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 私が通っていた眼科医院は葛飾区の高砂と言う下町らしい雰囲気の親しみやすい土地の医院だった。駅の近くという事もあって、いつも患者が待合室に溢れんばかりの盛況な医院だった。<br /> 常勤の医師と同時に非常勤の医師が、様々な病院から派遣されて診察にあたっていた。<br /> ある日、病室の入り口に掲示された医師の名札に「愛新覚羅」と言う聞き覚えのある名前が目に入った。あのラストエンペラーの末裔ではあるまいか?<br />担当医師ではないので、顔を見る機会がなかったが、どんな人なのか興味をもったが、そのままいつの間にか忘れていた。<br /> この度、千葉市の稲毛駅の近くに、愛新覚羅家にゆかりの家が公開されていると聞き、訪れた。千葉市のホームページには次のように説明があった。<br /><br /> 明治中期以降、保養地として多くの文人墨客が訪れた稲毛は、海岸線の松林を中心に、別荘・別邸が建てられました。この家もそのうちの一つであり、昭和12年には、中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑と妻・浩が、半年ほどこちらに居を構え、新婚生活を送りました。保養地としての稲毛の歴史を今に伝える貴重な和風別荘建築として、千葉市地域有形文化財(建造物)に登録されています。<br /> 

流転の王妃 愛新覚羅浩 愛を育んだ稲毛海岸に建つ新婚の家 千葉県の歴史散歩 千葉市 ①

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2023/11/11 - 2023/11/11

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pedaru

pedaruさん

 私が通っていた眼科医院は葛飾区の高砂と言う下町らしい雰囲気の親しみやすい土地の医院だった。駅の近くという事もあって、いつも患者が待合室に溢れんばかりの盛況な医院だった。
 常勤の医師と同時に非常勤の医師が、様々な病院から派遣されて診察にあたっていた。
 ある日、病室の入り口に掲示された医師の名札に「愛新覚羅」と言う聞き覚えのある名前が目に入った。あのラストエンペラーの末裔ではあるまいか?
担当医師ではないので、顔を見る機会がなかったが、どんな人なのか興味をもったが、そのままいつの間にか忘れていた。
 この度、千葉市の稲毛駅の近くに、愛新覚羅家にゆかりの家が公開されていると聞き、訪れた。千葉市のホームページには次のように説明があった。

 明治中期以降、保養地として多くの文人墨客が訪れた稲毛は、海岸線の松林を中心に、別荘・別邸が建てられました。この家もそのうちの一つであり、昭和12年には、中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑と妻・浩が、半年ほどこちらに居を構え、新婚生活を送りました。保養地としての稲毛の歴史を今に伝える貴重な和風別荘建築として、千葉市地域有形文化財(建造物)に登録されています。
 

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 稲毛という土地が、千葉市にあることも知らずにいましたが、今日は初めて「京成稲毛」に降り立ちました。ローカルな駅で、改札を出るため、線路を歩いて横断して向かいのホームに渡ります。

    稲毛という土地が、千葉市にあることも知らずにいましたが、今日は初めて「京成稲毛」に降り立ちました。ローカルな駅で、改札を出るため、線路を歩いて横断して向かいのホームに渡ります。

  • 駅を出ると一軒だけ雰囲気の違う老舗らしいお茶の店がありました。

    駅を出ると一軒だけ雰囲気の違う老舗らしいお茶の店がありました。

  • 歩いていくと前方にこんもりと樹木の繁茂した小高い山が見えます。

    歩いていくと前方にこんもりと樹木の繁茂した小高い山が見えます。

  • 鳥居の横には「稲毛浅間神社」という石柱がありました。<br />この神社は富士山の見える神社ということで、有名なんだそうです。

    鳥居の横には「稲毛浅間神社」という石柱がありました。
    この神社は富士山の見える神社ということで、有名なんだそうです。

  • 鳥居の横の道は、自動車が通れる広さがありますが、そこを歩いて行きます。

    鳥居の横の道は、自動車が通れる広さがありますが、そこを歩いて行きます。

  • 浅間神社といってもいろいろで、私の知っている浅間神社は、わずか土を盛り上げた上に、神社を建てたものです。<br /> しかし、この稲毛浅間神社はかなり高い台地の上に建っております。途中には松林などがあり、昔の風情が残っています。

    浅間神社といってもいろいろで、私の知っている浅間神社は、わずか土を盛り上げた上に、神社を建てたものです。
     しかし、この稲毛浅間神社はかなり高い台地の上に建っております。途中には松林などがあり、昔の風情が残っています。

  • 雑木も多く、秋には紅葉が楽しめそうです。

    雑木も多く、秋には紅葉が楽しめそうです。

  • この先を右に曲がると浅間神社です。<br />

    この先を右に曲がると浅間神社です。

  • けっこうきつい坂を上り切ると、神社の門があり、七五三の晴れ着を着た女の子が、親御さんに連れられてお参りに来ていました。<br /><br />浅間神社は子育て、安産の神様として信仰されているそうです。祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)です。

    けっこうきつい坂を上り切ると、神社の門があり、七五三の晴れ着を着た女の子が、親御さんに連れられてお参りに来ていました。

    浅間神社は子育て、安産の神様として信仰されているそうです。祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)です。

  • 小山の頂上は平らな広場になっていて、立派なお社がありました。<br />何組かの七五三の子たちが、歩きにくそうにぽっくりなどで歩いています。<br />808年(大同3年〉富士浅間神社から勧請されました。<br />驚くことには1187年(文治3)には富士山の形に盛り土をして社殿を建てたそうです。

    小山の頂上は平らな広場になっていて、立派なお社がありました。
    何組かの七五三の子たちが、歩きにくそうにぽっくりなどで歩いています。
    808年(大同3年〉富士浅間神社から勧請されました。
    驚くことには1187年(文治3)には富士山の形に盛り土をして社殿を建てたそうです。

  • この母娘はお母さんがご覧の恰好で、娘とは雰囲気があいません。<br />でも、娘より上等の和服を着て、おめかししているより、感じがいいかな?

