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常連さんのトラベラーページ

常連さんのクチコミ(32ページ)全3,467件

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  • 基本情報
  • 明智光秀 絶命の地

    投稿日 2020年01月05日

    明智藪 伏見

    総合評価:3.5

    2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」がもうすぐ始まりその主人公は明智光秀ですが、その光秀絶命の地とされるここ「明智藪」へ早速行ってきました。
    なぜこの竹藪のなかで?と思われる方は少なくはないでしょう。それは・・・
    明智光秀は本能寺の変で織田信長を討ったのち山崎の戦いで羽柴(秀吉)勢に敗れました。光秀は坂本城へと逃げようとしましたが途中襲撃されこの小栗栖の地で命を落とした。とのことです。場所は山科?醍醐?との説もありますが明確にはわかって無いようですが、ここにそれを示す石碑や駒札が建っています。
    場所は伏見区小栗栖にある本経寺を目指して行けば標識が立っていますので解ると思います。

    旅行時期
    2019年12月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 見逃さない様に!

    投稿日 2020年01月04日

    在原業平邸址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    この「在原業平邸址」の石標は御池通と間之町通の交差点の東南角にあり、写真のように石標だけが建っていますので下を向いて歩かないとわからないかも知れません。
    在原業平は平安前期の歌人で六歌仙の一人とされていて「古今和歌集」に三十首入集する実力の持ち、「伊勢物語」の主人公とも言われているようです。
    昔のことなのに良くわかりますね、京都ならではかも知れません。興味のある方は必見です。邸宅跡の石碑のみですが通りすがりに足を止めてみるのも良いでしょう。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 蓮華が逆さに!

    投稿日 2020年01月04日

    安養寺 (倒蓮華寺) 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    寺町二条から寺町通りを散歩してきましたが最も活気があるところは三条から四条となりますが、その右側を通る新京極通りにこの安養寺 (倒蓮華寺)はあります。
    コンクリート造りの建物で近代的に見えますが、歴史は古く1018年に奈良県當麻に建てた蓮台院が起源とのことでその後安養寺に改名、豊臣秀吉の命によって1580年頃この地に移されたようです。本尊は阿弥陀如来立像ですが、別名倒蓮華寺とも呼ばれていて八枚の蓮華を逆さに置き立像しているのが特徴です。特に女性の信仰が多いようです。
    寺院が並ぶ寺町新京極付近です楽しんでください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 新しい姿を見せてください

    投稿日 2020年01月03日

    三条東殿遺址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    この「三条東殿遺址」は姉小路通烏丸を東に入った南側にあります。簡単に言うと新風館の敷地内北側にあり道路から見えます。といっても現在新風館は工事中でテント越しになります。写真見てください。
    三条東殿は白河天皇をはじめ歴代天皇が里内裏として使用していたところで現在は史跡のみとなっています。歴史好きな方は必見です。
    新風館は現在工事中で新風館は2020年春に生まれ変わり、ホテルやシアターなど20店舗が集合する複合商業施設としてオープンする予定ですが、この石碑や駒札は残るのではないでしょうか。要望含めた勝手な推測です。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    2.5

  • 「たこやくしどおり」です

    投稿日 2020年01月03日

    蛸薬師通 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    蛸薬師通は京都市内の東西の通る道路で東は木屋町通から西は西大路通り付近まで、その中の木屋町付近には土佐藩邸跡や日本映画発祥とされる旧立誠小学校などの見どころがあり、新京極寺町付近には歴史ある寺院が、さらには大宮付近にも寺院が点在しています。
    古くから伝わっている京都のわらべ歌である「まるたけえびす」にも登場する蛸薬師です。楽しんでください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 通称寅薬師

    投稿日 2020年01月03日

    西光寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    寺町二条から寺町通りを散歩してきましたが最も活気があるところは三条から四条でさらにその右側を通る新京極通りにこの西光寺はあります。
    間口は狭くわかり難いかもしれませんが「寅薬師」との書いてあって西光寺との提灯が吊りされていますのでわかると思います。西光寺の通称寅薬師と呼ばれ安置されている寅薬師如来像は弘法大師の作と伝えられているほどで歴史があります。無病息災、病気平癒に御利益があり、特に寅年生まれの守護佛として信仰があります。
    京都らしい間口の狭いところですが寺町通り付近の歴史ある寺院区域です。時間をかけて見学してください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 京都のレトロな街並みも見どころです

    投稿日 2019年12月28日

    京都電信発祥の地 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    東海道五十三次の起終点である三条大橋から更に西へ歩いていると賑やかな河原町通り寺町通りに到達しますが更に西へ歩いて行きます。すると明治大正時代建てられた建築物が残るレトロの街に遭遇します。そして東洞院通角に中京郵便局がありその角にこの「京都電信発祥の地碑」があります。
    全国的な電信電話網の整備は明治初期に開始され、京都では明治5年に西京電信局を明治30年に京都電話交換局を開設しました。この地はその発祥地なのです。写真の下がその碑です。上にある「京都電信100年記念碑」も合わせてどうぞ。
    京都は寺院や町屋などが有名ですがレトロな街を散歩してください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 顔出しパネルが人気

