2008/03/23 - 2008/03/26
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百済時代の一時期、宮城が置かれた公山城(コンサンソン)紹介の続きです。(ウィキペディア、るるぶ・韓国・ソウル)
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公山城(コンサンソン)の錦西楼(クムスル)の建物光景です。四つあった門の内、西側に位置する門です。公山城は、百済の首都が熊津(現在の公州)だった頃の宮殿跡です。百済の首都は、この後扶余に移りました。
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通路脇にあった石碑のアップです。右の石碑の文字は、『観察使金公悌甲永世不忘碑』、左の方が二文字だけ異なる『観察使金公億齢永世不忘碑』の文字です。官吏だった人の顕彰碑でしょうか。
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次も通路脇にあった石碑のアップです。こちらは文字も消えかけた古い石碑です。足元に説明プレートもありまたが、歩きながらの撮影ですから、文字をアップする時間はありませんでした。微かに『金公』らしい文字が見えます。
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今回のツアーでご一緒になった皆さん達です。公山城の入り口に向かって坂を登りました。早春の時期ですから、ハーフコート姿の方も見えます。
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下から見上げた古木の光景です。間近に見ても、中々の風格がありました。まだ冬木立のままの落葉樹でした。
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下草の枯れ草模様の中に、僅かに緑が混じり始めた光景です。その中にピンクの花を咲かせた灌木がありました。ヤマツツジの花でしょうか。
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錦西楼(クムスル)の建物が、目前になる位置まで登ってきました。城壁の石垣は、再建されたような新しさが見受けられました。石そのものは、再使用されたものが多いかも知れません。
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小山の尾根に続く石垣の光景です。公山城は、百済の文周(ムンジュ)王が475年に現在のソウルから熊津に首都を移した後、538年に首都を扶余に移すまでの5代、64年の間、百済の中心地でした。
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繰り返し紹介する公山城の古木です。少し波打った石垣の上に佇む姿は、すっかり葉を落とした冬木立であっても、見飽きることはありません。
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公山城を登る途中に振り返って眺めた、市街地方面の光景です。背後には、見覚えがある三角形の山の姿もありました。
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ロープに吊るされていた黄色系統の布です。中国、韓国、日本に共通の高貴な色のようです。衣装を着替えての撮影場所でした。中は御車を模してあります。日本でも、平安時代初期の弘仁11年(820年)、今に伝わる黄櫨染(こうろぜん)という黄土色のような色が天皇の色と定められました。
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未盗掘の武寧王陵から出土した、王と妃の冠飾りのコピーです。武寧王陵の発見は、韓国の考古学上でも、極めて貴重なものでした。百済王朝と関係が深かった大和王朝ですから、日本でも大きな話題となりました。石室をバックに、記念撮影の玉座が設けられていました。
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様々な時代衣装と、机の上には、冠飾りを付けた冠が用意されていました。その衣装を着て、先ほど紹介した御車の席や玉座で写真撮影が出来ました。もちろん、有料サービスです。同行メンバーの方も記念撮影されていました。グレーのジャージー姿の人がお店番の方です。学生アルバイトさんに見えました。
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見覚えがある白い動物像です。未盗掘の武寧王陵が発掘された時、最初に確認された副葬品です。千年以上、お墓を守ってきました。想像上の動物とも、熊とも言われます。オリジナル品は国立公州博物館にあり、国宝に指定されています。
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錦西楼(クムスル)の建物側面のアップ光景です。元々は公山城ではなく、熊津城(ウンジンソン)でしたが、高句麗による征服後に、現在の名に改名されました。
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同じく、錦西楼とその周りの城壁のアップ光景です。城壁の上部に立っての撮影です。王宮が置かれた百済時代は土塁とされ、石積みの城壁になったのは、朝鮮王朝時代になってからです。
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ジャンスン(村の守り)と呼ばれる魔除けです。怖い顔をした男女一対の木像です。道標であったり守護神であったりします。天下大将軍と地下女将軍とも呼ばれます。
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天下大将軍と地下女将軍のアップです。あごひげを生やしていますから、こちらが天下大将軍のようです。シャーマニズムを原点とするようですが、永世を意味する『長寿不死』の道教思想とも結び付いているようです。
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地下女将軍のアップです。地下世界の偉大な女神とされます。天下大将軍に負けない迫力があります。二つの像の特徴は、突き出ている目、じゃがいものような団子鼻と出歯にあります。
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傾斜がある城壁付近の光景です。城壁の内側には、階段が続いていました。城壁の全長は約2.5キロです。ゆっくり歩いて周ると、2時間半ほどの行程とされます。
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公山城から眺めた、公州市の市街光景です。ロータリーと同じ機能を持つような、広い交差点が眼下に見えました。
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公山城から眺めた、公州市の市街光景です。公州市は古い歴史を持つとは言え、1300年以上前に滅ぼされた街ですから、日本の奈良や京都のような古い街並みは見当たりません。
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公山城から眺めた、公州市の市街光景です。高速道路の橋脚と、大田方面に繋がるらしいトンネルが見えました。15年ほど前の1996年の旅行の時には、目にすることが出来なかった光景のようです。
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城壁の中間にあった小さな楼閣です。見張り台でしょうか、古文書や発掘調査を基に再建された建物でしょう。
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斜め横から眺めた公山城の城壁の光景です。傾斜がきつい城壁の内側には、木造りの階段が設けられていました。巡視の時や、敵に襲われた時の素早い移動をするためには不可欠な施設です。
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撮影用の衣装選びの光景です。一番右に見える方が、ソウルのロッテホテルの出発点から同行して戴いた現地ガイドさんです。ベルトの飾りを手にされています。テーブルの上には、冠や靴も用意されています。
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尾根筋に沿って作られた城壁の光景です。今は葉を落とした樹木が周りを囲みますが、城壁の建設当初は、防御に不利にならないよう、切り払われていたかもしれません。
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咲き始めたばかりのレンギョウ(連翹)の花です。俳句では、春の季語とされます。広義にはモクセイ科レンギョウ属の総称、狭義には、レンギョウ属の種の一つとされます。通常は、広義で用いられます。
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公山城に関する個人旅行のブログを参照しましたが、バスで公州市までやって来ても、その後の場所探しが大変なようでした。今回は、ソウル出発の現地ツアーですから、その苦労が要りません。個人旅行ですと、『公山城』の案内看板を見つけただけでもほっとするところです。
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公山城の入り口付近の街角光景です。次に個人旅行をする時などにも、付近の光景は参考になります。ソウル起点で公州にやってきた人は、高速バスターミナルの大田(テジョン) で降り、徒歩5分ほどで東部市外バスターミナルに移動し、大田〜公州(コンジュウ)間は1時間10分、3500ウォン(2008年当時)と紹介されていました。それから先の目的地探しが、また大変です。
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