2015/03/28 - 2015/03/28
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nao520さん
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休日の午後、北京の孔廟・国子監を訪れました。ラマ寺である雍和宮の向かいにあります。
国子監は明代に設けられた4年生の教育機関で長く最高学府でありました。1300年の歴史を持つ科挙と相まって高級官僚を養成。ただ明後期からはやはり科挙合格者を重視したためここの学生数も激減したと言われます。
科挙は中国の政治思想(天子は天から委任を受けて統治する義務を負う)と密接に結びついてその国家統治の必要性により確立されたものであり、中国の文化歴史とも切っても切れないものです。
ゴールである高級官僚である進士になるのは子供の頃より何度も選抜試験を受けそれを繰り返すため、とてつもなく大変なことでした。
特にそのトップ合格者は「状元」と呼ばれ、合格直後からあらゆる面での特別待遇が待っています。現代中国でもこの「状元」という名称はいろいろなところで使われていて、たとえば塾、祈願、はては食堂、食品まで。この言葉を知らない中国人はいません。
進士、状元が登場する歴史小説、ドラマも数多く。科挙に纏わる悲喜こもごもの逸話も面白いものが多くとても興味を引きものがあります。現代中国の受験地獄の背景もこのような科挙、中国の選抜制度の文化と関連があると思います。
この国子監は科挙の新任合格者が行事を行った場所でもあり、科挙についての常設展があるため前々から見てみたいところでした。
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孔廟とつながっています。これは太学門。
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「瑠璃牌坊」は中国にあまたある牌坊の中で寺廟以外にある唯一のものです。
通常の牌坊とは作り方が違い天子用に使われる色彩を用いているのが特徴です。これより先にある「壁雍」で新任皇帝が講議をするためその前門牌坊としての意味を持っているためです。また、上部の屋根も同様に特殊な作りになっています。 -
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龍が描かれているので特別ですね
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裏の題字です。表と合わせて乾隆帝によるもの教育に関連する意味
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壁雍
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ここに皇帝が腰掛けて講義を行いました
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内部に柱を持たない特殊構造でつくられています。
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講義の様子が描かれています。
3000人ぐらいが聴講したそうで、この絵の後ろにも多くの聴講者がいるのですが、そんな後ろで聞こえたのでしょうか? -
へきよう、の周りはこのような池で囲まれています
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孔子様、周りには一面の願掛けが。
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この建築様式は他にないそうです
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天壇にあるものと似ています
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科挙についての常設展です。
科挙制度の起源:起源自体は西周時代にまで遡るそうです。
ちなみに、為政の為ですから儒教に基づき四書五経が主体です。過去の注釈なども含めて暗記です。
自然科学とか数学はありません。統治には必要ないですから。 -
漢の時代にその選官制度の萌芽がみられる。
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科挙の成立:中国も当時は貴族政治全盛で統一国家とは言っても地方は土着の貴族によって独占されていました。勝手な地方政府のようなものです。
隋の時代になりこれを変えようと文帝が地方官の任命を中央からのみとして地方貴族の特権を取り上げたわけです。この官吏養成のために科挙制度は成立しました。 -
さらに、続く唐の時代にも太宗李世民による統治強化のため、また武則天による有力貴族追い落としのためにも利用され科挙制度は発展していきます。
この頃の科挙には天子の面前で行われる殿試がなかったため会試後即進士となれました。 -
唐の時代:「競争が激烈だが一旦及第すれば鯉が龍門を登るがごとし。
唐の中宗以降、曲江宴会、杏園探花、雁塔題目の習慣が広まった」
曲江宴会とは新任進士が赴任前に行う宴会のことで曲水流殤の遊びを行うもの、
探花とは文字通り新進士が長安で最も美しい牡丹の花を探すという余興のこと。
雁塔題目は合格者がいつの時からか大雁塔の壁に自分の名前を書き始めたことで、だんだんそれが発展していって今孔廟の前にたっていたあの石碑になったと言われます。 -
清の時代の進士になるための長い道のりを描いています。
先ず受験生は童生と呼ばれます。基本誰にでも受験資格あります。
県試、府試、院試を経てようやく生員となり学校入学
郷試を通り挙人となる
科挙本番たる会試を通り、天子の面前で行う殿試を経てようやく進士になれる
但し合格順番ごとに出世が決まる
合格時の一番である状元、2番の榜眼、3番探花は直接天子から官吏授与が言い渡される。当然、出世が見込まれる。 -
先ずは童試を受けて生員(官吏に準じる)になる必要があります。合格者は秀才といい、府学、県学の生徒になり科挙を目指します。
この絵は、合格した「報」が届き家人が喜んでいるところです。でも、これはまだ序の口。 -
「郷試は生員が参加する省級の試験で三年に一度行われ挙人を採用するもの、....トップ合格者は解元と呼ばれる....」
ちなみに、郷試、会試、殿試の三つでトップだった人を「三元」と呼びます。 -
受験証です。本人の特徴が書かれています。但し、当時は戸籍とか写真があったわけでもないので、年齢詐称が横行。替え玉もあり。
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貢院入場の様子