    この母娘はお母さんがご覧の恰好で、娘とは雰囲気があいません。
    でも、娘より上等の和服を着て、おめかししているより、感じがいいかな?

  • 社殿に向かって左側に神楽殿があります。

    社殿に向かって左側に神楽殿があります。

  • 浅間神社の神楽は16世紀に九州地方から伝わったそうですが、形式は江戸神楽の影響を受けたもので、年6回奉納されるそうです。

    浅間神社の神楽は16世紀に九州地方から伝わったそうですが、形式は江戸神楽の影響を受けたもので、年6回奉納されるそうです。

  • 写真だけ撮って帰ります。

    写真だけ撮って帰ります。

  • 下りは別の道を歩きました。

    下りは別の道を歩きました。

  • 神社を出て134号線の道路を左の細い道を入ると、この家に出ます。<br />「千葉市ゆかりの家 いなげ」という日本家屋です。

    神社を出て134号線の道路を左の細い道を入ると、この家に出ます。
    「千葉市ゆかりの家 いなげ」という日本家屋です。

  • スロープを上がりると平凡な玄関があります。<br />では、玄関からと思いましたが、庭に回ります。

    スロープを上がりると平凡な玄関があります。
    では、玄関からと思いましたが、庭に回ります。

  • 蹲(つくばい)や石燈籠がある日本庭園があります。

    蹲(つくばい)や石燈籠がある日本庭園があります。

  • 庭に面した部屋は開放的です。<br />ここは中国清朝最後の皇帝(ラストエンペラー)愛新覚羅溥儀の弟溥傑(ふけつ)と<br />嵯峨侯爵家の長女浩(ひろ)が新婚生活を送った家です。

    庭に面した部屋は開放的です。
    ここは中国清朝最後の皇帝(ラストエンペラー)愛新覚羅溥儀の弟溥傑(ふけつ)と
    嵯峨侯爵家の長女浩(ひろ)が新婚生活を送った家です。

  • この結婚は国策によって、半ば強制的に決められたものです。<br />

    この結婚は国策によって、半ば強制的に決められたものです。

  • 祖母が明治天皇の母方従姉妹という皇室との血縁があり、侯爵家の長女で、結婚適齢期で年齢的にも溥傑と釣り合う浩に、白羽の矢が立つことになりました。

    祖母が明治天皇の母方従姉妹という皇室との血縁があり、侯爵家の長女で、結婚適齢期で年齢的にも溥傑と釣り合う浩に、白羽の矢が立つことになりました。

  • 愛新覚羅溥傑は10数枚の見合い写真の中から美しい嵯峨浩を選びました。<br />浩は親友に手紙で「もっと平凡な結婚をしとうございました」と心境を語っています。結婚に消極的だったことは明らかでした。

    愛新覚羅溥傑は10数枚の見合い写真の中から美しい嵯峨浩を選びました。
    浩は親友に手紙で「もっと平凡な結婚をしとうございました」と心境を語っています。結婚に消極的だったことは明らかでした。

  • しかし、初めて対面したとき、メガネの奥に見られる優しそうな眼を見て、ほっと安堵した浩でした。溥傑は美しい上に、聡明で明るい浩を気に入りました。<br />結婚は沿道に並んだ小学生が小旗を振って祝うなか、軍人会館で行われました。<br />ちなみに私の兄はこの軍人会館、今の九段会館で田舎の人を集めて結婚式を挙げました(笑)。

    しかし、初めて対面したとき、メガネの奥に見られる優しそうな眼を見て、ほっと安堵した浩でした。溥傑は美しい上に、聡明で明るい浩を気に入りました。
    結婚は沿道に並んだ小学生が小旗を振って祝うなか、軍人会館で行われました。
    ちなみに私の兄はこの軍人会館、今の九段会館で田舎の人を集めて結婚式を挙げました(笑)。

  • 二人は結婚と同時に在籍していた千葉の陸軍歩兵学校の関係で稲毛海岸にある新居に住みました。溥傑は毎日ここから馬に乗って学校に通ったそうです。

    二人は結婚と同時に在籍していた千葉の陸軍歩兵学校の関係で稲毛海岸にある新居に住みました。溥傑は毎日ここから馬に乗って学校に通ったそうです。

  • 二人はその後満州国の新京に移り住みますが、満州大使館に勤務するため東京に戻り、嫮生(えいせい)が生まれます。再び満州に戻りますが、ソ連の参戦のため、新京が攻めれて脱出します。溥儀と溥傑らは飛行機で日本に亡命しようとしますが、ソ連軍に拘束されます。

    二人はその後満州国の新京に移り住みますが、満州大使館に勤務するため東京に戻り、嫮生(えいせい)が生まれます。再び満州に戻りますが、ソ連の参戦のため、新京が攻めれて脱出します。溥儀と溥傑らは飛行機で日本に亡命しようとしますが、ソ連軍に拘束されます。

  • 浩は臨江に逃れました。翌1946年(昭和21年)1月には、八路軍の手によって通化の八路軍公安局に連行され、通化事件に巻き込まれました。同年4月以降、長春(満洲国時代の新京)、吉林、延吉、佳木斯へとつぎつぎに身柄を移され、同年7月に佳木斯で釈放されたのでした。

