明治政府軍に追い込まれ西郷隆盛が自害した場所です。
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- 旅行時期:2023/01(約3年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
鹿児島市 クチコミ:17件
「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」へのアクセスは、「鹿児島中央駅東口」の「東4のりば」から「カゴシマシティビュー」バスに乗り、「薩摩義士碑前」で下車します。「鹿児島中央駅東口」から「薩摩義士碑前」バス停までの所要時間は、16分です。「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」は、バス停から徒歩5分350mのところにあります。
「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」は、少し分かりにくい場所にあります。バスの運転手さんが丁寧に説明してくれたので分かりましたが、石碑や案内板がなければただの小さな広場にしか思えません。「西郷隆盛」が最後の5日間を過ごした「西郷洞窟」から東へ坂を下ったところにあります。そして、薩軍の英霊を祀った「南洲神社」や「南洲墓地」はそこから東北東へ 400~500mのところにあります。
「西郷隆盛」の最期について振り返ってみると、明治10年(1877年)9月24日、西南戦争の最終末にあたり、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始しました。「西郷隆盛」率いる薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。「西郷隆盛」は腰と太ももに銃弾を受け、「別府晋介」の介錯によって最後を遂げたと言われています。「西郷隆盛」に従った幹部である「桐野利秋」、「村田新八」、「桂久武」、「池上貞固」、「別府景長」、「辺見十郎太」が自刃ないしは戦死したところとして記念碑が建てられています。「西郷隆盛」は「別府晋介」に対し、「晋どん、もうここらでよかろう」と言い、居住まいを正してはるか皇居の方角である東を向き一礼し、そして「別府晋介」の介錯によって切腹しました。皮肉にも明治維新を実現させた「西郷隆盛」がその新時代の政府軍によって命を絶たれたのでした。「西郷隆盛」は享年51(満49歳)でした。
01_【「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0854 鹿児島県鹿児島市城山町19-37-2
⑵ アクセス
カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車徒歩約5分
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は16分。バス停から徒歩5分350mのところにあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- あまり目立ない場所にあるせいか1~2組いただけです。
- 見ごたえ:
- 3.0
- だいぶ古いので歴史的価値はあると思います。
クチコミ投稿日:2023/09/30
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