2012/11/16 - 2012/11/23
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旅人のくまさんさん
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昨晩到着した、ヤズドのホテルの紹介です。この日の午前中はヤズド市内の見学、午後からはイスファハンへの移動でした。ヤズドは、ゾロアスター教の中心地として知られ、1500年以上聖火を灯し続けている拝火神殿があります。(ウィキペディア)
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ヤズドで泊まったホテルの自室の紹介です。ヤズドは、イラン高原があるイランの中央部に位置する、ヤズド州の州都です。イランにおいて古い歴史をもつ都市の一つです。静かな夜を過ごすことができました。ゾロアスター教文化の中心地でもあります。(同上)
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自室の内側から眺めた、出入口ち小平方面の光景です。やはり、イランでは非常口表示の義務付けはないらしく、その貼紙はありませんでした。昨日は夜も朝もモスクからの放送が大きく聞こえましたが、こちらでは聞こえなかった記憶です。(同上)
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二重カーテンになっていた窓際の光景です。薄いカーテン越しに朝の光が射し込んでいました。左手に見えるように、薄型のテレビも部屋に常備されていました。爽やかな一日の始まりになりそうです。(同上)
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昨晩も紹介した洗面室の光景です。清掃も行き届いていましたし、アメニティ類も揃っていました。何より感心したのは、その脇に置かれた花飾りです。シャワーのお湯の出も、問題ありませんでした。(同上)
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使うことはありませんでしたが、アメニティ類を紹介しておきます。品数よりも、花などを添えた心遣いに感心させられました。古都のホテルとしての余裕というか、心意気と言ったところです。(同上)
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イチオシ
昨晩は、明かりが灯ったホテルの玄関先の光景などを紹介しましたが、一夜明けて眺めたホテルの光景は、まったく違ったイメージの建物でした。色彩を抑えた、古都に相応しい建物です。キャラバンサライを連想してしまいました。ヤズド市内で唯一の五つ星ホテルのホテル・サファイエです。(同上)
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昨晩は、照明の中でぼんやりと見えていた、庭木のフェニックスらしい樹木の光景です。フェニックスの詳しい種類は知りませんが、日本でも見かけるカナリー椰子とも呼ばれる、フェニックス・カナリエンシスに似た姿でした。カナリア諸島原産のヤシ科ナツメヤシ属の常緑高木です。(同上)
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イチオシ
最初に見学にやって来たのは、『沈黙の塔』と呼ばれる鳥葬跡の施設です。一定の高さを持った山の頂に円形に壁が廻らされていました。麓の施設の見学の後、この山に登って見学しました。(同上)
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『沈黙の塔』の麓に残る、かつての譲許跡のようです。ここで、拝火教とも呼ばれるゾロアすター教について説明しておきます。『ケン教(けんきょう)』の呼び名もあります。麓の建物は、日干しレンガを使っているようでした。(同上)
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二本の塔に挟まれた、急傾斜を持った半円形の塔の光景です。再建された施設のようでしたが、一般民家ではなく、ゾロアスター教に関わりがありそうな雰囲気がありました。ゾロアスター教は、古代ペルシャ発祥の宗教です。聖典は『アヴェスター』です。日本にも、仏教以前に斉明天皇時代頃に渡来したとする説があります。(同上)
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イラン高原に住んでいた古代アーリア人は、ミスラやヴァーユなど様々な神を信仰する多神教(原イラン多神教)を信仰していたようです。この『原イラン多神教』を基に、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)が、アフラ・マズダーを信仰対象として創設したのがゾロアスター教のルーツとされます。有翼光輪を背景にしたアフラ・マズダーが最高神です。(同上)