    浩は臨江に逃れました。翌1946年(昭和21年)1月には、八路軍の手によって通化の八路軍公安局に連行され、通化事件に巻き込まれました。同年4月以降、長春(満洲国時代の新京)、吉林、延吉、佳木斯へとつぎつぎに身柄を移され、同年7月に佳木斯で釈放されたのでした。

  • 上海発の最後の引揚船に乗船して、翌1947年(昭和22年)1月に日本に帰国しました。各地を転々とし、流転の王妃と呼ばれた所以です。

    上海発の最後の引揚船に乗船して、翌1947年(昭和22年)1月に日本に帰国しました。各地を転々とし、流転の王妃と呼ばれた所以です。

  • 一方、溥傑は、溥儀とともに撫順の労働改造所に収容され、長らく連絡をとることすらできませんでした。1954年(昭和29年)、長女の慧生が、中華人民共和国国務院総理の周恩来に宛てて、「父に会いたい」と中国語で書いた手紙を出しました。その手紙に感動した周恩来は、浩・慧生・嫮生と、溥傑との文通を認めたそうです。

    一方、溥傑は、溥儀とともに撫順の労働改造所に収容され、長らく連絡をとることすらできませんでした。1954年(昭和29年)、長女の慧生が、中華人民共和国国務院総理の周恩来に宛てて、「父に会いたい」と中国語で書いた手紙を出しました。その手紙に感動した周恩来は、浩・慧生・嫮生と、溥傑との文通を認めたそうです。

  • ガラス戸の腰板の年輪の変化は当時からの年月を語っております。

    ガラス戸の腰板の年輪の変化は当時からの年月を語っております。

  • 平穏な日常は無残にも再び打ち破られました。学習院大学在学中の慧生が、交際していた同級生、大久保武道とピストル自殺した事件は世情を騒がせました。<br />天城山心中として映画にもなりました。pedaruもよく覚えています。

    平穏な日常は無残にも再び打ち破られました。学習院大学在学中の慧生が、交際していた同級生、大久保武道とピストル自殺した事件は世情を騒がせました。
    天城山心中として映画にもなりました。pedaruもよく覚えています。

  • 木造の戸袋はオシャレな造形を見せています。

    木造の戸袋はオシャレな造形を見せています。

  • 緑豊かな庭には離れがあります。

    緑豊かな庭には離れがあります。

  • 1960年(昭和35年)に溥傑が釈放され、翌年、浩は中国に帰国して溥傑と15年ぶりに再会しました。この後、浩は溥傑とともに北京に居住しました。北京に移住後、文化大革命(文革)が始まり、1966年(昭和41年)には二人の自宅が紅衛兵に襲われました。えーっ もう勘弁してよ。と言う感じですね。

    1960年(昭和35年)に溥傑が釈放され、翌年、浩は中国に帰国して溥傑と15年ぶりに再会しました。この後、浩は溥傑とともに北京に居住しました。北京に移住後、文化大革命(文革)が始まり、1966年(昭和41年)には二人の自宅が紅衛兵に襲われました。えーっ もう勘弁してよ。と言う感じですね。

  • 溥傑は、中国の現代三筆に数えられる書家として、多くの書画を残しています。この書は溥傑の晩年に書かれたもので、稲毛に居を構えた当時に思いをはせた漢詩二首がしたためられています。浩夫人が亡くなって3年後の平成2年、溥傑が再び千葉市を訪れた際に千葉市に寄贈されました。「ゆかりの家・いなげ」と「溥傑夫妻」のつながりをしのばせる作品です。

    溥傑は、中国の現代三筆に数えられる書家として、多くの書画を残しています。この書は溥傑の晩年に書かれたもので、稲毛に居を構えた当時に思いをはせた漢詩二首がしたためられています。浩夫人が亡くなって3年後の平成2年、溥傑が再び千葉市を訪れた際に千葉市に寄贈されました。「ゆかりの家・いなげ」と「溥傑夫妻」のつながりをしのばせる作品です。

  • 再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり<br />過ぎ去った歳月を顧みて再び千葉に来る。世の中はすでに大きく変わっているが、余齢をもって稲毛の旧 居を訪れる。新婚当時は琴瑟相和して仲が良く、まるで夢のようだった。短い期間ではあったが想い出すとつい我を忘れてしまうほど幸せだった。<br />愛しい妻の姿と笑顔は今は何処に。昔のままの建物と庭を見ていると恋しい情が次々と湧いてくる。君と結婚したその日のことが目の前に浮かび、白髪いっぱいになった今にかつての愛の誓いを思い出すにはしのびない。<br />再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり二首を詠む。歳次庚午仲夏 溥傑 

    再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり
    過ぎ去った歳月を顧みて再び千葉に来る。世の中はすでに大きく変わっているが、余齢をもって稲毛の旧 居を訪れる。新婚当時は琴瑟相和して仲が良く、まるで夢のようだった。短い期間ではあったが想い出すとつい我を忘れてしまうほど幸せだった。
    愛しい妻の姿と笑顔は今は何処に。昔のままの建物と庭を見ていると恋しい情が次々と湧いてくる。君と結婚したその日のことが目の前に浮かび、白髪いっぱいになった今にかつての愛の誓いを思い出すにはしのびない。
    再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり二首を詠む。歳次庚午仲夏 溥傑 

