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Across space and time, I hear the voices of the dead.<br />時空の彼方から、死者たちの声が聴こえます。<br /><br />「Deadly Ashes」死の灰より<br /><br />永遠に続くものなど何もない<br />金色に輝く太陽も<br />必ずや海に沈む。<br />月にしても、同じこと<br />これほど明るく輝くのは今だけだ。<br /><br /> ポンペイの落書きより<br />

Pompei(ポンペイ)

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2014/08/05 - 2014/08/12

2位(同エリア518件中)

6

84

noel

noelさん

Across space and time, I hear the voices of the dead.
時空の彼方から、死者たちの声が聴こえます。

「Deadly Ashes」死の灰より

永遠に続くものなど何もない
金色に輝く太陽も
必ずや海に沈む。
月にしても、同じこと
これほど明るく輝くのは今だけだ。

ポンペイの落書きより

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • Ausbruch des Vesuvs 1817<br /><br />ターナー(ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー)<br />ヴェスヴィオ火山の噴火<br /><br />wikipediaより

    Ausbruch des Vesuvs 1817

    ターナー(ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー)
    ヴェスヴィオ火山の噴火

    wikipediaより

  • ついにポンペイまで来ました。<br /><br />79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の噴火によって、ポンペイやエルコラーノなどの周辺の街は、火山灰に埋もれてしまいました。<br /><br />・・・そして、それから長い年月が経ちました。・・・・<br /><br />【追記】<br />2019年(令和元年)6月29日のTBSの「世界ふしぎ発見」を見て書き加えさせていただきます。<br />今までヴェスヴィオ火山の噴火は8月に起きたと思われてました。(小プリニウスの『書簡集』から)<br />ですが、新たな発掘の結果、秋になるクルミなどの実もあったようです。そして壁に文字が残されていました。それには11月の最初の日からさかのぼって16番目の日・・・・つまりは、10月17日以降だった可能性がでてきたようです。<br />「10月17日にオリーブオイルの瓶を受け取った。」という内容が書かれていたようです。<br />おそらくこれは小プリニウスが間違ったのではなく、後に語り継がれた写本に誤りがあったのでは・・・との見方があるようです。<br />確かに私などもよく間違えますので、あり得ると思います。<br /><br />他にも1192(「いいくに」つくろう鎌倉幕府)だったのが、1185(「いいはこ」)に変わりました。<br />それから世界最古の人類もアウストラロピテクスが、サヘラントロプスチャデンシスというのにも吃驚でした。

    ついにポンペイまで来ました。

    79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の噴火によって、ポンペイやエルコラーノなどの周辺の街は、火山灰に埋もれてしまいました。

    ・・・そして、それから長い年月が経ちました。・・・・

    【追記】
    2019年(令和元年)6月29日のTBSの「世界ふしぎ発見」を見て書き加えさせていただきます。
    今までヴェスヴィオ火山の噴火は8月に起きたと思われてました。(小プリニウスの『書簡集』から)
    ですが、新たな発掘の結果、秋になるクルミなどの実もあったようです。そして壁に文字が残されていました。それには11月の最初の日からさかのぼって16番目の日・・・・つまりは、10月17日以降だった可能性がでてきたようです。
    「10月17日にオリーブオイルの瓶を受け取った。」という内容が書かれていたようです。
    おそらくこれは小プリニウスが間違ったのではなく、後に語り継がれた写本に誤りがあったのでは・・・との見方があるようです。
    確かに私などもよく間違えますので、あり得ると思います。

    他にも1192(「いいくに」つくろう鎌倉幕府)だったのが、1185(「いいはこ」)に変わりました。
    それから世界最古の人類もアウストラロピテクスが、サヘラントロプスチャデンシスというのにも吃驚でした。

  • 【追記】<br />2022年3月20日<br />上野の国立博物館で開催されていた「ポンペイ展」を2月23日に観に行きました。<br />そこで展示されていたのが、この円形火鉢です。これは「竪琴奏者の家」のエクセドラから出土し、現在ナポリ国立博物館に所蔵されています。<br />これは持ち運びが可能な青銅製円形火鉢ですが、ヴィスヴィオ山の噴火があったのは、8月ではなく、10月説を裏付ける証拠の一つなるように、寒い時期であったため、これが使用されていたのではないかと推察されます。

    【追記】
    2022年3月20日
    上野の国立博物館で開催されていた「ポンペイ展」を2月23日に観に行きました。
    そこで展示されていたのが、この円形火鉢です。これは「竪琴奏者の家」のエクセドラから出土し、現在ナポリ国立博物館に所蔵されています。
    これは持ち運びが可能な青銅製円形火鉢ですが、ヴィスヴィオ山の噴火があったのは、8月ではなく、10月説を裏付ける証拠の一つなるように、寒い時期であったため、これが使用されていたのではないかと推察されます。

  • チケット売り場<br />

    チケット売り場

  • Porta Marina<br />マリーナ門<br /><br />こちらから入場します。<br />今は海まで約2kmですが、ローマ時代は500mくらいでした。

    Porta Marina
    マリーナ門

    こちらから入場します。
    今は海まで約2kmですが、ローマ時代は500mくらいでした。

  • 遺跡が見えます。

    遺跡が見えます。

  • ワクワクします。

    ワクワクします。

  • 2つのアーチが見えます。

    2つのアーチが見えます。

  • 今は想像できませんが、どんな風に噴火が起きたのでしょうか。<br />噴火は一瞬にして起きたのではなく、7時間に渡ったようです。<br />軽石など地層から解明されました。<br />いわゆる火砕流でした。<br />1万人は逃げ出して助かりました。

