嵐山・嵯峨野・太秦・桂旅行記(ブログ) 一覧に戻る
京都の世界文化遺産の一つ、天龍寺紹介の締め括りです。足利将軍家と桓武天皇所縁の禅寺として、京都五山の第一位とされてきたお寺です。開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石です。

2009秋、紅葉の天竜寺(6/6):平和観音、多宝殿、曹源池、山茶花、清澄白山菊、紫式部

13いいね!

2009/11/29 - 2009/11/29

2041位(同エリア4469件中)

旅行記グループ 2009秋、京都散策(その1)

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

京都の世界文化遺産の一つ、天龍寺紹介の締め括りです。足利将軍家と桓武天皇所縁の禅寺として、京都五山の第一位とされてきたお寺です。開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石です。

交通手段
高速・路線バス 新幹線

PR

  • 天龍寺庭園の紹介の締め括りです。目の前に広がる紅葉の景色には、褒め言葉を忘れるくらい圧倒されました。

    天龍寺庭園の紹介の締め括りです。目の前に広がる紅葉の景色には、褒め言葉を忘れるくらい圧倒されました。

  • 同じ紅葉の樹でも、見る場所により、様々に色の変化がありました。光を吸い込んで深く落ち着いた赤い色や、この場所のように葉裏から透かして眺める、明るい紅葉の色合いもありました。

    同じ紅葉の樹でも、見る場所により、様々に色の変化がありました。光を吸い込んで深く落ち着いた赤い色や、この場所のように葉裏から透かして眺める、明るい紅葉の色合いもありました。

  • 池の端に吹き寄せられた、楓の落葉の光景です。紅葉の落ち葉の中に、黄葉も交じっていました。精一杯に秋を彩り、後を託して落ちた葉のようにも見えました。

    イチオシ

    池の端に吹き寄せられた、楓の落葉の光景です。紅葉の落ち葉の中に、黄葉も交じっていました。精一杯に秋を彩り、後を託して落ちた葉のようにも見えました。

  • 『平和観音と愛の泉』のタイトルがあった立看板です。夢窓国師とその母の観音菩薩に纏わるエピソードなどが紹介されていました。観音像は、その昔中国より伝来したものとされます。

    『平和観音と愛の泉』のタイトルがあった立看板です。夢窓国師とその母の観音菩薩に纏わるエピソードなどが紹介されていました。観音像は、その昔中国より伝来したものとされます。

  • 『愛の泉』と題された、昭和48年(1973年)8月に建立された五言絶句の漢詩碑です。『掬水撞在手 愛花香満衣 観音大士境 鳥啼喧騒稀』の漢詩が刻まれていました。落款は、『天龍牧翁』らしい文字でした。本名は『関牧翁(1901〜1991年)』は、臨済宗天龍寺派管長で、天龍寺241世だった高僧です。

    『愛の泉』と題された、昭和48年(1973年)8月に建立された五言絶句の漢詩碑です。『掬水撞在手 愛花香満衣 観音大士境 鳥啼喧騒稀』の漢詩が刻まれていました。落款は、『天龍牧翁』らしい文字でした。本名は『関牧翁(1901〜1991年)』は、臨済宗天龍寺派管長で、天龍寺241世だった高僧です。

  • 右手に蓮を持った、白くてすらりとした姿態の像です。『平和観音像』です。木製のように見えましたが、別の材質の像かも知れません。

    右手に蓮を持った、白くてすらりとした姿態の像です。『平和観音像』です。木製のように見えましたが、別の材質の像かも知れません。

  • 『平和観音と愛の泉』のタイトルがあった立看板近くでの撮影です。紅葉の楓の先に黄葉か褐葉か分からない彩りの樹がありました。

    『平和観音と愛の泉』のタイトルがあった立看板近くでの撮影です。紅葉の楓の先に黄葉か褐葉か分からない彩りの樹がありました。

  • 秋の景色と月見には欠かせない、枯れ尾花の光景です。枯れた『ススキ(薄、芒)』の穂のことです。イネ科ススキ属の植物です。引き立て役の赤い椿か山茶花の花が彩りを添えてくれました。

    秋の景色と月見には欠かせない、枯れ尾花の光景です。枯れた『ススキ(薄、芒)』の穂のことです。イネ科ススキ属の植物です。引き立て役の赤い椿か山茶花の花が彩りを添えてくれました。

