地の看板には、ドイツの支援で2003年1月から始まった作業で、約156万平方の区域から438個の地雷と809個の不発弾が除去されたと記してありました。それでも、すべてが撤去されたとは言い切れませんから、勝手に脇道に入らないように注意されました。
ベン・メリア遺跡は、スーリヤ・ヴァルマン2世が建立したと推測されているヒンドゥー教寺院です。その参道脇には、保存状態の良いナーガが多数残されていました。スーリヤ・ヴァルマン2世はアンコール・ワットを建設したことで有名なクメール王ですが、隣国のタイ王国にあるピマーイ遺跡も建設した王様です。ピマーイ遺跡は、タイのアンコール・ワットとも呼ばれています。
現在も修復されないままの姿の、ベン・メリア遺跡でした。環濠幅約45メートル、周囲4.2キロの規模と推定されています。アンコール・ワットとの類似点が多く、『東のアンコール・ワット』とも称されています。アンコール・ワットの建設に先駆け、そのモデルとして建設されたとする見解もあるようです。使われている石材は、主に砂岩です。
まるで廃墟の様な光景のベン・メリア遺跡でしたが、その遺跡の中に木製の桟道が作られていました。三重の回廊、十字型の中庭などを持つ伽藍配置の寺院跡は、決められたルートで、その一部か見学できませんが、十分に価値を感じたプレ・アンコール遺跡の光景でした。
ベン・メリア遺跡の見学の後、一旦ホテルに戻り小休止の後、アンコ-ル・ワットの午後の見学に出かけました。写真撮影に好都合の時間帯です。
アンコール・ワットの簡単な歴史の紹介です。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤ・ヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立されました。境内は東西1500メートル、南北1300メートル、幅190メートルの巨大な濠で囲まれています。
5基の尖塔が立ち並ぶ中央祠堂の光景は、カンボジアの国旗の意匠にも使われています。アンコール・ワットは、1431年頃に放棄されプノンペンに王都が遷り、一時は忘れ去られました。アンコール・ワットが再発見されますと、カンボジア王国時代の1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻が施されました。
中央祠堂は、須弥山を模した姿とされます。バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有する聖なる山です。睡蓮池に映る、逆さ須弥山も見学できました。第一回廊等に刻まれたレリーフ群は素晴らしく、見飽きることがありません。世界文化遺産中の世界文化遺産と実感しているのが、アンコール・ワットとアンコール・トムを始めとするアンコール遺跡群です。
アンコール・ワット見学の後、夜は宮廷舞踊のアプサラ・ダンスのディナー・ショーを楽しみました。アンコール王朝時代が、カラフルに目の前に再現されたようなディナー・ショーでした。

3月22日(土) : シェムリアップ、アンコール・トム、タ・プロム遺跡、バンテアイ・スレイ遺跡、トンレサップ湖クルージング、オールド・マーケット

昨日のアンコール・ワットに続いて、アンコール・トムの見学です。名前ではアンコール・ワットの方がよく知られていますが、施設の規模ではアンコール・トムの方が4倍程の大きさです。今回が2回目の見学ですが、どちらも世界文化遺産のアンコール遺跡群の双璧として、申し分がありません。
アンコール・トムは、アンコール遺跡の一つで、アンコール・ワットの北に位置する城砦都市遺跡です。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世(在位:: 1181~1218年/1220年)により建設されました。アンコール・トムの意味は、『大きな都市』です。一辺3キロの環濠と、ラテライトで作られた8メートルの高さの城壁で囲まれています。
 アンコール・トムは、外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門と、勝利の門の五つの城門で繋がっています。その内の南大門への参道から入場しました。この参道脇にある石像は、ヒンドゥー教の天地創造神話を基にした、『乳海攪拌』の像として有名です。アンコール・トム全体は、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施された祠堂が多くあることから、仏教との関連が濃い城塞都市です。
外濠を渡った参道の先にあるのが、『四面観世音菩薩』のお顔が彫刻された、南大門です。その呼び名の由来は、仏教の菩薩の一尊で、サンスクリット(梵語)の『アヴァローキテーシュヴァラ』の意訳説が有力です。しかし、仏教よりも古い、ゾロアスター教における最高神・アフラ・マズダーの娘とされる、女神アナーヒターやスプンタ・アールマティとする説もあるようです。
アンコール・トム遺跡の中心にあるのは、バイヨン寺院です。二層の回廊に囲まれたピラミッド型構造を持ちます。回廊に刻まれたレリーフも見ものですが、何よりも圧倒されるのは、49基あるとされる四面観音像を刻んだ祠堂の光景です。今回も心行くまで、四面観音像の祠堂を拝観しました。女神のアヴァター像も数多く見学することが出来ました。
広大なアンコール・トムの境内では、その他にも象のテラス、プラサット・スゥル・プラット、ピミアナカス、王のプールやライ王のテラスなどを見学しました。それ等の遺跡も、できる限り多くの写真で紹介しておきました。
この日は、アンコール・トムの見学の後、巨大なガジュマルの樹で知られるタ・プロム遺跡、『東洋のモナリザ』と称される赤色砂岩のデヴァター像で有名な、バンテアイ・スレイ遺跡のほか、オプショナルツアーで、トンレサップ湖のクルージングとオールド・マーケットの散策も楽しみました。そちらも、簡単に紹介しておきます。
巨大なガジュマルが生い茂るタ・プロム遺跡は、インド考古調査局による支援で保全作業に続く再建工事が進行中でした。2007年の時の見学でもそうでしたが、熱帯雨林の樹木の生命力は、とても樹木とは思えない迫力を感じました。
赤色砂岩に刻まれたデヴァター像で有名なバンテアイ・スレイ遺跡は、小さな遺跡ながら、その存在感はさすがです。今回も数多くの女神、デヴァター像を見学しましたが、やはりその筆頭でした。
トンレサップ湖クルージングのあと、最後の観光となるシェムリアップのオールド・マーケットを散策しました。最後の夕食も、このマーケット街でした。タイスキ料理で白ワインを楽しみました。