    今は想像できませんが、どんな風に噴火が起きたのでしょうか。
    噴火は一瞬にして起きたのではなく、7時間に渡ったようです。
    軽石など地層から解明されました。
    いわゆる火砕流でした。
    1万人は逃げ出して助かりました。

  • 左の小さい門は歩行者用<br />右の大きい門は馬車用になっています。<br /><br />

    左の小さい門は歩行者用
    右の大きい門は馬車用になっています。

  • 道は石畳です。<br />そして馬車が通った後は、轍が残っています。<br />

    道は石畳です。
    そして馬車が通った後は、轍が残っています。

  • 敷石の間の隙間を埋める小さな白っぽい石ですが、<br />夜になると光って見えるそうです<br />本当に古代ローマのインフラには脱帽です。<br />よく考えられています。<br /><br />このメインの通りは<br />Via dell&#39; Abbondanza アッボンダンツァ通りです。<br /><br />排水溝も完備していたので、雨が降っても安心です。

    敷石の間の隙間を埋める小さな白っぽい石ですが、
    夜になると光って見えるそうです
    本当に古代ローマのインフラには脱帽です。
    よく考えられています。

    このメインの通りは
    Via dell' Abbondanza アッボンダンツァ通りです。

    排水溝も完備していたので、雨が降っても安心です。

  • Foro(フォロ)<br /><br />ポンペイの中でも中心地で、公共の広場になっています。<br />他の古代ローマの街にも、広場は必ずあります。<br />例えばフォロ・ロマーノなど。<br />こちらは政治、宗教の中心地となっていました。<br />古代ギリシアでいえば、アゴラでしょうか・・・。

    Foro(フォロ)

    ポンペイの中でも中心地で、公共の広場になっています。
    他の古代ローマの街にも、広場は必ずあります。
    例えばフォロ・ロマーノなど。
    こちらは政治、宗教の中心地となっていました。
    古代ギリシアでいえば、アゴラでしょうか・・・。

  • 太陽の神アポロを祀ったアポロ神殿。<br />中央の手前にあるのが祭壇です。<br /><br />左の白い柱は日時計として使われていました。

    太陽の神アポロを祀ったアポロ神殿。
    中央の手前にあるのが祭壇です。

    左の白い柱は日時計として使われていました。

  • Tempio di Apollo(アポロの神殿)<br /><br />ただしこの像はレプリカです。<br />実物はナポリ考古学博物館にあります。

    Tempio di Apollo(アポロの神殿)

    ただしこの像はレプリカです。
    実物はナポリ考古学博物館にあります。

  • アポロ像の裏側から。

    アポロ像の裏側から。

  • あたり一面凄い遺跡です。<br />これらが埋もれていたと思うと、ゾクゾクっとします。

    あたり一面凄い遺跡です。
    これらが埋もれていたと思うと、ゾクゾクっとします。

  • Tempio di Giove(ユピテル(ジュピター)神殿)<br /><br />フォロの北側に位置しています。<br />主神ユピテルのほか、ユノー、ミネルバの三神が祀られていました。<br /><br />上記の三神はカピトリウムの三神とも。

    Tempio di Giove(ユピテル(ジュピター)神殿)

    フォロの北側に位置しています。
    主神ユピテルのほか、ユノー、ミネルバの三神が祀られていました。

    上記の三神はカピトリウムの三神とも。

  • ヴェスヴィオ火山が・・・ちょっと見えないですが。

    ヴェスヴィオ火山が・・・ちょっと見えないですが。

  • 日を遮るものがないので、暑いです。

    日を遮るものがないので、暑いです。

  • Macellum(マケルム)<br /><br />フォロの東側の柱廊には、数多くの公共建築物が並んでいて、その一つに<br />食料品取引の場、マケルムがありました。<br /><br />そしてこのパビリオンでは、数多くの魚の小骨が発見されました。<br />つまり魚の販売に利用されていたようです。<br />BC2世紀に建設されたマケルムですが、市場には屋根もありました。<br />中心部にある12本の円柱を支柱として、両脇に木製の柱を立てて支えられていました。<br />

    Macellum(マケルム)

    フォロの東側の柱廊には、数多くの公共建築物が並んでいて、その一つに
    食料品取引の場、マケルムがありました。

    そしてこのパビリオンでは、数多くの魚の小骨が発見されました。
    つまり魚の販売に利用されていたようです。
    BC2世紀に建設されたマケルムですが、市場には屋根もありました。
    中心部にある12本の円柱を支柱として、両脇に木製の柱を立てて支えられていました。

  • 2000年前で時間が、止まってしまいました。<br /><br />一瞬のうちに生き埋めになり、後に発掘されたときには、<br />遺体部分が腐ってなくなりました。<br />そして火山灰の中に空洞ができました。<br /><br />その空洞に石膏を流し込むという手法で、火砕流に巻き込まれた後、遺体が分解した人々の最期の姿を復元する手法を導入しました。

