zenkyou01さんのクチコミ(13ページ)全2,189件
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投稿日 2023年09月13日
総合評価:3.0
管理人が通っていた中学校の南にある小高い雑木林の中に中学校・高等学校がありました。その後大学(体育学科)が出来、今では4か所のキャンパス、七学部を有する大学になっています。ビルのような大きな校舎が建っています。その校内に世田谷名木百選のアメリカスズカケの木があります。ここもアクセスは出来ず、校外からの撮影です。北アメリカ原産の、落葉広葉樹、高さ26.3M、幹回り4.4Mです。この木は大きなものは樹高40Mになるといわれているので、高いですが中くらいかなという感じです
「日時」2022年8月20日
「アクセス」東急世田谷線世田谷駅より徒歩6分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年09月13日
総合評価:3.0
松陰神社に隣接する世田谷区立の公園です。子供遊具がそろっている児童公園で子供連れ家族にお勧めです。合わせて大人が使用できる健康具もあります。松陰神社にお参りした際にはよく寄っています。今回は世田谷名木百選を見るために訪れました。スジダイは常緑広葉樹の高木で、高さ14.4M、幹回り2.35Mです。群になっていて、都会の中にあるものとしては壮観です。クロマツは高さ24.9M、幹回り2.61Mお立派ですが、江戸城お囲い松の兄弟松に比べると差があります
「日時」2022年8月20日
「アクセス」東急世田谷線松陰神社駅より徒歩12分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2023年09月13日
総合評価:3.0
豪徳寺は世田谷城城主吉良政忠が叔母広徳院の菩提を弔うために結んだ庵が始まりで、招き猫の発祥の地という説があります。豪徳寺には数え切れないほど訪れていますが、今回は世田谷名木百選を見るために訪れました。モッコクは常緑広葉樹で、樹高12.8M、幹回り2.05Mで高さもあり、また幹は苔むしているので、風格を感じさせます。ケヤキは落葉広葉樹で、樹高21.9M、幹回り、3.92Mです。これより大きな木は多く見られるので、何故これが名木百選に選ばれているのか分かりません。豪徳寺境内で一般参拝者が入れないところにあり、遠くから、木の最上部だけが遠くから見えるだけで全体の姿は見られません
「日時」2022年8月20日
「アクセス」小田急線豪徳寺駅下車、南へ徒歩10分。または東急世田谷線宮の坂駅下車、東へ徒歩5分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年09月13日
総合評価:3.0
八幡宮は源義家が奥州征伐の帰途、ここに寄り戦勝を感謝し創建されたといわれる。その後、戦国時代世田谷城主吉良氏により再興されこれが実質創建といわれています。境内には境内社として、境内および氏子区域に散祀されていた、高良神社、天祖神社、金毘羅神社、六所神社、稲荷神社等八社を1912年整理合祀された神社です。竹垣で区画された敷地の中に割と大きな社殿があり、周囲は整備されています。これだけを目的で訪れるようなスポットではありませんが、世田谷八幡宮を訪れた際に併せて参拝すると良いと思われます
「日時」2022年8月20日
「アクセス」東急世田谷線宮の坂駅下車、徒歩1分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年09月10日
総合評価:3.5
浄土宗の一寺、創建は不詳、鎌倉時代、開基は石渡民部少輔保親、開山良忠上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門を潜ると、保存樹木スダジイ、正面に身の丈10Mの大聖観音像、本堂、閻魔堂跡、頼朝の持仏観音像が祀られている観音堂があります。一階は鉄骨造りの客殿、二階が木造の本堂になっており、大きく聳え立つように立派です。また山門からも見える身の丈10Mの聖観音像に圧倒されます。岩淵は水害に悩まされ続け、水害から守れるようにと、この寺の住職が浄財を募り、建立された観音像です
「日時」 2022年9月21日
「アクセス」東京メトロ南北線赤羽岩淵駅下車、徒歩1分- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年09月10日
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投稿日 2023年09月10日
総合評価:3.0
創建は784年、ご祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后です。第一鳥居を潜り、長い参道の先に第二鳥居、それを潜ると正面に拝殿、奥に本殿がある。その他、神楽殿、境内社、稲荷社、境内社(左から大国主、瘡守、稲荷、大山、阿夫利、御嶽、北野神社が並んでいる)、猿田彦庚申塔、北野神社脇に撫で牛がある。猿田彦大神が刻まれた庚申塔が見られるので、石塔ファンにはマッチします。また眼下には埼京線、京浜東北線、新幹線が見えるので、撮影スポットとして鉄道ファンにお勧めできるかもしれません