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この旅行記を書きながら、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき(作品30)』をCDで聴きましたが、序奏だけでも、その不思議な感覚が味わえます。全曲盤はズビン・メータ指揮のニューヨークフィル、序奏だけは、サー・チャールズ・マッケラス指揮の英国ロイヤル・フィルで繰り返し聴きました。ズビン・メータは、インドのムンバイ出身のゾロアスター教徒のようです。(同上)
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リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した、交響詩の『ツァラトゥストラはかく語りき(作品30)』は、映画『2001年宇宙の旅』冒頭でも使われるなど、有名な序奏ですから、話が少し逸れますが、もう少し説明を続けます。フリードリヒ・ニーチェの同名の著作にインスピレーションを得て作曲されましたが、原作の思想を具体的に表現したものではないと解釈されています。(同上)
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麓の建物の中から眺めた『沈黙の塔』の光景です。交響詩の『ツァラトゥストラはかく語りき(作品30)』は、1896年11月27日のフランクフルトでの初演当初から、賛否が分かれました。作家ロマン・ロランや指揮者アルトゥル・ニキシュは好意的だったとされます。 日本初演は1934年10月30日、奏楽堂でクラウス・プリングスハイム指揮、東京音楽学校の管弦楽団によって行われました。(同上)
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同じく、別の建物の中から眺めた『沈黙の塔』の光景です。ツァラトゥストラ交響詩全体は9部からなり、切れ目なしに演奏されます。基本的には自由な形式とされますが、主題の対立や展開、再現などの図式を含み、ソナタ形式の名残を持つ曲です。演奏時間は約33分です。因みにリヒャルト・シュトラウスは、ワルツ王のヨハン・シュトラウス一族との血の繋がりはないとされます。(同上)
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見学できる建物が何箇所もありましたから、今度は少しだけ建物が見える平原の光景です。ゾロアスター教の話しに戻ります。紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシア成立時、既に王家と王国の中枢をなすペルシャ人のほとんどが信奉する宗教だったとも言われています。これに対し、3世紀のサーサーン朝成立まで、長らくアーリア人の諸宗教の一派に過ぎなかったとする見解もあります。(同上)
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21世紀初頭のゾロアスター研究では、古代アーリア人の諸宗教を記述することでアーリア人の民族宗教研究に奥行きを持たせようとしているようです。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝パルティア(紀元前247~紀元224年)でもヘレニズムの影響を強く受けつつ、アーリア人の信仰は守られました。教義のアーリア人は、諸民族に分裂する以前のイランのアーリア人を指します。(同上)
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一方、広義のアーリア人は、現存の末裔民族も含む概念で、インド・アーリア人、狭義のアーリア人、ペルシア人、パシュトゥーン人、タジク人、北インド諸民族を指します。更に、アーリアン学説におけるアーリア人種は『最広義のアーリア人』と呼ばれ、インド・ヨーロッパ祖語を話していた民族と、その子孫です。写真は、古い落書きが一杯あった遺跡の光景です。(同上)
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写真は、麓に残る遺跡の室内と天井光景です。アーリア人の話しに戻りますが、現在もペルシャ人は自らをアーリア人であると自認する者が多いとされます。最広義のアーリア人(種)は、後にオカルティズムやナチズムと結びつき、人種差別や優生学を生み出しました。しかしナチズムが想定していたような、ドイツ国民こそ最も純粋なアーリア人とする見解は、現在では疑似科学と判断されています。(同上)
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いよいよ、『沈黙の塔』に登っての見学です。次第に円形の壁が大きく見えてきました。ゾロアスター教の信者は死後、鳥葬されるのがしきたりでした。鳥葬とは、遺体を鳥に啄ばませる処理・葬儀の方法です。火は信仰の対象であり、また土(大地)や水も自然崇拝の観点から神聖な物として扱われています。それらを不浄な人間の遺体で汚してはいけないと考えて、鳥葬や風葬を行っていました。(同上)