    2000年前で時間が、止まってしまいました。

    一瞬のうちに生き埋めになり、後に発掘されたときには、
    遺体部分が腐ってなくなりました。
    そして火山灰の中に空洞ができました。

    その空洞に石膏を流し込むという手法で、火砕流に巻き込まれた後、遺体が分解した人々の最期の姿を復元する手法を導入しました。

  • There have been many vistors but no one listened to my massege.<br />私を訪れた人は、沢山いたけれど、私の声を聴いてくれる人はいません。<br /><br />Daedly Ashes(死の灰)<br />細江英公<br /><br />この本の中には、灰に埋もれてしまったポンペイはじめ、アウシュヴィッツ、そして広島、長崎が描かれています。<br />私がポンペイを訪れたのは、古代遺跡としてのポンペイに魅力を感じて、訪れました。<br />でも帰国後、この本に出会って、かなりのショックを受けました。<br />2014年9月御嶽山の噴火で亡くなった方々も、ポンペイで2000年前に亡くなった方も、本来は同じであるということを・・・。<br />ただ、私は声を聴くどころか、合掌さえしてきませんでした。<br />もしまたポンペイを訪れることがありましたら、今度は彼らの声に耳をすませてみたいと思います。

    There have been many vistors but no one listened to my massege.
    私を訪れた人は、沢山いたけれど、私の声を聴いてくれる人はいません。

    Daedly Ashes(死の灰)
    細江英公

    この本の中には、灰に埋もれてしまったポンペイはじめ、アウシュヴィッツ、そして広島、長崎が描かれています。
    私がポンペイを訪れたのは、古代遺跡としてのポンペイに魅力を感じて、訪れました。
    でも帰国後、この本に出会って、かなりのショックを受けました。
    2014年9月御嶽山の噴火で亡くなった方々も、ポンペイで2000年前に亡くなった方も、本来は同じであるということを・・・。
    ただ、私は声を聴くどころか、合掌さえしてきませんでした。
    もしまたポンペイを訪れることがありましたら、今度は彼らの声に耳をすませてみたいと思います。

  • Macellum(マケルム)<br /><br />柱廊付の中庭の北側部分です。<br />右には供物を捧げる男性人物、そして左には女性が表されています。<br />さらに左端のそれには、ウィクトリアに冠を授けられる戦士が、表されています。<br /><br />ちなみに壁面の上部には、祭器を持った少女が左に、そして笛を持ったサテュロスが右に表されています。<br />ネロ時代の伝統を踏襲しています。<br />65-70年頃<br />Schefold<br /><br />

    Macellum(マケルム)

    柱廊付の中庭の北側部分です。
    右には供物を捧げる男性人物、そして左には女性が表されています。
    さらに左端のそれには、ウィクトリアに冠を授けられる戦士が、表されています。

    ちなみに壁面の上部には、祭器を持った少女が左に、そして笛を持ったサテュロスが右に表されています。
    ネロ時代の伝統を踏襲しています。
    65-70年頃
    Schefold

  • 貯蔵庫

    貯蔵庫

  • こちらも貯蔵庫です。

    こちらも貯蔵庫です。

  • アンフォラなどが、たくさんあります。

    アンフォラなどが、たくさんあります。

  • テラコッタ素材でしょうか・・・。大きなアンフォラです。

    テラコッタ素材でしょうか・・・。大きなアンフォラです。

  • 貯蔵庫には様々な物があるようです。<br />

    貯蔵庫には様々な物があるようです。

  • この先には行くことができません。

    この先には行くことができません。

  • 大きな水瓶のようなものでしょうか・・。

    大きな水瓶のようなものでしょうか・・。

  • 歩道と車道が、きちんと整備されています。

    歩道と車道が、きちんと整備されています。

  • うっすらとフレスコ画のような物が見えます。<br />人を描いているようです。

    うっすらとフレスコ画のような物が見えます。
    人を描いているようです。

  • REG Ⅶ INS Ⅳとあります。<br />REGIO 7 INSULA 4<br />この区域は、南西に店がたくさんあります。またいくつかの家もあります。

    REG Ⅶ INS Ⅳとあります。
    REGIO 7 INSULA 4
    この区域は、南西に店がたくさんあります。またいくつかの家もあります。

  • このアーチから見ると、また違った光景に見えます。

    このアーチから見ると、また違った光景に見えます。

  • カリグラ門<br />あの悪名高き皇帝、カリグラ帝の凱旋門です。

    カリグラ門
    あの悪名高き皇帝、カリグラ帝の凱旋門です。

  • フォロ浴場内、テピダリウムのニッチ内に並んでいる<br />テラコッタ製の力強いテラモン(男性柱)

    フォロ浴場内、テピダリウムのニッチ内に並んでいる
    テラコッタ製の力強いテラモン(男性柱)

  • サウナを温めるためのもの。

    サウナを温めるためのもの。

  • 大理石の浴槽

    大理石の浴槽

  • ラコニウム(サウナ)<br /><br />浴場は、BC80年頃に建設されました。<br />男湯と女湯に分かれていました。<br />またそればかりではなく、体育場、冷浴室、温浴室、熱浴室までありました。<br />ただ噴火が起こる前の62年の地震によって、被害を受けてしまい、噴火した頃は、男湯のみが営業してたそうです。

    ラコニウム(サウナ)

    浴場は、BC80年頃に建設されました。
    男湯と女湯に分かれていました。
    またそればかりではなく、体育場、冷浴室、温浴室、熱浴室までありました。
    ただ噴火が起こる前の62年の地震によって、被害を受けてしまい、噴火した頃は、男湯のみが営業してたそうです。

  • 大理石の水飲み場<br /><br />お風呂に入って、喉が乾いたら、水飲み場なんて、本当に至れりつくせりです。<br />ちなみにサウナのような熱浴室(カルダリウム)に設置された浴槽の水では、手足や顔を洗います。

    大理石の水飲み場

    お風呂に入って、喉が乾いたら、水飲み場なんて、本当に至れりつくせりです。
    ちなみにサウナのような熱浴室(カルダリウム)に設置された浴槽の水では、手足や顔を洗います。