「日時」 2022年9月21日
「アクセス」東京メトロ南北線赤羽岩淵駅下車、徒歩7分- 旅行時期
- 2022年09月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年09月10日
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東京城探訪11・北区散策でショッピングセンタービビオに寄りました
投稿日 2023年09月10日
総合評価:3.5
JR赤羽駅西口から徒歩1分の所にある商業施設です。地下は主にレストラン、2~3階は店舗、4階は文化センターが入っています。ショッピングセンターの前にユニークな七福神像が置かれています。釣り竿と鯛の恵比寿天、小槌を持つ大黒天、兜を被り、宝棒を持つ毘沙門天、琵琶を持つ弁財天、太鼓腹と袋を持つ布袋孫、長い額と鶴亀の福禄寿、鹿、桃を持つ寿老神(ちょっと分かりにくいですが杖の先に鹿が乗っています)、それぞれの特徴を表わした像で、弁財天(演奏に夢中になり、笑顔を忘れた?)を除き笑顔で迎えてくれます。ほんの20Mほど歩くだけで赤羽七福神巡りができます
「日時」 2022年9月21日
「アクセス」JR赤羽駅西口から徒歩1分- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 品揃え:
- 4.0
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投稿日 2023年09月06日
総合評価:3.0
愛染院観音寺の参道の一角に大きな碑が建っています。徳川五代将軍綱吉が尾張から種子を取り寄せ練馬に作付けさせたのが始まりです。終戦直後まで、「練馬と言えば大根、大根と言えば練馬」と言われるぐらい有名でした。私が子供のころ聞いた覚えがあります。本日、散策していても大根畑はありませんでした。宅地開発で畑が多く失われたのでしょうね。写真撮影しましたが、逆光で文字は移りませんでした
「日時」 2022年9月11日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線練馬春日町駅より徒歩2分- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年09月06日
総合評価:3.5
浄土宗の一寺、創建は1626年、開山は浄蓮社清誉円授和尚、本尊は阿弥陀如来像です。田島山十一ヶ寺の一寺、田島山誓願寺の塔頭として創建され、関東大震災後当地に移転する。山門を潜ると正面に本堂があります。共同墓の受用院敷地に江戸時代書道家・篆刻家の池永道雲の墓、江戸札差青地家墓所があります。特に青地家の墓所には歴史を感じさせる、大きくて立派な宝篋印塔、五輪塔、石塔が20基以上並んでいて圧巻です
「日時」 2022年9月11日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線豊島園駅より徒歩1分- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年09月06日
総合評価:3.5
浄土宗の一寺、創建は1624~1644年、開山は乗蓮社台誉蓮休和尚、本尊は阿弥陀如来像です。田島山十一ヶ寺の一寺、田島山誓願寺の塔頭として創建され、関東大震災後当地に移転する。山門を潜ると紅葉覆われた参道、その先に本堂があります。共同墓の迎接院敷地に本草学者小野蘭山の墓があります。山門両側、参道を覆う、本堂前に緑が綺麗なモミジがあります。京都寺院とはスケールは違いますが、秋には素晴らしい紅葉の景色が見られそうです。是非再訪寺したいものです
「日時」 2022年9月11日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線豊島園駅より徒歩1分- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年09月06日
総合評価:3.5
創建は不詳、平安時代、ご祭神はイザナミノミコトです。第一鳥居をくぐると、左に神楽殿、正面に大ケヤキ、石段を登り第二鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に本殿があります。その他石祠、境内社三社稲荷神社、大ケヤキがあります。大ケヤキは国指定天然記念物、源義家が奥州征伐に下る際、戦勝を祈願して、苗を奉納した一部と伝えられる。樹齢7~800 年以上(義家が奉納した物であれば、樹齢は900年を超える)樹高25M、幹回り7Mを超える。樹高25Mを超えるケヤキは他でも見られますが、幹回り7M超えは見たことは無く、圧倒されます
「日時」 2022年9月11日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線豊島園駅より徒歩2分- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年09月06日