3月23日(日):シェムリアップ国際空港から、香港経由帰国

シェムリアップ国際空港は泊まったホテルから車で10分ほどの距離でしたから、最後にホテルとその周辺を散策しました。シェムリアップ国際空港の出発は11時20分、2時間前に空港に到着するには9時のホテル出発で十分です。
セントレア~香港間はキャセイパシフィック機でしたが、往きの香港プノンペン、帰りのシェムリアップ~香港間はドラゴンエアーでした。搭乗券には、ブッダ・エアーのプリントがされているかも知れません。香港往きは11時20分発のフライトです。香港国際空港で乗り継ぎ、セントレア国際空港への帰国は、乗り継ぎを除いたフライト時間は、6時間40分ほどです。
今回の香港国際空港でのトランジットタイムは1時間ほどでした。その間の時間潰しは、もっぱら窓の外の景色と、航空機のウォッチングでした。定刻に香港国際空港を飛び立ちました。セントレア国際空港までのフライト予定時間は3時間55分、時差が1時間ありますから、到着予定は21時05分です。定刻に到着し、今回のカンボジア旅行は予定通り終了しました。
2007年のカンボジア旅行の時にも感じましたが、アンコール遺跡群は、世界文化遺産中の文化遺産、今回もその思いは一層強くなりました。ポルポト時代の苦難を経験したカンボジアが、二度とアンコール遺跡群を危機遺産にすることがないよう、国際支援を含めて頑張ってもらいたいものです。

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  • セントレア国際空港への道のりで、地下鉄から名鉄電車への乗換駅が金山総合駅です。その北口光景です。セントレア国際空港にそのまま向かうのでは、少し早過ぎましたので時間潰しをしました。

    セントレア国際空港への道のりで、地下鉄から名鉄電車への乗換駅が金山総合駅です。その北口光景です。セントレア国際空港にそのまま向かうのでは、少し早過ぎましたので時間潰しをしました。

  • 金山総合駅の北側に隣接する、『アスナル金山』のフロアー・ガイドです。平成17年(2005年)3月に開業しました。

    金山総合駅の北側に隣接する、『アスナル金山』のフロアー・ガイドです。平成17年(2005年)3月に開業しました。

  • 『アスナル金山』の建物光景です。金山北地区開発の一環として、名古屋都市整備公社(現・公益財団法人名古屋まちづくり公社)が、名古屋市から15年限定(2020年3月まで)の期限付きで土地を借り受けて建設しました。

    『アスナル金山』の建物光景です。金山北地区開発の一環として、名古屋都市整備公社(現・公益財団法人名古屋まちづくり公社)が、名古屋市から15年限定(2020年3月まで)の期限付きで土地を借り受けて建設しました。

  • 同じく、『アスナル金山』の建物光景です。期間限定ですから、3階建てを基本とした簡易な造りの複合商業施設です。

    同じく、『アスナル金山』の建物光景です。期間限定ですから、3階建てを基本とした簡易な造りの複合商業施設です。

  • 金山総合駅の北側の通りの光景です。金山総合駅は、名鉄の名古屋本線、JR東海の中央本線と東海道本線、名古屋市営地下鉄の名城線と名港線の合計3社局5路線が乗り入れていて、名古屋駅に次ぐターミナル駅として機能しています。