  • 石灯篭と紅葉の楓の光景です。紅葉の背後には、黄葉の光景がありました。黄葉というより、褐葉に近い色でした。

    石灯篭と紅葉の楓の光景です。紅葉の背後には、黄葉の光景がありました。黄葉というより、褐葉に近い色でした。

  • 同じく、少し場所を替えて撮影した、石灯篭の頭と紅葉の楓の光景です。石灯篭の火袋には、三日月の窓が見えました。

    同じく、少し場所を替えて撮影した、石灯篭の頭と紅葉の楓の光景です。石灯篭の火袋には、三日月の窓が見えました。

  • 少し離れた場所からも、『平和観音と愛の泉』の観音像を撮影できないか、試してみましたが、ポイントが外れた写真になってしまいました。

    少し離れた場所からも、『平和観音と愛の泉』の観音像を撮影できないか、試してみましたが、ポイントが外れた写真になってしまいました。

  • 境内を流れる疎水と、その先に見えていた石灯篭の光景です。この一角は、自然をそのまま生かした作庭のように見えました。

    境内を流れる疎水と、その先に見えていた石灯篭の光景です。この一角は、自然をそのまま生かした作庭のように見えました。

  • 疎水の先に見えていた石灯篭のズームアップ光景です。散策路らしいものが見当たりませんでしたから、近くまで、分け入ることはできないようでした。

    疎水の先に見えていた石灯篭のズームアップ光景です。散策路らしいものが見当たりませんでしたから、近くまで、分け入ることはできないようでした。

  • 『後醍醐天皇聖廟多宝殿』のタイトルがあった立看板です。後嵯峨天皇と亀山天皇が離宮を造成し、後醍醐天皇が勉学し、成人された場所との紹介がされていました。

    『後醍醐天皇聖廟多宝殿』のタイトルがあった立看板です。後嵯峨天皇と亀山天皇が離宮を造成し、後醍醐天皇が勉学し、成人された場所との紹介がされていました。

  • 薄いピンク色の山茶花らしい花の光景です。蕾の時は少し色が濃く、開くと薄い色になるようでした。

    薄いピンク色の山茶花らしい花の光景です。蕾の時は少し色が濃く、開くと薄い色になるようでした。

  • 奥行きもあった真っ赤な楓の紅葉です。緋が射した部分と、日陰の部分では、同じ赤色でも色合いが異なっていました。

    奥行きもあった真っ赤な楓の紅葉です。緋が射した部分と、日陰の部分では、同じ赤色でも色合いが異なっていました。

  • 『天龍寺十境・史跡特別名勝・曹源池』のタイトルがあった立看板です。天龍寺開山の夢窓国師(1275〜1351年)による作庭であることなどが紹介されていました。

    『天龍寺十境・史跡特別名勝・曹源池』のタイトルがあった立看板です。天龍寺開山の夢窓国師(1275〜1351年)による作庭であることなどが紹介されていました。

  • 天龍寺の堂宇と、その周りの庭園の光景です。『天龍寺十境』の『曹源池庭園』の周りだけに、大勢の見学客で溢れていました。

    天龍寺の堂宇と、その周りの庭園の光景です。『天龍寺十境』の『曹源池庭園』の周りだけに、大勢の見学客で溢れていました。

  • 周りの景色を、鏡のような面に映していた『曹源池』の光景です。庭園が造られてから、既に680年近くが経っています。

    イチオシ

    周りの景色を、鏡のような面に映していた『曹源池』の光景です。庭園が造られてから、既に680年近くが経っています。

  • 先ほど紹介した、『天龍寺十境』のことです。天龍寺の開祖・夢窓国師が定めた境内の美観十景です。この一覧を見ますと、全盛時の天龍寺は、嵐山全体が境内という壮大なものであったことが想定されます。<br />?普明閣(天龍寺の旧山門)<br />②絶唱谿(大堰川の清流)<br />③霊庇廟(夢窓国師の発願により増築改修)<br />④曹源池(方丈の林泉)<br />⑤拈華嶺(嵐山の絶景)<br />⑥渡月橋(かつては、もう少し上流)<br />⑦三級巌(嵐山の音無瀬の滝)<br />⑧万松洞(かつての松林)<br />⑨龍門亭(嵐山を望む茶庭)<br />⑩亀頂塔(亀山山頂の九重塔)<br />

    先ほど紹介した、『天龍寺十境』のことです。天龍寺の開祖・夢窓国師が定めた境内の美観十景です。この一覧を見ますと、全盛時の天龍寺は、嵐山全体が境内という壮大なものであったことが想定されます。
    ?普明閣(天龍寺の旧山門)
    ②絶唱谿(大堰川の清流)
    ③霊庇廟(夢窓国師の発願により増築改修)
    ④曹源池(方丈の林泉)
    ⑤拈華嶺(嵐山の絶景)
    ⑥渡月橋(かつては、もう少し上流)
    ⑦三級巌(嵐山の音無瀬の滝)
    ⑧万松洞(かつての松林)
    ⑨龍門亭(嵐山を望む茶庭)
    ⑩亀頂塔(亀山山頂の九重塔)