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郷試の際の有名な貢院の試験部屋。
実際見るのは初めてでした。狭いとは聞いていましたが、予想以上に狭いです。ここで極度の緊張状態で2泊したら、それは精神がおかしくなったり幻想を見たりする受験者がでるというのもうなづけます。
百聞は一見に如かず。よくわかりました。 -
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北京貢院、すごいですね。あの小部屋がぎっしりとあるわけで。
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郷試の出題。
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答案は特殊な八股文という書式で書かれます
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採点者は5人。筆の色を変えており、採点者各自の責任を明確にしたそうです。
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合格報。これは生員のものですが掛け軸のようになっていて実家に届けられる。それを家の前に掲げると町の人達が続々とお祝いにくるというわけです。
でもまだ進士になったわけではなくさらに競争は厳しくなっていきます。 -
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「会試と殿試は国家が行う中央試験であり、会試は礼部が主催し殿試は天子が主催する。一甲三名は皇帝が直接官位を授与する」
一甲三名とは、状元、傍眼、探花のこと。
この会試が科挙の本番です。殿試は落ちる試験ではなく主に順位を決めるためのものです。 -
地方から会試に赴く人。傍から見てもそれとわかるようで特別待遇で優先通行権がありました。童子がつきます。
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会試の策題
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殿試の策題
建前上、皇帝が直接出題するものです -
殿試は紫禁城の太和殿前、後に保和殿内で行われました。
故宮の太和殿前に行った時に殿試の様子をイメージした覚えがあります。 -
五段階で評価していきます。採点者は8人。
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この人の答案は全て○です。このような答案は出版され次の試験の参考になりました。過去問集ですね。
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上記の答案を書いた明代の状元
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合格発表の様子。現代と変わりませんね
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日本語では「たてふだ」と読みます。
この合格看板は紫禁城内だけでなく北京城内音楽隊先導でねり歩くそうです。 -
こうやって何年も苦労して進士になっても大臣が約束されるわけでもなかったわけです。中国は人口が多い故に昔も今も大変な競争社会だと感じます。
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不正を行ったものは連座で罰せられます。カンニングの手段は現代と一緒でいろいろな不正具が飾られていました。
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英語訳はすごくわかりやすい。
The culture of number one scholar stimulated the progress. -
やっと進士になるのに100歳以上の老人もいたとか。
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科挙制度の廃止:清の光緒帝により廃止
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科挙にあやかる商品
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そういえば日本でも進士の試験て言っていたような
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阿倍仲麻呂は進士になったそうです
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日本への様々な影響が書かれています
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日本の進士試験の答案が展示されていました
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さて、閉館の5時なので帰路につきます。
個人的にはとても面白かった。 -
国子監を出たところです
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後方の五道営胡同は洒落た店ばかりです。散策するのには丁度いいですしカフェも多く賑わっています。
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オルゴール屋さん
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10分程度で地下鉄雍和宮の駅に戻ります
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この旅行記へのコメント (1)
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- 服務員さん 2015/03/30 22:25:58
- 感動しました
- はるか昔に読んだ中公新書の「科挙」(そのものずばりの題名ですね)を読んだ記憶がよみがえりました。当時文章や不鮮明で小さな白黒写真を見ていろいろ想像したのですが鮮明なカラー写真で見ることができて感動です!
国子監へ20数年前に行ったときはただの建物と進士の名を刻んだ石碑が並んでいるだけでしたが今は展示品が充実しているのですね。
有難うございました。
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