2008/03/23 - 2008/03/26
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旅人のくまさんさん
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世界文化遺産の宗廟(チョンミョ)見学の続きです。秀吉軍によって1592年に破壊されましたが、1608年に再建されました。現在も全州李氏宗家によって祭祀が営まれています。(ウィキペディア、るるぶ・韓国・ソウル)
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永寧殿の位牌の配置等を記した説明看板です。西側の第1室から16室までの位牌配置が記されています。王と王妃の位牌34位が祀られています。
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歴代王の位牌を祀った宗廟の建物の一つ、永寧殿の中央部分の建物光景です。正殿の建物は、高さが同じで繋がった屋根ですが、こちらは中央部分だけが高くなっています。この部分の四間に、太祖の四代祖を祀ってあります。
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永寧殿に向かって、左端の建物光景です。正殿の造りとそっくりです。正殿にあった広い月台と、それから一段高くなった基壇に建物が施設されている構造も一緒でした。
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同じく、永寧殿に向かって、左端の建物光景です。歴代王の内、廃位された燕山君と光海君の位牌は正殿と永寧殿から除外されました。燕山君(ヨンサングン)は、第10代国王(在位:1494-1506年)ですが、朝鮮王朝史上前例のない暴君とされます。また、光海君(クァンヘグン)は、第15代国王(在位:1608-1623年)です。兄弟を殺して自分の地位を固めたとされ、暴君として廃位されました。最初は江華島に追放、後に済州島に移された後、亡くなりました。廃位された2人とも、諡号はありません。
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永寧殿の石塀のコーナー部分の光景です。塀の外に見える吹き抜けの建物は、正殿に横にあったものと同じ、楽工庁(アッコンチョン)のようです。宗廟祭礼の時に音楽を担当した人々が準備、待機していた建物です。
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永寧殿の正門の下から眺めた、前方の永寧殿の廟の光景です。李氏朝鮮は、1392年から1910年までの520年近く続いた、朝鮮半島最後の王朝です。朝鮮王朝の崩壊には、日本が深く関わりました。朝鮮王朝が滅亡しても、その子孫と一族達により、営々と宗廟は守られ、今日まで例大祭が続けられています。これが、世界遺産に登録された大きな理由とされます。
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永寧殿の正門付近の光景です。太鼓のような丸い木製の器具がありました。扉の開閉に関する補助器具のようです。三つ巴の絵が側面に描かれています。
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永寧殿の外から撮影した、正門と廟の建物光景です。これで、永寧殿の紹介はお終いです。遠くの木立には、カササギの巣が見えます。
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逆光になりましたが、梢にとまったカササギさんです。韓国では普通に見られる鳥ですが、歴史的区域等で、高い木立や自然が残された場所では、特に生息数が多いようです。
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池に水を飲みに降りて来たカササギさんです。飲み終えて戻るところです。個体差かも知れませんが、光線の具合では、意外と青色に見えました。
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『香路(ヒョンノ)』についての説明看板です。この上を通行してはいけないことが英字でも記されていました。説明板の前方のキープ・アウトの文字です。
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順路では、最初に見学する場所でしょうが、最後の見学になりました。説明板に①の番号が付された、望廟楼(マンミョル)、恭愍王神堂(コンミンワンシンダン)と香大庁(ヒャンデチョン)がある一角です。
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建物の左端の光景です。望廟楼、恭愍王神堂と香大庁は纏まって施設されていますので、建物名称が他所入れ替わっているかも知れません。これは、香大庁(ヒャンデチョン)の建物でしょうか。
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緑の彩色が印象的な、香大庁(ヒャンデチョン)の建物光景です。香大庁は、宗廟で使用される香、祝、幣と、祭祀の供え物(礼物)を保管していた倉庫です。また、祭祀の担当官である『献官(ホングァン)』が儀式の前に待機していた場所でもあります。
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白い障子戸の下が緑に彩色され、心地よいアクセントとなっています。香大庁(ヒャンデチョン)の建物光景です。スリッパが並べられていますから、上がっても見学できるようです。
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横から眺めた建物の壁と軒下の光景です。壁や柱はベンガラ色で、僅かに白と黒の彩色もあります。樽木は緑1色に彩色されています。
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手前の建物の中から眺めた対面する建物光景です。どちらも香大庁(ヒャンデチョン)の建物のようです。
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甍のアップ光景です。奥行きが短く、殆んど直線的な造りです。
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恭愍王神堂(コンミンワンシンダン)の建物だったようです。正式名称は『高麗恭愍王影幀奉安之堂』です。不思議なことに、朝鮮王朝ではなく、高麗王朝第31代王の恭愍王のために建立されたものです。宗廟創建時に建設されたようです。
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同じく、恭愍王神堂(コンミンワンシンダン)の建物光景です。ベンガラ色以外は、白とグレーだけの華やかさを抑えた内装です。
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恭愍王(コンミンワン)と、王妃の魯国大長公主(ノグッテジャンコンジュ)が描かれた図のようです。文禄・慶長の役(1592年)の時に焼失したものの複製品とされます。
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恭愍王とその妃の像のアップです。反射で、うまく撮影できませんでした。朝鮮王朝の位牌を祀った宗廟の一角に、高麗の恭愍王を一緒に祀ったのは特別なことです。これに関連する正式な文献や記録は無いとされます。
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恭愍王神堂(コンミンワンシンダン)の建物の壁の光景です。恭愍王(コンミンワン)は、高麗王朝の第31代の王(在位:1351-1374年)です。幼少時は元の宮廷で育ち、元の支援を背景にして即位したとされ、伯顔帖木児の蒙古名を持ちます。中国で明朝が成立すると、恭愍王は明に属することを表明したが、親元派の宦官に殺されました。また、朝鮮王朝の初代王の李成桂は、恭愍王に仕えた武人の一人だったとされます。
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冬木立ち越しに眺めた建物光景です。宗廟見学の最初の方で紹介した、事務所棟のようです。恭愍王神堂党の見学を終えて、出口に向かいました。
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望廟楼(マンミョル)の横にある、中池塘(チュンジダン)の光景です。1443年(世宗25年)に造られました。四角形の池の真ん中には丸い島があります。天円地方と陰陽思想に基づくデザインとされます。
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関係者以外の立ち入りを禁止した立看板です。英字でも、『ノーティス(注意)』の文字の下に、『スタッフ・オンリィ(関係者専用)』の文字がありました。
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案内看板を纏めて紹介します。右手の事務所(オフィス)以外の矢印は、全て直進です。望廟楼(マンミョル)、香大庁(ヒャンデチョン)等の路案内です。
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宗廟がユネスコの世界遺産に指定されていることを示すプレートです。ハングルで大きくチョンミョ(宗廟)と記されています。
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中央の神香路(シンヒャンノ)と左右の御路(オロ)、世子路(セジャロ)が一体になった三道の脇を通って出口に向かうところです。注意書きもありますが、三道の上を歩く人の姿はありません。
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宗廟の出入口付近に戻ってきました。何度も目にした、大きな宗廟(チョンミョ)の案内看板です。これで、今回の宋廟見学はお終いです。
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