  • 時間が許すなら、私も暫くは方丈から眺めていたい庭園の光景でした。夢窓国師は、この庭園を始め、同じく、国の特別名勝の西芳寺庭園(京都市西京区)、国の名勝の永保寺庭園(岐阜県多治見市)、国の名勝の瑞泉寺庭園(神奈川県鎌倉市)や、国の名勝の恵林寺庭園(山梨県甲州市)などを各地に残しています。

    時間が許すなら、私も暫くは方丈から眺めていたい庭園の光景でした。夢窓国師は、この庭園を始め、同じく、国の特別名勝の西芳寺庭園(京都市西京区)、国の名勝の永保寺庭園(岐阜県多治見市)、国の名勝の瑞泉寺庭園(神奈川県鎌倉市)や、国の名勝の恵林寺庭園(山梨県甲州市)などを各地に残しています。

  • 見事に紅葉した『カエデ(楓)』の樹のズームアップ光景です。赤い花よりさらに赤いように感じる色です。

    見事に紅葉した『カエデ(楓)』の樹のズームアップ光景です。赤い花よりさらに赤いように感じる色です。

  • 同じく、見事に紅葉した『カエデ(楓)』の樹の光景です。海外にも黄葉が綺麗な場所は数々ありますが、紅葉の素晴らしさは、日本が一番かも知れません。

    同じく、見事に紅葉した『カエデ(楓)』の樹の光景です。海外にも黄葉が綺麗な場所は数々ありますが、紅葉の素晴らしさは、日本が一番かも知れません。

  • 縁側や椅子に腰かけて、ゆっくりと名庭を鑑賞する人達です。夢窓国師作庭の『曹源池庭園』は、回遊式庭園としては最古の遺構とされます。夢窓国師の本名は、『夢窓疎石(むそう・そせき)』、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。7度に亘り国師号を歴代天皇から賜与された高僧です。

    縁側や椅子に腰かけて、ゆっくりと名庭を鑑賞する人達です。夢窓国師作庭の『曹源池庭園』は、回遊式庭園としては最古の遺構とされます。夢窓国師の本名は、『夢窓疎石(むそう・そせき)』、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。7度に亘り国師号を歴代天皇から賜与された高僧です。

  • 夢窓国師により、1331年に作庭された『曹源池』の周りの光景です。愛宕山、小倉山、亀山と嵐山を借景とした、池泉回遊式の庭園です。

    イチオシ

    夢窓国師により、1331年に作庭された『曹源池』の周りの光景です。愛宕山、小倉山、亀山と嵐山を借景とした、池泉回遊式の庭園です。

  • 笹の間から茎を伸ばし、気品のある薄紫の花を咲かせていた草花の光景です。茎の色は濃い色をしていました。

    笹の間から茎を伸ばし、気品のある薄紫の花を咲かせていた草花の光景です。茎の色は濃い色をしていました。

  • 気品のある薄紫の花を咲かせていた草花のズームアップ光景です。城っぽい花も交じって咲いていました。

    気品のある薄紫の花を咲かせていた草花のズームアップ光景です。城っぽい花も交じって咲いていました。

  • キク科の植物であることは直ぐに分かりましたが、個体名では別の花の名前がいくつか思い浮かびました。幸い苦労せずに正しい名前が分かりました。名札には、『清澄白山菊(きよすみしろやまぎく)』の名前がありました。市場では、山野草として取扱われているようです。

    キク科の植物であることは直ぐに分かりましたが、個体名では別の花の名前がいくつか思い浮かびました。幸い苦労せずに正しい名前が分かりました。名札には、『清澄白山菊(きよすみしろやまぎく)』の名前がありました。市場では、山野草として取扱われているようです。

  • 紅葉より、黄葉に近いモミジの光景です。その黄葉の葉が、少し疎らな苔の上に散り敷いていました。

    紅葉より、黄葉に近いモミジの光景です。その黄葉の葉が、少し疎らな苔の上に散り敷いていました。

  • 天竜寺の庭園散策の締め括りは、古都・京都に相応しい名前を持つ『ムラサキシキブ(紫式部)』の実です。『ミムラサキ(実紫)』の呼び名もありますが、『紫式部』の呼び名が広く使われています。

    天竜寺の庭園散策の締め括りは、古都・京都に相応しい名前を持つ『ムラサキシキブ(紫式部)』の実です。『ミムラサキ(実紫)』の呼び名もありますが、『紫式部』の呼び名が広く使われています。

この旅行記のタグ

関連タグ

13いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2009秋、京都散策(その1)

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP