張作霖。
初めまして、nao520さん今晩は。
張作霖が馬賊として活躍したのは日露戦争当時で、当時の日本軍が捕まえた馬賊の一人が張作霖でした。
この時に、ロシア軍の密偵だった張作霖は日本軍に協力する事と成ります。
日露戦争後、たかが馬賊と侮っていたが、清朝より「東三省巡察使」の官位を受けた。
是には日本が「ビックリ仰天!」したが、そもそも此の官位は「偉いか?。」と疑いの眼を向けますが、そこは張作霖の方が一枚上手だったんです。
そもそも清朝には「巡察使」なる役職が無く、「東三省」て、どことどこ?。
突っ込み処、満載です。(笑)
で、取りあえず督(省の行政の長)より偉いと言う事になり、張作霖は満州の覇者にのし上がりました。
張作霖は、日本と(当時)ソ連と米国とを両天秤に掛け、自分に都合が良い方を執るという方法で、外交と内戦を切り盛りしていきます。
それを歯ぎしりしながら見ていたのは、関東軍でした。
張作霖のご機嫌伺いを、各国外交団がしないはずがありません。
その結果が、豪邸を建築できたというわけです。
益々増長した張作霖は、中国の覇者為らんとして北京に乗り込みましたが、張作霖軍の移動を関東軍が阻止した為、北京で少数の兵と共にする事態と成ります。
折しも、蒋介石軍が北伐を開始し北京に迫ってきたので、張作霖は列車で満州に逃げ帰ります。
その隙を突いて、関東軍に列車ごと爆殺されてしまいました。
当初の関東軍の計画では、張作霖を殺された張学良が怒りにまかせて関東軍に襲いかかり、関東軍は自衛の為に反撃殲滅する予定でしたが、張学良の方が役者が一枚上手だった。
張学良は、医薬品を買いあさり、治療と称して面会謝絶にして、張学良本人は料亭で宴会を開いた。
これで「張作霖は死んでいない。」と噂が流れて、関東軍は手も足も出ない状態と為ってしまいました。
関東軍が張作霖の死亡を確認した時、張学良は部下と共に満州から行方を眩ましてしまい、後に蒋介石に合流していきました。
墨水。