  • 浩は1987年北京で波乱の人生を閉じましたた。<br />妻のなきがらに縋り付き、慟哭する父の姿を思い出し、母は真から愛されていたのだなと思った、と娘の嫮生(こせい)さんは語っています。<br /><br />浩の遺骨は、山口県下関市の中山神社(祭神は浩の曾祖父中山忠光)の境内に建立された摂社愛新覚羅社に、慧生の遺骨とともに納骨されました。<br /><br />溥傑が死去した1994年、浩と慧生の遺骨は半分に分けられ、溥傑の遺骨の半分とともに愛新覚羅社に納骨されました。浩と慧生の残る半分の遺骨は、溥傑の遺骨の半分とともに、中国妙峰山上空より散骨されました。<br /> 主にウィキペディアを参考に書きました。

    浩は1987年北京で波乱の人生を閉じましたた。
    妻のなきがらに縋り付き、慟哭する父の姿を思い出し、母は真から愛されていたのだなと思った、と娘の嫮生(こせい)さんは語っています。

    浩の遺骨は、山口県下関市の中山神社(祭神は浩の曾祖父中山忠光)の境内に建立された摂社愛新覚羅社に、慧生の遺骨とともに納骨されました。

    溥傑が死去した1994年、浩と慧生の遺骨は半分に分けられ、溥傑の遺骨の半分とともに愛新覚羅社に納骨されました。浩と慧生の残る半分の遺骨は、溥傑の遺骨の半分とともに、中国妙峰山上空より散骨されました。
     主にウィキペディアを参考に書きました。

  • 皇帝の弟の住まいとしては質素なきがしますが、建物の各所には凝った装飾が施されています。

    皇帝の弟の住まいとしては質素なきがしますが、建物の各所には凝った装飾が施されています。

  • 庭に面した縁側、お二人はここで秋の日差しを浴びながら、寛いだかもしれませんね。<br />政略結婚ながらお二人の間には深い愛情と信頼が生まれておりました。

    庭に面した縁側、お二人はここで秋の日差しを浴びながら、寛いだかもしれませんね。
    政略結婚ながらお二人の間には深い愛情と信頼が生まれておりました。

  • 部屋には見学者のため、夫妻の写真などが展示されています。

    部屋には見学者のため、夫妻の写真などが展示されています。

  • 「いってらっしゃいませ」新妻の優しい言葉に送られながら、所属する兵学校へ軍服で出かける溥傑です。<br />書画に優れた芸術家であった溥傑は軍人などにはなりたくはなかったでしょうね。<br />誰にでも優しい愛の人だったそうです。

    「いってらっしゃいませ」新妻の優しい言葉に送られながら、所属する兵学校へ軍服で出かける溥傑です。
    書画に優れた芸術家であった溥傑は軍人などにはなりたくはなかったでしょうね。
    誰にでも優しい愛の人だったそうです。

  • 洋間から見えるお庭です。

    洋間から見えるお庭です。

  • 懐かしい気持ちを起こさせる電灯の笠です。

    懐かしい気持ちを起こさせる電灯の笠です。

  • 関連の書籍も紹介されています。

    関連の書籍も紹介されています。

  • 欄間も美しいですね。

    欄間も美しいですね。

  • 日本の風土にあった伝統的なつくり、暑い夏には部屋いっぱいに風を取り込むように建築されています。

    日本の風土にあった伝統的なつくり、暑い夏には部屋いっぱいに風を取り込むように建築されています。

  • 「大地の子」の中国人の出演俳優が訪れたときの記念写真。<br />山崎豊子原作のドラマ上川隆也主演でした。何度も感動して泣いた覚えがあります。

    「大地の子」の中国人の出演俳優が訪れたときの記念写真。
    山崎豊子原作のドラマ上川隆也主演でした。何度も感動して泣いた覚えがあります。

  • このブログを書くにあたり、たくさんの情報を見聞しましたが、波乱万丈の人生の中を、国の思惑を超えて、常にお互いを尊重して愛し合ったお二人を知り、心が洗われるような気持になりました。

    このブログを書くにあたり、たくさんの情報を見聞しましたが、波乱万丈の人生の中を、国の思惑を超えて、常にお互いを尊重して愛し合ったお二人を知り、心が洗われるような気持になりました。

  • 最期に玄関を覗いてからお暇します、って変ですね。

    最期に玄関を覗いてからお暇します、って変ですね。

  • ご近所の方々も毎朝馬に乗って出かける軍服姿のご主人と、それを見送るおきれいな若い奥様を見かけたと想像します。<br />そんな場面が浮かんでくるお宅を後にしました。

    ご近所の方々も毎朝馬に乗って出かける軍服姿のご主人と、それを見送るおきれいな若い奥様を見かけたと想像します。
    そんな場面が浮かんでくるお宅を後にしました。

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この旅行記へのコメント (21)

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  • rinnmamaさん 2024/01/25 10:50:20
    何時も目から鱗の旅行記で楽しいです^^
    pedaruさん、寒中お見舞い申し上げます。

    今回も未知の世界へいなざって下って頂きました。
    pedaruさんが知らないくらいですから、稲毛を私が知らないのは不思議ではありませんが、この様な地に人生を翻弄されたお二人がお住まいがあったなんって・・
    色々とお調下さった由、ありがとうございました。

    素敵な日本家屋ですね。。
    今ではこの様に手の込んだ日本家屋を建てる方は、いないと思いました。
    もう、見飽きない住宅で、落ち着く空間が一杯ですね。

    内装の設えも奥ゆかしいながらも、職人さんの力量が随所に見れて見飽きませんね。
    pedaruさんの眼力が物言うポイントが高い写真に、見とれてしまいました。
    廊下の上の窓ガラスの素敵な事。。戸袋の意匠も職人さんのセンスが光りますね。

    洋間のガラスもお見事・・こんな風にすりガラスをはめ込み、角から光を取り込む建て方も良いな~と見入ってしまいました。
    ガラス戸を閉めても額縁の様に、お庭を愛でれて居心地の良い事が想像できます。

