2012/11/16 - 2012/11/23
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かつてのアケメネス朝ペルシャ帝国の都、ペルセポリス遺跡紹介が続きます。紀元前520頃からダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設を始めた宮殿群です。紀元前331年にアレキサンダー大王により征服、破壊されました。ペルセポリスの名が知られたのは、古代ギリシアの歴史家クレイタルコスの著した『アレクサンドロス伝』によるとされます。既に、ペルセポリスが破壊されたあとの著述です。名前の由来は、『ペルシャの都』と、『都市を破壊する』をかけた、言葉遊びが語源とする説があります。(ウィキペディア)
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イチオシ
素晴らしい保存状態で出土した、ペルシャ神話の伝説の鳥、ホマーの石像です。ペルシャのフェニックス(不死鳥)とも呼ばれています。鷲の翼と上半身、ライオンの下半身を持つ伝説上の生物で、グリフィンとも呼ばれます。(同上)
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こちらのホマーも、2千5百年を経たとは思えない素晴らしい保存状態でした。現地ガイドさんにお聞きしたところ、長い年月、乾いた砂に埋もれていたのが幸いしたとの説明でした。一見、レプリカと勘違いするような姿でした。(同上)
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地上に放置されたままの石の遺物です。石柱の一部分だったように見受けられます。表面に波目の文様がない柱でした。(同上)
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有翼人面牡牛像が彫刻された、クセルクセス門の東門の入口光景です。顔面の損傷は、偶像を否定するイスラム教徒による破壊と考えられています。(同上)
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ペルセポリス遺跡は、紀元前331年にアレキサンダー大王により征服され、破壊されました。ペルセポリスの名が知られたのは、古代ギリシャの歴史家クレイタルコスの著した『アレクサンドロス伝』によるとされます。既に、ペルセポリスが破壊されたあとの著述です。名前の由来は、『ペルシャの都』と、『都市を破壊する』をかけた、言葉遊びが語源とする説があります。(同上)
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牛の頭部像のようです。アパダナ(謁見の間)の石柱の柱頭を飾っていた像かもしれません。保存状態の良い、双頭の牛像も出土しています。(同上)
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部分的には、柱とその基礎部分などが組み立てられていますが、全体像は想像がつかない遺跡の光景です。(同上)
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同じく、全体像は想像がつかない遺跡の光景です。その背後には宝庫の低い屋根と裏山が見える場所です。(同上)
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『昨日のペルセポリス、今日のペルセポリス』のタイトルがあった説明パネルです。残された遺物が組立てられ、遺跡の再建される様子が、写真で紹介されていました。(同上)
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再建の模様が写真紹介されていた『未完の門』の光景です。入口左右に馬か牛らしい像が置かれています。(同上)
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現在も遺跡の復元作業が進められているペルセポリスの光景です。紀元前331年、アレキサンダー大王が破壊した当時からは2500年が経過しました。(同上)
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同じく、再建の模様が写真紹介されていた『未完の門』の側面光景です。先ほどの説明パネルに、『Unfinished Gate(未完の門)』と表示されていました。(同上)
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同じく、遺跡の復元作業が進められているペルセポリスの光景です。アレキサンダー大王がペルセポリスに放火、破壊した理由は大雑把には、計画説と衝動説に分かれるようです。(同上)
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遺跡の復元作業が進められているペルセポリスの光景が続きます。アレキサンダー大王による計画的なペルセポリスの破壊説は、第二次ペルシャ戦争でギリシャ諸都市に齎した破壊と略奪の報復を理由とするものです。これにより陣営の結束を図り、更に東征進めたとする説などです。(同上)
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ペルセポリスの復元工事を担当されているスタッフの方達のようでした。打合せをしながら歩いている姿に見えました。(同上)
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まだ整理が付かず、転がされたままの遺物の光景です。これからも今季強く修復作業を続ける必要がありそうです。(同上)
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イチオシ
『百人のレリーフ』と呼ばれる石碑の光景です。最上段の玉座に座る王を、帝国中から集まった臣民が担いでいる構図です。王の下の5段には、それぞれ10人、合計で50人が描かれていますから、これで半分の人数です。(同上)
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『百人のレリーフ』の上部のズームアップ光景です。予想した通り、王の顔が一番激しく損壊されていました。確認はできていませんが、紀元前520年にペルセポリスの建設を次始めた、アケメネス朝ペルシャ第3代の王、ダレイオス一世像のようです。(同上)
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『百人のレリーフ』の中間部分のズームアップ光景です。各段の縁取りに刻まれているのは蓮の花、ロータスです。(同上)
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『百人のレリーフ』の最下部のズームアップ光景です。推測ですが、像の顔面が破壊された時には、最下段は砂に埋まっていたかもしれません。破壊の跡が少なく、表面の色も上部とは異なっていました。(同上)
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先に紹介した写真とは、別の角度から撮影した『百人のレリーフ』と呼ばれる石碑の光景です。(同上)
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こちらのレリーフの最上段にも、王が刻まれていました。先に紹介したレリーフの石碑と合わせて、100人の臣下となります。先に紹介したレリーフの王は右向きの顔でしたが、こちらは左向きの顔の王です。周りの構図はそっくりでした。(同上)
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左向きの王の顔が刻まれた『百人のレリーフ』の最上部のズームアップ光景です。王の前で香を嗅ぐことで敬意を表する、謁見の儀式が描かれています。(同上)
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先に紹介したレリーフと比べますと、損壊の度合いが大きかった石碑です。その中間部分のズームアップ光景です。確認し難い部分もありますが、1段に10人が描かれているようです。(同上)
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左向きの顔の王のレリーフがあった石碑の光景です。最初の撮影とは場所を代えての撮影です。大きく損傷した跡は、この石碑が倒されたためかも知れません。(同上)
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石壁にレリーフで残された、アケメネス朝ペルシャ帝国時代の人物像です。『百人のレリーフ』の中から、保存状態の良いものの紹介です。王の親衛隊とのネット情報もありました。(同上)
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イチオシ
更にズームアップした、『百人のレリーフ』の中の臣下と思われる像の光景です。アケメネス朝ペルシャの君主は、称号として『大王』や『諸王の王』と称しました。(同上)
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別の人物像です。更にズームアップした臣下の像です。アケメネス朝ペルシャの初代王はキュロス二世、ダレイオス一世治世の最盛期には、エーゲ海からインダス川におよぶ最大版図を統治したとされます。(同上)
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同じく、倒されて損傷したと思われる大きな傷跡があった石碑のレリーフ像のズームアップ光景です。写り込みで見難い写真となりましたが、黒光りがしている部分は、アクリル板が設置される前に、観光客が手で触って出来たもののようです。(同上)
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倒されて損傷したと思われる大きな傷跡があった石碑のレリーフ像のズームアップ光景です。危険防止のためか、下部は透明アクリル板で囲ってありました。(同上)
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