  • 明り取り<br />細やかな部分まで考えて作られてます。

    明り取り
    細やかな部分まで考えて作られてます。

  • どこを撮ったかわからなくなりました。<br />↑<br />2022年(令和4年)1月15日の世界不思議発見で、ヤマザキマリさん(テルマエロマエ等の作者)によると・・・・・<br />これは浴場で、この天井はしずくが落ちないように工夫されていたようです。

    どこを撮ったかわからなくなりました。

    2022年(令和4年)1月15日の世界不思議発見で、ヤマザキマリさん(テルマエロマエ等の作者)によると・・・・・
    これは浴場で、この天井はしずくが落ちないように工夫されていたようです。

  • タベルナ(居酒屋さん)<br /><br />カウンターに壺を埋め込んでいます。

    タベルナ(居酒屋さん)

    カウンターに壺を埋め込んでいます。

  • 本当に古代ローマの遺跡は、今もそのまま使える物があるのが凄いです。<br />ちなみに、お惣菜を入れておく物の他、コイン(お金)を入れておくのもありました。

    本当に古代ローマの遺跡は、今もそのまま使える物があるのが凄いです。
    ちなみに、お惣菜を入れておく物の他、コイン(お金)を入れておくのもありました。

  • Casa del poeta tragico.(悲劇詩人の家)<br />&quot;Casa Canem&quot;(犬に注意)<br /><br />これは有名なモザイク画です。

    Casa del poeta tragico.(悲劇詩人の家)
    "Casa Canem"(犬に注意)

    これは有名なモザイク画です。

  • ちょっと写りが悪いですが・・・。<br />最初にこの犬のモザイク画を知った私は、古代ローマ時代に、犬が飼われていたことに驚きました。<br /><br />【2020年7月追記】<br />チェーンがついていたので、この時代に番犬がいたようです。<br />この頃は、本当に泥棒や強盗が多く、お金持ちもそうでない一般の人も自己防衛をしていて、施錠の仕方も3ロックまでしていた家もありました。<br />当時は銀行もありません。また警察もなく、自衛するしかなかったのです。<br />そしてそのため、お金持ちは、剣闘士のような頑健な人を警備上雇用したりしました。<br />次第に自警団のような組織もできていき、それが変化してマフィアのような組織ができていったようです。<br />古代ローマに既にマフィアの前身ができていたとは驚きです。

    ちょっと写りが悪いですが・・・。
    最初にこの犬のモザイク画を知った私は、古代ローマ時代に、犬が飼われていたことに驚きました。

    【2020年7月追記】
    チェーンがついていたので、この時代に番犬がいたようです。
    この頃は、本当に泥棒や強盗が多く、お金持ちもそうでない一般の人も自己防衛をしていて、施錠の仕方も3ロックまでしていた家もありました。
    当時は銀行もありません。また警察もなく、自衛するしかなかったのです。
    そしてそのため、お金持ちは、剣闘士のような頑健な人を警備上雇用したりしました。
    次第に自警団のような組織もできていき、それが変化してマフィアのような組織ができていったようです。
    古代ローマに既にマフィアの前身ができていたとは驚きです。

  • 悲劇詩人の家は、規模としてはそれほど広くはないのですが、中産階級の典型的な例です。<br />入口を入った所に、アトリウムが開けて、「イーリアス」の場面を描いたフレスコ画があったそうです。<br /><br />またアトリウムから小階段を登った所に、演劇を主題にしたモザイク画があり、そこに悲劇詩人があったので、この家の名前の由来になったとのことです。

    悲劇詩人の家は、規模としてはそれほど広くはないのですが、中産階級の典型的な例です。
    入口を入った所に、アトリウムが開けて、「イーリアス」の場面を描いたフレスコ画があったそうです。

    またアトリウムから小階段を登った所に、演劇を主題にしたモザイク画があり、そこに悲劇詩人があったので、この家の名前の由来になったとのことです。

  • 火を熾したような炉でしょうか。

    火を熾したような炉でしょうか。

  • Casa della foutana piccola<br />小さな泉の家<br /><br />アトリウムを改造して、庭園を眺める部屋にしました。<br />富裕層であったと思われます。<br />

    Casa della foutana piccola
    小さな泉の家

    アトリウムを改造して、庭園を眺める部屋にしました。
    富裕層であったと思われます。

  • BC1世紀に建設された時は、この建物はアトリウム型ドムスとして、設計されていました。<br />でも1世紀にはアトリウムはモザイクで覆い隠されました。<br />そして外部の庭園を眺めるための部屋に変更されました。<br />

    BC1世紀に建設された時は、この建物はアトリウム型ドムスとして、設計されていました。
    でも1世紀にはアトリウムはモザイクで覆い隠されました。
    そして外部の庭園を眺めるための部屋に変更されました。

  • モデストのパン屋さんの窯<br /><br />この他に、小麦を挽く挽き臼もありました。<br />挽き臼は奴隷が腕の力で回していました。ただ驢馬を使うことが多かったそうです。<br /><br />この窯は、今もすぐに使えそうな感じです。<br />ピザを焼いたら美味しく焼きあがりそう。<br /><br />

    モデストのパン屋さんの窯

    この他に、小麦を挽く挽き臼もありました。
    挽き臼は奴隷が腕の力で回していました。ただ驢馬を使うことが多かったそうです。

    この窯は、今もすぐに使えそうな感じです。
    ピザを焼いたら美味しく焼きあがりそう。

  • パン屋さんの裏側だったような‥‥。<br />釜を封じたように見えるのですが。

    パン屋さんの裏側だったような‥‥。
    釜を封じたように見えるのですが。

  • モデストのパン屋さんですが、最も素晴らしい状態で保存されていたものの一つで、焼き窯の中からは、炭化したパンが81個も発見されたそうです。<br /><br />ポンペイでは普通のお店で、パンやフォカッチャを販売している他にも、行商の人に販売を任せることもあったらしいです。

    モデストのパン屋さんですが、最も素晴らしい状態で保存されていたものの一つで、焼き窯の中からは、炭化したパンが81個も発見されたそうです。

    ポンペイでは普通のお店で、パンやフォカッチャを販売している他にも、行商の人に販売を任せることもあったらしいです。

  • 本当に良くできた道です。<br />紀元前の物とは思えません。

    本当に良くできた道です。
    紀元前の物とは思えません。

  • トイレ<br /><br />当時はトイレが社交の場となっていました。<br />また二人掛けのトイレがあり、奴隷も一緒に使用していました。<br />

    トイレ

    当時はトイレが社交の場となっていました。
    また二人掛けのトイレがあり、奴隷も一緒に使用していました。

  • Horrea(ホッレア)<br /><br />出土品の倉庫です。アンフォラでしょうか・・・。<br /><br />

    Horrea(ホッレア)

    出土品の倉庫です。アンフォラでしょうか・・・。

  • 小さな子どもと犬のような物も。

    小さな子どもと犬のような物も。

  • 整然と並んでいます。

    整然と並んでいます。

  • よくもこれだけ発掘できたものです。

    よくもこれだけ発掘できたものです。

  • 痛々しいです。

    痛々しいです。

  • この遺跡の中にはまだ解明されていないものも多いと思います。

    この遺跡の中にはまだ解明されていないものも多いと思います。

  • アンフォラは、ワインやオリーブオイル、穀物などの輸送や貯蔵に使われましたが、そこには複数の銘がある場合が多いようです。<br />こちらにあるかどうかは不明ですが・・。<br />おそらくかつてあったとしても、灰に埋もれてしまったので消えてしまっている<br />と思います。<br /><br />押し型で印された証印は、そのアンフォラの製造場所と工場を証明します。<br />掻き字で書かれた数字は、その容器の容量を、<br />絵筆による表示は内容物についての情報で、生産地、荷受人の住所が特記されてることが多いようです。<br />なぜ絵具かというと、簡単に消すことが可能で、次の取引に再利用できるからです。<br /><br />参照:「碑文が語る古代ローマ史」アンジェラ・ドナーティより

    アンフォラは、ワインやオリーブオイル、穀物などの輸送や貯蔵に使われましたが、そこには複数の銘がある場合が多いようです。
    こちらにあるかどうかは不明ですが・・。
    おそらくかつてあったとしても、灰に埋もれてしまったので消えてしまっている
    と思います。

    押し型で印された証印は、そのアンフォラの製造場所と工場を証明します。
    掻き字で書かれた数字は、その容器の容量を、
    絵筆による表示は内容物についての情報で、生産地、荷受人の住所が特記されてることが多いようです。
    なぜ絵具かというと、簡単に消すことが可能で、次の取引に再利用できるからです。

    参照:「碑文が語る古代ローマ史」アンジェラ・ドナーティより

  • 噴火後、逃げきれずに、死を受け入れたのでしょうか・・・。<br />胸が痛みます。

    噴火後、逃げきれずに、死を受け入れたのでしょうか・・・。
    胸が痛みます。

  • 痛々しいです。

    痛々しいです。

  • これは何でしょう?

    これは何でしょう?

  • ワンちゃんのようです。<br />なんだか苦しそうにも見えます。本当に怖いです。<br /><br />【2020年7月追記】<br />テレビで見たのですが、この犬は番犬として、噴火の際にも鎖に繋がれたままの状態であったようです。<br />ですからこの状態は、もがき苦しんでいる状態です。<br />家人が家を出た後に、泥棒が入らないように残しておいたようです。<br />それも柱に繋がれた状態だったので、逃げる事も出来ませんでした。<br />軽石と火山灰に埋もれてしまいました。<br />現在私たちがペットとして家族の一員のように飼っているのとは違ったようです。<br />これを知ると胸が痛みます。<br /><br />2022年(令和4年)1月15日追記<br />犬だけでなく馬もあったようです。<br />どうもアラブ馬のようです。<br />ポンペイに関しては、今後も新たな遺跡が解明されそうです。

    ワンちゃんのようです。
    なんだか苦しそうにも見えます。本当に怖いです。

    【2020年7月追記】
    テレビで見たのですが、この犬は番犬として、噴火の際にも鎖に繋がれたままの状態であったようです。
    ですからこの状態は、もがき苦しんでいる状態です。
    家人が家を出た後に、泥棒が入らないように残しておいたようです。
    それも柱に繋がれた状態だったので、逃げる事も出来ませんでした。
    軽石と火山灰に埋もれてしまいました。
    現在私たちがペットとして家族の一員のように飼っているのとは違ったようです。
    これを知ると胸が痛みます。

    2022年(令和4年)1月15日追記
    犬だけでなく馬もあったようです。
    どうもアラブ馬のようです。
    ポンペイに関しては、今後も新たな遺跡が解明されそうです。

  • 【2020年7月追記】<br />古代ローマのインフラは、今でもその素晴らしさを、私たちに見せつけます。<br />様々な社会のシステムもこの時代に作られた物も多いです。<br />ただ、犯罪も蔓延っていました。捕まえた人には報奨金も出ていました。<br />そんなわけで私刑なども行われていました。<br />これらは落書きから、わかりました。<br />現在の掲示板、SNSみたいな役割を果たしてました。<br />そして次第に相互扶助を目的としたcollegia(コレギア)という小さな組合のような組織もできました。聞こえはいいですが、暴力行為も行われて政治的主張を持ったものもできました。

