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西本願寺と隣接する興正寺本山です。かつて、西本願寺の脇門跡でしたが、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となりました。阿弥陀如来をご本尊とする浄土真宗のお寺です。

2009秋、本山・興正寺(1/2):三門、築地塀、御影堂、西本願寺の飛雲閣光景

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2009/11/08 - 2009/11/08

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旅行記グループ 2009秋、京都散策(その1)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

西本願寺と隣接する興正寺本山です。かつて、西本願寺の脇門跡でしたが、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となりました。阿弥陀如来をご本尊とする浄土真宗のお寺です。

交通手段
新幹線
  • 西本願寺(竜谷山・本願寺)の南に隣接する本山・興正寺の三門光景です。山号は円頓山(えんとんざん)、浄土真宗のお寺です。『三門(さんもん)は、元来は門の形式で、中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたものです。寺院の仏殿前の門を、形式に関わらず『三門』と呼びますが、『三解脱門』や『山門』の呼び方もあります。

    イチオシ

    西本願寺(竜谷山・本願寺)の南に隣接する本山・興正寺の三門光景です。山号は円頓山(えんとんざん)、浄土真宗のお寺です。『三門(さんもん)は、元来は門の形式で、中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたものです。寺院の仏殿前の門を、形式に関わらず『三門』と呼びますが、『三解脱門』や『山門』の呼び方もあります。

  • 本山・興正寺の外塀の光景です。泊千五本の格式高い築地塀です。その脇の庭木の光景です。浄土真宗には、真宗十派と呼ばれる大本山があり、真宗興正派の大本山です。因みに、西本願寺(本願寺)が浄土真宗本願寺派の大本山、東本願寺(真宗本廟)が真宗大谷派の大本山です。

    本山・興正寺の外塀の光景です。泊千五本の格式高い築地塀です。その脇の庭木の光景です。浄土真宗には、真宗十派と呼ばれる大本山があり、真宗興正派の大本山です。因みに、西本願寺(本願寺)が浄土真宗本願寺派の大本山、東本願寺(真宗本廟)が真宗大谷派の大本山です。

  • 築地塀越しに眺めた、本山・興正寺の堂宇光景です。本山・興正寺は、かつて西本願寺の脇門跡でしたが、明治9年(1876年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となりました。独立したのは、興正寺の第27世住職の本寂(1808〜1877年)の時です。父は関白・太政大臣を務め、孝明天皇を補佐した鷹司政通公で、明治維新の際、勤王家として活動した人です。

    築地塀越しに眺めた、本山・興正寺の堂宇光景です。本山・興正寺は、かつて西本願寺の脇門跡でしたが、明治9年(1876年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となりました。独立したのは、興正寺の第27世住職の本寂(1808〜1877年)の時です。父は関白・太政大臣を務め、孝明天皇を補佐した鷹司政通公で、明治維新の際、勤王家として活動した人です。

  • 同じく、築地塀越しに眺めた、本山・興正寺の堂宇光景です。右手に見えているのは、三門のようです。『興正寺』の名前の由来です。親鸞聖人は承元元年(1207年)、越後に配流となりましたが、建暦元年(1211年)、順徳天皇により赦免となりました。興正寺の寺伝によれば、このとき親鸞は京都に戻り一寺を創建し、順徳天皇より『興隆正法』の勅額を授けられました。これが『興正寺』の名前の由来となったとされます。なお、本山・興正寺の創建は、建暦2年(1212年)です。

    同じく、築地塀越しに眺めた、本山・興正寺の堂宇光景です。右手に見えているのは、三門のようです。『興正寺』の名前の由来です。親鸞聖人は承元元年(1207年)、越後に配流となりましたが、建暦元年(1211年)、順徳天皇により赦免となりました。興正寺の寺伝によれば、このとき親鸞は京都に戻り一寺を創建し、順徳天皇より『興隆正法』の勅額を授けられました。これが『興正寺』の名前の由来となったとされます。なお、本山・興正寺の創建は、建暦2年(1212年)です。

  • 三門前に架かる小橋の光景です。名古屋には、尾張徳川家と縁が深かった八事山・興正寺がありますので、『興正寺』の名前には親しんできました。ただし、八事山・興正寺の本山は、高野山とされます。

