2014/09/08 - 2014/09/11
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nao520さん
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張作霖、張学良父子の官邸兼私邸。馬賊から身を起こし東北地方(満洲)を事実上統治するに至った張作霖。その子で100歳まで生きた張学良。日本にも関わり合いの深い中国近現代史の多くの重要事件の当事者になる人物であり一度はゆっくりと訪れてみたいところでした。
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張氏帥府門
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張作霖は身長が低く、150少々しかなく、門の前のこの石段は彼が馬に乗るためのものでした。
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敷居は意図的にとても高くしてあります。
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張学良が学校に通うために使ったものです。
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張氏が管轄していたころの軍服。もとはほぼ馬賊だったのでしょう。それをよく統率していたと思います。
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中国伝統様式の四合院。中庭。ここでその昔は馬賊達が集まり酒飲んだりしていたのでしょうか。
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張作霖の部屋。張作霖の蝋人形がいます。
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重要な事項をここで決めた会議室だそうですが、合議で決めたとはとても思えません。張作霖は満洲の王でしたから。
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張学良100年という展示がありました。ちょうど100歳まで生きました。
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これは面白い。当時の情勢、一目了然。
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宋氏三姉妹
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当時の有力者の子弟、有名な4人のことで、張学良、袁世凱の息子などです。
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張学良の愛人でのち結婚した趙一荻の写真だったと思います。出会ったときは既に張作霖により結婚させられていました。
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張作霖爆殺事件の写真。初めて見ました。
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東院と呼ばれる部分にある3階建てのローマ風のレンガ建築である大青楼。官邸であり居所でもあり、いろいろな歴史上の事件がここでは起きました。張学良の監督下でつくられたものですが、当時この建築を作ったというのは財力だけではなくなかなかのものだと思います。中の造り、家具もみな素晴らしいものです。
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楼の中にある当時の会議室。国民党の青天白日。
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言うことを聞かなかった張作霖時代の有力な部下2人、楊、常の二人を張学良が部下に命じて処刑した部屋。
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張作霖の執務室とつながっている休憩室。
ベッドが小さい。 -
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張作霖の執務室
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張学良の執務室で張作霖の部屋より大きい。
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遠景。
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この位置からだと通路が見えない
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小青楼。張作霖が第五夫人のために建てた建物で子供たちもここで過ごしていました。子供たちとは他の婦人たちの子供。この第五婦人は大変聡明でお金まわりの管理を任せられていたといいます。
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張作霖が運び込まれて息を引き取った客間。
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張学良の愛人でのちに正妻になる趙一荻のために建てたレンガ造りのたてものです。
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当時は愛人で家族ではなかったため、張家の居所の中に住むことは許されなかったため隣に居所を作ったそうです。品がいいです。
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この窓から張学良の執務室が見えるように設計されているそうです。
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趙一荻の居所のごく隣にある帥府の入り口
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張学良がたてた宴会場、ダンスホールです。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 墨水さん 2015/02/04 01:19:47
- 張作霖。
- 初めまして、nao520さん今晩は。
張作霖が馬賊として活躍したのは日露戦争当時で、当時の日本軍が捕まえた馬賊の一人が張作霖でした。
この時に、ロシア軍の密偵だった張作霖は日本軍に協力する事と成ります。
日露戦争後、たかが馬賊と侮っていたが、清朝より「東三省巡察使」の官位を受けた。
是には日本が「ビックリ仰天!」したが、そもそも此の官位は「偉いか?。」と疑いの眼を向けますが、そこは張作霖の方が一枚上手だったんです。
そもそも清朝には「巡察使」なる役職が無く、「東三省」て、どことどこ?。
突っ込み処、満載です。(笑)
で、取りあえず督(省の行政の長)より偉いと言う事になり、張作霖は満州の覇者にのし上がりました。
張作霖は、日本と(当時)ソ連と米国とを両天秤に掛け、自分に都合が良い方を執るという方法で、外交と内戦を切り盛りしていきます。
それを歯ぎしりしながら見ていたのは、関東軍でした。
張作霖のご機嫌伺いを、各国外交団がしないはずがありません。
その結果が、豪邸を建築できたというわけです。
益々増長した張作霖は、中国の覇者為らんとして北京に乗り込みましたが、張作霖軍の移動を関東軍が阻止した為、北京で少数の兵と共にする事態と成ります。
折しも、蒋介石軍が北伐を開始し北京に迫ってきたので、張作霖は列車で満州に逃げ帰ります。
その隙を突いて、関東軍に列車ごと爆殺されてしまいました。
当初の関東軍の計画では、張作霖を殺された張学良が怒りにまかせて関東軍に襲いかかり、関東軍は自衛の為に反撃殲滅する予定でしたが、張学良の方が役者が一枚上手だった。
張学良は、医薬品を買いあさり、治療と称して面会謝絶にして、張学良本人は料亭で宴会を開いた。
これで「張作霖は死んでいない。」と噂が流れて、関東軍は手も足も出ない状態と為ってしまいました。
関東軍が張作霖の死亡を確認した時、張学良は部下と共に満州から行方を眩ましてしまい、後に蒋介石に合流していきました。
墨水。
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