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写真は、頂上付近から見下ろした麓の光景です。先ほど見学した干煉瓦で作ったらしい建物群が見えていました。ゾロアスター教の教義の最大の特色は、善悪二元論と終末論です。世界は至高神アフラ・マズダー率いるスプンタ・マンユと悪の霊アンラ・マンユ、およびそれに率いられる善神群(アムシャ・スプンタ)と大魔王アンラ・マンユ(アフリマン)および悪神群の両勢力が互いに争う場と教えます。(同上)
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目前に見えてきた『沈黙の塔』の頂上光景です。ゾロアスター教の終末論の紹介です。ゾロアスター教の歴史観では、宇宙の始まりから終わりまでの期間は1万2000年とされ、3000年ずつ四つに区切られ、『(霊的+物質的)創造:ブンダヒシュン』、『混合:グメーズィシュン』、『分離:ウィザーリシュン』の3期に分けられ、現在は『混合の時代』と教えます。(同上)
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頂上付近から眺めた、ヤズドの街並みのズームアップ光景です。ゾロアスター教の終末論の紹介の続きです。アフラ・マズダーによる『創造』によって始まった『創造の時代』は、完璧な世界でしたが、大魔王のアンラ・マンユの攻撃後は『混合の時代』に入り、善悪が入り混じって互いに闘争する時代になり、全人類は人生においてこの戦いに否応なく参加することになると教えます。(同上)
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頂上付近から眺めた、麓の建物群のズームアップ光景です。アフラ・マズダーや補佐する善神のアムシャ・スプンタを崇拝して悪徳を自らの中から追い出し、善が勝つよう神々とともに悪に打ち克つ努力を教えます。死後、楽土へ向かう『チンワト橋:選別者の橋』でミスラの審判を受けて善行を積んできた者は、自分自身の意識が形となった美しい少女ダエーナーに導かれて楽土(天国)へ渡ると教えます。(同上)
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こちらは、登った『沈黙の塔』の隣にあった山の光景です。同じような『沈黙の塔』が設けられているようでした。悪を選んだ者はチンワト橋から落ちて地獄に向かい、そして将来的には『治癒:フラショー・クルティ、フラシェギルド』と呼ばれる善の勝利と歴史の終末が起こり、それ以後は『分離の時代』になり、永遠に続くと教えます。(同上)
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頂上の『沈黙の塔』まであと少しの場所から見上げた光景です。ゾロアスター教では、善神群と悪神たちとの闘争後、最後の審判で善の勢力が勝利すると考えられています。その後、新しい理想世界への転生が説かれます。そして、そのなかで人は、生涯において善思・善語・善行の三つの徳(三徳)の実践を求められると、教えます。(同上)
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沈黙の塔の内部光景です。その中央に鳥葬の孔が設けられていました。人はその実践に応じて、臨終に裁きを受けて、死後は天国か地獄のいずれかへ旅立つと信じられました。世界の終末には『最後の審判』がなされます。そこでは、死者も生者も改めて選別され、すべての悪が滅したのちの新世界で、最後の救世主によって永遠の生命を与えられルと教えます。(同上)
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イチオシ
割れた容器などが散らばった、拝火教の儀式に則った、鳥葬に使われた丸い穴の光景です。現地ガイドさんの説明によれば、鳥が啄ばみ易いよう、骨を小分けにするようですが、その数も決められていたようです。もちろん、現在は行われていない葬送儀礼です。(同上)
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写真は、『沈黙の塔』付近から見下ろした麓の光景です。広大な土地は、畑地や住宅地としては利用されていないようですから、遺跡として管理されている場所のようです。ゾロアスター教の教義や儀式、呪文などは、口伝により受け継がれて来ました。しかし、キリスト教や仏教、マニ教などの明確な経典を有した宗教が台頭してきますと、ゾロアスター教は衰退を始めました。(同上)
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同じく、『沈黙の塔』付近から見下ろした麓の光景です。それに対応するために経典を作り、失われていた教義などを収集・編纂し始めました。3世紀に入ってからの試みでした。ユダヤ教の旧約聖書やキリスト教の新約聖書の確立に比べて、数百年の遅れての試みでした。(同上)
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