
2012/10/08 - 2012/10/08
46位(同エリア67件中)
アリヤンさん
ペルセポリス見学の最後のほうになると、お腹が空いてきた。
水は大量に持ってきたが、食料までは大量には持ってこなかった。
ハラが減ってはイクサは出来ぬ、で持っていた小さなサンドイッチとお菓子を食べて、しのいだ。
基本的に「ハナよりダンゴ」的性格をしているので、ワレワレはペルセポリスの最後のほうは流して、次のナグシェ・ロスタムという歴代の王様の墓場に移動した。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
いや~、お腹が空いてきました。
今日はお休みの博物館の前のベンチに座り込んでパートナーを待ちます。
パートナーはワタクシがアパダーナを見ている間にトイレに行っており、大分遅れて見学しているのです。
パートナーがやって来た。
彼女もまたお腹が空いてきました。 -
「ハラが減っては世界遺産を目の前にしても無力です」、世界遺産は食えませんから。
パートナーが作ってきたサンドイッチをワケワケして食べ、持って来ている僅かなお菓子を食べました。
これで少しは持ちそうです。
頑張って、今度は丘の上にデーンとある、クセルクセスの子孫のアルタクセルクセス2世のお墓の方へ、宝物殿を迂回して移動します。 -
再度各国からの使節団のレリーフをみながら移動します。
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このクセルクセス大王が建てた宝物殿は、かつては分厚い壁で覆われていたらしい。
当時、世界最高の宝物類がここに集められていた、という。
アレクサンダー大王が紀元前4世紀にペルセポリスを略奪した時、ここの宝物を運び出すのに3000頭のラクダとラバを使ったらしい。
それでもなお、2300年後に発見された時でも、かなりな宝物と楔形文字粘土板や壷、像などのかけらが収集された、という。 -
宝物殿の説明版。
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イチオシ
アルタクセルクセス2世のお墓のある丘まで頑張ってやって来ました。
振り返ると、眼下にペルセポリスが一望できます。 -
アルタクセルクセス2世の墓。
十字型に掘られた正面、中央上部にアフラ・マズダ神、その下に王様の輝かしい業績場面、その下では多くの人々がその御輿を支えている様子が刻み込まれています。
その十字型がキリスト教の十字架と関係があるのでは?と議論もされているらしい。
当時の宗教はゾロアスター教で、その最高神はアフラ・マズダです。
このレリーフで言えば、よく見えないが、真ん中上部に羽根を広げた上に立つ人物がそうらしい。 -
こんなやつです。
(ワタクシたちはこのレリーフを見落としていました。これはウィキペディアからのをお借りしました。m(*- -*)mス・スイマセーン) -
イチオシ
なんとバカでかい石のお墓なんでしょう!
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一番下には小さな入口があって、その中に遺体の入った石棺が置かれてあった様子です。
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墓の入口はこのように封鎖されています。
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浮き彫りの柱の上部の装飾は、双頭の馬。
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その巨大さ、、、
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岩山を削った彫刻。
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イチオシ
ペルセポリス全貌。
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まわりのカラカラの大地。
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百柱の間まで降りてきました。
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柱の基礎石ですが、どう見ても蓮華模様に見えます。
ガンダーラからの影響か? -
イチオシ
クセルクセスの門まで戻ってきました。
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イチオシ
双頭の鷲よ、
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クセルクセスの門よ、
さようなら。
お腹がまだ空いているので、急ぎます。
運転手のアリさんに、あとナグシェ・ロスタムを見たら、もうホテルに帰りたい、と伝えると、彼、喜びました。
予定より早く終えることが出来るので嬉しいのでしょう。 -
車を走らせるのが、一段と速くなりました。
あっと言う間に、ナグシェ・ロスタムに着いた。
また入場料5000リアルを支払って、丘の上の並んだお墓目指して坂を上ります。
久しぶりの訪問者のワレワレに驚いたのか?