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投稿日 2023年09月05日
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投稿日 2023年09月05日
総合評価:3.0
日蓮宗の一寺、創建は1638年、開基は肥後藩藩主細川候、開山は妙行院日徳上人、本尊は法華曼荼羅諸尊です。入口正面に鉄筋コンクリート造の二階に本堂があります。整備されているこじんまりした寺社です。今回散策した寺院でも、7割がコンクリート造の本堂で、耐震・耐久の上で、やむを得ないとは思いますが、京都や奈良で多くの寺院を見てきた私にはちょっという感じです。新宿のあるお寺のように、周囲のビルに併せた建物を作り(お寺には見えない外観)違和感のない情景にした方が私にとっては好ましいです
「日時」 2022年8月22日
「アクセス」地下鉄東西線神楽坂駅下車、徒歩4分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年09月05日
総合評価:3.0
鎌倉時代から1907年に品川に移転するまで行元寺というお寺がありました。江戸時代中期境内の一部が貸し出され、神楽坂の花柳界が発祥したと伝えられています。その後この寺内には夏目漱石や多くの芸能人(柳家金語楼、勝新太郎、花柳小菊等)が住んでいたそうです。この地の歴史と由緒をいつまでも忘れられないよう寺内公園が作られました。説明版に褪せた写真が一枚添付されているだけで、全容は分かりませんでした。寺の写真や寺内の街並みの写真数葉展示されていれば当時を想像することができると思います
「日時」 2022年8月22日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅下車、徒歩3分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2023年09月05日
総合評価:3.0
江戸時代この辺りは武家屋敷中心の街が形成されました。武家屋敷をイメージして和風庭園(漆喰壁もその一つ)として整備する。広場での球技は禁止、自転車乗り入れ禁止、遊具は無し、ベンチも少ない、何の目的で作られた公園でしょうか? 和風庭園であるので、東屋があるのですが、当日は工事中でアクセスもできませんでした。和風と言っても、門柱、漆喰壁、東屋だけで他には和風を感じるものはありませんでした
「日時」 2022年8月22日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線飯田橋駅下車、徒歩6分- 旅行時期
- 2022年08月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2023年09月05日
総合評価:3.5
浄土宗の一寺、創建は1603年、開基は松平信定、開山は清誉上人光照、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、鐘楼、本堂、地蔵尊、文化財や登録史跡の説明板等があります。出羽松山藩の菩提寺で、境内には同藩初代藩主酒井忠恒を始め歴代藩主の背の高い立派な墓が建っていて圧倒されます。また光照寺一帯は牛込城があったとところと言われています。牛込城の築城年は1532~1555年、築城主は牛込勝行です。残念ながら、境内に牛込城の説明版が建っているのみで、遺構は全くありません。地蔵坂の坂上に光照寺はあるので、高台にあるところから城址だったと想像するしかありません。
「日時」 2022年8月22日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅下車、徒歩5分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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東京城探訪10・新宿散策(4)で泉鏡花・北原白秋旧居跡に行きました
投稿日 2023年09月05日
総合評価:3.0
明治から昭和初期にかけて活躍した小説家泉鏡花が芸妓桃太郎とこの地で同棲(後に結婚)、桃太郎は小説婦系図お蔦のモデルである。北原白秋は明治から昭和時代にかけて活躍した詩人、作詞家、歌人で、泉鏡花より少し後にこの地に1年ほど居住している。著名な作家、作詞家等が若いころ(世に名が売れる前)このような華やかな繁華街付近に住んでいたというのをよく聞きます。こういう人たちは繁華街に通い、小説のネタ拾いでもしていたのでしょうか。旧居跡も立派な東京理科大校舎の傍にあり、当時の名残は全く想像できません。当時の風景の写真でも展示されていれば良いと思います
「日時」 2022年8月22日
「アクセス」東京メトロ東西線飯田橋駅下車、徒歩3分- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0






