    三門前に架かる小橋の光景です。名古屋には、尾張徳川家と縁が深かった八事山・興正寺がありますので、『興正寺』の名前には親しんできました。ただし、八事山・興正寺の本山は、高野山とされます。

  • 更に近寄って撮影した、小橋と三門の側面光景です。南北の堀川通に面した門です。こちらの面が境内の東面になります。

    更に近寄って撮影した、小橋と三門の側面光景です。南北の堀川通に面した門です。こちらの面が境内の東面になります。

  • 『本山・興正寺』の文字が刻まれた石碑の光景です。まだ新しい造りの石碑のようです。真宗十派の一覧を紹介しておきます。<br />○浄土真宗本願寺派:本山西本願寺(本願寺)(京都市)<br />○真宗大谷派:本山東本願寺(真宗本廟)(京都市)<br />○真宗高田派:本山専修寺(三重県津市)<br />○真宗佛光寺派:本山佛光寺(京都市)<br />○真宗興正派:本山興正寺(京都市)<br />○真宗木辺派:本山錦織寺(滋賀県野洲市)<br />○真宗出雲路派:本山毫摂寺(福井県越前市)<br />○真宗誠照寺派:本山誠照寺(福井県鯖江市)<br />○真宗三門徒派:本山専照寺(福井県福井市)<br />○真宗山元派:本山證誠寺(福井県鯖江市)<br />

    『本山・興正寺』の文字が刻まれた石碑の光景です。まだ新しい造りの石碑のようです。真宗十派の一覧を紹介しておきます。
    ○浄土真宗本願寺派:本山西本願寺(本願寺)(京都市)
    ○真宗大谷派:本山東本願寺(真宗本廟)(京都市)
    ○真宗高田派:本山専修寺(三重県津市)
    ○真宗佛光寺派:本山佛光寺(京都市)
    ○真宗興正派:本山興正寺(京都市)
    ○真宗木辺派:本山錦織寺(滋賀県野洲市)
    ○真宗出雲路派:本山毫摂寺(福井県越前市)
    ○真宗誠照寺派:本山誠照寺(福井県鯖江市)
    ○真宗三門徒派:本山専照寺(福井県福井市)
    ○真宗山元派:本山證誠寺(福井県鯖江市)

  • 三門に掛けられた、黄金色の燭台の光景です。黄金色で飾られた祭壇を連想させる燭台でした。

    三門に掛けられた、黄金色の燭台の光景です。黄金色で飾られた祭壇を連想させる燭台でした。

  • 興正寺の建物に細工されている透かし彫りの紹介です。菊か牡丹などの花をモチーフにしているようです。

    興正寺の建物に細工されている透かし彫りの紹介です。菊か牡丹などの花をモチーフにしているようです。

  • 同じく、興正寺の建物に細工されている透かし彫りの紹介です。こちらも花をモチーフにしているようです。菊より牡丹のイメージでした。

    同じく、興正寺の建物に細工されている透かし彫りの紹介です。こちらも花をモチーフにしているようです。菊より牡丹のイメージでした。

  • 本山・興正寺の浄めの水の水盤のズームアップ光景です。型通りのブロンズの龍が水の吹き出し口になっていました。

    本山・興正寺の浄めの水の水盤のズームアップ光景です。型通りのブロンズの龍が水の吹き出し口になっていました。

  • 本山・興正寺の浄めの水の光景です。四方吹き放しの造りは、神社と同じようです。違うのは、注連縄がないだけかもしれません。

    本山・興正寺の浄めの水の光景です。四方吹き放しの造りは、神社と同じようです。違うのは、注連縄がないだけかもしれません。

  • 堂々とした造りの、本山・興正寺の御影堂(ごえいどう)の建物光景です。境内の中では最大の規模の建物です。幅33メートル、奥行き41メートル、高さ28メートルの大きさです。

    堂々とした造りの、本山・興正寺の御影堂(ごえいどう)の建物光景です。境内の中では最大の規模の建物です。幅33メートル、奥行き41メートル、高さ28メートルの大きさです。

  • 下側の屋根は、裳階のようにも見える二層の御影堂の大屋根の光景です。

    下側の屋根は、裳階のようにも見える二層の御影堂の大屋根の光景です。

  • 正面からズームアップした、御影堂の大屋根の光景です。明治35年(1902年)11月、不慮の火災により、本堂その他ほとんどが灰燼に帰しました。現在の建物は、明治45年(1912年)に再建された建物です。

    正面からズームアップした、御影堂の大屋根の光景です。明治35年(1902年)11月、不慮の火災により、本堂その他ほとんどが灰燼に帰しました。現在の建物は、明治45年(1912年)に再建された建物です。

  • 同じく、正面からズームアップした、御影堂の大屋根の光景です。御影堂の中央には、親鸞聖人の真影が祀られています。

    同じく、正面からズームアップした、御影堂の大屋根の光景です。御影堂の中央には、親鸞聖人の真影が祀られています。

  • 手前に境内の樹木をアクセントに入れての、御影堂の大屋根の光景です。

    手前に境内の樹木をアクセントに入れての、御影堂の大屋根の光景です。

  • 御影堂の正面に向かって、大屋根の右端のズームアップ光景です。

    御影堂の正面に向かって、大屋根の右端のズームアップ光景です。

  • 御影堂の正面に向かって、大屋根の左端のズームアップ光景です。

    御影堂の正面に向かって、大屋根の左端のズームアップ光景です。

  • 御影堂の正面に向かって、大屋根の右側の破風のズームアップ光景です。

    御影堂の正面に向かって、大屋根の右側の破風のズームアップ光景です。

  • 一番奥に見える建物は、北側に位置する西本願寺の『飛雲閣』です。金閣、銀閣と共に『京の三名閣』の一つに数えられる国宝の建造物です。

    イチオシ

    一番奥に見える建物は、北側に位置する西本願寺の『飛雲閣』です。金閣、銀閣と共に『京の三名閣』の一つに数えられる国宝の建造物です。

  • この建物も、本山・興正寺のものではなく、北側に位置する西本願寺の伽藍のようでした。書院当たりの建物でしょうか。

    この建物も、本山・興正寺のものではなく、北側に位置する西本願寺の伽藍のようでした。書院当たりの建物でしょうか。

  • 本山・興正寺の境内から眺めた、北側に位置する西本願寺の建物の破風のズームアップ光景です。

    本山・興正寺の境内から眺めた、北側に位置する西本願寺の建物の破風のズームアップ光景です。

  • 明治35年(1902年)11月の火災を免れた経蔵の建物光景です。嘉永元年(1848年)の建立です。御影石の欄干を巡らしてあり、中には経典が納められています。

    イチオシ

    明治35年(1902年)11月の火災を免れた経蔵の建物光景です。嘉永元年(1848年)の建立です。御影石の欄干を巡らしてあり、中には経典が納められています。

  • 経蔵の建物の屋根飾りのズームアップ光景です。本瓦葺きの屋根の上の、銅製の屋根飾りです。

    経蔵の建物の屋根飾りのズームアップ光景です。本瓦葺きの屋根の上の、銅製の屋根飾りです。

  • 経蔵の1階部分の屋根飾りのズームアップ光景です。屋根部分は銅葺で、その上に瓦の龍飾りがありました。

    経蔵の1階部分の屋根飾りのズームアップ光景です。屋根部分は銅葺で、その上に瓦の龍飾りがありました。

  • 正面から眺めた、経蔵の建物光景です。上階の屋根は、本瓦の唐風の造りでした。鳥除けのネットで囲われていましたので、扁額の文字も読み取れませんでした。

    正面から眺めた、経蔵の建物光景です。上階の屋根は、本瓦の唐風の造りでした。鳥除けのネットで囲われていましたので、扁額の文字も読み取れませんでした。

  • 阿弥陀堂の北、経蔵の西側にあった、土蔵のような建物です。境内案内図にも、建物の名前は記してありませんでした。

    阿弥陀堂の北、経蔵の西側にあった、土蔵のような建物です。境内案内図にも、建物の名前は記してありませんでした。

  • 最後での紹介になりましたが、本山・興正寺の参拝の案内看板です。境内の案内図もありました。

    最後での紹介になりましたが、本山・興正寺の参拝の案内看板です。境内の案内図もありました。

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2009秋、京都散策(その1)

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