    愛新覚羅溥傑氏と浩様の着物姿のお写真が、素敵なご夫婦だった事を物語っていますね。また、知らない事も沢山教えて下った旅行記を有難うございました。

    遅れましたが、今年もよろしくお願い致します。
    rinnmama

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/26 07:52:59
    RE: 何時も目から鱗の旅行記で楽しいです^^
      rinnmamaさん

     早正月も過ぎようとしています。寒中お見舞いもうしあげます。

     愛新覚羅溥傑のこと、政略結婚ながら妻の浩さんも人格高潔の人で、愛を貫いたおふたりでした。こういう話を聞くと、心が洗われるような気がします。
     それに引き換え、我が家では夫婦の絆は猫のみになっております。私が怒らせ役、妻が怒り役、もう何十年もこの構図は変わりません。妻の機嫌が悪い時は、猫のエピソードを話すと、途端に笑顔になり、機嫌がよくなります。

     私もそうですが、rinnmamaさんもどちらかというと、住居は日本家屋派のようですね。
    この稲毛の建物のように、開放的で、湿気が多く暑い夏を乗り切るための間取り、自然の風邪を取り入れる造り、今ではエアコンなしでは過ごせませんが、開け放った日本間、縁側、特にミニ美術館の床の間、これは日本文化ですね。

     最近我が家の庭の建仁寺垣が老朽化してどうにもならなくなり、植木屋さんに頼むと、驚くような値段になるので、ただいま自分で建設中です。今までの天然の竹をやめて、人口竹の垣根にしています。いまいち風情に欠けますが、耐久性がありきれいです。
    ネットで材料だけ購入しました。まだ途中ですが、完成の暁には、おまけとして旅行記に載せちゃおうかななどと考えております。

     今年もよろしくお願いします。

     pedaru


     
  • salsaladyさん 2024/01/16 10:10:30
    愛新覚羅浩~ゆかりの家―稲毛~
    ☆千葉県在住でも知らないことが多すぎる民ですが。。。稲毛にその様な貴重な館が残っているんですね。

    ☆最初「稲毛浅間神社」が海に面していたことを知り、以前車でダンスレッスンに向かう時に途中で立ち寄ったのが「稲毛浅間神社」でしたが、海浜幕張駅からはかなり内陸にあった為、同じ神社とは気が付かずに、此処から富士山が見えたのか?と不思議でした。

    ☆神社ばかりでなく、歴史上の悲劇のヒロインと日中の策士達に翻弄された「愛新覚羅」家の波乱の人生がここに凝縮されていた~ほんの少しの間でも平和を感じられる日々を送られたことにホッと胸をなでおろしたい思いです。こんな悲劇が二度と起こらないことを乗るばかり~

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/16 17:11:34
    RE: 愛新覚羅浩?ゆかりの家―稲毛?

     salsaladyさん こんにちは 今年もよろしくお願いします.

     salsaladuさんでも知らないことがあるのですね。 私など稲毛が千葉市にあるとさえ知りませんでした。まず、京成稲毛の駅が改札を出るのに線路を歩いてわたることに驚き、浅間神社が山の上にあることに驚きました。話に聞けば、本殿あたりは土を盛ったということでこれにも驚きました。
     次に愛新覚羅家が庶民的なのにも驚きました。皇帝の弟と公爵家の姫ですからちょっと意外でした。最近の建売住宅のほうが豪華な気がします。
     政略結婚ではありますが、仲が好かったとは、私たちでもほっとすることです。
     我が家は、恋愛結婚ですが、仲がよいとは言えません。私が悪いのです。みんな私が悪いのです。ってこういうことにしています。

     pedaru
  • cheriko330さん 2024/01/15 23:18:08
    「流転の王妃」愛新覚羅浩☆
    pedaruさん、こんばんは☆

    愛新覚羅溥傑と浩のドキュメンタリー番組を何度も興味があり、見たことがあります。
    お二人とも波乱の人生を送られましたね。
    そんなお二人は、稲毛海岸で新婚生活を送られていたのですね。調べたら結婚式当時
    浩は祖父宅である東京都杉並区の嵯峨公勝邸(現杉並区立郷土博物館)から、式場の
    軍人会館(九段会館)まで車で向かったそうで、沿道にはすごい人だったそうです。
    こじんまりしたお家ですが、やはり手がこんでいますね。ガラスなども貴重なの
    では?また家のすぐ前は海岸で、今は埋め立てられたとか。近くにあったらこちらも
    すぐに伺いたいです。ご紹介いただいて嬉しいです。

    人生の後半は2人で北京で暮らすことができたのは良かったです。先に浩が亡くなり
    溥傑は、嘆き悲しんでいましたね。
    テレビで拝見した長女さんはとても美しく、残念なことでした。妹の嫮生さんは何度かテレビで拝見しましたが、やはりお品が良くお母様の思い出などをお話していたのを
    思い出しました。日本でご結婚されてお子さんも5人いらっしゃるそうで、何となく
    ホッとしました。また母は「稲毛ではハマグリやアサリを拾って、おつゆにした」
    「とても楽しかったそうですよ」と言われています。

    余談ですが、眼科医の愛新覚羅さんは、こちらの方かも?

    https://bunshun.jp/articles/-/48076

    尊敬に値する李方子様のことも思い出しました。また何かあったらよろしくお願い
    します。

     cheriko330

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/16 07:15:57
    RE: 「流転の王妃」愛新覚羅浩☆

     dheriko330さん おはようございます。

     愛新覚羅溥傑夫妻のことから、いろいろ興味を持たれて、詳しい内容の書き込みになり
    cherikoさんの、好奇心旺盛さが浮き彫りになりました。
     アイクリニックのことまでお知らせくださりありがとうございます。私が病院で名札を見たのは、クリニック開院以前のことだったと思われます。
     インタヴューによると中国では、苗字を勝手に変えることができるのですね。日本でもそれが可能なら、徳川とか豊臣、などにする人が出てくるかもしれませんね。