    投稿日 2019年12月28日

    誓願寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    寺町二条から寺町通りを散歩してきましたが最も活気があるところは三条から四条でさらにその右側を通る新京極通りにこの誓願寺はあります。
    誓願寺は浄土宗西山深草派の総本山で本尊は阿弥陀如来です。始まりは667年に奈良に創建されましたが豊臣秀吉の命により1591年にこの地へ移転しています。
    歴史ある寺院で一見古臭いなぁーと思われるかもしれませんが、門前にある顔出しパネルは観光客にも人気のようです。
    是非トライしてみてください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 多く提灯が吊るされています

    投稿日 2019年12月28日

    矢田地蔵尊 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    京都・寺町通りを御池方面から下がっているとこの「矢田地蔵尊」が東側にあります。
    創建は平安時代前期、西山浄土宗の寺院で地蔵菩薩を本尊としています。良縁成就、安産祈願、無病息災などに御利益があり境内にはお地蔵さんが並んでいます。特徴は赤い提灯、そして門前上に吊るされているひとつひとつ提灯に「矢田地蔵尊」の文字が書かれていることが特徴です。
    寺院が並ぶ寺町通りを散策してください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 妙満寺跡でもあります

    投稿日 2019年12月21日

    間部詮勝寓居跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    普段は寺町通りを歩くのは三条から四条付近で、どうしても賑やかなところを歩くのが好きなのですが、今日はちょっと北方向へ歩いてみます。そしてこの「間部詮勝寓居跡」は御池通りを上がった東側にありました。
    間部詮勝は越前鯖江藩主で大坂城代や京都所司代を歴任して老中となりましたが水野忠邦と合わず引退、井伊直弼により再度老中に登用され安政五カ国条約締結や尊王攘夷派弾圧などで名をあげました。そして日米修好通商条約に激怒した孝明天皇を説得するため上京しここにあった妙満寺に滞在したとのことです。この石碑には「間部詮勝寓居跡」と彫られていますが妙満寺の跡を示すものでもあります。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 木蓮の花が有名です

    投稿日 2019年12月21日

    天性寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    京都・寺町通りを御池方面から下がっているとこの「天性寺」が東側にあります。
    1577年創建された浄土寺総本山知恩院の末寺で、現在の建物は1880年に再建されたものです。境内に大和天河弁財天を祀っています。寺町通りには多くの寺院がありますが比較的静かな場所と言えるでしょう。門前に掲示されていた「支えられ支えてやっと人にある」が印象的でした。
    毎年3月下旬から4月初旬には木蓮の白い花が満開になるようです。寺町を楽しんでください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 藤原定家の邸宅があったところです

    投稿日 2019年12月21日

    藤原定家京極邸址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    今日は京都寺町通りを散策しています。二条通りを上がると左手に、この「此附近 藤原定家京極邸 址」と彫られた石碑があります。老舗「古梅園」の前に建っていますが店舗がああまりにも立派なので見落とさない様に注意してください。
    藤原定家は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて登場した公家の歌人で中納言として知られているのでしょうか。代表作には「詠歌大概」「明月記」などがあり興味ある方は是非立ち寄って欲しいものです。この付近はその邸宅があったようです。この「古梅園」は関係あるかもしれません。大正5年に建立とのことです。
    普段は御池から南方向にしか行かなく、また観光客も二条から北方向にはあまり行かないようですが下町の京都って感じもします。散策にどうぞ。。。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • お寺が並ぶ通り

    投稿日 2019年12月13日

    寺町通 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    寺町通りを歩いてみようと思います。この寺町通りは京都を南北に走る通りで最も賑わっている場所でもあります。一見三条通から四条通までと思いがちですが北は紫明通から南は五条通まで伸びています。長いですよ。
    豊臣秀吉の京都改造によって本能寺などの寺がこの通りに集められたことからこの名が付けられています。目的は税の徴収の効率化と寺を配置し東から進入する軍勢の防衛であったも言われています。
    御所付近の寺町通りは静かな通りで、三条から四条はアーケード商店街で賑やかな通りです。様々な姿を見せる寺町通りを歩いてみましょう。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 以前は土佐藩邸にあったのです

    投稿日 2019年12月12日

    岬神社 <土佐稲荷> 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    この岬神社は河原町通から蛸薬師通りを東へ入った左側にありますが、江戸時代は土佐藩邸内にあり明治維新後の1887年に現在地に移されたとのことです。よって土佐稲荷とも言われるのも納得です。
    稲荷神社らしく狐が守り、また土佐には欠かせない龍馬の像も建っています。
    います。縁結びや厄払いの信仰があり土佐藩士だけではなく先斗町など近隣の人々からの信仰もあったようです。また現在も近隣の方たちに親しまれています。
    河原町蛸薬師東にありますが木屋町通りからも入ることができます。是非立ち寄ってください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 平安時代の福祉施設であった