    金山総合駅の北側の通りの光景です。金山総合駅は、名鉄の名古屋本線、JR東海の中央本線と東海道本線、名古屋市営地下鉄の名城線と名港線の合計3社局5路線が乗り入れていて、名古屋駅に次ぐターミナル駅として機能しています。

  • 金山総合駅に戻って来ました。以前の金山駅は、JR駅(旧国鉄駅)と名鉄金山駅が離れていて不便でした。今は、名古屋市地下鉄駅を含めて一体化されました。

    金山総合駅に戻って来ました。以前の金山駅は、JR駅(旧国鉄駅)と名鉄金山駅が離れていて不便でした。今は、名古屋市地下鉄駅を含めて一体化されました。

  • 名鉄とJRの総合駅の構内に掲げられた、大きな見返り美人の看板です。3月11日から名古屋市博物館で始まった、『大浮世絵展』の宣伝でした。そろそろ名鉄電車改札口に向かうことにしました。

    イチオシ

    名鉄とJRの総合駅の構内に掲げられた、大きな見返り美人の看板です。3月11日から名古屋市博物館で始まった、『大浮世絵展』の宣伝でした。そろそろ名鉄電車改札口に向かうことにしました。

  • 予め購入しておいた名鉄電車の座席指定券、ミュー・チケットです。金山駅を6時32分発、セントレア空港6時58分発の文字がプリントしてありました。

    予め購入しておいた名鉄電車の座席指定券、ミュー・チケットです。金山駅を6時32分発、セントレア空港6時58分発の文字がプリントしてありました。

  • 7時前にセントレア国際空港に到着し、搭乗手続きも済ませました。9時50分発のCX533便への搭乗まで、2時間弱の待ち時間です。早速スカイデッキにやって来ました。

    7時前にセントレア国際空港に到着し、搭乗手続きも済ませました。9時50分発のCX533便への搭乗まで、2時間弱の待ち時間です。早速スカイデッキにやって来ました。

  • 国際線の駐機場の光景です。春霞がかかったようなセントレア空港の光景でした。離発着に支障が出るような濃い霧ではないようです。

    国際線の駐機場の光景です。春霞がかかったようなセントレア空港の光景でした。離発着に支障が出るような濃い霧ではないようです。

  • 夜間に点灯されているのでしょうか、スカイデッキにあったイルミネーションの光景です。クリスマスの時の飾りのようにも見えました。

    夜間に点灯されているのでしょうか、スカイデッキにあったイルミネーションの光景です。クリスマスの時の飾りのようにも見えました。

  • 国内線の駐機場の光景です。全日空のANA機ばかりが、ずらりと並んでいました。

    国内線の駐機場の光景です。全日空のANA機ばかりが、ずらりと並んでいました。

  • スカイデッキから眺めた、国土交通省管轄の管制塔の光景です。管制には多くの測定装置類が使われているでしょうが、人による目視も十であることには間違いがありません。このような日には、かなり神経が使われる気がします。

    イチオシ

    スカイデッキから眺めた、国土交通省管轄の管制塔の光景です。管制には多くの測定装置類が使われているでしょうが、人による目視も十であることには間違いがありません。このような日には、かなり神経が使われる気がします。

  • たまに見かける濃い黄色に彩色された機体です。機体に、『エア・ホンコン』の文字がありました。香港を拠点とする貨物航空会社の機材です。

    たまに見かける濃い黄色に彩色された機体です。機体に、『エア・ホンコン』の文字がありました。香港を拠点とする貨物航空会社の機材です。

  • スカイデッキの先端付近からの光景です。普段ですと、伊勢湾を挟んで、三重県方面の光景が眺められますが、今日の春霞では無理でした。

    スカイデッキの先端付近からの光景です。普段ですと、伊勢湾を挟んで、三重県方面の光景が眺められますが、今日の春霞では無理でした。

  • 春霞は、毎年のことですが、近年では大気汚染の『PM2.5問題』もクローズアップされていますので、風物詩とし眺める穏やかな気持ちには、なれません。

    春霞は、毎年のことですが、近年では大気汚染の『PM2.5問題』もクローズアップされていますので、風物詩とし眺める穏やかな気持ちには、なれません。

  • スカイデッキの先端付近にある、『アリス・ダイニング』の表示がある施設です。この場所から、エレベーターで下った場所にあるお店です。

    スカイデッキの先端付近にある、『アリス・ダイニング』の表示がある施設です。この場所から、エレベーターで下った場所にあるお店です。

  • スカイデッキの先端付近にある、『アリス・ダイニング』の表示がある場所から、エレベーターで下って来た場所です。イルミネーションの飾りがあった場所の階下になります。