緑色の物体がササッと動いた。
よく見ると、土漠によくいるトカゲでした。
クウェートの土漠でも、このようなトカゲはよく見ました。
生き物は居ないだろうと思われるカラカラ乾燥土漠でもこうした小動物は生きているものです。 -
さて、お墓です。
4つのお墓があって、右から、クセルクセス1世、ダリウス1世、アルタクセルクセス1世、ダリウス2世の墓と言われている。 -
これが右端だから、クセルクセス1世のお墓ですな。
たしか、ダリウス1世はアケメネス朝で最大の領域を勝ち得た人、クセルクセス1世はバビロン虜囚のユダヤ人を解放した人、だと思います。
その他は、どの人ももう一つピンと来ない。
(ゴメンナサイ、バビロン虜囚のユダヤ人解放は上記2者の先祖のキュロス大王でした)
「生兵法大怪我の元」になる前に、エラそうな解説は控えさせていただきます。
まあ、それにしても、山肌を削って大きなお墓を作っています。
ゾロアスター教は風葬だったので、この山の上にでも遺体を置いて、ハゲタカか鷲にでも食べさせて、残った骨を石棺にでも入れていたのか? -
ナグシェ・ロスタムのウンチク。
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ダリウス1世のお墓のレリーフ。
みなさん、同じようなレリーフです。 -
後の盗掘者の仕業か?
イスラム教徒の仕業か?
墓の下のレリーフがかなり削り取られている。 -
ダリウス1世の下のこのレリーフはかなり良い状態で残っています。
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そのはずです、このレリーフは紀元後3~4世紀のササン朝時代のもので、お墓より800年ほど若いのです。
ナルセ王(シャープール1世の長男)の「女神から冠リングを授与されている」図、とからしい。 -
ダリウス1世墓。
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これもダリウス大王墓下のレリーフで、ササン朝のもの。
戦いの様子だから、○○の戦いで勝った戦勝記念図でしょう。 -
その説明版。
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これはクセルクセス1世とダリウス1世の墓の間の下にあるササン朝シャープール1世の「騎馬戦勝記念図」。
馬に乗ってるのがシャープール1世で、腕を掴まれているのが、東ローマ帝国の皇帝とのこと。
つまりササン朝ペルシャは東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を押していたということです。
紀元後3世紀のことです。
日本ではまだ卑弥呼や大和朝廷神話時代です。 -
その説明版。
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かような石窟墳墓です。
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馬の前に膝まづいているのはもう一人のローマ皇帝らしい。
つまりペルシャ帝国が西洋を屈服させた、という図である。
古代では「西欧文明なんぼのもんジャ!!」というほど世界の中心はペルシャ帝国だったのです。
現代のイランが西欧米に対して抵抗しているワケが分かるような気がします。 -
一番左のダリウス2世の墓。
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その対面にある箱型の屋形。
これはゾロアスター教の神殿。
アケメネス朝時代に建設されたもので、この箱の中に聖火がともされていたものと思われる。
ゾロアスター教は紀元前1千年記に出現した人類最古の宗教とも言われている、火を祀る宗教=拝火教。
その始まりは現在のアフガニスタン北部あたりのバルフだと言われています。
現在では、草木も生えぬ土漠山岳地帯に人類最古の宗教が生まれた?
どうなってるのでしょうネ。 -
その説明版。
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もう限界です。
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ハラが減って、ヘロヘロになっても記念撮影です。
顔もヘロヘロになっていたので、ケロケロに代わってもらいました。 -
入場券。
運ちゃんのアリはワタクシたちがハラがヘリヘリ状態を知ってか?早く仕事が終わって嬉しいのか?
帰りはガンガン飛ばして、たったの30分でホテルに帰着。 -
降りるや否や、近所の大流行りのシャワルマ屋(110というマークが付いていた)に駆け込み、チキンとビーフのシャワルマ・セットにサラダたっぷり入れてもらって、テークアウト。
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ホテルの部屋で2人でがっついたのは、言うまでもありませんでした。
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