    【2020年7月追記】
    古代ローマのインフラは、今でもその素晴らしさを、私たちに見せつけます。
    様々な社会のシステムもこの時代に作られた物も多いです。
    ただ、犯罪も蔓延っていました。捕まえた人には報奨金も出ていました。
    そんなわけで私刑なども行われていました。
    これらは落書きから、わかりました。
    現在の掲示板、SNSみたいな役割を果たしてました。
    そして次第に相互扶助を目的としたcollegia(コレギア)という小さな組合のような組織もできました。聞こえはいいですが、暴力行為も行われて政治的主張を持ったものもできました。

  • 写真とは関係ありませんが、秘儀荘について・・・<br /><br />Villa dei Misteri<br />残念ながら、秘儀荘には行かずじまいでしたが、この秘儀荘、なんともミステリアスな名前です。なぜこの名がついたのかというと、この家の所有者は、婚礼の寝室に続く大広間に、有名な「秘儀」のメガログラフィアを描かせました。<br />この絵画の装飾が、この建物に「秘儀荘」という名前を与えました。<br />そこにはディオニソス信仰の掟に従った、一人の娘の婚礼の秘儀の入信儀礼があらわされています。<br />この所有者が、ブドウによって財をなしたことから、ディオニソス礼賛のイメージを描かせたのかもしれません。<br /><br />「ポンペイの壁画2」より

    写真とは関係ありませんが、秘儀荘について・・・

    Villa dei Misteri
    残念ながら、秘儀荘には行かずじまいでしたが、この秘儀荘、なんともミステリアスな名前です。なぜこの名がついたのかというと、この家の所有者は、婚礼の寝室に続く大広間に、有名な「秘儀」のメガログラフィアを描かせました。
    この絵画の装飾が、この建物に「秘儀荘」という名前を与えました。
    そこにはディオニソス信仰の掟に従った、一人の娘の婚礼の秘儀の入信儀礼があらわされています。
    この所有者が、ブドウによって財をなしたことから、ディオニソス礼賛のイメージを描かせたのかもしれません。

    「ポンペイの壁画2」より

  • 水飲み場<br /><br />さすがに古代ローマは凄いです。地下貯水槽から水を引いていたようです。

    水飲み場

    さすがに古代ローマは凄いです。地下貯水槽から水を引いていたようです。

  • きっとここに集い、お喋りしていたのではないでしょうか?<br />おそらく当時も憩いの場になっていたことでしょう。<br />

    きっとここに集い、お喋りしていたのではないでしょうか?
    おそらく当時も憩いの場になっていたことでしょう。

  • 「全ての道はローマに通ず」<br />流石はインフラ整備が発達していた古代ローマの道です。<br />歩道と荷馬車の区別もしっかりしてますし、横断歩道もあります。<br />しかも濡れることなく横断できます。<br /><br />アッピア街道<br />フラヴィア街道<br />アウレリア街道<br />フラミニア街道・・・・・・。<br />よくもこんな道路網を作ったものだと感心します。流石古代ローマ

    「全ての道はローマに通ず」
    流石はインフラ整備が発達していた古代ローマの道です。
    歩道と荷馬車の区別もしっかりしてますし、横断歩道もあります。
    しかも濡れることなく横断できます。

    アッピア街道
    フラヴィア街道
    アウレリア街道
    フラミニア街道・・・・・・。
    よくもこんな道路網を作ったものだと感心します。流石古代ローマ

  • ベッド<br />石でできたベッドを見るのは初めてです。

    ベッド
    石でできたベッドを見るのは初めてです。

  • 娼館<br />当時の春画もたくさん描かれていました。ちょっと目を覆いたくなります。

    娼館
    当時の春画もたくさん描かれていました。ちょっと目を覆いたくなります。

  • ユニークな水飲み場です。<br />

    ユニークな水飲み場です。

  • この先は立ち入りできないようです。<br />封鎖されている道には苔が生えているようです。

    この先は立ち入りできないようです。
    封鎖されている道には苔が生えているようです。

  • Teatro Grande(大劇場)

    Teatro Grande(大劇場)

  • BC2000年頃に建設されました。<br />約5000人を収容する事ができました。

    BC2000年頃に建設されました。
    約5000人を収容する事ができました。

  • 【2020年7月追記】<br />個人的に古代ローマの遺跡は大好きです。<br />ただ、これだけ凄い文明が滅んだのもわかる気がします。<br />ここポンペイは噴火によって滅亡しましたが、それ以外の古代ローマについて。<br />人間は見世物が好きです。然るにグラディエーター(剣闘士)という物までできました。見世物として殺し合いを見せるのは、または見るのは抵抗があります。<br />また先ほどにもあったような売春宿なども。<br />人間の欲望が増幅していきました。<br />円形闘技場で、剣闘士でなく、近隣コレギアとの殺し合いまで行われました。<br /><br />またポンペイの実権を握るためにアレイウス・マリウスは400人も剣闘士を連れてきました。その頃は禁止されていたのに。<br />これは彼が皇帝ネロに通じていたからです。<br />彼は公職について、古代ローマ版のマフィアになりました。<br /><br />噴火と共に全ては灰になりましたが、腐敗も行われていたのは事実のようです。

