吉村寅太郎寓居跡
名所・史跡
3.34
吉村寅太郎寓居跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
クチコミ・評判
3.34
(36件のクチコミ)- アクセス:
- 3.42
- 人混みの少なさ:
- 3.65
- バリアフリー:
- 3.13
- 見ごたえ:
- 3.17
1~20件(全36件中)
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尊皇攘夷派・天誅組の一員だったのね
- 3.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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天誅組の吉村寅太郎寓居跡には、説明板もありました。
- 4.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 2
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天誅組を結成した
- 3.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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たぬきの像
- 2.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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木屋町通り沿い
- 3.5
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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天誅組の中心人物
- 3.5
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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ちりめん洋服発祥の地とおなじところに。
- 3.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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天誅組「吉村寅太郎」寓居跡
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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木屋町通りを歩いていると「ちりめん洋服 発祥の地」の銘盤の陰に、「吉村寅太郎寓居之址」の石碑がありました。
説明文による... 続きを読むと、幕末の勤王志士 吉村寅太郎が文久3年(1863)に仮住まいをしていた場所。このあたりは、高瀬川の舟運によってにぎわい、幕末の志士たちの絶好の隠れ家となったところで、付近に武市瑞山、佐久間象山、桂小五郎などの寓居跡があり、池田屋もほど近い・・・とあり、木屋町通周辺に幕末の石碑が多い理由がわかり、納得しました。
ビルの前はきれいに整備され、駒札が立てられているのはありがたいことですが、「ちりめん洋服発祥の地」(ビルの関係の記念碑ですから建てるのは自由ですが・・・) の陰に石碑が沈んでいるように見えるのはちょっと残念な気がします。
「武市瑞山先生寓居之跡」の石碑と隣り合うわけにはいかないのでしょうね。 閉じる投稿日:2022/09/14
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綺麗に整備された場所に碑がある
- 3.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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三条小橋の北側でした。
- 3.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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吉村寅太郎は、「土佐四天王」の一人
- 4.0
- 旅行時期:2021/06(約5年前)
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土佐藩脱藩第一号
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
- 0
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「天誅組」を組織した人物
- 3.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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27歳で戦死しました
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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天誅組の中心人物
- 3.5
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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天誅組
- 3.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
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天誅組の吉村寅太郎が住んでいた場所らしい。
- 3.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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何故ここに狸が
- 3.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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木屋町通りの北の起点である木屋町通二条から南へ木屋町通りを散策しています。
江戸時代ここ木屋町通りを流れる高瀬川の西側に... 続きを読むは全国から集まる諸藩邸宅が存在していて東側には藩士たちの邸宅がありました。この「吉村寅太郎寓居跡」もそのひとつで石碑が残されています。
吉村寅太郎は土佐藩出身の尊王攘夷派の志士で武市瑞山の勤王党で教えを受けました。一旦国に帰りますが、その後再び上洛して討幕軍の天誅組を結成しますが27歳の若さで戦死しました。この石標は吉村寅太郎の住居であったことを示すものです。
直ぐ隣には同士である「武市瑞山寓居跡」もあります。
またこの高瀬川付近には幕末の志士たちのゆかりの場所でその史跡が残されています。見逃さない様に! 閉じる投稿日:2019/12/11
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吉村寅太郎寓居跡
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
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笹の葉に隠れていました
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 0
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