    スカイデッキの先端付近にある、『アリス・ダイニング』の表示がある場所から、エレベーターで下って来た場所です。イルミネーションの飾りがあった場所の階下になります。

  • 同じく、イルミネーションの飾りがあった場所の階下の光景です。各種のイベントも開催されているようです。今日の飾りは、『世界遺産』をテーマにした飾でした。中央の飾りは、イタリアの世界遺産、ピサの斜塔です。

    同じく、イルミネーションの飾りがあった場所の階下の光景です。各種のイベントも開催されているようです。今日の飾りは、『世界遺産』をテーマにした飾でした。中央の飾りは、イタリアの世界遺産、ピサの斜塔です。

  • イルミネーションの飾りがあった場所の階下の光景が都築です。中央は日本の世界文化遺産、富士山です。右奥には、インドのタージマハルの飾りも見えています。

    イルミネーションの飾りがあった場所の階下の光景が都築です。中央は日本の世界文化遺産、富士山です。右奥には、インドのタージマハルの飾りも見えています。

  • 左手に見える輸送機は、『ドリーム・リフター』と呼ばれるセントレア国際空港の名物機です。ボーイング747LCFという機種が使用されています。アメリカのシアトルとの間で、飛行機部品が運ばれています。

    左手に見える輸送機は、『ドリーム・リフター』と呼ばれるセントレア国際空港の名物機です。ボーイング747LCFという機種が使用されています。アメリカのシアトルとの間で、飛行機部品が運ばれています。

  • 出発ゲート近くにやって来ました。今日の搭乗のCX533便の出発ゲートは、22番ゲートです。コンパクトなセントレア空港ですから、移動の時間で泡を食うことはありません。

    出発ゲート近くにやって来ました。今日の搭乗のCX533便の出発ゲートは、22番ゲートです。コンパクトなセントレア空港ですから、移動の時間で泡を食うことはありません。

  • 出発ゲートの23番が前方に見えて来ました。右手には、免税店、デュティー・フリーの看板が見えていますが、シャッターは閉まっていました。

    出発ゲートの23番が前方に見えて来ました。右手には、免税店、デュティー・フリーの看板が見えていますが、シャッターは閉まっていました。

  • キャセイパシフィック機の尾翼越しに見える、ずんぐりとした胴体の輸送機、『ドリーム・リフター』の光景です。日本で完成した飛行機の機体部品をアメリカのシアトルまで運ぶ目的の輸送機です。

    キャセイパシフィック機の尾翼越しに見える、ずんぐりとした胴体の輸送機、『ドリーム・リフター』の光景です。日本で完成した飛行機の機体部品をアメリカのシアトルまで運ぶ目的の輸送機です。

  • キャセイパシフィック、 CX533便の搭乗開始です。現地集合、現地解散のカンボジア旅行ですから、香港で乗り継ぎ、カンボジアのプノンペン国際空港で現地ガイドさんと落ち合う予定です。出発は9時50分予定、約4時間のフライトです。

    キャセイパシフィック、 CX533便の搭乗開始です。現地集合、現地解散のカンボジア旅行ですから、香港で乗り継ぎ、カンボジアのプノンペン国際空港で現地ガイドさんと落ち合う予定です。出発は9時50分予定、約4時間のフライトです。

  • 搭乗機に向かう途中に撮影した、ターミナルビルの光景です。前方に見えるエプロンと比較して、中間点辺りでの撮影だったようです。

    搭乗機に向かう途中に撮影した、ターミナルビルの光景です。前方に見えるエプロンと比較して、中間点辺りでの撮影だったようです。

  • 同じく、搭乗機に向かう途中に撮影した、セントレア空港の屋外光景です。相変わらず春霞が懸かっていました。国内線では日本航空、JAL気を見かけませんでしたが、この機材は国際線のようです。

    同じく、搭乗機に向かう途中に撮影した、セントレア空港の屋外光景です。相変わらず春霞が懸かっていました。国内線では日本航空、JAL気を見かけませんでしたが、この機材は国際線のようです。

  • 搭乗機の座席の前のモニター画面です。名古屋から香港までのフライトイメージが表示されていました。南西方向へのフライトです。

    搭乗機の座席の前のモニター画面です。名古屋から香港までのフライトイメージが表示されていました。南西方向へのフライトです。

  • 同じく、搭乗機の座席の前のモニター画面です。香港まで約4時間のフライト時間ですが、時差がマイナス1時間ですから、13時頃の到着予定です。

    イチオシ

    同じく、搭乗機の座席の前のモニター画面です。香港まで約4時間のフライト時間ですが、時差がマイナス1時間ですから、13時頃の到着予定です。

  • CX533便の機内光景です。いつも通り、通路側の席が確保できました。昼食時のフライトですから、今日の昼は機内食になりそうです。

    CX533便の機内光景です。いつも通り、通路側の席が確保できました。昼食時のフライトですから、今日の昼は機内食になりそうです。

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