    【2020年7月追記】
    個人的に古代ローマの遺跡は大好きです。
    ただ、これだけ凄い文明が滅んだのもわかる気がします。
    ここポンペイは噴火によって滅亡しましたが、それ以外の古代ローマについて。
    人間は見世物が好きです。然るにグラディエーター(剣闘士)という物までできました。見世物として殺し合いを見せるのは、または見るのは抵抗があります。
    また先ほどにもあったような売春宿なども。
    人間の欲望が増幅していきました。
    円形闘技場で、剣闘士でなく、近隣コレギアとの殺し合いまで行われました。

    またポンペイの実権を握るためにアレイウス・マリウスは400人も剣闘士を連れてきました。その頃は禁止されていたのに。
    これは彼が皇帝ネロに通じていたからです。
    彼は公職について、古代ローマ版のマフィアになりました。

    噴火と共に全ては灰になりましたが、腐敗も行われていたのは事実のようです。

  • Quadriportico di Teatri(剣闘士の養成所)<br /><br />現存する養成所は62年頃建設されました。<br />その前は運動場だったともいわれています。<br />4つの壁に囲まれた広場は、訓練場となっていました。<br />宿舎の下塗りされた壁に「ユリアヌス」「アウグスティヌス」「ネロニアヌス」というように名前が書かれていたことで、皇帝の後援を受けた剣闘士がいたと考えられています。

    Quadriportico di Teatri(剣闘士の養成所)

    現存する養成所は62年頃建設されました。
    その前は運動場だったともいわれています。
    4つの壁に囲まれた広場は、訓練場となっていました。
    宿舎の下塗りされた壁に「ユリアヌス」「アウグスティヌス」「ネロニアヌス」というように名前が書かれていたことで、皇帝の後援を受けた剣闘士がいたと考えられています。

  • かつて屋外運動場でした。<br /><br />闘技熱が高まり、柱廊の中庭が練習場になりました。<br />その中庭を囲むように、寝室、個室、食堂、武器保管庫などが並びます。<br /><br />ただそこに住む剣闘士たちは、勤めを望んでいない人もいました。<br />食堂の壁に書いていた名前です。<br />「ルキウス=アンナエウス=セネカ」<br /><br />このセネカはネロの顧問でもありました。<br />またストア派の哲人でも。<br />彼は剣闘士の見世物を非難していた人物でもありました。

    かつて屋外運動場でした。

    闘技熱が高まり、柱廊の中庭が練習場になりました。
    その中庭を囲むように、寝室、個室、食堂、武器保管庫などが並びます。

    ただそこに住む剣闘士たちは、勤めを望んでいない人もいました。
    食堂の壁に書いていた名前です。
    「ルキウス=アンナエウス=セネカ」

    このセネカはネロの顧問でもありました。
    またストア派の哲人でも。
    彼は剣闘士の見世物を非難していた人物でもありました。

  • Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus<br />ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス<br /><br />暴君として有名なネロです。残虐で贅沢三昧をして、淫乱放蕩で、キリスト教徒の迫害・・と悪名高い皇帝です。(第5代皇帝)<br />実はネロとポンペイは密接な関係がありました。<br /><br />ポンペイは古代ローマのインフラが整備された都市、商業なども盛んな港湾都市、そして快楽の都市、というイメージがあります。<br />ただ59年には円形闘技場でヌケリア人の乱闘騒ぎがあり、そのためにネロは10年間は闘技場を閉鎖してました。<br /><br />そしてそのネロですが、暴君ネロとは言われたものの、治世の当初5年は善政を行っていました。<br />また彼の正妻は、オクタウィアですが、彼の後の妻、ポッパエアの故郷はポンペイでした。<br /><br />そして乱闘騒ぎの後、62年には、大きな地震が起きてしまいました。これでポンペイは壊滅状態になってしまいました。<br /><br />そしてその復興の努力の甲斐もあって、活気を取り戻しつつあった頃、ネロは68年国家の敵として自死しました。<br />そしてその後の内戦・・・・。<br />ヴェスヴィオ火山の噴火は、ポンペイが再生しようとした矢先の事だったのです。<br /><br />(写真:wikipedia)<br />(参考文献:ポンペイ 今も息づく古代都市  アレックス・バタワース+レイ・ローレンス)

    Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus
    ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス

    暴君として有名なネロです。残虐で贅沢三昧をして、淫乱放蕩で、キリスト教徒の迫害・・と悪名高い皇帝です。(第5代皇帝)
    実はネロとポンペイは密接な関係がありました。

    ポンペイは古代ローマのインフラが整備された都市、商業なども盛んな港湾都市、そして快楽の都市、というイメージがあります。
    ただ59年には円形闘技場でヌケリア人の乱闘騒ぎがあり、そのためにネロは10年間は闘技場を閉鎖してました。

    そしてそのネロですが、暴君ネロとは言われたものの、治世の当初5年は善政を行っていました。
    また彼の正妻は、オクタウィアですが、彼の後の妻、ポッパエアの故郷はポンペイでした。

    そして乱闘騒ぎの後、62年には、大きな地震が起きてしまいました。これでポンペイは壊滅状態になってしまいました。

    そしてその復興の努力の甲斐もあって、活気を取り戻しつつあった頃、ネロは68年国家の敵として自死しました。
    そしてその後の内戦・・・・。
    ヴェスヴィオ火山の噴火は、ポンペイが再生しようとした矢先の事だったのです。

    (写真:wikipedia)
    (参考文献:ポンペイ 今も息づく古代都市  アレックス・バタワース+レイ・ローレンス)