     国道14号線の並びは、この辺は海岸になっていて、風光明媚な所だったそうです。並びの市川でも、今でも松が生えていますが、昔は別荘が多かったと、本にはかいてあります。
    一段低くなっていて、ああ、ここが海岸線か、などとブラタモリしたりしています。

     愛新覚羅溥傑夫妻は晩年は平穏な生活にもどって、幸せな時を過ごせたらしいことを知ると、救われた気がしますね。私の所は毎日平凡過ぎて、幸せなんだk、不幸なんだか分かりません。 もっと旅行が出来ればcherikoさんのように幸せになれるのに。

    pedaru
  • フィーコさん 2024/01/14 10:50:23
    稲毛へようこそ
    pedaruさま おはようございます。

    今年もよろしくお願いします。

    京成稲毛へようこそ

    この辺りは私の子育て中、チャリ移動のテリトリーでした。
    (その当時は電動ではない、若かった)
    稲毛神社はお祭りしか行かず、神楽殿があり(テキ屋の屋台で見えない)年6回もお神楽が奉納されるとは知りませんでした。

    このお家は行ってないのですが(半年しか住んでなかったんやーと思い)電気ブランの別荘はイベントいろいろで行きました。

    浩さんは北京でお亡くなりになったのですね。
    『流転の王妃』
    翻弄された人生でした。

    次はどこへ移動でしょうか?

    フィーコ

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/15 07:46:02
    RE: 稲毛へようこそ
     フィーコさん おはようございます。今年もよろしくお願いします。

     フィーコさんが稲毛に住んでおられたとは驚きました。って驚くことがふしぎですが(笑)。あの辺は公園などに昔の松林が残っていていいところですね。
     愛新覚羅溥傑の新婚の家は当時のまま?残っています。しかも見学自由、無料です。機会があったらお出かけください。
     
     神谷伝兵衛の別荘、ここにも行きました。発表する前に、情報が洩れました(笑)。週刊文春ではないですから、漏れても問題になりませんが。
    近くにあったので立ち寄ってみました。こちらはお金に任せて豪華な別荘を作りましたね。デンキブランの神谷バー、こちらは庶民的なバーでした。浅草駅のちかくにありますね。
     次の旅行記は神谷伝兵衛別荘、ぜひまたお寄りください。

    pedaru
  • mistralさん 2024/01/13 22:36:01
    愛新覚羅溥傑夫妻の暮らした家
    pedaruさん

    遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願い致します。

    稲毛までようこそお越し下さいました。
    国府台に暮らしておりました義母は、義父が亡くなった後に
    京成稲毛駅近くのマンションに引っ越し、暮らしておりました。
    その後義母も亡くなり、現在は次男家族がそのマンションに
    住んでおります。
    孫娘のお宮参りは、今回pedaruさんが立ち寄られました浅間神社
    でした。
    そこからは富士山が見えるんですね。
    確かに高台に鎮座される神社ですので、空気の澄んだ日には
    もしかしたら見えるのかも知れません。

    さて本題の愛新覚羅溥傑の家、
    稲毛にあったことを今まで知りませんでした。
    皇室にゆかりのある美人の日本人女性と結婚し、日本で生活された、
    とまでは知っていても、実際の住居がそのままに保存されていたなんて。
    昔は14号線を(父の運転で)車で走ると、すぐ近くまで波が打ち寄せて
    来ていたものでしたから、その家もきっと海が見渡せる気持ちのよい
    高台に建っていたことでしょう。
    そこで、国籍も違う二人が政略結婚だったとはいえ、仲睦まじく暮らし
    その後は歴史のうねりによって翻弄された人生を辿っていかれること
    になるなんて、その当時は想像も出来なかったことでしょうね。

    そんな歴史が感じさせられる建物を訪れてみたいと思いました。

    mistral

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/15 07:31:40
    RE: 愛新覚羅溥傑夫妻の暮らした家


     mistralさん おはようございます。 そして今年もよろしくお願いします。

     豪華な家でなし、有名な豪邸ではない愛新覚羅さんの家、侯爵令嬢にも溥傑さんにとっても庶民の家だと思われたに違いありません。しかし、浩なきあと、何十年ぶりにこの家を訪れ、今はあの世でどうしているのだろうか?と恋しい妻を思い,詩を詠んだくらいですから、宝石のような大切な思い出の詰まった家だったのだと推察されますね。

     波乱万丈の人生、そんな人生も面白いかもしれませんが、北京で暮らした晩年の平穏な日々、せめてこんな日々があったということを聞くだけで、救われた気持ちです。
     日中友好の懸け橋となったご夫妻の生き方に感動します。

    pedaru


      
  • しにあの旅人さん 2024/01/13 17:21:46
    重厚な一遍
    今年もよろしくお願いします。
    新春早々、重厚な一遍を読みました。
    背後に物語があってこそ、旅は旅となります。旅の醍醐味を味わいました。

    愛新覚羅溥傑の家が稲毛にあったなんてまったく知りませんでした。
    娘の慧生の天城山心中が高木彬光の「成吉思汗の秘密で」取り上げられていたので、溥傑・浩のことはなんとなく知っていました。
    義経=成吉思汗というトンデモ中のトンデモ説を前提にしますが、成吉思汗の子孫である溥傑が京の三条家の姫君と結婚するというのも、これもまた輪廻ということになります。
    いろいろ調べまして、楽しい午後を過ごしました。