    投稿日 2019年12月12日

    悲田院の遺址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    ここ京都・河原町御池交差点の南西側の角のスギ薬局の左横に「山本覚馬 八重邸跡 (吉田稔麿終焉の地)」と彫られた石碑がありますが、その南へ数mのところにこの「悲田院の遺址」があります。ビルの壁に駒札がへばり付いているだけなので見落としに注意してください。
    平安時代に京都には東西2ヶ所に福祉施設があったようです。この「悲田院」は東の福祉施設で京都中の捨て子や孤児、貧窮者などを収容していたとのことです。
    この時代からこのような施設があったのには驚きました。1200年の歴史古都・京都ならではかも知れません。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 尊王攘夷を志すも若きして去る

    投稿日 2019年12月12日

    本間精一郎遭難の地 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    江戸時代ここ木屋町通沿いには全国から集まる諸藩邸が存在していました。今日は木屋町二条から南へ木屋町通りを散策してきましたが目に着く石碑や駒札から激動の幕末期の姿を観ることができます。そして、八之舟入「紙屋橋」にこの「本間精一郎遭難の地」がありました。
    本間精一郎は越後の出身で江戸で学び安政大獄後に上洛し尊王攘夷に力を入れました。
    どこの藩にも属せず急進派へ入りましたが「伏見寺田屋の変」から心身とも一変し同士からは嫌われるようになりました。そしてこの遭難の夜は直ぐ横にある先斗町で遊んだ帰りに斬殺されました。若き29歳の生涯です。孤独な人生だったかも知れません。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • スギ薬局の左横にあります

    投稿日 2019年12月11日

    山本覚馬 八重邸跡 (吉田稔麿終焉の地) 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    京都・河原町御池交差点の南西側の角にあるスギ薬局の左横にこの石碑はありますが、なぜか2つ描かれています。
    ひとつは「此付近 池田屋事件 吉田稔麿殉節之地」です。吉田稔麿は吉田松陰の松下村塾の塾生で「池田屋襲撃事件」の時にこの付近でで会津藩兵によって殺害されたと言われています。
    もうひとつは「此隣地 明治時代 山本覚馬・八重邸宅跡」です。山本覚馬は明治維新後は京都府顧問や京都府議会議員の初代議長として、東京遷都後荒廃しかけていた京都を立て直す為に力を注いだ人物です。八重はその妹で現同志社大学の創立者である新島襄の妻となった女性で大河ドラマ「八重の桜」で有名となりました。
    池田屋はこの南方向の三条通りに、新島旧邸は御所の東側にありますので合わせて見学ください。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 京都の最も賑わう通りです

    投稿日 2019年12月11日

    河原町通 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    この河原町通りは京都の市街地を南北に走る主要な道路で、北は葵橋西詰から南は十条通まで、特に三条通から四条通は繁華街として有名で多くの人々で賑わっています。
    また祇園祭や葵祭の巡行ルートにもなっていて京都を代表する通りです。秀吉時代に造られたとされていますが当時の面影はありません。しかしこの東側を並行して通る木屋町通にはまだまだ京都らしい街並みも残っていますので人混みを避け散策するのもいいでしょう。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 何故ここに狸が

    投稿日 2019年12月11日

    吉村寅太郎寓居跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    木屋町通りの北の起点である木屋町通二条から南へ木屋町通りを散策しています。
    江戸時代ここ木屋町通りを流れる高瀬川の西側には全国から集まる諸藩邸宅が存在していて東側には藩士たちの邸宅がありました。この「吉村寅太郎寓居跡」もそのひとつで石碑が残されています。
    吉村寅太郎は土佐藩出身の尊王攘夷派の志士で武市瑞山の勤王党で教えを受けました。一旦国に帰りますが、その後再び上洛して討幕軍の天誅組を結成しますが27歳の若さで戦死しました。この石標は吉村寅太郎の住居であったことを示すものです。
    直ぐ隣には同士である「武市瑞山寓居跡」もあります。
    またこの高瀬川付近には幕末の志士たちのゆかりの場所でその史跡が残されています。見逃さない様に!

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 木屋町通り四条上る、にあります

    投稿日 2019年12月09日

    日本映画発祥の地 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    江戸時代ここ木屋町通り沿いには諸藩邸跡や邸宅跡がありその駒札や石碑が建っています。その後時代は明治、日本は近代化の道へ入りました。
    そして今は簡単に観ることが出来る映画は京都で生まれました。それを示す「日本映画発祥の地」の駒札が立誠小学校の前に建っています。
    現在小学校は工事中で内部を見ることはできませんでしたが、新しくなった施設を楽しみにしています。
    すでに国内初上映され120年以上経過していますが、今や漫画映画やSFなど多種多様のジャンルがあり人々を楽しませてくれています。

    旅行時期
    2019年10月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

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