  • The distinction between past,present and future is only an illusion,<br />however persistent.<br />Albert Einstein<br /><br />過去・現在そして未来の間の区別は、単なる幻想にすぎない<br />たとえ、その幻想が非常に強いものであったとしても。<br />アルバート・アインシュタイン

    The distinction between past,present and future is only an illusion,
    however persistent.
    Albert Einstein

    過去・現在そして未来の間の区別は、単なる幻想にすぎない
    たとえ、その幻想が非常に強いものであったとしても。
    アルバート・アインシュタイン

  • Destruction of Pompeii and Herculaneum<br /><br />John Martin(ジョン・マーティン)<br />ポンペイとエルコラーノの壊滅(復元版)<br /><br />wikipediaより<br /><br />Time present and time past are both perhaps present in time future?<br />and time future contained in time past.<br />T.S.Eliot<br /><br />現在の時、過去の時は、おそらく共に、未来の時の中に存在し、未来の時はまた<br />過去の時の中にある。<br />T.S.エリオット

    Destruction of Pompeii and Herculaneum

    John Martin(ジョン・マーティン)
    ポンペイとエルコラーノの壊滅(復元版)

    wikipediaより

    Time present and time past are both perhaps present in time future?
    and time future contained in time past.
    T.S.Eliot

    現在の時、過去の時は、おそらく共に、未来の時の中に存在し、未来の時はまた
    過去の時の中にある。
    T.S.エリオット

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この旅行記へのコメント (6)

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  • Masakatsu Yoshidaさん 2021/06/07 22:39:02
    是非一度はポンペイの遺跡を見てみたいですね!
    noelさんへ:私も是非一度はポンペイに行ってみたいと思っています。当面は、残念ながらコロナ禍で海外へ出かけることはできませんが。-吉田

    noel

    noelさん からの返信 2021/06/08 06:19:15
    Re: 是非一度はポンペイの遺跡を見てみたいですね!
    Masakatsu Yoshidaさん、おはようございます。

    旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
    ポンペイは埋もれていた古代ローマの足跡を辿ることができて、私も以前から行きたい場所でした。
    どうぞ、コロナ後の楽しみになさってください。
    今後とも、よろしくお願いいたします。

    noel
  • pedaruさん 2020/09/20 20:00:54
    ポンペイ
    noelさん こんばんは

    リスボンの旅行記に、詳しい解説に驚いたと書き込みさせていただきましたが、今回のポンペイは更にそれを上回る詳細な解説で、またまた驚いております。

    私も2017年に憧れていたポンペイを訪れましたが、途中で集中力がなくなり、つまり
    遺跡に疲れてしまって全部を回れませんでした。
    旅行記は頑張って書いてみたもののnoelさんの足元にも及ばない内容になっております。
    単なるガイドブックやウィキペディアだけではポンペイは語れませんね。

    お時間があったら恥ずかしながら私めの旅行記もご覧ください。
    https://4travel.jp/travelogue/11417649

    pedaru

    noel

    noelさん からの返信 2020/09/23 21:07:56
    RE: ポンペイ
    pedaruさん、こんばんは

    いつもありがとうございます。
    お返事が遅くなってすみません。

    > リスボンの旅行記に、詳しい解説に驚いたと書き込みさせていただきましたが、今回のポンペイは更にそれを上回る詳細な解説で、またまた驚いております。

    いえいえ、そんなことないですよ。
    たまたまポンペイの特集番組を見たのと、他は本からの情報です。
    私よりもpedaruさんの方が凄いです。
    かなりしっかり御覧になったんですね。
    私などツアーでザザッと大まかにしか観てませんので、羨ましく思いました。

    > 私も2017年に憧れていたポンペイを訪れましたが、途中で集中力がなくなり、つまり
    > 遺跡に疲れてしまって全部を回れませんでした。

    でも、あれだけ見れば凄いと思います。
    確かに疲れてしまうぐらいご覧になってますね!
    私としては羨ましいです。
    しかも、その分しっかり解説もあって、私の旅行記など本当に拙い物です。

    今度ポンペイに行く機会があったら、pedaruさんのように、しっかり隈なく見たいと思います。
    その時は参考にさせていただきますね。

    では、どうぞお気をつけてお過ごしください。
    ありがとうございました。

    noel


  • zunzunさん 2014/11/19 22:11:34
    ポンペイ♪
    noelさん、こんばんは〜☆

    同じ時期に南イタリアへ行ってました。
    ポンペイは前に行った事があるので、今回は外しましたので
    前に行った時の事を思い出しながら読ませていただきました。

    ポンペイ、

    この状態で残っている事がまず驚きですよね。
    灰に埋まっていたので残っていたわけですが・・・

    水飲み場があったり、排水溝が完備していたり・・・
    びっくりする事の連続ですよね。

    お手洗いが社交場ってのも面白いですよね。

    我家も青の洞窟は入れませんでしたよ><

    次回、いつかリベンジって思っています^^


    zun

    noel

    noelさん からの返信 2014/11/21 23:22:35
    RE: ポンペイ♪
    zunzunさん、こんばんは!

    私の旅行記を、ご覧になっていただき、そして投票までしていただき、
    ありがとうございます。

    本当に同じ時期に、南イタリアにいらしていたんですね〜。

    そして青の洞窟に入れなかったことまで、同じとは・・・(笑)。
    私は船に弱いので、陸に上がったあとも、気持ち悪かったです。

    ポンペイにも以前、行かれていたんですね。

    イタリアは、見所がいっぱいですので、何度でも行きたいですよね。

    zunzunさんは、私の行っていない所にも、いらしていたようで、
    旅行記を拝見していて、羨ましく思いました。

    今後ともよろしくお願いします!


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