    千葉県にはおもしろい歴史がいっぱいなのですね。1となっていますから、続編が楽しみです。

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/14 07:37:27
    RE: 重厚な一遍

     しにあの旅人さん おはようございます。今年もよろしくお願いします。
     
     楽しんでお読みいただいて嬉しく思います。この日は二カ所見学しましたが、2時間くらいで帰って来てしまいました。見たいところもありましたが、どうも一人では(いつも一人ですが)興が乗らないといいますか、妻が恋しいと言いますか(笑)、乗らないときってあるものですね。
     このゆかりの家は、高台の一部に建っていて、すぐ近くが松林を控える海岸だったそうです。二人のことを調べると、波乱万丈の人生ですね。たくさんの経験をすると人生が長いという話がありますが、確かに、子供時代は何年でもないのに、人生の半分以上の充実感がありますね。ですからしにあさんのように欧州で暮らした人にとっての人生は長く楽しい毎日だったと思い起こされるに違いありません。
     愛新覚羅溥傑、浩の共に生きた時間は、長く、生きがいに満ちた愛の生活だったとおもわれます。浩が飛び切りの美人だったというのも、同情も手伝って、感心が深く思われるのでしょうね。::美人に弱いpedaruです(笑)。

    pedaru

     
  • 前日光さん 2024/01/12 22:38:49
    今年もよろしくお願いいたします<m(__)m>
    師匠、こんばんは&ちょっと遅めですが、新年おめでとうございます!(^^)!

    新年早々、愛新覚羅ときましたか!
    印象的な名字ですよね!
    私は確か浅田次郎氏の小説「蒼穹の昴」とその関連作品などで、清朝ラストエンペラーなどを知りました。
    愛新覚羅浩夫人の美しさや娘の慧生さんの天城山心中事件等々、浅田氏の作品関連でいろいろ知るところとなりました。

    「大地の子」、泣きましたよ。
    あの陸一心を引き取って、わが子のように育てた父親役の中国の俳優さんも、ここを訪れていたんですね。
    稲毛海岸に、愛新覚羅関連の屋敷があったとは!
    ご紹介ありがとうございました。
    知人の千葉大卒の人が稲毛に住んでいたと言っていたので、稲毛と言う場所は知っていましたが、まさか溥傑さんと繋がりがあったとは思いもしませんでした。
    新年早々、歴史に翻弄された日中両国の悲劇の人々に思いを馳せる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
    清朝末期って、眺めている分にはドラッマティックですよね!

    今年も師匠の歴史探訪、期待しております(^_-)-☆


    前日光

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/13 14:28:49
    RE: 今年もよろしくお願いいたします<m(__)m>

    前日光さん こんにちは 明けましておめでとうございます。

     美しい令嬢中の令嬢、侯爵家の長女、心は純粋で一途、こんな女性は私なら、お断りです。自分の醜い性分は熟知していますから。庶民中の庶民の妻でさえ、手にあます私めでございます。
     話に聴くほどに、溥傑と言う人は浩にふさわしい人物だったのですね。明治生まれの彼が妻の名前をさんづけで呼んでいるとは、好感が持てますね。

     稲毛海岸とは話には聞きましたが、白砂清松はすでになく、埋め立てられて民家が建って
    居ります。14号線までが海岸線だったというから、この家はまさに海岸に建っていた、高台の家だったのです。
    何かのついでに立ち寄ってもよいかな?程度の歴史の跡の家ですから、機会があったらどうぞ寄ってみてください。 もう一か所寄ってみたところがありますので、次をご覧ください。  今年もよろしくお願いします。

    pedaru
  • チーママ散歩さん 2024/01/12 22:35:01
    今年の抱負
    こんばんは 師匠。

    2024年 能登の地震と羽田の衝突事故という
    惨事とともに幕が明け、心が締め付けられましたが....。
    もうこれ以上の悲しみがないよう一年が過ごせますように
    と願います。
    そんな中、心が温まるお話をきかせてくださり
    ありがとうございました。

    稲毛海岸には行ったことがありますが。
    こんな波乱万丈の夫婦愛の物語があったのですね。
    始まりは政略結婚でも、深い愛情と信頼が
    芽生え2人の間には幸せな時間が流れていた.....
    心に熱いものが込み上げます。

    いつか来るお別れの時を考えると妄想豊な私は
    本気で涙してしまいます。  
    かなり重い女ですよね。(笑)
    できることなら私が先に....。
    一人にしないでねっていつも愛方さんに言ってます。
    「おいおい、勝手に終わらせないで。
         まだまだ元気だよ」
    そう言っていつも笑われます。

    会社で年はじめの抱負で
    今年はスキルアップできるよう〇〇の資格を取れるよう
    がんばりますなんて.....
    心にもないことを言ってみたけど。
    本音は今年も沢山愛方さんと遊びにお出かけしたい。
    けんかもするけど.....
    ずーっと一緒にいたいな。
    そんな正直な豊富を師匠の前でのろけてみました。

    日経平均が約34年ぶりの高値更新。
    いろんな面でいい年になるといいですね。
    今年もよろしくお願いします。

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/13 13:59:23
    RE: 今年の抱負

    チーママ散歩さん こんにちは 今年もよろしくお願いします。

     今年も初頭からおのろけを聞かせられました。愛方さんと呼ぶほどですから、おのろけは慣れていますけどね。
     そういえば我が家でも何十年か前に聞いたことがあったような気がします。私の寝ている顔を見て、大好きなあなたに死なれたらどうしよう、と涙が出た、と。
    ところが今では、口を開けて寝ている亭主の顔を見ると、なんと醜い顔だろう、サッカーボールのようにけ飛ばしたくなるわっ。ときっと思っているに違いない。こう思います。

     愛新覚羅夫妻の話を聞いて、私もすこしは見習いたいと思い、食事の後の茶碗くらいは自分で洗おうとするのですが、そのたびに皿や茶碗を割るから、やめて頂戴、と言われました。チーママ散歩さん、妻はどうしたら私の真心を分かってくれるのでしょうか?

    pedaru
  • kummingさん 2024/01/12 19:02:10
    初春♪
    年初から不穏な幕開けとなり、心痛む情報が飛び交う中、心洗われるような清廉なお話、ありがとうございます♪

    かかりつけの眼科のお医者さんの名札(院内に掲示されているもの?でしょうか)から、波乱万丈な夫婦愛の物語へと紡ぐ、さすが師匠の腕の見せどころ、でした。

    さて、夫婦仲、というテーマは個人的には耳が痛いww 果たして遠くない将来、わたしがいなくなった時、片割れはなんとゆ~のでしょうか(-。-; その時のために、(あちこち彷徨う私のおかげで)、1人暮らしの経験を重ね、いざという時への備えは万全⁈ そーゆー意味で、妻に先立たれても困らない夫、きっと感謝してくれるのではないか、と(笑)

    今年も、師匠の紡ぐ物語、楽しみにしています♪ できたら画伯としての腕のご披露も、よろしく~^o^

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/13 13:32:26
    RE: 初春♪

    kummingさん こんにちは 今年もよろしくお願いします。

     私の知り合いの奥様が言っておりました。「もし、私が先に死んだなら、主人が路頭に迷わないように、ご飯の炊き方、掃除、など厳しく仕込んできました。でも、先日、その主人が亡くなったのよ。こんなに早く死ぬなら、あんなに厳しくしなければよかったわ。」と。

     良かれと思ってやったことですよ、それも運命ですから仕方ありませんね。と慰めましたが、ご主人にとって、寿命を縮めるほどの、家事の訓練だったかと思うと、お気の毒でなりません。(冗談です)

     kummingさんのご主人は幸せです。旅行さえしていればご機嫌な妻、その間、気ままに自炊したり、レストランに入ったり、コンビニで弁当を買ったり、自由満喫です。
    万一、妻が客死しても気づかないでしょう。(これも冗談です、怒らないでね)

     私は妻におだてられて毎日一生懸命働いております。時には世間の年寄り並みに、休んでゲートボールなどやってみたいと思うのですよ。あと数年でお迎えが来るというのに。

    pedaru
  • norisaさん 2024/01/12 13:23:05
    波乱の人生!
    pedaruさん

    こんにちは。
    息せき切って駆け付けました。
    一番乗りにはその年の福が来るというどこぞの神社並みに御利益のあるpedaruさんのブログですから!(笑)

    さて、浅間神社は富士浅間神社も静岡浅間神社も巨大です。
    おっしゃるような小さな神社は知りませんでした(苦笑)

    それにしても浩は溥傑とまさに添い遂げたわけですね。
    途中の波瀾万丈の人生を一緒に生きて絆が一層縮まったのかもしれません。
    政略結婚なのかもしれませんが、お互いの波長が合えばかくのごとし。
    我が家は時々混信します(爆)

    このお宅はかなり古いようですが、大切に保存してほしいものです。
    元旦の能登半島の地震クラスだと心配ですーー。

    では、今年もよろしくお願いします!

    norisa

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/13 07:47:13
    RE: 波乱の人生!

     norisaさん おはようございます。今年もよろしくお願いします。

     波乱の幕開けの2024年ですが、norisa家は安泰で結構ですね。
     我が家は、足が痛いの、腰が苦しいのと、夫婦して、愚痴を言い合っています。
     胃がん検診で胃カメラをやらなければならない、と市役所からお知らせがきていますが、
    いつ癌になっても不思議はない年齢ですので、覚悟を決めて受診しようと思います。

     浅間神社って大企業なみの大手なんですね。東京の小岩の近くの浅間神社は、小さな神社でしたので、稲毛のにはおどろきました。いったいどこから資金が出ているのかきになります。 きっと、norisaさんのような富裕層から浄財を集めているのでしょうね。

     愛新覚羅家の家を見学して、夫婦愛の大切さを痛感しました。今頃気づいても遅いのですが、せめて我が女房には、おとなしく逆らわないように、従順にしたいと思います(笑)。

     では本年もよろしくお願いします。あれ?一度言った気がしますが。

    pedaru

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2024/01/13 07:47:13
    RE: 波乱の人生!

     norisaさん おはようございます。今年もよろしくお願いします。

     波乱の幕開けの2024年ですが、norisa家は安泰で結構ですね。
     我が家は、足が痛いの、腰が苦しいのと、夫婦して、愚痴を言い合っています。
     胃がん検診で胃カメラをやらなければならない、と市役所からお知らせがきていますが、
    いつ癌になっても不思議はない年齢ですので、覚悟を決めて受診しようと思います。

     浅間神社って大企業なみの大手なんですね。東京の小岩の近くの浅間神社は、小さな神社でしたので、稲毛のにはおどろきました。いったいどこから資金が出ているのかきになります。 きっと、norisaさんのような富裕層から浄財を集めているのでしょうね。

     愛新覚羅家の家を見学して、夫婦愛の大切さを痛感しました。今頃気づいても遅いのですが、せめて我が女房には、おとなしく逆らわないように、従順にしたいと思います(笑)。

     では本年もよろしくお願いします。あれ?一度言った気がしますが。

    pedaru

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